第16話 戦乙女と共に 3

<<観測良し、弾着修正。左に20、奥に10>>


「フェヒター1了解。ボーゲン1、弾着修正。左に20、奥に10」


<<了解、火力集中点A-5、左に20、奥に10。修正実施する>>


 砲迫部隊から中隊本部へと出向してきた砲兵隊少尉と連絡を取りつつ、ヴォルフは曲射射撃の弾道を修正する。本当は観測を実施しているクラリッサが直接やり取りしたほうが速くて確実なのだが、相手方に”なんで女性が戦車隊に?”といらぬ混乱を招きかねないのでヴォルフが中継している形となっている。


<<A-5修正射、射撃開始……弾着、今!!>>


 敵方で再び爆発音。改めてクラリッサの報告。


<<修正良し、効力射を要求>>


 ヴォルフの位置からも弾着は見えた。なるほど、敵は踏みこそしなかったが、予定通り地雷に引っかかったらしい。


「了解。ボーゲン1、効力射開始」


<<ボーゲン1了解、火力集中点A-5、効力射開始する>>


 再び間をおいて、砲兵隊から派遣されて中隊本部で調整を担っている砲兵隊幹部の弾着の警告が入ったその直後。地雷を仕掛けた辺りに潜んでいるであろう敵にめがけ、猛烈な砲弾の雨が降り注いだ。



「畜生、やりやがったな!?」


 確かゲラーシーとか言ったか。曹長の戦車長と話していた元工兵のアラム軍曹は、降り注ぐ砲弾による爆発音の大合唱と巻き上げられた雪と土の大雨の中、地面に伏せて雪と泥まみれになりながら悪態をついた。


 戦車たちはこの地獄の窯と化しつつあるこの場所から脱出するため、お互いに何度も接触事故を起こしながら後退しようとしており、とても自分たちに構っている余裕はない。後ろの戦車は砲塔が死んでるせいで後方確認をする術がなく、ちょっと後退するのも大騒動だ。誘導して手伝いたいところが、弾幕が降り注ぐこの有り様ではとても無理だ。


 いわれなき敵前逃亡の罪で懲罰大隊に送られた彼は、本能的にこの場所にとどまることの危険性を大いに肌で感じていた。この曲射射撃は明らかに計画されたものだ。下手をすればこの辺り一帯を更地にする勢いで弾が降ってきても不思議ではない。


 しかし同時に、彼はこのまま明日の命も知れぬ消耗品である懲罰大隊に長居をするつもりはなかった。この苦境を乗り切り、名誉を回復して最悪な役回りから脱出する方法はただ一つ。戦果を挙げることだ。


「おい!! 近くの奴に伝えろ!! 歩兵は全員、俺についてこい!!」


「な、なんだって!? 聞こえない!!」


「いいから!! 全員!! 俺に!! ついてこい!!」


 手近なところで自分と同じように身を伏せている懲罰大隊の仲間の元へとにじりより、肩を揺すってジェスチャー付きで怒鳴ると、アラム軍曹は匍匐前進で移動を開始した。


 対戦車地雷を偵察した時に自分が発見した迂回路―――歩兵であれば、どうにか敵陣地へと迂回できそうなルート―――敵からすれば視界が遮られるであろう藪を目指し、匍匐前進で移動を始めた。


―――本来なら戦車隊と連携するべきだろうが仕方ない!!


 雪が鬱陶しくて仕方ない。腕や足を動かすたびに沈み込んで、全身に纏わりついてくる。それが前進を阻む抵抗となり、ただ歩くだけなら大した距離でもないのにとてつもない重労働を彼に経験させた


 周囲が雪景色だとは思えないほど汗だくになりながらも約10分後。彼はどうにかこうにか移動を続け、目的の藪の中へと転がり込んだ。振り返れば、自分に続いて10人ほどの歩兵が匍匐前進でついてきている。その時には、敵の砲撃もこちらの戦車が下がったのを確認したからか止んでいた。彼らを藪の中に招き入れ、全員で額を突き合わせて小声で相談する。


「よし、いいか? 俺たちだけで敵の射撃陣地に肉薄する」


「な、なに言ってやがる!? こっちはたった10人だぞ!?」


 運よく助かった命をまた危険にさらせと言われているのだ。顔を青くして反論してくる者の気持ちはわかる。


「お前はこのまま懲罰部隊にいるつもりか!? 俺はやるぜ!! このままこんな動物以下のクソみたいな扱いのまま死ぬまで戦うなんて御免だ!!」


 だが一方で、己の境遇を正しく認識し、命をかけようとする者もいた。いや、先に反論した1名以外は、全員が後者の意見に賛成だとばかりに頷く。


「行きたくない奴はここにいろ。その代わり生きて帰ってきたら、そいつはまたしても敵前逃亡をしたと政治将校に訴えてやる!」


 そう言い放つと、アラム軍曹は藪をかき分けるようにして、小銃片手に姿勢を低くして前進開始。生き残りたちは次々にそれに続く。結局、怖気づいていた兵士も顔を恐怖に歪ませながらついてきた。


 息を殺し、枯れた草木をかき分ける音で敵に感付かれないかびくびくしながら進んでいく。歩兵が常に全力ダッシュで勇ましく突き進んでいくなんてのは創作の中の話でしかないのだ。


 まさか、これも敵の手の内で、自分たちは自ら敵の罠に嵌まっているのでは?


 そんな恐怖の中でも己を鼓舞し、前へ前へと進む。緊張と運動で、彼ら全員とっくの昔に心臓は早鐘を打っていた。


 雪をかき分けて慎重に前進していくこと、どれほど時間が経ったろうか。ついに彼らは、敵が陣取っている丘の真下まで来た。


 しかし、これまた問題が発生する。


「くそ、崖になってやがる。登れるところを探すぞ」


「エンジンの音もするぞ……装甲車か?」 


「敵は8.8㎝砲だろ? 牽引用の装甲車かハーフトラックだろ」


 そんなやり取りが交わされた直後だった。爆発音が丘の上で鳴り響く。


「今のは?」


 再び風切り音、そして弾着。爆発音は明らかに丘の上からだった。


「味方の砲兵の支援砲撃だ!!」


「今がチャンスだ、早く登れるところを探せ!! 急げ!!」


 味方の制圧射撃がうっかり自分たちの上に落ちてくる可能性がないわけではないが、そんなことを気にしていられる余裕は彼らにはなかった。英雄になりたいわけではない。


 しかし、英雄にならなければ明日の命すら危うい。それが懲罰大隊だ。


 そして、アラム軍曹はついに英雄に名を連ねるチャンスをものにした。戦車では無理だが、生身の兵士であればどうにかよじ登れそうな斜面を発見したのである。


「よし、行くぞ」


 砲弾の爆発音に紛れつつ、丘の斜面を少しずつ登っていく。


 彼は知りえぬことだったが、その光景は一度退避して迂回路を探すゲラーシーの双眼鏡にも映っていた。先ほどの支援砲撃は、匍匐前進で敵陣に接近しようとするアラムたちを見て、好機と見たゲラーシーが緊急として、半ば無理矢理に射撃要請したものだった。


 仲間たちの期待を一身に受けて、10人の英雄候補たちがついに稜線を乗り越える一歩手前まで到達する。


「いいな、俺の合図で一気に突っ込むぞ!!」


 覚悟を決めて頷く男たち。この斜面を越えた向こうは、もういつ敵と遭遇してもおかしくない。


 やがてすさまじい弾幕射撃の後、一発だけの砲弾が僅かに間をおいて弾着した。


―――最終弾だ!!


「つっこめえええええええええ!!!」


「「「「「Урааааааааааааааааааа!!!!」」」」」


 雄叫びとともに男たちは稜線を乗り越えて突入する。


 敵の姿は———ない。


―――場所を間違えたか? いや、確かにこの辺りでも発砲炎を見た気がしたが……


 周囲の景色と、迂回路偵察中に見た景色を整合させ、アラム軍曹は内心奇妙には思いながらも突撃をやめなかった。敵の動揺をついて一気に制圧しなければ、どの道彼らに生き残るすべはない。道路になっているそこを、決死の思いで進んで、進んで、突き進む。


 だからこそ、彼らは気付けなかった。普通なら気付けたかもしれないことを見落としていた。味方の砲弾によって刻まれた弾着の跡に紛れて、泥上に刻まれた履帯の跡。それが、対空砲を牽引するハーフトラックのそれとは、明らかに大きさが違うという事実に。


 曲がりくねった道路。木と藪の陰。


 そこを曲がった先で英雄候補たちがこの世で最期に見た光景は、こちらに主砲の同軸機銃と車体の車載機関銃を向けて待ち構えていた鋼鉄の怪物の姿だった。



「フェヒター1、敵の歩兵部隊が浸透してきています。規模は不明」


 自身のティーガーの同軸機銃と車載機銃が、辺り一帯の薮ごと敵兵を薙ぎ払う。二人ほど反撃で小銃を撃ってきたが、そんなものが戦車にダメージを与える訳がなく、ばら撒かれるこちらの機銃二門に返り討ちにされて倒れ伏した。


 狙撃されないようハッチの中に避難していたクラリッサは、引き続き限られた視界の中で防弾ガラス越しに周囲を警戒しながら、ヴォルフに敵歩兵の来訪を告げる。


 彼女もヴォルフもエスパーではない。敵が来るだろう経路、そして絶対に人が通れない経路の予想はしていた。それに従い、時間の経過や自分たちが目視した敵の動き、それらを加味した上で、クラリッサのティーガーは歩兵の動きを予想して対戦車戦を放棄し、対歩兵用の強固な機関銃陣地の代わりとして待ち伏せていたのだ。


<<思ったよりも早かったな……了解、次の態勢に陣地変換する。フェヒター2、後退を>>


「いえ、予定とは変わりますが、フェヒター1より下がってください。私の位置的にその方が早いです」


<<フェヒター1了解>>


 ゆえに、本当は道路上に転がっている10人以外に敵兵はいないのだが、さすがにそんな真相を知るはずもなく、ヴォルフとクラリッサはティーガーを退避させにかかった。


 うかうかしていて、足回りに対戦車地雷でも投げ込まれでもしたらたまったものではない。


 まずは、道路沿いに登ってくる敵を警戒していたヴォルフのティーガーから後退し、それが森へと続く道路へと入っていったのを確認してから、クラリッサは自身のティーガーに移動を命じようとし———


「……」


 ハッチから少し顔を出し、ヘッドフォンをずらして周囲の音を聞いていたクラリッサが何かに気づいたように少し表情を変えた。


「操縦手、左へ後退し方向変換」


「次の陣地へ移動でいいですか?」


「いえ、その前に小隊長車の予備陣地へ」


 クラリッサのティーガーが小移動し、丘の上―――あらかじめ選定しておいた、射撃に有利な場所から砲塔だけをわずかに露出させて停止。


 その眼下では、先ほどまでヴォルフが警戒していた道路上―――入り組んだ道路脇迂回路を突破することでたどり着ける、丘へと登るための唯一の道を登ってこようとしている集団―――縦一列に並んだT-34戦車2両と、その後方の起伏に陣取ってこちらを警戒しているT-34戦車1両の姿があった。


「砲手、道路上のT-34」


 向こうの支援態勢の戦車と先頭車両もこちらに気づいたらしい。まずは支援車両が発砲するが、狙いが甘く砲塔側面を掠めて飛んで行っただけに終わる。


 ほぼ同時に先頭車両が撃つ―――しかしそれが狙いをつけるためにせよ、恐怖や驚愕からの反射的な行動だったにせよ、先頭車両が急停車したのは完全に相手の失策だった。射撃しようとした瞬間に見事追突され、せっかく先手を打って放たれた砲弾は、照準を調整し始めたクラリッサのティーガーの遥か手前に弾着、むなしく土を跳ね上げるだけに終わった。


「先頭車両を照準―――撃て」


 発砲、そして貫徹。動かなくなった味方戦車に戦車一両分しかない道を塞がれて、撃たれはしないにせよ立ち往生せざるを得なくなった後続のT‐34。それが慌てて味方の残骸を盾にしようとしているのが伺えた。


 そんな敵の状況を他所に、クラリッサのティーガーは後退して、安全に敵の射線から逃れてから方向転換。当初の目的位置へと移動を開始する。流石に次の一発は相手の方が早いし、命中は確実。無理して撃とうとして被弾し、その衝撃で何かしらが壊れ、戦闘不能に陥るのは避けたい。


 それに、無理に自分が撃たなくても手はある。


<<フェヒター2!! 発砲音が聞こえたがどうした!? 大丈夫か!?>>


 自身を心配してくれるヴォルフの必死な声が、無線機越しに伝わってくる。なにもそこまで心配しなくても、と思わなくはないが———嫌な感じはしない。


 クラリッサ自身の強さもあって、前任小隊長は彼女のティーガーを一度も心配した素振りを見せることはなかった。その前の小隊長も同じだし、更にその前の小隊長は最初こそ安否をそれなりに確認する素振りは合ったものの、気付いたときには他の小隊長と同じだった。


 他の仲間たちもどちらかと言えば自分が助ける側であることが多かったので、自分を心配する声と言うのは、どこか新鮮な感覚すらある。


 それでも相変わらずの鉄面皮のまま、クラリッサは冷静な声音でいつも通り報告した。


「問題はありません。道路上を登ってきていたT-34を1両撃破して道を塞ぎました。引き続き退避します。火集点B-3を発動してください。ちょうどそのあたりに敵戦車が立ち往生しています」


 懐から懐中時計を取り出して一瞥。中隊長の示した昼の12時まで、あと1時間半程度。敵戦車は残り4両。敵は壊れた戦車を退かすのにかなり苦労するはずだ。とりあえず定期的に砲兵隊の砲弾を落とすだけでも相応に時間稼ぎになる。


 そして、この先は戦車が迂回できない長い一本道。クラリッサ離脱後に木陰に隠した地雷を仕掛けるべく、糧食班の助っ人達が―――どうしても足りない地雷閉塞要員を買って出てくれた仲間たちが待っているはずだ。


 しかも、その閉塞予定の場所は3箇所もある。歩兵を迂回させれば突破そのものはできよう―――かなり時間をかければ。戦車が来ないことにはそこからが続かない。後退するティーガーを生身では捕まえられないからだ。


「勝ちましたね」


 クラリッサの小さな呟きは、ティーガーのエンジンと履帯の音にかき消され、誰の耳にも入ることはなかった。

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