第9話 着任と再会 4
いくつかのやり取りを経た後に、ヴァルター大尉はヴォルフの肩に手を置き、
「着任早々貧乏くじだが無理はするな。分からないことがあれば、ラインフェルト少尉や他の乗員を頼れ」
そう告げると、無線機を触っている女性兵士より大隊本部からの連絡を告げられ、そちらの対応へと回った。
作戦上、今この場所ではこれといって他に打ち合わせることもなかったので、ヴォルフとクラリッサは民家を出て歩き出す。それぞれにあてがわれた民家へと向かい、防寒服等を着込み、その他出撃の準備をするためだ。ヴォルフの手荷物は司令部で命令受領している間にヴァイスマンが自室まで持って行ってくれるとのことだった。
「一つ聞きたいんだが、いいかな?」
「なんでしょうか?」
背筋をピンと伸ばした姿勢のいい立ち姿で、ヴォルフを先導していたクラリッサがこちらを振り返る。
「ああ、いや、歩きながらで大丈夫だ。その、不快に思ったなら申し訳ないんだが……」
「なぜ、女性が最前線にいるのか、でしょうか?」
察しのいい娘だ、と思いつつ、ヴォルフは歩き出そうとしたのをやめてクラリッサを観察する。
相変わらずの人形のような大人びた無表情。声音も視線も、特に不快感を感じているようには見えないが、顔を合わせてまだ半日も経っていないヴォルフには、単に変化が分からないだけかもしれない。
しかし、そんな不安をも見透かすかのようにクラリッサはヴォルフをまっすぐに見つめたまま答える。
「クラナッハ少尉は、国防女子予備隊をご存じですか?」
「ああ、知っている」
「私は、元は国防女子予備隊出身です。序列上は貴方が上となりますので、私は指揮下に入ります」
現在帝国は女性の社会進出を歓迎していない。”女性は家を守り、子を産み、育てることこそが至上の役目である”という、要するに父権的な社会を理想としているのだ。
その是非はともかくとして、国の政策の数々にもその考えは浸透しており、国民の一般的価値観としてもさして珍しいものではない。
だが、その一方で長引く戦争は慢性的な人手不足を招くようになり、女性の権利を主張する人々の根強い運動もあって、女性もまた軍需産業の工場と言った場所で働くようになりつつある。
そう言った産業と同様に人手不足に陥りつつあるのが、国防という任務において必然的に消耗される軍人だ。国防女子予備隊とは、その穴埋めを行うために女性もまた、軍の任務へと身を投じるために作られた組織である。
「しかし、女子予備隊は戦闘部隊には配属されないはずだが……」
国防女子予備隊は、軍人と同じ業務に携わるとはいえ、それは通信や看護等の後方業務的なものがほとんどだ。
そもそも正規の軍人としての立場も微妙なものである以上、その立場や処遇を明確にする法制度がしっかり整わないことには、色々な形で弊害が起こり得ることは誰にでも予想できる。
例えば、戦死或いは再起不能の重傷を負ったならその保証は正規軍人と同じなのか? 戦果を上げたなら勲章は授与されるのか? ―――等々。
「はい。しかしいずれ人手不足の極致に陥れば、女性を軍に編入する必要があるかもしれないという考えを持つ人や、女性の権利を主張する活動家へのアピールとして、一部の国防女子予備隊を正規軍の戦闘部隊に試験的に編入することとなりました」
「その1人が君であると? もしかして、さっきの家にいた通信兵の女性も?」
「はい。ローザ・リヒター伍長も私と同じです。彼女の場合は私とは違い、あくまでも通信兵及び衛生兵としてではありますが」
「驚いたな。その口ぶりだと、他にも?」
「この部隊以外に、近傍に同じように配属された女性がいるとは聞いたことはありませんが、この中隊にはあと2人います。1人は現在修理中のティーガー414号車の車長。もう一人は中隊本部に」
「そうか……」
つまり、自身が率いる戦車隊には、おそらく帝国国防軍史上初の女性車長が二人もいるということだ。
別にヴォルフは思想に凝り固まったような人物ではないが、女性の権利を声高に主張するフェミニストというわけでもない。あくまで中庸だ。
それでも、”なぜ女性の戦車長が我が軍にいるのか”というのは疑問を抱いて当然の事象である。
―――長年の疑問がようやく解けたな。
内心、ヴォルフはようやく得心がついた。目の前にいる銀髪の女性機甲士官、クラリッサ・ラインフェルト少尉が何者であるかはずっと自分なりに調べていたが、一向に情報がなかったのだ。
女性の戦車乗り、それもティーガーの戦車長なんて、宣伝の広告塔に真っ先に使われそうなのにも関わらず、まったく無名の存在。
もしや女性のような外見と声の男性だったのかとも思ったこともあったが、流石に杞憂であったということだ。
なるほど、いろいろ複雑な事情が絡んだ末に、国が仕方なく自らの掲げていた理念に反する行為に出ざるを得なかったわけで、だからこそ彼女のような存在はあまり公にならないように伏せられていたというわけだ。少尉の階級章をつけているにもかかわらず、小隊長でない理由もそのあたりが関係しているのだろう。
どちらからということなく二人は再び歩き出す。あまり長いこと立ち話をしている時間はない。
「不安ですか? 本来の階級の権限より制限されているとはいえ、機甲士官としての一通りの教育は戦車隊への配属が決まった時点で受けてまいりましたが」
