第5話 クラシアさん、貞操の危機③
ボウリング場の外に出て、僕は一息ついた。自動販売機でオレンジジュースを買い、近くの公園のベンチに腰を下ろして飲み始めた。夜風が妙に冷たい。
なんとか不良の演技を乗り切った達成感はあったが、クラシアさんは満足してくれるだろうか。オレンジジュースを少し口に運び、ぼんやりと夜空を見上げる。
しばらくして、腕時計に目をやった。
「もう20時を過ぎている」
ボウリング場を出てから30分近く経っていた。クラシアさんからの連絡を待っていたが、音沙汰無し。
暇なのでスマホでゲームのガチャを回していると、突然背後からドスの効いた声が聞こえてきた。
「おい、お前!」
振り返ると、そこにはターゲットの男とクラシアさんが立っていた。男の顔には怒りがはっきりと表れていて、まるで追いかけてきたかのように息を切らしていた。
「な、何だよ!!」
僕は咄嗟に不良の役を再び演じることにする。
「邪魔なんだよ。 とっとと失せろ! 俺たちが座れねえだろ!」
これは……この男、クラシアさんにいい所を再び見せようとしているに違いない。
「いや、失せるのはお前だ。君にその彼女は釣り合ってないぜ。彼女を置いてさっさと帰れ」
僕はベンチから立ち上がり、男とフェイスオフを開始。こういう時は目を逸らしたら負けだ。ブレイキン〇ダウンで学んだ。サングラス越しに僕は相手の目を睨みつける。
「何だよ? やんのか?」
どうやら喧嘩したいらしい。喧嘩自慢って奴かな
「辞めとけよ、クソチビ。お前じゃ勝てねえぜ」
男と僕の身長差は大体10cmくらいあった。僕は男を見下ろし、男は僕を見上げている。そのことに気づいて煽ってみたが、ちょっとやり過ぎたかも。
僕はなんとか平静を保とうとしたが、内心はドキドキしていた。
「てめえ、調子こいてんじゃねえぞ!」
男は僕の煽りに激昂して、僕の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと、駄目だよ」
クラシアさんが少し慌てた様子で男に声を掛けたが、どうやら耳に入っていないらしい。
「彼女困らせてどうすんだよ。やっぱりお前、彼女と釣り合ってねーよ。態度も身長も」
「……おい、てめえそろそろ殺すぞ」
胸ぐらを掴む手が更に強くなった。く、苦しい。助けてクラシアさん。いや、ダメだ。クラシアさんはか弱い? 女の子なんだ。
クラシアさんは止めに入ろうと思ったのか、僕と男に近づいて来たが、僕はクラシアさんを手で制した。
「お嬢さん。近づいたら危ないぜ。怪我したら大変だ」
「お前、何様のつもりだよ? ヒーロー気取りか? 笑わせんな!」
男はさらに力を込めて僕の胸ぐらを引き寄せ、顔を近づけてきた。彼の目には怒りと憎しみが燃えている。
「や、辞めろ! 離せよチビ!」
「この女は俺のもんだ。お前みたいな奴に渡すわけねぇだろ!」
その時、男の足元に目をやって気が付いた。いや、思い出した。最初に見た時から気付いていた。
「お前それ、厚底シューズって奴か? 実はチビなの気にしてたんだな。なあ、身長何センチ? 彼女がハイヒール履いてなくて良かったな。ハイヒールだったらお前より高くなってしまうからな。もしかしてそれを見越して彼女がハイヒール履いてこないようにボウリングデートにしたのか? でも厚底のレンタルシューズがあそこには置いてなくて残念だったな。彼女と同じ高さ――――」
言い終わる前に突然、男の拳が僕の顔面に飛んできた。衝撃で視界が一瞬真っ白になり、体が後ろに倒れ込んだ。地面に倒れた僕は、痛みで顔を抑えながらも、なんとか立ち上がろうとした。
「痛ってぇ……何すんだよ!」
しかし、男は容赦なく追い打ちをかけてきた。次の瞬間、彼の拳が再び僕の腹部に突き刺さった。息が詰まり、苦しさで体が丸まる。
「ふざけんな! お前、二度と彼女に近づくな!」
男の怒りは収まらず、さらに数発のパンチが僕の体を襲った。通りすがりの周りの人たちがざわめき始め、誰かが止めに入ろうとしているのが分かる。しかし、男の拳は止まらなかった。
