第21話 シュイコフ戦車中隊

 遠くの方で砲兵隊の射撃の音が聞こえてくる。場所は、月夜に照らし出される雪景色の森の中。


 弾薬を補給するT-34を始めとする連邦軍戦車や自走砲。トラックもいなくは無いが、輸送力が足りない分を補うべく人や資材を乗せた馬車も走る。積み上げられた木箱や、せわしなく行きかう兵士たち。


 戦場では決して珍しくもなんともない、ありふれた補給地点の情景だ。


 その喧騒の中を一人の女士官が歩いている。新緑の森を思わせる緑の瞳と、肩より下まで伸ばした綺麗な金髪を緩い一本の三つ編みにして、白のリボンでまとめた髪型。少女と言っても差し支えのない、年若い小柄な女性戦車士官。釣り目気味ゆえに少し厳しさを感じさせるその顔立ちは、美少女として十分に通用するものだ。


 クラーラ・レフチェンコ少尉。ヴォルフ及びクラリッサのティーガーに行く手を阻まれ、入れ替わりに追跡してきた敵部隊の追撃を振り切って無事に中隊と合流した彼女は、副官であるゲラーシー・カザロフ曹長を連れて肩で風を切る様に歩いていく。


 その堂々とした所作はある種の貫禄すら感じさせるが、表情は晴れない。


”やはり所詮は女――――――”

”おめおめと尻尾を巻いて――――――”


 歩く彼女の周囲からひそひそと聞こえてくる、聞き取れただけでも不快な思いを掻き立てる声。そしてそれに反論できない立場が原因だ。


 イライラする内心を、己の指揮官としての未熟さの自覚で押し殺し、クラーラはまっすぐに歩いていく。その様は、このクラーラ・レフチェンコという女の生き方―――”言葉ではなく態度で示す”をこれでもかと如実に示しているようだった。


 やがて彼女が一つの天幕の前に辿り着けば、入り口に立つ歩哨が天幕の裾をめくりあげてくれた。


 軽く礼を言ってから、布のトンネルを潜って背筋を伸ばし、はきはきとした声で敬礼と共に報告する。


「クラーラ・レフチェンコ少尉、戻りました」


「少し待て―――その件は了解した、戦車を派遣する―――そうだ、例の陣地についてだが、予定通りに作業は進んでるのだな? わかった。ではまた」


 受話器を隣で控えていた通信手に渡しつつ、その男はクラーラとゲラーシーの方へと視線を向けた。


 まだ若い、美丈夫と言って差し支えのない整った顔立ちの士官だ。茶色がかった髪を短く刈り込んだ、いかにも軍人らしい実直そうな顔立ちは、知的な鳶色の鋭い眼光を輝かせている。


「報告せよ」


「はっ、追撃してきた敵戦車は6両を撃破。派遣していただいた増援部隊との防衛線交代は、予定通りに滞りなく終わりました。我が方は離脱中に2両を損失、残存戦車3両。歩兵の損害が大きく、半数近くを失いました」


 姿勢を正して、包み隠さず答えるクラーラ。


 すると、ぱんぱんと手を打つ音がした。


 一同がそちらを―――特にクラーラは忌々しさを隠そうともせずにそちらの方を見やれば、少年のような童顔の青年士官が意地の悪い笑みを浮かべていた。


「それで、意気揚々と出撃していった先で、結局尻尾を巻いて逃げて帰ってきたわけだ。いやあ、お見事お見事」


「……否定はしないわ」



 顔立ち通りの幼稚な奴だ。そのむかつく笑顔を浮かべる顔面に、助走付きで拳をめり込ませたい衝動を理性で抑えながら、クラーラは声を荒げないよう努力しつつ返答する。


 それを知ってか知らずか、その青年士官キール・スプコフスキー中尉は鼻で笑って見せる。


「だから言ったでしょう同志中隊長。僕が行くべきだったと。女なんて臆病風に吹かれてすぐこれだ。なんなら敵前逃亡の罪で罰してもいいんじゃないですかねえ?」


「お言葉ですが———」


「よしなさい同志曹長。私たちが失敗したのは事実よ」


 言い訳しようと思えばいくらでもできるし、臆病風に吹かれたも何も、転進するように言われたから下がっただけのこと。そんなこと、言わなくても命令を発した当人である若き中隊長―――アンドレイ・シュイコフ大尉は承知の上のはずだ。


 アンドレイは厳しいところもあるが、どこまでも公平な人物である。信賞必罰を必ず守り、その為には事実をきちんと精査し、相手に見合った褒章あるいは処罰を下す。己に非があったなら部下が相手であろうと謝ることができるし、自分の責任を他人に押し付けたりすることは断じてない。


 この中隊長はそういう男だ。ゆえにクラーラがどうこう言うことではない。言う必要はない。


「”偵察”ご苦労だった、同志レフチェンコ少尉。3日やるから補給と整備、休養に当たれ」


 アンドレイはあくまでも淡々と話題を変えてみせた。スプコフスキー中尉はつまらなそうな顔を露骨に浮かべつつ、そしてクラーラとゲラーシーは真面目な態度を崩すことなく、アンドレイの声に耳を傾ける。


「状況からして、おそらく緑の丘を奪還する為の本格的な作戦を近々敵が計画するはずだ。その場合、我が中隊に出撃が命じられる可能性もある。同志レフチェンコ少尉の小隊が遭遇したというチーグルを擁する部隊も、動く可能性は非常に高いだろう。各人、いつでも動けるように準備を抜かるな」



「同志少尉殿、どうぞ」


「ありがとう、同志曹長」


 差し出されたコップに入った暖かいスープを飲みつつ、クラーラは一息つく。中身は物凄く薄味だし、残骸みたいな野菜が浮いているだけだが、こんなものでも無いよりマシだ。


 自身のT-34の前面装甲に腰かけた彼女は、焚火を囲んでいる自身の部下たちの方を見ている。


 付近には、彼女の指揮下にあるT-34が自身のものも含めて3両。どの戦車も何かしらの損傷を負っており、次の戦闘に備えて簡易的なチェックや整備を行う必要があるのは明白だ。


 整備班に丸投げにするわけにはいかない。ある程度は不調な箇所を共有してやらないと整備隊の負担は無尽蔵に増えるばかりだし、乗る側としても肝心な部分が直ってない等になりかねない。


 よって自分たちでもある程度は点検を行う必要があるが———命からがらようやく逃げてきたのだ。少なくとも、命がけでどうにか帰ってきた直後にやらせたところで、見落としや無意識の手抜きを誘発するだけだ。だから、今は休ませる。それがクラーラの方針だった。


 ふと、ゲラーシー曹長が呟くように言った。


「後悔されていますね?」


「……なぜわかったのかしら?」


「年の功です」


「そう」


”やれやれ、叶わないなあ”と肩をすくめ、クラーラはぽつぽつと語りだす。


「出発する前には、もっとたくさんいたのにね」


 自身の指揮で失われた命。その重みを前にして、さすがに気落ちせずにはいられなかった。クラーラとて、それが戦場の日常だとわかってはいても、やはり簡単には割り切ることなどできるわけがなかったというわけだ。


 もちろん、クラーラとは違ってベテランであるゲラーシーも人間だ。死んだ仲間の中には個人的に親しくしていた者たちもいる。ゆえに思うことはもちろんある。クラーラ・レフチェンコ少尉の指揮下で彼らが死んだのは事実だ。そして、その補佐役たるゲラーシー・カザロフ曹長もまた、彼らを守れなかった。


「ならば、後方勤務に異動されますか?」


「……今それを言わないで。首を縦に振りたくなるから」


「でしょうな」


 苦笑いしつつ、ゲラーシーはクラーラの頭に手を置いて撫でてやった。


「ちょ、ちょっと!!」


「確かに貴方の指揮は完璧ではなかった。私もまた、貴方を完璧に補佐できたとは言えない。そして犠牲が出た」


「……」


「しかし、それは指揮を執る者の宿命です。次はもっとうまく、今度こそ完璧に。そのように思える限り、貴方は成長できる。今日失われた命が無駄になることもない。逆に貴方が投げ出して、新しい新任の小隊長が来たとすれば―――また我々は、その人物を貴方と同じステージにあげるまで血の代償を払うこととなる。ゆえに貴方は成長し続けなくてはならない」


「自身が死ぬか戦いが終わるその時まで?」


「その通り。しかし物事には限界があることも貴方は理解する必要がある。この矛盾をいかに乗り切るか。それが貴方に与えられた”階級章の重み”です」


 くしゃくしゃと頭を撫でられるクラーラは、在りし日のことを思い出す。


 幼き日、学校でよい成績を取った時。初めて料理を作った日。在りし日の父もまた、このようにして何かと頭を撫でてくれた。その父は歩兵としてこの戦争の序盤に戦死してしまい、もはや記憶の中の存在でしかないけれど―――


「ありがとう、同志曹長。気合いを入れなおすわ」


「頼みますよ、同志少尉殿」


 この頼れる年配の同志曹長もまた、二人の娘の父親だと聞いている。その娘たちが自分と同じように喪失感と怒りに身を焦がし、敵討ちだなんだと早まって軍に志願するような未来はあってはならない。その決意を強くし、クラーラは頷いた。


「乗り切って見せるわ、必ず」


「おい、見ろよお前ら。同志少尉殿はまだまだパーパの掌が懐かしいらしいぜ」


 クラーラの決意に冷水をかけるかのような声と、下品な笑い声が聞こえてくる。イライラしながらクラーラは声の聞こえたほう―――左前方へと目をやった。


「同志中尉殿、何か?」


「いや、別に? 部下を失って傷心な同志少尉の様子を見に来ただけさ」


 意地悪く言うスプコフスキー中尉。その周囲にいる彼の部下たちもそろって小馬鹿にしたような目でこちらを見てくる。


 スプコフスキー小隊はどいつもこいつも人相が悪く、荒んだ雰囲気を出している。そしてそれは、残念ながら雰囲気だけではない。暴行、略奪、強姦、そして虐殺。正規軍というよりももはや山賊のような荒れくれ者の集団がスプコフスキー中尉の部下たちだった。


