第6話 妙に優しいクラシアさん

「まだ、痛む? 病院でちゃんと診てもらったの? PTSDは発症していない?」


 昼休み、校舎の外の階段に僕とクラシアさんは並んで座っていた。肩が触れ合うくらいの距離感である。レンタルした時もこんなに近く座ってくれたことは無かった。クラシアさんの清潔感あふれる香りで満たされる。触れ合う肩の体温に意識がいってしまい、中々会話に集中出来ない。


「大丈夫だよ。もう痛く無いよ」


 あの後、僕は警察署に連行された。取り調べから豚箱に入れられることを覚悟していたけど、クラシアさんが落ち着きを取り戻し、直ぐに側にいた女性警官に説明してくれたお陰で直ぐに釈放された。

 クラシアさんとは釈放の後、lineで通話した。お礼と身体の心配を何度もしてくれた。そして、土日を挟んで月曜日の今日、包帯だらけの痛々しい姿で登校。クラスメートがドン引きしてた。


「痛く無いわけないじゃない。骨折しているのに」


 肋骨にひびが入っており、左腕は骨折していた。鼻血はだいぶ出たけど、折れてはいない。顔は傷だらけだけど大きな怪我は無かった。


「大丈夫。腕だけだったから」

「傷口はどう? まだ痛む?」

「全然平気」


 クラシアさんは僕の顔に手を伸ばして、頬に軽く触れてから、少し押した。


「痛い!! 痛い!!」

「やっぱりまだ痛むのね」


 クラシアさんは俯き、沈んだ顔をした。


「触らなければ大丈夫だよ」

「ご飯食べれる?」


 僕の顔をまじまじと見て心配そうに眉を寄せて聞いてくるクラシアさん。顔が近い……。僕は恥ずかしくなって、顔を逸らしてしまう。


「タ、タベレルヨ」


 嘘だった。食事をすると傷口がしみるから、食が全然進まない。あれから2kgくらい痩せていた。水を飲むのも一苦労である。


「食べれないのね。ゼリー飲料とか買ってきてあるの。これなら食べれるかしら?」


 ビニール袋からゼリー飲料とプリンとスムージーが出て来た。


「そ、そんなにどうしたの?」

「どうしたのって、あなたがちゃんと食事出来ていないと思って……」

「あ、ありがとう」


 クラシアさんは僕にゼリー飲料を手渡した。


「あ、ごめんなさい。開けられないわよね」


 そう言って、キャップを捻って取ってくれた。


「クラシアさん。優しいね」

「当たり前でしょ、そんなこと……。いえ、ごめんなさい。偉そうに言える立場じゃ無いわね」

「そんなことない! クラシアさんと一緒にお昼ご飯食べれて嬉しいよ!」


 本音だった。ボコボコにされて本当に良かったと心の底から言える。


「そんなこと聞いてないわ。相変わらず会話が下手なのね」


 クラシアさんはそう言って優しく微笑んだ。何だろう以前の刺々しい感じが全くない。


「ごめんなさい」

「いいえ、謝らないといけないのは私。ごめんなさい。良いやり方では無かった」


 当然、あの日のことを言っているのだろう。


「いや、僕が勝手に暴走しただけだから、クラシアさんは悪くないよ」

「優しいのね。……全然知らなかったわ」

「何が知らなかったの?」


 風が吹き抜け、クラシアさんの長く美しい髪が僕の顔にかかった。クラシアさんは僕に髪が当たらないように、手で押さえた。


「何でもないわ。それより、お詫び……何かして欲しいことはあるかしら? やっぱり借金の減額? 利息のカットかしら? 最大限の努力はするつもりよ」


 クラシアさんを水没させたことに対する損害賠償がまだ100万円ほど残っているのだ。しかし、これは僕とクラシアさんを繋げる接点だ。無くなっては困る。


「う〜ん。クラシアさんをまたレンタルしたい」

「え? レンタル?」


 驚いた表情で小首を傾げるクラシアさん。


「うん。またクラシアさんとお出かけしたい」


 借金のせいでクラシアさんをしばらくはレンタル出来ないと思って落ち込んでいたのだ。だから、レンタルさせて欲しかった。


「私をレンタルしてデートしたいってこと?」

「うん」


 クラシアさんは驚きで目を丸くしている様子だった。


「そんなことでいいの? 本当に?」

「もちろん。クラシアさん、豆鉄砲が鳩食らったような顔しているよ」


 僕はゼリー飲料を一口飲む。痛い……。


「鳩が豆鉄砲よ……。国語の勉強が必要なようね」

「ギャグなのに……」


 こほん、と一度クラシアさんは咳払いをしてから言った。


「分かったわ。あなたが……堂ヶ島君がそれで良いならそうしましょう」

「やった!!」

「でも、お金はいらないわ」

「どういうこと?」


 お金を払わないとレンタル出来ないじゃないか。


「レンタルじゃなくていいわ」

「え? 彼女になってくれるの?」


 クラシアさんは呆れたような顔をする。


「違うわよ。普通にレンタルじゃなくてデートをしましょうってことよ。嫌?」


 僕の瞳を見つめて小首を傾げる。可愛い……。


「いえ、嬉しいです!!」


 クラシアさんと普通のデートだと!? そんな夢のようなことがあって良いのか? いいよね? こんだけボコボコにされたんだから!