「痛ってぇ、やめろ!」
僕が仰向けに倒れ、男が馬乗りになって殴りかかろうとしたその時、振り上げられた男の拳をクラシアさんが両手で掴んだ。
「も、もう大丈夫! 行こうよ、ね?」
男の拳を掴んだクラシアさんは、必死に彼を引き離そうとした。彼女の声には緊張と焦りが混じっていた。
「お願い、もうやめて! これ以上は本当に危ないから!」
男は一瞬クラシアさんの顔を見て、その後僕を睨みつけた。彼の怒りはまだ収まっていないようだったが、クラシアさんの必死な表情に少しだけ冷静さを取り戻したようだった。
「チッ、分かったよ。でも、次にお前が彼女に近づいたら、ただじゃ済まさねぇからな!」
男は僕を睨みつけながら、クラシアさんの手を振り払って立ち上がった。彼はまだ怒りを抱えているようだったが、クラシアさんの手を引いてその場を離れていった。
「グエ〜死ぬかと思った」
僕は痛みで体を丸めながら、なんとか立ち上がろうとしたが、身体が言うことを聞かない。クラシアさんが振り返って心配そうに僕を見つめているのが分かった。
「あいつクラシアさんと手繋いでやがる。クソ」
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
その後、公園のベンチで痛みをこらえながら座っていた。夜風が冷たく、体の痛みがじわじわと広がっていくのを感じながら、僕はジュースを飲み干した。
「痛い……」
ジュースが口内の傷にしみる。血の味が口に広がっていくのがわかった。
しばらくクラシアさんからの連絡を待っていたが、音沙汰無しという状況が続く。スマホを何度も確認しながら、時間だけが過ぎていく。痛みが少しずつ和らいできたが、身体のあちこちがまだ痛む。
ふっと息を吐いて夜空を見上げる。
「全く散々な目にあったな」
その時、ようやくスマホが振動した。クラシアさんからのメッセージだ。
『助けて、やばいかも』
短いメッセージに続いて、マップアプリで示された場所のリンクが添付されていた。どうやら、クラシアさんは近くのホテル街にいるようだ。
「まじかよ……」
僕は痛みをこらえながら立ち上がり、マップアプリを頼りにクラシアさんのいる場所へ向かった。走るたびに身体が痛むが、クラシアさんを助けるために我慢するしかない。
まだそんなに離れていない、すぐ見つかるはずだ。
高校生が立ち寄って良いのか分からないいかがわしいお店が乱立している場所を僕はクラシアさんを探すために走り回った。
「辞めて!!」
クラシアさんの声だ! 僕はその方向に視線を向ける。そこにはお馴染みのR-18マークのあるホテル。そこの中へあの男がクラシアさんを引っ張り込もうとしている。
どうする? 突っ込んでもまた殴られて終わりだ。今度はもっとボコボコにされるかもしれない……。
いや、そんなこと言っている場合では無い……。そうか警察だ!! 僕はスマホを取り出して人生初の110番通報をする。当然、すぐに繋がった。
「事故ですか? 事件ですか?」
「事件です!! 未成年の女の子が男にホテルに無理矢理連れ込まれそうになっています!!」
「場所はどこですか?」
知るか! 知らんわ! 知らないよ!
「ホテルです! ラブホテルです!」
「住所はどこですか? 近くに何が見えますか?」
「えっと、近くにコンビニがあります! あと、赤い看板のホテルが見えます!」
ここで、クラシアさんが送って来たマップデータのことを思い出す。スマホ画面を操作して、マップを開く。現在位置を確認……わかったぞ!!
「◯×△ホテルです!!」
「分かりました。すぐに警察官を向かわせます。安全な場所に移動して、待っていてください」
通報を終えた僕は、クラシアさんに視線を戻した。男はまだ彼女を引っ張り込もうとしている。クラシアさんは必死に抵抗しているが、力の差は歴然。徐々にホテルの入り口に近づいていた。
「クソっ!! 警察はまだか?」
確か通報から10分くらいかかるらしいが……間に合うのだろうか?
