第19話 小隊編成完結 1

 その日の夜。廃村の中でもそれなりの大きさである建物―――元は酒場だか食事処だったかと思われる場所にて、ヴォルフの歓迎会が催されていた。


 中隊長の簡単な挨拶から始まり、続いてヴォルフの自己紹介。そこから先は、正に飲めや歌えやの大騒ぎだった。どこからかかき集めてきたアルコールの類、糧食班が用意した、ささやかながらもおいしい夕食を囲んでの、中隊挙げての大宴会である。


 ちなみに一番のごちそうは、2匹の鹿の丸焼きだ。近くを彷徨いていたのを隊員が仕留めたらしい。


 兵士だけでなく中隊で飼っている二匹の軍用犬、エーミールとマックスも隊員たちからおこぼれを貰い、かたや音楽の心得のある者が私物の楽器で演奏してみたり、それに合わせて陽気な大合唱をする者がいたりと凄まじい喧騒だ。


 まあ、兵士なんてそんなものだ。自分がいつ死ぬかわからないストレスに晒されているのだから、酒が入ればテンションも上がるだろう。問題さえ起こさなければという但し書き付きだが、ヴォルフとしてはこの賑やかさは嫌いではない。


「よう、新任小隊長!! 楽しんでるかい?」


 自身の戦車の乗員、ヴァルター大尉とトラレス中尉、そして整備隊のオスカー曹長を始め、その他挨拶に来てくれた中隊の人々との談笑が一区切りつき、シチューを味わっていたヴォルフの肩を叩きながら、若い男が開いた座席を引き寄せて隣に座る。


 右手にはジョッキ、左手には何やら黒いケース―――楽器か何かのケースだろうか? ヴォルフより背の高い、金髪の優男―――413号車の車長だった。高い身長と程よく男らしい屈強さを感じさせる肩幅。整った顔立ちは酒が入っている証拠として赤らんでいるが、かなりの美丈夫であることには変わりない。少なくとも容姿だけなら、かなり女性受けするだろう―――最も、411号車の仲間たち曰くそっち方面は残念な男らしいが。


「ああ、楽しませてもらってるよ。えっと……」


「フォルカーだ。フォルカー・ロンベルク上級曹長。413号車の車長をやってる。あそこにいる連中が俺の戦車の乗員だ」


 フォルカーの指し示したほうを見れば、4人の男たちがジョッキを掲げてこちらに反応してくれた。その中には、すでにあいさつに来てくれた者もいる。それに手を挙げて応えながら、ヴォルフはフォルカーに向き直り、握手を交わす。


「ヴォルフ・クラナッハだ」


「22歳だってな? なら俺と同い年じゃないか。そっちさえよければ、普段は堅苦しいのはナシってので一つどうだい? もちろん、軍人としての命令には従うし、場は弁えるつもりだぜ?」


 ”どうだ?”と笑いかけてくるのは、接しやすい関係を作ろうという彼なりの気遣いでもあるのだろう。無論、階級による厳正な拘束力はある。国のためにここで死ねと命じることができるのは、階級章あってこそ。


 だが、真にお互いが良い関係を結べたなら、命令を下すのに拳銃は必要ない。そう言う関係性を築きたいという想いは、ヴォルフとて同じだ。


「ちょっとあんた、小隊長を困らせるんじゃないよ」


 新たな声に二人して振り向けば、そこには二人の女性が立っていた。


 声をかけてきたのは灰色の鋭い眼光を持つ金髪の女性―――414号車の車長だ。ヴォルフが比較的小柄なのを考慮しても背が高い。ざっと見回しただけでも、この部隊でも身長の高さは上から数えた方が早いのではなかろうか? 女性としてのメリハリが効いた豊満な体つきを包む漆黒の戦車兵のジャケットはやや着崩されており、不敵な表情もあって若干不真面目な印象を受ける。


 そしてその傍らには、一つ結びにした肩より下までの暗めの茶髪、垂れ目気味の黒い瞳をした女性だ。414号車車長とはまるで真逆の、おっとりとした優しい雰囲気の女性である。確か、初陣の出撃前に作戦室で通信機を触っていた女性だ。


「これくらいはいいだろ姐さん!! 別に虐めてるわけじゃないんだしよ」


 ”だろ?”と視線で問われ、ヴォルフは笑みを返しながら言った。


「ああ、問題ないよフォルカー」


「ほらな?」


「酔っ払いに絡まれて面倒がられてるだけじゃないのかい? まあいいや……あたしはカミラ・レーヴェ上級曹長。414号車の車長だ」


「一応作戦室で顔を見たと思うけど、はじめまして。私はローザ・リヒター伍長。基本は本部の通信手だけど、看護師の資格も持ってるから衛生兵として動くこともあるわ。よろしくね」


 握手を交わし、テーブルを囲んで座る。


「二人は入隊前からの知り合いなんですか?」


「ええ。カミラとは幼馴染なの。かれこれ十年以上の付き合いよ」


 二人の醸し出す年上の女性としての雰囲気から、階級は自分の方が上でもついつい敬語になってしまうが、二人は特に気にした様子もない。レーヴェが親指を立てて背後を指し示し、


「奥のテーブルにいる連中、あれが414号車の乗員、あたしの部下たちだよ。なにかやらかしたらあたしにすぐに言いな。シメといてやるから」


「怪我とかだけじゃなく、相談事とかあったらいつでも言ってね? 特に女性の部下って、いろいろ分からないことや戸惑うこともあるだろうから」


「はい、お二人ともありがとうございます」


「よし、じゃあリヒター伍長、実はあなたを見るたびに、胸の疼きが止まらないんだ!! そう、貴方の美貌がボクのハートを———」


「アホなこと抜かしてると外に吊るすよ?」


「はい、ごめんなさい」


 レーヴェに殺気だった目を向けられて、胸元を抑えて何やら語りだそうとしたフォルカーが”おお怖っ”と肩をすくめて震えて見せる。


 フン、と鼻を鳴らすレーヴェとその様子を苦笑して見守るリヒター。不快感を感じさせないあたり、定番のやり取りと言ったところか。


「このアホはいつもこんな調子さね。気を付けなよ小隊長。いつ問題を起こすか分かったもんじゃない」


「この人はいつもこんな感じだヴォルフ。リヒター伍長に声をかけると嫉妬して噛みついてくるから気を付け―――いってえ!?」


 机の下で脛を蹴飛ばされたらしい。椅子に座ったまま屈んで脛を擦り始めるフォルカーに苦笑している時だった。


「ほらほらクラリッサちゃんも!!」


「いえ、私は……」


 声のした方を見れば、マリー・ハーマン軍曹がぐいぐいとクラリッサを引っ張っている。ハーマンは少しきょろきょろと見回し、こちらに気づくや否やクラリッサをぐいぐいと引っ張ってヴォルフの前へと連れてきた。


「もう、聞いてよヴォルくん!! クラリッサちゃんたら、また隅っこの方で一人でコーヒー飲んでるんだよ?」


「”また”?」


 クラリッサの方を見れば、クラッシュキャップの鍔を左手でつまんで目深くおろして目元が見えないよう隠している。これは、困ってるないし照れている―――ということでいいのだろうか?


「おいおいマリーちゃんや、ラインフェルト少尉が困ってるだろ? 静かに過ごしたいって子を、あんまり無理矢理引っ張り出すもんじゃないぜ?」


 フォルカーが少し窘めるような口調で言うが、ハーマンは”えー、でも”とヴォルフの方を見やって言う。


「いつもなら私も何も言わなかったよ? 食事や宴会の時に、クラリッサちゃんが隅っこの方で影と同化してるのはいつものことだし。でもクラリッサちゃん、今回は小隊長の方をじっと見てるんだもの。何か言いたいことがあるの、って聞いたら、なんだか歯切れの悪い返事だったし。いつもみたいに何もありませんってはっきり言ったなら、私も無理に連れてこなかったよ」


”ほら、クラリッサちゃん”とハーマンがクラリッサの背中を軽く押す。


 クラリッサは無言かついつものきれいなお人形のように大人びた無表情でハーマンの方を見るが、そこは年の功だろうか。愛らしい童顔のくせに見ようによってはブリザードのようにも思える視線を真っ向から受け止めて、ハーマンは頬を膨らませている。言いたいことがあるならちゃんと言いなさい。そう無言の圧力をかけているのは誰の目にも明らかだ。


 とうとう根負けしたらしく、クラリッサは無表情はそのままながら小さくため息をつくと、


「クラナッハ少尉、まずはこの中隊における小隊長としての初陣成功、おめでとうございます」


 覚悟完了でもしたのか、まっすぐにこちらを見ながら踵を揃え、彼女の印象通りにきびきびと伝えてくるクラリッサ。


「ありがとう。でも、君の助力があってこその成功だったよ。今回も君に助けられた」


 そう言いながらヴォルフは席を立ち、クラリッサに微笑みかける。


「あれやこれやで言う暇がなかったから、改めて今、言わしてもらうよ。あの日、俺を助けてくれてありがとう。俺がここに今こうしているのも、君のおかげだ」


「なんだ? お前、うちのスーパーエースに助けられたことあんの?」


 コップの中身―――酒を呷りながらフォルカーが興味深げに聞いてくる。


「ああ。前にいた中隊が壊滅状態に陥ってね。危うくKV-1に轢き殺されそうだったところを、単独で救援に来てくれた彼女に救われたんだ」


「単独で救援? ああ、なるほど、6月ごろになんかそんな感じのことあったわね」


 リヒター伍長が手を打てば、同じく過去の記憶を掘り返していたレーヴェが頷く。


「6月……思い出した、救援に向かう途中であたしらのティーガーが故障やらスタックやらで動けなくなった時、クラリッサが一人で前進していった戦いがあったさね」


「運悪く、小隊長車が前日の戦いで壊れて修理中だったのよね。当時の小隊長も怪我して病院に担ぎ込まれていた上、先代中隊長も救援に向かう道中でゲリラに撃たれて負傷。で、ロンベルク上級曹長が”今日は俺が小隊長だ”って意気揚々と出撃していったんだけど……」


 ただ、苦笑いしているリヒターの様子を見る限り、”ロンベルク小隊長代理殿”にはあまりいい思い出がなさそうだった。


「んあ? そんなのあったかあ?―――痛い痛い痛い首が折れる頭が抉れる!!!」


 フォルカーがぽけー、っとした気の抜けた顔で言うや否や、ずかずかと歩み寄ったレーヴェががっちりヘッドロックを決めつつ、こめかみに拳をめり込ませてギリギリと抉る様に押し込み始めた。


 たちまち悲鳴を上げて逃げようとするフォルカーだが、レーヴェの方もなかなかの腕力らしい。いい感じに極まってるらしく、必死にもがくフォルカーは全く逃げれる気配がない。


「あ ん た が うっかりティーガーをカメらせたのが原因だよ!! 引っ張り出そうとしたらあたしのティーガーまで故障しちまって、クラリッサが一人で行く羽目になったんじゃないか!!」


「痛い痛いいた―――あ? ああ!! 思い出した!! 違うんだ姐さん!! あれは不幸な事故だ!! もっと浅い水たまりだと思ったらアホみたいに深くて―――」


「その言い訳はあの時聞いたよ!! あたしが怒ってんのは、”この失敗を次に活かします”なんてしたり顔で中隊長に報告してたあんたが、それをこの瞬間まで微塵も覚えてなかったことだよ!! 誰のせいで、洗濯したての服がドロッドロになりながら、あんたのティーガーを引っ張り上げる羽目になったと思ってるんだい!? ええ!?」


「ぎゃあああああああああああ!!! マジ痛い!! それ以上はダメって!! 頭が割れる!!」


 フォルカーがレーヴェに半殺しにされている様に苦笑しながら、ヴォルフが改めてクラリッサに向き直る。


「君には本当に感謝してる。今日のことといい、あの時といい、改めて礼を言わせてくれ。ありがとう、ラインフェルト少尉」


 握手を求めて手を差し出すが、クラリッサはすぐにそれを握ろうとはしなかった。それどころか、その無表情にためらいのようなものをどことなく滲ませているようにも見える。


「いえ、その……」


 何かを言いかけたクラリッサは目を伏せ、相変わらずヴォルフの手を握ろうとはしない。しばしの沈黙ののち、皆が見守る中でクラリッサはおずおずと話し出す。


「あの時は、申し訳ありませんでした」


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