「そう、それなら良かったわ」


 クラシアさんは優しい微笑みを僕に向けた。最近のクラシアさんから考えると、この微笑みはちょっと怖い。


「えへへ……クラシアさんと生デートだぁ……」

「心の声が漏れ出ているわ。上手に隠しなさい。気持ち悪いわ」


 ……普通に酷い。

 クラシアさんはコンビニのビニール袋からペットボトルの緑茶を取り出すと、キャップを捻り一口飲んだ。その後で何かを思い出したように、そうだった、と呟いた。


「はいこれ」


 スカートのポケットから封筒を出して、こちらに差し出した。僕は受け取る。


「何これ?」

「バイト代よ。この間の」


 ああ……そういえばクラシアさんのレンタル彼女をサポートをするのはバイトだったな。……けど


「バイト代は返済に充てられるんじゃ無かったの?」


 僕が抱えている負債訳100万円の負債の返済に充てられるはずだった。


「全額返済に充てる訳無いじゃ無い。それに……今回は迷惑かけた上に怪我させてしまったし、それと助けてくれた。だから、借金はバイト代関係なく減額するわ。その上で、これはあなたのお給料。それと、諸々の経費も入っているわ」

「そ、そうなんだ。ありがとう」

「お礼は不要よ。仕事に対する当然の報酬なんだから」

「そ、そうかな?」


 僕は封筒をできるだけ丁寧にポケットにしまった。


「何をしているの? ちゃんと中身確認しないとダメじゃ無い」

「へ? いや失礼かなと」

「金額間違えてたらどうするの? あなた……堂ヶ島君そんなんじゃ将来騙されるわよ」


 心配してくれているのだろうか? 


「えっと、じゃあ」


 僕はポケットから封筒を取り出して、中身を確認した。


「金額は合っているかしら?」

「え!?」


 中身を見て僕は驚愕した。6万1千円も入っている。後は小銭が少し。


「どうしたの?」

「間違えてない?」

「少ないかしら?」

「いや、多すぎるよ」


 明細書が入っていたので確認した。


 時給1082×6=6492円

 必要経費 10000円

 備品   10000円

 労災   20000円

 精神的肉体的苦痛15000円

 合計 61492円

 借金総額 元金969800円 

 利息年間5% 132円×9日=1195円

 負債総額 970995円

 減額   300000円

 合計   670995円

 ※なお、債権者クラシア・アレクサンドロヴナ・鷹司は本日◯月◯日以降、利息の権利を放棄する。


「と、いうことよ。今後利息は不要。30万円は私が負担する形で減額するわ。これが今回のお礼ということでいい……かしら? 図々しいかな?」


 最後の方の台詞は声が小さくなっていた。


「いや、全然!! むしろこんなにいいの? 僕はとても助かるけど」

「そう、それなら良かった。じゃあ、受け取りと契約更新のサインをしてくれる?」


 そう言ってから新たな契約書をクラシアさんは胸ポケットから取り出した。

 やっぱりクラシアさんは契約主義者だ。

 僕はクラシアさんから高級そうな万年肌を貸して貰い、膝の上に書類を置いて2つにサインをした。


「はい」


 サインした書類をクラシアさんに手渡した。クラシアさんはそれを受け取ってから、今度はスカートのポケットから書類を取り出して僕に渡す。


「それで、これあなたの分の書類の控えね。大切に保管するのよ」

「分かった。あ、クラシアさんの直筆のサインがある。嬉しいなぁ」

「アイドルのサインじゃないんだから……」

「でも、こんな大金どこから持って来たの?」


 手元の6万円を見て思った。


「私は人気レンタル彼女よ。あなたからもいくら搾り取ったと思っているの?」

「まあ、そうだね……」


 搾り取ったと言われると何だか複雑だな。


「それとね……あの……その」


 クラシアさんは顔を少し赤らめながら、目を伏せてモジモジと指をいじっていた。彼女の声は控えめで、まるで自分のお願いが重荷でないかと心配しているようだった。

 言いたいことは何でも遠慮なく言い放つクラシアさんにしては珍しい態度だなぁ。


「どうしたの?」

「あの……あのね……もし可能だったらでいいんだけれど……」


恥ずかしそうに目を合わせずに、小さな声で続けた。


「一つだけ、お願いがあるの……。私があなたから貰ったテディベアを返して貰えないかしら? ほら、投げつけたテディベア」


その言葉が終わると、クラシアさんは少し困ったような笑みを浮かべ、そっと目をこちらに向けた。彼女の照れた表情と控えめな仕草が、なんとも言えない可愛らしさを醸し出していた。


「なんだそんなことか。勿論いいよ。あれはクラシアさんにあげたものだからね。あんな物で良ければいくらでも」


 僕の言葉にクラシアさんは怒りの表情を浮かべた。


「あんな物じゃないわ! 大切なもの……だと……気づいたの?」


 クラシアさんは最後の言葉に合わせて首を傾けた。

 なぜ最後が疑問系何だろう。


「洗濯機で洗っておいたから、明日持ってくるね」

「……ありがとう」


 なぜかそっぽを向いてお礼を言うクラシアさん。やっぱり可愛い。僕の天使だ。

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