第15話 戦乙女と共に 2
「操縦手、右に回頭!! 早く起伏に飛び込め!! 急げ!!」
「りょ、了解!!」
ゲラーシー曹長のT-34が、辛うじて起伏の陰に飛び込む。警告なしでいきなり乱暴に方向変換して動いたため、恐慌状態に陥って戦車から飛び降りることすら忘れていた歩兵が二人ほど転げ落ちたが、それをいちいち気にしている場合ではない。
ゲラーシー曹長搭乗車の後ろにいたT-34が、あやうくその歩兵を轢きそうになって急ブレーキを踏む。次の瞬間にその戦車は砲塔を一撃で貫徹されて炎上し、歩兵2人の命と引き換えに4人の戦車兵の命と貴重な戦車1両が失われた。
———こちらの小回りが利かないのが仇になった!!
T-34を始めとする連邦戦車の欠点―――変速レバーの重さが仇となり、急激な方向転換などの咄嗟の機動が苦手なのだ。直線の加速、不整地の踏破、それら利点に恵まれたT-34の足回りが抱える構造上の弱点である。
「な、なんなんです!? いったい何が!?」
「待ち伏せされたんだ間抜け!! いいから黙ってろ!!」
恐慌状態の装填手に怒鳴り散らしながらゲラーシー曹長は双眼鏡を覗く。自分の戦車は完全に隠れているから撃たれることはない。その余裕が彼に冷静さを取り戻させた。
「隊列の右40度、2Km先の丘だ!! 通信手、同志少尉に報こ―――うおッ!?」
すぐ近くでまたしても逃げ遅れた味方の戦車が被弾する中、ゲラーシー曹長の怒声が通信手を急かす。今更ではあるが、それでも一両でも多くの仲間が救われることを祈りつつ叫ぶ。
———今の発砲音……間違いない、8.8㎝だ!!
再び双眼鏡を覗き―――悪態とともに呻く。さきほど近くで味方がやられた際にハッチの淵にぶつけてしまった衝撃故か、双眼鏡のレンズがひびだらけで使い物にならなくなっていた。
それでも発砲炎そのものというのは存外遠くからでもよく見えるものだ。確認できた発砲炎は二つ。この遠距離でも一撃でT-34を吹き飛ばす破壊力、そして独特の発砲音からして、8.8㎝高射砲の類であることは間違いないだろう。
しかし妙だ。8.8㎝砲は確かに強力な火力を持つが、あんな速度で連射できただろうか?
ゲラーシーは過去に一度、鹵獲された8.8㎝砲を見たことがあったが、元々が高射砲であるがゆえに多人数で運用する代物だし、水平射撃をしようとすると弾を装填する閉鎖機の位置が高く、普通なら装填には相応に手間取るはずなのだ。無論、そうならないように陣地を掘る際に足場を用意するなどして工夫している可能性はあるが……
―――いずれにせよ敵は周到に準備していたと? 誘い込まれたか!!
どうやら敵はあらかた狙える得物を狩りつくしたらしい。一時的に砲声がやむ。
「同志曹長、周囲の生き残りを確認せよと同志少尉殿が!!」
通信手が報告してくる。どうやら同志少尉の戦車は無事だったらしい。ゲラーシー曹長は周囲を見回してすぐに応じる。
「通信手、伝達しろ!! こちらゲラーシー、ここから確認できる限り、生き残ったのは我が戦車のみ!! 歩兵は掌握中!!」
「了解……同志少尉の周囲に2両いるとのことです。敵は8.8㎝砲、隊列右前方2Kmの丘でよいかと聞いて来ています!!」
「おそらくな!!」
毎度のことながら、こういう時は実にもどかしい。直接自分の声でやり取りできたらどれほど楽か。
「同志少尉からです!! 生き残りを率いて、起伏を利用し敵陣地へ接近、突入せよとのこと!!」
改めて周囲を見渡せば、なるほど確かに自分たちは運がいい。大小さまざまな起伏が”道”を形成してくれているので、それに沿って敵陣地のある程度手前までは接近できそうだ。
「どの道、こんなところにいても何も変わらないな……おいよせ!! 頭を下げてろ!!」
歩兵とやり取りをするため、改めてハッチから顔を出したゲラーシーの警告は少し遅かった。様子を窺おうと起伏から身を乗り出した歩兵5名ほどが爆発に吹き飛ばされる。榴弾による射撃を受けたらしい。
ほとんどの戦車を一撃で吹き飛ばしやがったことも鑑みると、なんて凶悪な攻撃性能だろうか。
何より絶望的なのは、自分たちの主砲と照準器の性能、そして砲手の技量では、どう頑張ってもおよそ2Kmも先の目標を正確に射撃して撃破することはできないという現実だ。そんな交戦距離をそもそも想定していないので当然ではあるのだが、それはつまり、これからの前進間は不用意に姿を晒せば一撃必殺の必中弾がいつ飛んできてもおかしくないという事実。
しかも、こちらの有効射程———せめて1Km、叶うなら現実的にまともに狙って撃てる800m程度以下に接近するまで、こっちは何もできずに一方的に撃たれることとなるのだ。
「くそ……分隊長!! 俺についてこい!! 近くの歩兵を早く掌握しろ!!」
手近な歩兵に呼びかけながらゲラーシーは戦車から降りて、周囲に転がる遺体から無事な双眼鏡を回収するのだった。
●
起伏の合間を縫うように前進するT-34。その様子は排気煙や時折垣間見れる戦車の一部を以って、丘の上のヴォルフたちにも察知することができた。
「動き出したか。フェヒター2、先に陣地変換しろ」
<<了解>>
クラリッサのティーガーがゆっくりと後退し、移動を始める。それを少し見守ってから、ヴォルフは再び双眼鏡を覗いた。
「さて……」
敵は二手に分かれて前進中。地形の防御は確かに今は敵に味方しているが———早々都合のいい迂回路なんて存在しない。整備された街中を自由気ままにドライブするのとはわけが違うのだ。
”撃たれない”は当然として、”見つかりにくい”、”そもそも戦車が通れる道幅や地面の硬さ”―――必然的にそれらを満たす経路はどうしても限定される。
そしてそれは徒歩の歩兵も同じ。無論、戦車よりははるかに融通が利くし、それは対峙する戦車にとって不意討ちという形で脅威となりうる可能性も十分にあるのが厄介なところではあるが。
<<フェヒター2、陣地変換完了>>
クラリッサの涼やかな声による報告を聞きつつ、双眼鏡を覗くヴォルフはにやりと笑った。
「さあ、まずは”お届け物”の準備だ。フェヒター1、陣地変換する!!」
●
狭い”道”を二手に分かれた―――というより分断されたT-34たちが、それぞれに歩兵とともに隊列を組んで進んでいく。
結局、ゲラーシーはどうにか生き延びていた1両のT-34と合流した。最も、砲塔を貫徹されて砲手と装填手は即死。主砲自体も使い物にならなくなった以上、兵員輸送と車体機銃での対人戦くらいにしか使えないが、それでもいないよりはマシだ。そんな状態でも、対戦車火器を持たない歩兵くらいなら蹂躙できる。
じわじわと少しずつ、また少しずつといった具合に進んでいく様は、お世辞にも勇壮、或いは英雄的とは言えないほど地味なものだった。
それを臆病だと笑ってはならない。早く行けと簡単には言えない。その理由は簡単だ。
死ぬのだ。失敗したら。
これはスポーツではない。ゲームでもない。レッドカードで退場したが、次の試合で元気に復帰とはいかない。悪態をつきながら負けた手札を投げ捨て、またシャッフルして仕切り直しもできない。
本物の戦場で敵に取られたチェスの駒は、二度と盤面に並ぶ機会はない。かと言って、棚に飾られて余生を過ごすこともない。その場で砕け散って二度と使い物にならず、壊れた古い駒はゴミ箱に放り込まれ、新しい駒を改めて買うしかないのだ。
曲がり角を曲がれば、銃を構えた敵とこんにちはするかもしれない。
起伏の向こうから、いきなり手榴弾が飛んできたら?
通り過ぎた藪の中に機関銃を持った敵が潜んでいたら、全滅する前に倒せるだろうか。
何気なく踏み出した一歩の下で、もし地雷の信管が作動したら? 地雷は案外死にはしない? 冗談ではない、少なくとも一生の間、二度と両足で立つことも歩くこともできなくなる。
しかもゲラーシーらは待ち伏せで不意討ちされた側なのだ。敵が次はどんな罠を張ってるか、わかったものではない。
これを臆病だなんだと言うなら、是非ともその人には先頭に立って手本を貰いたいものだ。最も、気づけば死体になって、味方に罠や敵の存在を知らしめて感謝されるのが関の山だろうが。
それでも、確かに敵陣地と思われる丘との距離は確実に縮まっている。慎重に慎重にと動いた甲斐あって、一度も射撃を受けずに前進してきたことで戦闘損耗は無し。スタックで脱落した戦車もいない。そういう意味では良好だった。
ただ、ひとつ彼らにとって良くないことがあった。時間である。牛歩のような歩みになるのは致し方ないとはいえ、やはりどうしてもそれだけ時間は浪費される。
さらに、彼らが前進しているのは完全初見、それも迷路のように入り組んだ場所だ。途中で通り道が狭くなったり、起伏から露出せざるを得ないような場所に遭遇して迂回したりしているうちに、多大な時間を浪費してしまったのである。それは、同志少尉の方も同じだろう。
時間の浪費は、敵が更なる強烈な一手を繰り出す為の準備期間になりかねない。しかも自分たちは陣地を突破して進出している部隊だ。敵が態勢を立て直す前に行けるだけ突き進み、有利な地形を確保して後続を迎えなくてはならない。こんなところで雪の風景をいつまでも楽しんでる場合ではないのだ。
懸念はさらにある。仮に8.8㎝砲の陣地を敵が形成しているとしたら、随伴歩兵や戦車がどこかしらに潜んでいてもおかしくはない。8.8㎝砲の死角足り得るこの前進経路に、敵が何の処置も対策もしてないなんて、果たしてそんな好都合があるだろうか?