「大丈夫、大丈夫。先っぽだけだから」
「やだ! 離して!」
「良いじゃん。守ってくれる強い男が好きなんでしょ?」
クラシアさんは必死に抵抗しながら、涙を浮かべて叫んでいる。
「やめて! 本当にやめて!」
クラシアさんが危険な状態にあるのに、好きな子が危険な状況にあるのに、僕は突っ立って警察が到着するのを待っているだけなのか? それで良いのか?
クラシアさんは僕が警察を呼んだことを知らない。きっと、今この瞬間にも一生トラウマになってもおかしく無い恐怖に襲われているんだぞ? それを見ているだけなんて……僕には出来ない!!
僕は勇気を振り絞って、クラシアさんの元へ駆け寄った。そして、勢いそのままに男へタックルする。そして僕と男は地面に同時に倒れた。
「またお前か、邪魔しやがって」
「逃げろ!!」
僕は男を何とか抑えつけて、大声で叫んだ。
男は僕を振り払おうとしたが、僕は必死に彼にしがみついた。クラシアさんはその隙に逃げ出そうとしたが、男は僕を突き放して立ち上がり、倒れていた僕の腹に蹴りを入れた後で、再び彼女の腕を掴んだ。
「逃がさねぇぞ! お前にいくら使ったと思ってんだ!」
僕は痛みに耐えて立ち上がり必死に男の腕を引っ張りクラシアさんを助けようとした。
「ふざけるな、俺の方がもっと使ってる! しかも彼女に100万円の借金を背負ってんだ!」
「何を言ってやがる! 邪魔すんな!」
男のボディブローが鳩尾に直撃した。息が詰まり、体が折れ曲がる。痛みで視界がぼやける中、僕は必死に立ち上がろうとしたが、身体が言うことを聞かない。
「くそ……」
男は再びクラシアさんを引っ張り込もうとしたが、その時、遠くから警察のサイレンが聞こえてきた。男は一瞬立ち止まり、周囲を見渡した。
男はようやく諦めたのだろう。そのまま何処かに逃走していった。
警察のサイレンが段々と近づいてくる。
「良かった」
僕はゆっくり立ち上がって、クラシアさんの手を掴む。冷たかった。そして震えていた。彼女の顔を見てみると、涙が溢れていた。恐怖と不安が彼女の表情に刻まれているのが分かった。
「大丈夫だよ、クラシアさん。もう安全だ」
僕は彼女を優しく抱きしめ、安心させようと思ったが、レンタル彼女規約違反だ。出来ることは手を握って安心させてあげることくらいである。
クラシアの手首にあざが付いていた。痛かったよね。いいや、そんなことにすら気づかないくらい怖かったはずだ。僕はそっとクラシアさんの手首を掴んだ。
彼女の手は硬く握り締められており、未だに震えが止まらないようだった。声も出ない様子だ。
警察のサイレンがさらに近づき、数台のパトカーがホテルの前に到着した。数人の警察官が急いでパトカーから出て来て、こちらに向かって走ってくる。
「何をしている!!」
え? え? は?
「何って……」
僕に有無を言わせずに警察官は僕に飛びかかった。僕は地面に組み伏せられる。そして次々と警察官がやってきて、僕を取り囲んで数人で抑えつけられる。
「現行犯逮捕だ!」
犯人と間違えられている!? クラシアさんの手首握ったのは失敗だった。それにこの不良の格好が拍車をかけているのかもしれない。
「ち、違う。僕は犯人じゃ無い!! 僕じゃ無い!!」
僕は大声で警察に訴えかけた。
「うるせえ!! 犯人はみんなそう言うんだよ!!」
「痛い! 痛い!」
地面にうつ伏せで取り押さえられた僕は、警察官に手を後ろに絞り上げられていた。クソ痛い。あの男に殴られた所より痛い。
「痛くしてんだよ!」
それが警察官の言う台詞か。
「辞めろ、離せ! 神奈川県警め!」
「黙れ、俺たちは千葉県警だ!」
ああ、これは何を言っても無駄だ。警察署で事情を話すまで理解してもらえない奴だ。
僕は諦めて抵抗を辞めた。あれ? クラシアさんは? 警察に囲まれてクラシアさんを見つけられなかった。
まあ、クラシアさんが無事ならそれで良いか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます