第14話 戦乙女と共に 1
ゲラーシー・カザロフ曹長は、連邦軍が誇る主力名戦車、T-34の車長兼砲手だ。
彼の相棒たる連邦最高の傑作戦車T-34の主砲は、76.2㎜戦車砲。帝国の主力戦車であるⅢ号戦車やⅣ号戦車を倒すのには十分な攻撃力を有する。
実際に2時間ほど前、彼の乗車はⅣ号戦車を一撃で1両撃破する戦果を挙げ、中隊の他の同志たちの戦果も合わせれば、今回の追撃戦で7両のⅣ号戦車を撃破することに成功した。
幅の広い履帯と高性能なアルミ合金製エンジンが生み出す機動力は、雪国の大地であってもその機動性を損なうことがない。
帝国戦車が雪や泥濘に足を取られる中でも、この戦車は何の問題もなく走り抜ける。もちろん鋼鉄の塊である以上、スタックの可能性が全くないというわけではない。
だが、帝国側は下手をすればエンジンの始動すらも極寒連邦の冬の寒さでままならないことを考えると、最初から雪国で戦えるよう調整された要求仕様は非常にありがたい。
つい最近までは無線機を積んでいない車両がほとんどだったせいで、連携という意味合いでは非常に苦労させられた。戦闘性能自体では優勢であるのに、無線機を積極的に活用する帝国軍に大いに後れを取ることとなったが、それは昔の話。
今やゲラーシーの所属する部隊のT-34のほぼすべてに無線機が搭載されている。とはいっても車体の方に積んであり、車内無線なんて代物は装備していないために、即応性については少々問題が残っているが。
しかし何より恐るべきは、その独特のフォルムが生み出す高い防御力だ。装甲を全周にわたって斜めになるように配置し、砲塔も丸みを帯びた形とすることで、敵の弾が突き刺さらないように”受け流す”ことを徹底的に追求した独特の形状。
さらに言えば、装甲板の傾きは真四角ではなく平行四辺形として敵弾を受け止めるため、見かけ上の装甲圧は本来の厚みよりも向上する。これによりその防御力は、従来の”単純な厚みだけで受け止める”装甲よりも必要な厚みを軽減することができ、単純な防御力向上だけでなく、前述の機動力向上や重武装化の可否に影響することになる軽量化にも貢献している。
最近は、帝国側も75mmの長砲身を搭載したⅣ号戦車等が配備され始めたため、開戦時のような防御力の絶対的優位性は失われつつある。
実際、今回の追撃戦でも帝国側の抵抗により3両の同志が撃破された。それでも、甘い狙いの直撃ではない砲弾ならある程度は弾いてくれる可能性のあるこの防御力は非常に頼もしかった。
ただしその分、車内は悲しいくらいに狭くなっており、居住性という意味合いでは最悪ともいえる仕様となっている。おまけに砲塔が狭すぎて、車長は砲手と兼任。故に攻撃する際には周囲の状況が分からず、索敵においては不利だった。
他にも車内から外を覗く窓の防弾ガラス———ペリスコープの質が悪く、特に酷い車両だと気泡だらけで外を見るのにすら一苦労。さらに主砲の照準器もあまり出来が良いものとは言い難く、それゆえに遠距離戦では帝国側に劣っている面もあった。
機動性の面でも確かに最高速度はⅣ号戦車よりも良好なのだが、KV-1重戦車のそれよりはマシとはいってもトランスミッションの切り替えの重さも改善が図られたのはつい最近のことであり、まだまだすべての車両に改良が行き渡っておらず、操縦手には負担だった。
せっかくの高いカタログスペックを台無しにするかのような、これら使う側のことをいまいち考えていないような杜撰さは、連邦軍の戦車の遺伝的な持病ともいえる弱点だった。
しかしながら、この戦車自体の構造の単純さから凄まじい勢いで今この瞬間にも大量生産されている。問題は相応にあれども、やはりこの戦車は世界的に見ても傑作戦車の一つといえよう。
ともかく、だ。ゲラーシーにとっては上官となるこの戦車隊の長は、にっくき帝国軍を追い回しているという現状に対して実に上機嫌だった。敵の防衛線を破る手柄を上げ、さらなる大躍進のチャンスまでもが転がり込んできたのだから無理もない。
ゲラーシーにとっても、我が祖国の一大都市の解放作戦の一環に参加できていることは非常に名誉なことだ。他の同志たち———戦車兵から歩兵に至るまで、”ジャガイモ野郎を蹴散らしてやるぜ”と大いに息巻いている。
夜が明けて、敵のⅣ号戦車と歩兵からなる部隊が夜間の間に防御陣地を捨てたことが確認され、こうして前進を開始してから早くも1時間。自身の戦車に跨乗している歩兵の一人など、のんきに鼻歌など歌っている。かくいうゲラーシーもまた、車長用のハッチから上半身を出し、煙草で一服している最中だ。
「やれやれ、実に気楽なものだ」
ゲラーシーは自分の戦車よりも前を走るT-34の隊列を見やりながら煙草の煙を吐く。ぎょろっとした目と太い眉、彫りの深いくっきりとした顔立ち、そして蓄えた口ひげにがっしりとした体格。いかにも”私は連邦出身の男性です”というような風貌の彼は、煙草を吸いながら改めて思案する。
撤退した敵戦車の残した履帯の跡を追跡しているのだが、途中で丘だの森だのに警戒の目を向けたりしてみたものの、全く抵抗がない。特に、明らかに防御に向いている場所にすら敵が待ち伏せていなかった時など、思わず拍子抜けしたところだ。敵はよほど命からがらといった様子で、必死になって逃げているのだろう。
「まったくです。むしろ物足りないくらいだ」
砲塔内でそう応じてくる装填手が退屈そうにぼやいた。まだ配属されたばかりで17歳の新兵だが、先の戦いで敵戦車一両を仕留めたことで自信がついたらしい。その勝気な様子に”威勢のいい奴め”と苦笑いしながら、ゲラーシーはふと何気なく、視界に入ってきた丘―――隊列の前方に目をやった。
そして気付く。自分たちは堂々と街道を前進しているのに対し、あの丘からならこちらを———あと少しすれば、道路沿いに前進している限りは屈曲部の関係でこちらはがら空きの隊列側面をあの丘に対して晒すことになる。
「……いや、ありえんな」
「何か?」
「なんでもない」
声をかけられたのかと勘違いしたらしい傍らの歩兵が問いかけてくるのに軽く返事をしながら、ゲラーシーは苦笑いをした。
ありえない。ここから丘までの距離は1.5Km近くあるのだ。T-34よりも遠距離戦が得意なⅣ号戦車の長砲身型が待ち構えるとしても、いくら何でも遠すぎる。
念のために双眼鏡を覗いてみるが———やはり、何かが待ち伏せているようには見えない。帝国の対戦車砲は”ドアノッカー”とバカにされる程度の貫徹力しかないものもある。それらが相手ならば、T-34は無敵の防御力を発揮できるのだ。
……いや、待て。8.8㎝高射砲ならばあるいは、と思い至る。こちらをキルゾーンに誘い込み、高射砲の水平射撃で撃破する。Ⅲ号戦車や短砲身だったころのⅣ号戦車では、T-34をまともに相手取れないと判断した敵軍がよく使ってきたやり方だ。
「通信手、同志少尉に確認しろ。前方の丘が見えるかと」
念には念をだ。"まあいいか"でその結果あの世に旅立っては笑い話にもならない。
無線機で2両前———総数9両のうち、隊列を前から数えて3両目を走るお偉いさんを呼び出す。
「目視で確認できているそうです」
通信手が伝達してくれた通り、ハッチから顔を出して双眼鏡でそちらを見やる小柄な同志少尉殿の姿が見える。まだ年若く、今回の戦いが初陣ゆえに経験もまだまだ浅いが、その戦いは常に勇猛果敢。ちょっとお転婆なところがあるのが玉に瑕だが、何事にも全力で取り組む姿勢は嫌いではない。
ゲラーシーは身を乗り出して大声を上げた。
「あそこからならば、高射砲でこちらを狙い撃ちにできます!! 念のために一度道路外の起伏に退避して、斥候を出しましょう!!」
気を使ってくれて、前を走る1両の車長が口頭で伝達してくれた。少し間をおいて、同志少尉が手を挙げて了解を示してくれるのが見えた。高圧的なところがあるというのが初対面の際の印象だったが、意外に聞き分けはある同志少尉は、同意を示すように手を挙げた。
やがて通信手が口を開く。
「同志少尉からです。”各車、一度路外に———”」
「ッ!?」
無線内容の報告を受けていたゲラーシーの耳朶に、ぞっとする何かの飛翔音が飛び込んできた。
しかしそれは一瞬のこと。それが砲弾によるものだと気付いた直後、隊列の最前列で大爆発が起きた。
吹き飛んだ砲塔を地面に転がしながら爆発した味方の残骸に道を塞がれ、慌てて急停車する隊列。
次の瞬間に再びすさまじい轟音。思わず身をすくめつつ振り返れば、最後尾を走っていた味方の一両が真っ赤な炎を上げて燃え上がっている。そうこうしている間にも風切り音が断続的に聞こえ、彼らの戦車のすぐ近くに次々と弾着し始めた。
「て、敵しゅ———」
誰かが大声を上げるより先に再び飛翔音、そして轟音。パニックになったのか、逃げようと急発進したT-34がうっかり曲がり切れずに残骸に追突。慌てて方向変換するより早く、砲弾に鋼鉄が貫かれる音が響き、次の瞬間には炎上する。これで今度は最前列2両目の戦車がバラバラになった。
小隊長戦車は……居た、なんとか起伏に突っ込んでどうにか射線を切っている。同志少尉が大慌てで先ほどの丘の方を双眼鏡で見ているが———ゲラーシー曹長は一瞬ながら確かに見た。
今の砲弾は、さっきまで警戒しようとしていた前方の丘から飛んできたのではない。右の側面———間違いない。2Kmは先にある、はるか彼方の丘から飛んできたのだと。
それが正解だと示すかの如く、丘で発砲炎らしきものが光り、一発の砲弾が小隊長戦車のすぐ近くに弾着して雪と土砂を巻き上げる。どうやら完全には隠れられていないらしい。
敵の弾が外れたのは、照準のほんの僅かなズレが齎した結果論でしかない。大砲というものは一発撃てば、冬の寒さで冷却されて張り詰めていた砲身の形が発砲の熱で僅かに変異して垂れ下がり、連射すればさらに過熱の影響を受ける。それを考慮すればかなり正確な狙いだ。
小隊長戦車は更に道路から外れて離脱、今度こそ完全に見えなくなった。
いくらこちらが停止しているとはいえ、この射距離でなんという精度。熟練砲手の部類であるゲラーシーだが、仮に今撃ち返したところで命中させれられる自信はない。相手の砲手は相当の凄腕だ。
再び飛翔音が聞こえた直後、最後尾二番目の戦車が炎を吹き上げる。同時にその戦車から飛び降りようとしていた跨乗歩兵たちが、炎にまかれながら吹き飛んだ。
●
<<いいぞフェヒター2、そのまま、まだ見える奴から順に仕留めてくれ!!>>
無線越しにヴォルフの声が聞こえる。
「了解。砲手、要領同じ、引き続き撃て」
「お任せを!!」
クラリッサの涼やかな声音が言い終わるより早く、彼女のティーガーの長大な主砲が火を噴いた。
移動する隊列を遠距離から仕留めるには、まず先頭車両及び最後尾を潰すのが定石だ。
先頭車両を破壊された車両は後続の通行の邪魔となり、それが不意討ちであれば尚の事、まずはその場に止まらざるを得ない。そうして足の止まったところを、敵の動揺が収まるより早く片端から撃ちぬいていくのだ。
逆に最後尾の撃破は、言わば敵の後方にいきなり障害物を作るようなもので、こちらは敵に安易な後退を許さなくする。不意を突くという意味では、こちらを先にやる方が弾がどちらから飛んできたか認識が遅れる有利もあるが、相手が咄嗟に割り切って全速前進する可能性もある。
まあ結局のところ、両方いっぺんにやってしまうのが一番強いのだ。その為の僚車或いは小隊、中隊編成である。
56口径8.8㎝KwK36L/56、通称アハト・アハト。
この時代のいかなる戦車をも一撃で仕留め得る必殺の牙が、その弾道の特性と優れた帝国製照準器、そして砲手の熟達した職人芸ともいえる驚異的練度によっておそるべき精度を発揮し、T-34を問答無用で吹き飛ばしていく。
前と後ろから一両ずつ潰され、前進も後退もできずに大混乱に陥っているさまは、もはや只の鴨撃ち状態だ。
だが、当然敵も的当ての標的ではない。意思を持った人間だ。仲間がやられている間にも、一両、また一両とどうにか車体の向きを変えることに成功した戦車から、地形の起伏の陰へとに逃げ込んでいく。
ハッチから顔を出して双眼鏡を覗くクラリッサは無表情のまま静かに呟いた。
「敵戦車の正確な数は9両でしたか」
懐から取り出した懐中時計を開く。
現在時刻、0920。
「……あと、3時間程度」
自分たちの勝利条件を改めて確認したクラリッサは、再び敵の動向を双眼鏡で探り始めた。
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