第17話 邂逅

「同志少尉!! 同志少尉は無事か!?」


 ゲラーシーのT-34が後続とともにどうにかこうにか道路上を爆走しつつ、ゲラーシー自身は通信手に問いかける。


 同志少尉が寄越してくれた伝令兵の案内で、同志少尉の隊が見つけ出した迂回路を大急ぎで駆け抜け、"さあようやく道路上に安全に出れるぞ"というところで味方の主砲及び8.8㎝砲の発砲音と戦車がやられたであろう爆発音が響いたのだ。


 丘の上に注意を払いながら駆け抜けたゲラーシーが見たのは、坂の中腹で停車している2両のT-34。そのうちの片方がエンジンルームから炎を上げて擱座しており、それを盾にするようにもう一両が停車している。更に後方の起伏にはT-34が1両停車して丘の上道路上を警戒していた。


 ゲラーシーのT-34はいち早く道路わきの起伏へと隠れ、砲塔だけを露出させて丘の上を狙い始める。

 いつ敵が顔を見せても射撃できる状態を整え、「敵が見えたらとりあえず撃て」との言葉と共に砲手席を装填手に押し付けた後、ゲラーシーは素早く自身の戦車から飛び降りた。


 近くで小銃片手に道路わきの岩陰に隠れて警戒に当たっていた歩兵の元へと走りこみ、


「おい、同志少尉は無事か!?」


「無事です、2番目を走っていなければやられてましたが……」


「どこに居る!?」


「あそこです」


 指差した先を見やれば、炎上する戦車の陰に身を伏せてそっと顔を出し、偵察活動をしている小柄な人物の姿が見えた。


 全く、偵察活動中なら小隊長車の乗員はなぜそのように通信を返せないのか。無線機自体の活用に慣れておらず、臨機応変さに欠けて居るにもほどがある小隊長車の通信手にいらいらしながらも、ゲラーシーは小走りに我らが指揮官の元へと駆けつけた。


「同志少尉!!」


「同志ゲラーシー、無事で何よりね」


 地面に伏せたまま振り返ったのは年若い―――というより、少女と呼んでも差し支えのない娘だった。

 肩より下まで伸ばした金髪を一本の緩い三つ編みにして白のリボンでまとめ、緑を基調とした連邦戦車兵の野戦服を身に纏ったその娘は、森林を思わせる大きな緑色の瞳を不機嫌に歪ませつつ、ゲラーシーを手招きすると、その鈴を転がすかのような声で物騒なことを口にした。


「見て。対戦車地雷よ」


 なるほど、確かに彼女の言う通り、燃える戦車のさらに少し向こう側には、雪が解けたか戦車の爆発で抉れたかして露出している対戦車地雷が転がっていた。


「あたしがいつものように先頭を走っていたら―――地雷かチーグルにやられていたわね」


「チーグル!? 敵は噂の新型だったと?」


 帝国軍が新たに投入した新型重戦車チーグルの絶大な戦闘力は、すでに先の大戦車戦が行われた会戦において証明され、連邦内及び西で帝国と戦っている連合軍でもよくない噂と合わせて様々な情報が出回っている。


 それでも歴戦の戦車兵であるはずのゲラーシーともあろう男が、その可能性に思い至らなかったのはその遭遇率の低さだった。


 チーグル―――帝国で言うティーガーという特別な戦車は確かに強い。戦闘力なら間違いなく、連邦戦車はおろか世界中を探しても、あれとまともにやり合える戦車は現時点では存在しないだろう。


 しいて言えば、ティーガーと同じく会戦で確認された新型であるⅤ号戦車パンターやフェルディナント重駆逐戦車あたりなら対抗できるかもしれないが、そもそもそいつらは帝国側、ティーガーの味方である。


 それはさておきだ。その出鱈目な戦闘性能で世を震撼させたティーガーだが、実際のところその遭遇率はというとあまり高くない。


 理由は簡単、大量生産にとにかく向かないのだ。

 

 ここからの情報は連邦側が現時点で知る由もないが、価格からして頭数の上では帝国の主力たるⅣ号戦車の3倍。


 さらに武骨な外見の割に中身は凄く繊細で、整備を満足に行うためには専門の整備部隊を編成しなければならず、しかもその満足な整備が行えないと本来の力を発揮できないというおまけつきだ。


 多少雑に扱おうがそれなりには動いてくれるT-34とは真逆なのである。


「あたしたちは”やりすぎた”のかもしれないわね、向こうの虎の子が出張ってきたのだから」


 それゆえだろうか。いつしかティーガーは、ここぞというところでのみ戦場に姿を現すようになった。


 特に連邦側が帝国を圧倒しているような戦況において、まるで火災現場に急行する消防車のごとく駆けつけて押し返す、というのがティーガーの基本運用となっている気配すらある。


 でなければ、本当に運悪く敵にティーガーがいる場合か。状況的に考えて、おそらく今回の場合は前者であろう。


「……ここは危険です同志少尉。一度体勢を立て直し、作戦を練り直しては?」


「作戦はあるわよ。破壊されたT-34を私の戦車で押し出し、地雷を踏ませて強行処理する」


 なるほど、確かにその手はあるかもしれない。工兵機材がなく、迂回もできないのだからそれしか無い。


 しかし、ゲラーシーはあくまでも冷静に、なだめるように根気強く我らが指揮官を説得した。


「では、その先は? やみくもに前に出ても、また待ち伏せされては意味がありますまい?」


 言いつつ、ゲラーシーは懐から地図を出して指揮官に見せる。


「状況からして、突入した懲罰大隊の歩兵たち―――私の側と一緒に行動していた連中も、丘の上で全滅したと思われます。同志少尉、ご覧ください。地図で見ての通り、この先は森林地帯です。曲がりくねった一本道しかない。進軍してくる敵を食い止めるには絶好の場所だと思いませんか?」


「……」


 「同志少尉、此度の失敗は私にもあります。勝ち馬に乗って油断していたのは、貴方だけでは———」


「もういいわ、同志曹長」


 深いため息。それは小言にうんざりしたといった風ではなく。己に対する自戒の意味を込めたものだった。それを表情から読み取ったゲラーシーは静かに指揮官の命令を待つ。


「まずは、私のT-34をいったん後退させる。そこで再度作戦を練り直す。最悪、ここを放棄して迂回路を探すこととなるだろうけどね」


「了解しました。では、後退を支援いたします」


「……同志曹長」


 頷いたゲラーシーは来た道を引き返そうとしたところで振り向いた。こちらに背を向け、相変わらず丘の上を偵察する姿勢のまま、我らが指揮官はぶっきらぼうに言った。


「忠告、ありがとう」


 その一言をどんな顔で言ったのか。実際には見えなくとも、ゲラーシーはなんとなく察して苦笑いしながら言った。


「どういたしまして、同志少尉殿」



 去っていくゲラーシーの足音が遠のいてから、連邦軍女性機甲士官―――クラーラ・レフチェンコ少尉は深くため息をついて立ち上がった。


 彼の言う通り、どうやら自分は舞い上がっていたらしい。


 敬愛する上官の期待に応えて、小隊長としては初陣でありながら、敵の防衛陣地に穴をあけるという華々しい活躍。


 本来小隊長職である自分に1個中隊に匹敵する戦力を与えられ、さらにどんどん突き進み、自分たちを阻止しようとするⅣ号戦車の中隊の抵抗もはねのけて……


 そしてティーガーとぶちあたって、こちらの鼻っ柱を見事にへし折られた。


 幸運だけで、今までがうまくいきすぎていたのだ。戦車兵としてはともかく、指揮官として自分はあまりに未熟だった。


「それにしても敵の車長……」


 クラーラははっきりと見た。丘の上に立ちふさがった化け物戦車の車長用ハッチから顔を出してこちらを見下ろしていたのは、紛れもなく長い白銀の髪を持つ女だった。


 儚げな人形のごとき顔立ちのくせに、威風堂々たる最強の猛虎を従える主として、まるで申し分ない強さを秘めた青の瞳。照準器越しに見た彼女の顔を、クラーラには忘れることができそうになかった。


―――帝国に女戦車兵がいるなんて話、聞いたことはなかったけど……


 自身の戦車によじ登り、砲塔の中へと体を滑り込ませる。


「同志少尉、同志中隊長からです。”後続の戦力が分断されつつある。直ちに転進し、本隊と合流せよ”とのこと」


「ちっ、色んな意味で今回はここまでか……了解」


 どうやら、これ以上ここで戦う意味すらなくなったらしい。これでもっていよいよ完全敗北だ。


 周囲には支援砲撃の弾も落ちてき始めた。さっさと退避しなければ、余計に戦車が無駄にやられるだけだ。


「同志中隊長から追伸―――”偵察任務、よくやった”とのこと」


 ”偵察”―――つまりは、敵を探して帰ってこいとの命令。


 我らが中隊長は、出撃の時に”前進せよ”という表現は使ったが、”攻撃せよ”といったような命令は出していない。ただ、”前進せよ”と言っただけ。


 それに従ったクラーラ達は、”偶然敵戦車隊と遭遇し、偶然撃退できたのでその逃亡先を探るために追いかけてみれば、強力な敵部隊を見つけたから情報を持ち帰った”。


 だからこれは、”逃亡”ではないし、”撤退”でもない。


 酷い後付けの仕方だが、同志中隊長はクラーラを粛清から庇ってくれたというわけだ。


 今回は生き残った。生きている限り、リベンジの機会は必ずやってくる。持ち前の前向きさを以って、クラーラは自身にそう言い聞かせながら命令を下す。


「全車に伝達、我々は現在時を以ってここを放棄。転進して中隊本隊と合流し、情報を持ち帰る」


―――認めるわ。今回は私の負けね……でも覚えてなさい。次は負けないわよ。


 決意のまなざしを一度丘の方へと送ってから、クラーラは操縦手に後退を命じた。


 追撃してこない敵を不審に思い、ヴォルフが単身下車して偵察に向かったのは、クラーラたちが撤退を命じてから30分後のことだった。



第1章 了

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