第二章 廃村の罠
第18話 凱旋
日が傾きつつある頃、予定通りに駆けつけたⅣ号戦車及び歩兵によって編成された交代部隊に追撃を任せ、ヴォルフとクラリッサのティーガーはその場を後にした。
履帯を軋ませ、エンジンを唸らせながら2両のティーガーが昨日通った道を凱旋する。
「やったよアメリア!! 俺、今回も生き延びたよぉ!! 君の加護のおかげだ、愛してるよぉ!!」
「さっきからやかましいぞヴァイスマン。毎度毎度戦いが終わるたびになんなんだお前は」
若干涙目になりながら愛しい婚約者の写真に語り掛けていたヴァイスマンに、バッヘムがうんざりしたように語り掛ける。といってももちろん本気で怒っているものではなく、あくまでも茶化すような言い方だ。
「いやあ、なんやかんやでうまくいったな!!」
上機嫌で運転しながらディットリヒが言うと、その横で通信機材を触っていたコルネリウスがうんざりしたようなため息をついた。
「こっちはあんまり嬉しくないね。無線機がいつ壊れるかとひやひやするよ」
「辛気臭ぇ野郎だな、無事に作戦成功したんだし、もっと素直に喜べよ!!」
「僕は次の戦いに生き残るために必要なことをしてるだけさ。君が戦車の車体の整備に気を使ってるみたいにね」
「まじめだねえ、そんなんじゃいつか禿げるぞ? 小隊長もそう思うでしょう? ……あれ、小隊長?」
ディットリヒが問うが、返事が返ってこない。何事かとバッヘムが後方を見やり、そして優しい声で言った。
「お前らもう少し静かにしてやれ。我らが小隊長はお疲れのようだ」
「おっと、こりゃ失礼」
立ったまま目を閉じ、ふらふらしているヴォルフ。しばらく進んだ先で大きく車体が揺れ、ハッチに頭をぶつけて呻き声をあげるまで、新任小隊長は途切れた緊張感の中で転寝の中に浸っていた。
●
帰ってきた二匹の虎をヴァルター大尉が出迎える。相変わらずの厳つい顔立ちではあるが、その表情は無事に任務を完遂した新任小隊長たちに対するねぎらいの感情が見て取れる穏やかなものだ。
「戻りました、中隊長」
戦車から降りてきたヴォルフとクラリッサが前に立ち、敬礼を交わす。
「よくやったな。戦車の方は今のところ問題なしか?」
「はい、412号車は問題ありません。しかし、411号車がだいぶ無線機にガタが来てます。近日中に交換を———」
「その必要はないよ。すぐに取り掛かろう」
耳朶を打ったのは、柔らかい成熟した男性の声音だった。聞くだけで人を安心させるような、優しさと確かな力強さを感じさせる声。振り返ってみれば、二人の男が立っていた。
片方は見るからに屈強そうな、髭面で強面、そして大柄な男性。バッヘムやコルネリウスのそれに通じる"私は古風な職人です"という主張をこれでもかと前面に押し出したような、見るからに気難しそうな顔立ち。
だが、意外とつぶらな瞳というのがテディベアのような愛嬌を感じさせる。油汚れまみれの緑がかった作業服は、紛れもなく整備兵の証。その丸太のような腕が小脇に抱えているのは、一つの木箱だった。
もう片方の男は、にこやかな表情を浮かべた、痩せた体形かつ戦車兵としては高身長気味な眼鏡の男。漆黒の戦車兵の制服が白の防寒着の下に覗いており、少し長めのブラウンの髪を持つ頭の上には規格帽を被っていた。声をかけてきたのはこちらの方だろう。
「ヴォルフ・クラナッハ少尉だね? 私は副中隊長のリヒャルト・トラレス中尉だ。そしてこちらは、整備班長のトーマス・オスカー曹長」
「よろしくお願いします」
差し出された二人の手とそれぞれ握手を交わすと、トラレス中尉はヴァルター大尉の方を向き、敬礼する。
「戻りました中隊長。413、414号車の整備完了及び受領に関する手続き、異常なく完了です」
「ご苦労」
そんなやり取りをしていると、バッヘムがこちらへと歩いてくる。オスカーと視線が合ったバッヘムは片手を挙げ、気さくに話しかけた。
「おう、オスカーじゃないか。どうしたんだ?」
「通信機の部品を持ってきた」
外見通りの野太い声で短く告げると、オスカー曹長は木箱をバッヘムに差し出す。
「足りないものがあれば言ってくれ」
「さすがだな、準備がいいじゃないか」
「お前の戦車の通信手が、前回の整備で前もって教えてくれていた」
「ほう、さすがはコルネリウス」
箱の中身を確認しつつ、バッヘムがちらっとこちらに視線を寄越す。あとでコルネリウスを褒めてやれ、というアドバイスの視線だと受け取り、ヴォルフは頷いて見せた。バッヘムは”それでいい”と頷き返し、オスカーとともに戦車の整備に関する会話を交わしながら戦車の方へと歩いていく。
「突発的な任務でありながら、大成功の初陣だったそうじゃないか。私もそこに居合わせたかったよ」
ニコニコと笑顔を浮かべ、トラレス中尉がヴォルフに話しかける。
「いや、俺は大したことは……ラインフェルト少尉や、バッヘム上級軍曹たちがいてくれたおかげです」
「ほう、謙虚じゃないか。だが、敵部隊を見事足止めしたのは間違いなく君の指揮によるものだ。自信を持ちたまえ」
肩に手を置いて微笑みかけてくる様は、まるで良い成績を収めた生徒を褒める教師のそれだった。照れて萎縮するヴォルフに対し、トラレス中尉はにこにこ笑顔を浮かべたまま、