「止まれ!!」
先行して誘導してくれていた歩兵の合図で、ゲラーシーのT-34は停車した。
いちいち戦車が大きな方向変換をしなくてもいいようにと歩兵を先行させてはいるが、どんなに頑張っても所詮人間の脚だ。全力ダッシュで縦横無尽に走り回って、経路を選定しつつ敵情を偵察するなんてできるわけがない。
まして、徒競走の様に整備された地面を体操着で走るのとはわけが違うのだ。まとわりつく泥や雪は彼らの脚に容赦ない負荷を与え、銃に予備の弾、手榴弾その他、防寒着でさえも、その装備の重量は問答無用でのしかかってくる。
スタートからの直線距離は2Kmでもまっすぐには絶対に進めない以上、実際の移動距離はそれよりはるかに遠い。前述の通り負担もある。そこに加えて命がけともなれば、体感の距離はもっと長くなるのは必然で、容易に兵士の体力と精神力は蝕まれていく。ゆえにその移動速度はあまりに遅かった。
消費した時間は1時間以上。それでも彼らはとうとう起伏の切れ目の部分まで到着したのである。敵が陣取っているだろう丘まであと1Kmあるかないか……しかし、そんな彼らをあざ笑うかのような報告が駆け寄ってきた歩兵からもたらされた。
「同志、何かを掘り返したような跡がいくつもあります」
「何が言いたい?」
「地雷です、それも対戦車の」
「目視で地雷そのものを確認したのか?」
「自分は元工兵です。転がっていた棒切れで怪しいところをつついてみましたが、それらしき手ごたえが」
「くそッ」
やられた、とゲラーシーは苦々しい表情で呻いた。
地雷というのはそのイメージと違って、要塞化した大規模陣地を作るでもない限りは、どこでもかしこでも馬鹿の一つ覚えのように大量に敷設するものではない。敵が来るであろうルート、その根こそぎ全部に仕掛けるなど、そんなことをしていては資材がいくつあっても足りなくなる。
ではどうするか? 決まっている。道が集約する交差点や一本道の出入り口など、”どのルートを使うにせよ、必ず通らざるを得ない場所”に設置するのだ。
つまり自分たちはまんまと誘導されたことになる。相手の方が一枚上手だったらしい。
―――どうする? 強行処理するにしても、その為の資材は手元にないぞ?
最初の奇襲を受けた際、運の悪いことに地雷を処理するための梱包爆薬などと言った資材を積載した車両は、ものの見事に爆発炎上してしまった。戦車の上に載せていたものがどうなったかなど、語るまでもあるまい。となると、新しい経路を探すしかないのだが、
―――かなり時間を浪費しておきながら、今から引き返して? いや、しかしそれしか方法は……くそ、せめて砲迫火力で敵陣地を制圧できれば!!
この時のゲラーシーたちはとにかく運がなかった。陣地の場所が分かった以上、そこに曲射火力を発揮して、敵が降り注ぐ砲弾に制圧されている隙に一気に突進という手も本来は使いたかった。
しかしあいにく、彼らを援護できる場所にいる砲兵部隊は、他の部隊の火力支援で手一杯。自分たちに番が回ってくるのは最低でも30分、最悪1時間以上先とのことだった。
こういう時に備えて用意していた歩兵でも扱える軽迫撃砲の類は、最後尾のあたりを走っていた戦車諸共、地雷処理資材と一緒にガラクタと化していた。あるいは、最初に狙われた際にそうした積み荷を持っていると見破られた車両から狙われた可能性もある。
「已むを得ん、いったん後退だ。どうにか迂回路を再度―――」
そこまで言いかけて、ふとゲラーシーは思い至った。ここまで周到な相手が、ただ地雷を仕掛けただけで果たして満足するものか? 直射火器でここまで撃たれていないからと言って、敵がこちらの現在位置に気づいていないという根拠は?
―――そんなもの、あるはずがない。
凄まじく嫌な予感がする。それは元工兵も同じだったようだ。焦りと一杯食わされたことによる苛立ちで、頭から抜け落ちていたごく当たり前の可能性。それに気づいて顔を見合わせた二人が、ほぼ同時に行動に出た。
「戦車兵!! ハッチをしめろ!!」
「みんな伏せろ!!」
2人がそれぞれ警告を発したその直後のことだった。風切り音が聞こえ、彼らの頭上から一発の砲弾が降ってきたのは。
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