第20話 小隊編成完結 2

「それは、どういう意味の謝罪なんだ?」


 きょとんとするヴォルフ。フォルカーたちも騒ぐのをやめて、クラリッサの言葉の続きを待っていると、彼女はその長いまつ毛に囲まれた青の瞳を少し揺らし、


「私がもっと早く救援に向かえていたなら、貴方の中隊全員が戦死することはなかったはずです。歩兵部隊も、もっとたくさんの人を救えたでしょう」


 床に落としていた視線をあげて、ヴォルフの目をまっすぐ見やりながらクラリッサは静かに告げた。


「ごめんなさい」


 快晴の青空、もしくは澄み切った湖を写し取ったような青の瞳から、クラリッサの誠意が伝わってくる。上辺だけではない、クラリッサの生真面目な本心が紛れもなくそこにあった。あるいは、彼女はずっと謝りたかったのだろうか。


 だからハーマンが気付くまでの間、ヴォルフの方を見ながらも、なかなか話しかけることができなかったのか。


 ここ数日かかわった限り、クラリッサはあまり人付き合いが得意ではないのだろうというのはなんとなくわかった。


 だが、同時にこの生真面目な娘のことだ、改めて挨拶ぐらいには来るはず。それすら一歩を踏み出せずにいたのは、それが後ろめたかったからか。


 同時に、あの戦いで戦死した戦友たちの顔がヴォルフの脳裏に蘇る。


 確かに一理あるかもしれない。あれだけの活躍を見せたクラリッサがもっと早くに到着していたなら、もっと犠牲は少なく済んだかかもしれない。それは事実だ。


 だが―――


「それは違う、ラインフェルト少尉」


 ヴォルフはクラリッサをまっすぐに見つめ、彼女の手を取り、しっかりと握る。


 今のやり取りでわかった。この娘は、きっと自分と同類だ。獲得した90点より、逃した10点のほうを気にしてしまう、自分で言うのもなんだが面倒くさいタイプなのだろう。


「君は、あの時駆けつけてくれた。1両だけになりながらも来てくれたじゃないか。だから俺がここにいる」


「しかし———」


 なおも食い下がるクラリッサの瞳は真剣で、どこまでも真っ直ぐで、本心から言っている———無表情ながら、僅かに彼女の語気が強かった気がして、そのように解釈するのはヴォルフの勘違いだろうか。


 ただ、もし自分の推測が正しいなら勿体ないなとも思った。表情は相変わらずの鉄面皮。下手をすれば、相手にいらぬ勘違いされてもおかしくはないのではなかろうか。


「あの時、他の仲間が生き残れなかったのは———もし責任があるとすれば俺の責任だ」


 ヴォルフは苦笑いを浮かべる。胸元に走る不快な疼きは、クラリッサに対する怒りではなく自分自身への後悔の念だ。


「恥ずかしい話だが、あの時に戦車隊を指揮していたのは俺だ。訳も分からず、車長の経験すらないくせに、ひたすら見様見真似で適当な指示を出して戦っていた。その結果が、あのざまだよ」


 ヴォルフはずっと自戒の意味も込めて、あの日のことを忘れたことはない。ヴォルフにとっては、あの日の記憶はクラリッサ・ラインフェルトという英雄に出会った日であると同時に、自身の力不足を叩き付けられた苦い記憶の日でもあるのだ。


 しかし、クラリッサは何やら考え込んでいる様子だ。納得しきれていないのだろう。


「じゃあ、ラインフェルト少尉。君のティーガーは引き揚げ作業には加わっていたのか? それで時間を取られて救援に間に合わなかったとか?」


「いえ、私はただちに先行しました。ロンベルク上級曹長に命じられましたので」


 はきはきと答えるクラリッサに、ヴォルフは次々に質問していく。


「前進速度は?」


「おおむね時速30㎞です」


「かなり飛ばしたな。道を間違えたり、エンジン、足回りが不調を起こしたりは?」


「いいえ」


「経路間違いは?」


「なかったかと」


「航空攻撃等敵の妨害は?」


「ありませんでした」


「なら十分だ。君は最善を尽くしたと俺は評価するよ」


「しかし———」


「ラインフェルト少尉」


 なおも食い下がってくるクラリッサに、ヴォルフは少し強めの口調で窘めた。


「もしあの日のことを気負っているというなら、もうその必要はない。君に助けられ、仲間たちを失った当事者の俺が言っても、君の心には響かないか?」


 クラリッサの青の瞳が一瞬揺らいだような気がした。その両肩に手を置き、ヴォルフは微笑んだ。


 クラリッサはすぐに返事をしなかった。ただヴォルフをまっすぐに見つめている。その内面にどのような感情が渦巻いるのかは流石に知りようがなかったが、ヴォルフは逃げずに、その瞳を正面から見据え続け―――


「あああああ!! 辛気臭いったらありゃしない!! せっかくの歓迎会だってのに!!」


 見つめ合う二人を遮ったのは、フォルカーだった。傍らに置いていた黒いケースを開き、手入れの行き届いたトランペットを引っ張り出す。それを大きく吹き鳴らせば、会場が一度静まり返り、フォルカーに一同の視線が集中する。


「よっしゃ、ここらで俺が一つ演奏してやろうじゃないか!!」


 たちまち指笛を吹き鳴らす者やら拍手する者やらであふれかえる会場内。中には”ひっこめナンパ野郎”などと茶々を入れる者もいるが、フォルカーは”うるせえぞ酔っ払い!!”などと言い返しながら会場の中央へと進み出ていく。


「ロンベルク上級曹長、付き合いますよ!!」


 言いながらディットリヒが席を立つ。手に持っているのはバイオリンだった。彼だけでなく、何人かが各々の楽器を持ち寄って席を立ち、俺も仲間に入れろとばかりに名乗りを上げる。


 やがて始まった音楽会。流行の歌やら故郷の民謡やら、上手いとか下手とか関係なく歌える者が合唱する騒がしいどんちゃん騒ぎ。しんみりとしたような曲ではなく、軽快な明るい選曲が流れる中、中隊一同は盛大に盛り上がっていった。


 話を遮られる形となったが、ヴォルフは不快には感じなかった。クラリッサがすぐに返事をしてくれなかったのは、きっと彼女なりに思うところがあるからだろう。それを聞き出すには、自分と彼女はまだまだ距離がある。返事をせかすつもりはない。



 演奏会の曲が5曲目を終えたところで、ディットリヒはヴァイスマンに連れられて自身の席に帰ってきた。本当はもうちょっと演奏したかったところだが、我らがバッヘム上級軍曹殿が呼んでいると言われてはさすがに仕方ない。


 バイオリンを一度ケースにしまった彼を最初に待っていたのは、ヴァイスマンによってなみなみと酒が注がれたコップだった。


「ぷはあ、うめえ!!」


「相変わらずのいい演奏だったよディットリヒ!! そらそら、もっと飲もう!!」


「おうよ!!」


 ティーガー411号車の乗員に割り振られたテーブルで、ディットリヒとヴァイスマンが手持ちのコップになみなみと酒を注いでいく。その様を見て、火の入っていないパイプを片手にバッヘムが苦笑いを浮かべた。


「まったく、お前らほどほどにしないと、いずれ俺みたいになるぞ?」


「かーっ、上級軍曹殿もかわいそうに!! 健康上の理由で酒もダメ!! 奥さんがキレて娘さんが泣くから煙草もダメ!! 女は……まあ、奥さんと娘さんいるからいいとして。いやはや主は過酷な試練を課したもんですねえ」


 あらかじめ用意してもらっていたヴァイスマン特製コーヒーを啜るバッヘムに、ディットリヒが赤ら顔で答える。


 バッヘムは少し前に肝臓を悪くしており、それゆえに今は飲酒を避けるように医務官から指導されているのだ。ぶっちゃけこういう場でならこっそり飲んでもバレなさそうなものだが、この堅物な男は”俺に何かあったらバレるだろう。嫁が不機嫌になるし、娘が約束を破ったと泣くから飲まない”と言い張り、生真面目に禁煙禁酒を試みているのだ。


「そうは言うがな、俺も昔はお前たちみたいに思っていたもんだ。これくらい飲んだからってなんてことはない、自分は大丈夫だってな。それがある日突然肝臓ボロボロ、即刻アウトだ。気をつけろよ?」


「「りょーかーい」」


 あんまり真面目に聞いていない感じ丸出しの二人に、バッヘムはやれやれと肩をすくめながら、椅子の背もたれに身を預け、そしてふと言った。


「お前ら、新任小隊長はどう思う?」


 何気ない口調だったが、そこに込められた問いかけは至って真面目なものだ。何せ、かの新任小隊長の指揮下での初の実戦を終えたのである。これからも彼に命を預けるべきか否か。兵士としてはかなりの死活問題であり———同時に、こういう場でもなければ本音はなかなか言えないものだ。


 命じられれば実行する。それが兵士の宿命。”嫌です”と返事をすることは——―無論、実際には命令の内容によることも全くない訳ではないのだろうが———抗命に値する。それが、”自分の身が危ないから”なんてのは通らない。


 だからこそ、指揮官の素質が問われる。”こいつは自分の命を懸けるに値する存在なのか”と。


「そうですねえ……俺は嫌いじゃないですよ、小隊長のこと」


 一杯呷ったコップをテーブルに置きながらディットリヒが答える。


「まあ、しいて言えばもうちょーっと、人使いを優しくしてほしいですかね? 結構、急に戦車止めたり前進したりが多いんで、もうちょっとうまいこと呼吸をあわせてしてほしいって感じですかね」


「あー。それちょっとわかるなあ。今回はほとんど止まって撃ってたからいいようなものの、移動中に装填するのはちょっと今の段階だと怖いですね。バッヘム上級軍曹は?」


 ヴァイスマンが頷きながら聞けば、バッヘムもまた頷いた。


「俺もそこは同感だな。それに、指揮に専念するあまり自車の動きが単調になりそうな気がする」


「それらは新任車長あるあるでしょう?」


 話に割って入ったのはコルネリウスだ。こんな場にもかかわらず、何やら無線機の部品と思しき何かのパーツを、小さめの工具片手にカチャカチャやっている。その作業がひと段落ついたか、前屈みだった上体を起こしてふう、と一息をつきつつヴァイスマン特製コーヒー入りのコップを傾ける。


「そういうのはそのうち慣れるでしょう。戦闘指揮は、まあ、まだ今回2両でしたからね。これが4両になってどうなるかでしょ」


「学校で勉強はしてきたんだろうが、実戦となるとまた違うからな。ただ、伸びしろは期待できるかもしれんぞ」


「と、言いますと?」


 コルネリウスが眼鏡のブリッジを押し上げながらバッヘムに問い返す。するとバッヘムは肩をすくめ、


「お前たちのところにも来たんじゃないのか?」


「ああ、そういうこと」


 ヴァイスマンが得心いったように手を打ち、ディットリヒとコルネリウスも心当たりがあるような顔をする。


 戦いが終わり、戦車の点検・整備が一息ついた時のこと。各々が休憩に入る中、ヴォルフは乗員たちを回り、自分の指揮や行動についての改善点を聞き出し、それをノートに纏めていたのだ。それは自分たちの戦車だけでなく、共に戦った412号車の乗員の元にも訪れ、改善点やアドバイスをもらっていた。無論、我らが最強のエース、クラリッサ・ラインフェルトの元にも、である。


 ”誰だって最初からうまくはできない。最初から上手くいくほうが珍しい”と言う、どうしようもない事実は人間社会において不変だ。だから人は、次は失敗しないようにと学習し、次の機会へと臨む。


 だが、戦場という環境では決して忘れてはならない要素がある。


 それは、”失敗した者には、そもそも次の機会があるとは限らない”という無情な現実だ。努力は人を裏切らない。きっとそれは戦場でもそうなのだろう。その一方で、努力が報われる日が来るかは分からない。これまた、平穏な時代でもそうなのだろうが、ある日突然に命まで理不尽に刈り取られ、しかもそれが当たり前という環境は中々にない。


 戦場を支配している不条理は、どこまでも重く圧し掛かる。まして指揮官ともなれば、その代償を”部下の命”という形で支払うことになりかねない。それは、下手をすれば”自分の命で対価を支払う”以上の重圧を与えてくるのだ。


 ただ―――


「ま、少なくとも今のところは、”今後に期待して今は見守る”って感じでいいんじゃないんですか?」


「賛成」


「まあ、万が一の時もラインフェルト少尉がいれば、大体の問題は失敗を帳消しどころかおつりに加えてお土産まで持って帰ってきそうな気がしますけどね。いつまでもそれに頼ってるようじゃあ困りますけど」


「じゃあ、決まりだな」


 バッヘムがコップを持ったまま席を立ち、他の411号車乗員もそれに倣う。


 一同は我らが小隊長の元へと行くと、彼を取り囲み、家族のこと、故郷のこと、趣味、ちょっとした愚痴、そして先の戦いでの思い出を大いに語らった後、全員で乾杯するのだった。


 ヴォルフ・クラナッハ少尉、まだまだ未熟なれど見込みあり。今後の成長と活躍に期待を込めて。


「「「「「我らが411号車に栄光あれ!!」」」」」

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