人らしくいなさい

羽化

人らしくいなさい

おおよそ、わたしという人間には感情というものが欠落していたのでしょう。


どこかで常に「人間らしくいてはいけない」という強迫観念にとらわれているのです。


幼少期、両親にふざけて抱きついたのです。

すると、母は持っていた茶碗を割ってしまい、父はひどく怒り、わたしにひどい折檻をしたのです。


わたしは泣きながら謝りました。

ですが、父と母がわたしを許す事はありませんでした。


わたしは父から受ける折檻よりも、母がわたしより割れた茶碗の事を心配している様子が、とても悲しかったのです。


《人らしくいなさい》

それ以降、誰かに監視されて頭の中で命令されているようでした。


それは家の中でも休まる事はなく、常にピンと糸が張り詰めているようでした。家では常に笑顔で無邪気な子供を演じ続けていました。《人らしくいなさい》どこかでずっとこの声が聞こえるのです。


とても良い自分というものを作り上げて、割れた茶碗より、わたしを愛して欲しかったのです。

良い子になれば、両親は茶碗より、わたしを見てくれるのではないか。

そのような、淡い希望を抱いてしまうのです。


そして数年が経ち、14歳になったいまでも。

それは報われる事はないのです。

これが、わたしの最後の感情らしい感情でしょう。


感情が欠落していると気付いたのは、ある事故がきっかけでした。

両親が交通事故で亡くなったのです。

突然、帰らぬ人となったふたりをみて、涙や感情が溢れてくるかと思っていました。

ですが、いくら待てども、涙が出るどころか、感情すら薄い自分に気がついたのです。


死体はほめてくれない。


両親からの執着がとれた瞬間でした。

そうなのです。


割れた茶碗より、なにより。

死体はしゃべらない、話さない。

そんなものに、興味など抱けなかったのです。

わたしにとって両親の死体は、ただの人形のようなものでした。


とても無機質で冷たい体温のように、わたしの心もまた、何か大切なものが欠落していて無機質な冷たさを抱いているのです。


友のように悲しみ、哀れむ事もなければ、親戚のように泣く事もない。

両親の突然の死というものは、わたしにとって、喪失感より、愛情という執着からの解放だったのかもしれません。


「父様、母様、ごめんなさい」


両親に送った謝罪は、わたしが人らしくいるための精一杯の言葉でした。

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人らしくいなさい 羽化 @uka016

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