 そもそもキール・スプコフスキーという男は父親が政治将校であり、その権力をかさに好き放題にする傾向のある男だった。中隊長アンドレイも正直言って持て余しており、彼の扱いには慎重にならざるを得ないのが現状だ。傍若無人なその態度は部下にも伝播し、まるで自分たちが特別な存在だとでもいうかのような態度を見せている。


 アンドレイがこの男の蛮行を逐一上層部に報告し、まるで重い腰を上げようとしない状態に苛立ちつつも、それでもこのクソガキを使っているのには、それ相応に理由がある。クラーラや彼女の部下たちはある程度察してはいるが、その事を肝心の当人であるこの童顔士官は、果たしてちゃんと自覚してるのだろうか? 曲がりなりにも共闘する以上、流石にそこまで馬鹿だとは思いたく無いが……


「同志少尉、アドバイスしてやろうか? 女性兵士なら”女性にしかできない方法”で義務を果たしてもいいんだぜ? ああいや、失礼、おこちゃまにはちょっと早かったか?」


「なんなら同志小隊長、俺たちで教え込んでもいいんでは?」


「確かに!! 同志少尉殿は外見はなかなか悪くないことですし!!」


「強気な女を屈服させる楽しさがたっぷり味わえそうだ!!」


「待て待て、中隊長殿の”お気に入り”に手を出したら俺たちが危ない」


「おっと、そうだったな。それで同志少尉殿、同志中隊長殿はいつもどのようにベッドの上でかわいがってくれるんですかねえ?」


 げらげらと笑うスプコフスキー中尉の小隊員たち。見かねたゲラーシーが何か言おうとしたのを手で制し、クラーラは鼻を鳴らして言い放つ。


「そんなことより同志中尉殿」


 一度言葉を切ってから、クラーラは戦車から降りると、コップを片手に持ったまま、つかつかとスプコフスキー中尉の眼前にまで近寄った。彼女がコップの中身を相手の顔面にぶちまけるのではないかと、ゲラーシーやクラーラの小隊の隊員が内心戦々恐々としながら見守る中、底冷えのする瞳でスプコフスキー中尉を睨みながらクラーラは静かに告げた。


「どうも最近、貴方の小隊は戦果が芳しくないと伺っています。優秀だったと聞くあたしの前任者、そしてその配下の小隊メンバーが、一か月前の戦いでほとんど戦死した。このことで”目の上のたんこぶが消えた今こそ”と思っていらっしゃると思いますが……くれぐれも早まったことをしないでくださいね?」


「……は?」


 スプコフスキー中尉の顔から笑みが消える。物騒な殺気の籠った視線でこちらをにらみつけてくる相手に、涼しい顔でクラーラは告げた。


「いえ、なにぶんあたしは未熟者ですので。貴重なスプコフスキー小隊が万が一大損害を負って戦力低下ともなれば、我が中隊の担うべき任務をあたし程度ではカバーしきれない可能性がありますから」


 これ自体は本心だ。先の戦いでクラーラが率いていた戦車隊は、元から自分に与えられていた戦力だけでなく、敵の防衛網突破の時点で壊滅した他部隊の戦車隊の戦車をもかき集めて取り込んだ臨時編成の部隊だった。ゆえに本来の編成を度外視した結構な大規模部隊を率いることができた。


 本来であればシュイコフ中隊はもう一個小隊の戦車戦力が配当―――つまり中隊本部並びに三個小隊による編成であるはずが、残念なことに万全な数が揃ったことはここのところ一度もない。


 先の大規模会戦に参加したすべての連邦軍戦車部隊が大損害を受けた。このことでその再編成に必要な負担の悪影響が、その戦いに参加しなかった他部隊の配備状態にも悪影響を及ぼしているのだ。


 後世の歴史において、連邦軍と言えば圧倒的物量のイメージがあるが、それが機能不全を起こしたことが決してないわけではない。それほどまでにあの会戦は、史上最大の大戦車戦だった。


 だからこそ、クラーラが自身に与えられた戦力を大幅に失い、中隊の戦力として正式に組み込んで運用できなくなったのは、シュイコフ中隊にとって大きな痛手だった。


 それは逆に言えば、スプコフスキー中尉もまた、いかに戦車を失わずに勝ちに行くかが求められている。


「……ふん」


 スプコフスキー中尉は鼻で笑ってから部下たちとともに去っていく。


 その後ろ姿を見送りながら、クラーラは”やっと鬱陶しいのがいなくなった”とばかりにため息をついて、すっかり冷えたスープを飲み干した。

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