「そうそう、君はまだ中隊に慣れていないかもしれないが、実は私も君と同じでね。二週間前に副中隊長として着任したばかりなんだ。着任パーティー真っ最中に出撃した挙げ句、終わってみれば今度は修理絡みの雑用。しばらく中隊にいなかったから、実質的に新参者さ。同じ新参者同士、仲良くしてくれると助かる」
「いえ、こちらこそお願いします」
「トラレス副中隊長、急な出撃やら損耗やらでいろいろゴタゴタしてて聞きそびれていたんだが……まさか俺のことを着任当初、忘れていたというわけではないだろうな?」
不意にヴァルター大尉がトラレス中尉ににやりと笑いかける。対するトラレス中尉も同じように笑みを返し、
「おっと、もちろん覚えていますよヴァルター中隊長殿」
「やめろ、ヴァルターでいい」
「なら、そっちもトラレスで頼むよ」
新参者と言いながら、随分と馴れ馴れしいやり取りだ。クラリッサの方を見やれば、短く疑問に答えてくれた。
「お二人は士官学校の同期と聞いています」
「ああ、なるほど」
そんなやり取りをしている、履帯のきしむ音とエンジン音が聞こえてくる。
「さて、始まるな」
「何がです?」
ヴァルター大尉が呟くように言う、ヴォルフが問う。するとヴァルター大尉はヴォルフに笑いかけた。
「お前の部下たちによる射撃訓練だ」
●
ヴァルター大尉とトラレス中尉の後をついていけば、ヴォルフとクラリッサは廃村の外の拓けた場所へと出た。そこには2両のティーガーが間隔をあけて停止しており、二両とも同じ方向へと主砲を向けている。砲塔に刻まれた番号は、それぞれ413及び414。修理中だった2両が戻ってきたものらしい。
―――となると、標的は……
「あそこです、クラナッハ少尉」
きょろきょろし始めたヴォルフに対し、クラリッサが双眼鏡を覗いて確認してから指をさす。クラリッサが示してくれた方を自分も双眼鏡で見やれば、なるほど、確かに標的がいくつか、異なる距離で並んでいるのが見えた。
「ありがとう、ラインフェルト少尉」
「いえ」
四人が見守っていると、少し離れた位置に他の411及び412号車の乗員たちが集まってきた。よく見れば整備兵の格好をした者たちが何人かいる。どうやら、射撃の技術を追求する訓練ではなく、修理を経たことによって生じた照準のずれを直すための点検射撃らしい。
彼らが見守っている間に、まず右にいる413号車が発砲した。飛んで行った弾は、標的に対しわずかに左に逸れた位置を抜けていき、背後の起伏に弾着して雪と泥を舞い上げた。
続いて414号車が射撃。こちらは思っていたよりも手前の辺りに弾着する。
おそらく、照準を調整しているのだろう数分の後、再び413号車が発砲。そして414号車も発砲。それぞれが撃った弾は、見事標的の板をバラバラにして見せた。
2両は標的を次々に変えて射撃。時には少し前後左右に移動して射撃しているのは、移動による振動などで照準が狂ったりしないか、距離が変わることによる弾の散布がおかしなことになっていないかを確認しているようだ。標的のほとんどを一発、数少ないいくつかを二発までに見事仕留め、並んでいた標的を全滅させた。
「いい腕だな」
「戦車にも問題はないようだね。整備隊は今回もいい仕事をしてくれたようだ」
ヴォルフが素直な感想を口にすると、トラレスが隣でうんうんと頷く。
今度は車長用のハッチが開き、車長が顔を出した。聞いていた通り、413号車の車長は美男子と言っても差し支えのない風貌の若い男だ。細い眉と目鼻がくっきりとした、きりっとした顔立ち。頭の上には略帽を被り、少し長めに金髪を伸ばしている。なるほど、彼がディットリヒ達の言っていた、”優男”か。自信を感じさせる青い瞳を輝かせ、不敵な表情で笑みを浮かべながら414号車車長に片手をあげて見せる。手信号だ。
それに応対するのは414号車の車長。こちらも略帽を被る金髪の人物だが、こちらは癖のある金髪を肩より少し下まで伸ばし、切れ長の瞳に灰色の鋭い眼光を湛えた女性だった。
精巧なお人形のような上品さを感じさせるクラリッサとは真逆の、どこか野獣めいた印象すら受ける野生的美しさとでも言おうか。力強さを感じさせるその雰囲気は、まさに女傑と呼ぶのがふさわしいかもしれない。
414号車の車長は女性だと聞いていたので驚きはしなかったが、戦車に女性が乗っているという光景は、まだこの中隊に来て日の浅い―――というか、一週間も経過してないヴォルフにとっては、なかなか不思議なものだった。
ティーガーが並んで走り出す。砲塔を様々な方向に動かしつつ、時折右へ左へと舵を切りながら移動し、やがて停止。今度はバックで同じく時折蛇行運転する。
それら移動テストを経た2両は元の位置に停車。女性車長から異常なしとの報告を片手を挙げる手信号で受け取った優男車長が、こちらに向かって手を挙げてくる。
ニュアンス的に問題なし、と言ったところか。
「じゃあヴァルター、彼らを駐車位置に戻していいかな?」
「ああ、さっさと片付けまで済ませるよう伝えておけ」
ヴァルター大尉とトラレス中尉がヴォルフを見やる。二人してにやにや笑っているのを見て、ヴォルフが困惑していると、ヴァルター大尉が命令を告げた。
「今夜は歓迎会兼小隊長としての初陣祝いだ。ヴォルフ・クラナッハ少尉はもちろん強制参加。異存はないな?」
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