まっすぐにヴォルフを見据えて言うクラリッサ。不満そう―――というよりは、そう思われるのも仕方ないと言いたげなのは、ヴォルフもなんとなくではあるが、彼女の人形のような表情から読み取ることができた。
それがおかしくて、ヴォルフはくすくすと笑いだす。
陸軍において花形である戦車隊、それも精鋭が集う特務戦車大隊に配属されたということは、さぞかし政策推進者たちに期待されてのことだろう。選抜も単なる希望で通ったとは考えにくい。よほど相応の評価を配属訓練の頃から積み上げていた可能性も十分にある。
だが、それ以上にヴォルフは彼女の実力を良く知っている。その実力を疑うつもりは毛頭なかった。
「不安だなんてとんでもない。むしろ初陣の同僚が君だなんて、心強い限りだよ」
「……なぜでしょう?」
小首を傾げたクラリッサをヴォルフは振り返る。仕草の愛らしさの割に無表情。それを"本当に可愛らしいお人形のようだな"と思いながらヴォルフは笑った。
「君は覚えていないかもしれないが……君は、俺の命の恩人なんだよ」
●
数十分後。白の防寒服を軍服の上に着込み、ベルトからは地図ケースを下げたクラリッサは、自らの愛車であるティーガー412号車へと乗り込んでいた。慣れた手つきで四角い箱型の車体の上によじ登り、軽やかに歩いて自らの特等席たる車長用ハッチ―――キューポラと呼ばれるそれの中へとするりと身を沈める。
「報告を」
「砲手良し」
クラリッサから見てちょうど前、一段低い位置に座っているのは、酒好きでいぶし銀のベテラン砲手、コルベ軍曹。
「操縦手良し」
ここからは見えないが、車体の左側に当たる操縦席に座っているのは、金髪でいたずら好きな中隊最年少の若き操縦手、シュピーラー伍長。
「装填手良し」
巨大な主砲の根元にあたる弾薬を装填する部位、すなわち閉鎖機越しの右側に姿が見えるのは、恰幅も心の広さも大きなちょっと老け顔気味の装填手、へスラー伍長。
「通信手良し」
操縦手同様ここからは見えないが、車体右側に位置するもう一つの座席に座っているだろう、いつもにこにこしている通信手、レーニシュ伍長。
咽喉マイクを付けつつ問えば、男たちの返事が返ってくる。了解、と短く答え、彼女はハッチから顔を出した。
少し遅れて、向かいに停車しているティーガー411号車のキューポラから新任小隊長が顔を出した。それに対し、片手を掲げて準備完了の意思表示を送る。すると新任小隊長は人差し指を立てた手をくるくるとまわして見せた。エンジン始動の合図である。
「操縦手、エンジン始動」
「了解!!」
排気音ともにエンジンが無事に唸り声をあげた。冬場なのですぐにかからないことも多いのだが、あらかじめ暖機運転をしておいたからか、どうやら今日は機嫌がいいらしい。そしてそれは、向かいの411号車も同じのようだ。
「それで車長、行先は?」
「”狐の丘”まで。私たちで小隊長を先導します」
道中はクラリッサの方が詳しい。不測の事態がないとも言えないので、クラリッサの412号車が先導するという取り決めは、戦車に乗る前に決めておいた。
<<フェヒター2、無線に問題ないか?>>
「問題ありません。フェヒター1の無線、簡明良好」
<<了解、”狐の丘”に前進する。フェヒター2、先導を頼む>>
「了解。フェヒター2、前へ」
―――私が命の恩人。なるほど、どこかで見覚えがある顔だとは思いましたが……
クラリッサもはっきりと彼の顔を覚えていたわけではない。戦場で一度偶然巡り合い、ろくに会話することもなく別れただけの関係だ。そんな彼が、新しい小隊長として着任してくる。世の中、不思議なこともあるものだ。
―――誰が小隊長だろうと、私は、私の義務を果たすのみ……
2両のティーガーはエンジンを唸らせ、履帯を軋ませながら前進を開始した。
●
「―――出発したか」
大隊本部とのやり取りを終えたちょうどその時、履帯が鳴る音とエンジン音が聞こえてきて、ヴァルター大尉は窓に歩み寄って外を見やった。列になって前進していく2両のティーガーが見える。
本当はしっかり見送りたかったのだが、状況が状況だ。大隊本部の無線もタイミングが悪い。
ティーガーの戦闘能力は紛れもなく世界最強。圧倒的攻撃力と破格の防御性能は折り紙付きであり、他国の戦車を寄せ付けないのは事実。さらに乗員は選び抜かれた精鋭のみが搭乗を許されるという、ある意味とても贅沢な装備だ。
しかし、連邦軍はその質の差を圧倒的物量でカバーしにかかってくる。それに、すでにティーガーが他の戦線において敵に鹵獲されたという情報も極秘ながら入ってきている。連邦がティーガー対策を施した戦車を投入するのも、いずれは避けられないこととなるだろう。そうなれば、特務戦車大隊の任務はますます厳しいものとなっていくはずだ。
だから、ヴォルフ・クラナッハにはティーガーの絶対的優位性が維持できている間に、一刻も早く戦車小隊長として成長してもらわなくてはならない。
とはいえ、まさか初っ端の任務からこのような難易度の任務を任せることとなるとはさすがにヴァルター大尉も想定外だったが。
―――俺が代わりに出てやるべきなのかもしれんが……
いや、本部に残したところで、他の中隊との調整等をいきなり行えというのは、ますます無理難題というものだろう。
「頼んだぞラインフェルト少尉」
我が中隊が誇る現時点での最強の切り札。それが如何なく発揮されることを祈りつつ、ヴァルター大尉は最後に一言だけ見送りの言葉をつぶやくと、改めて他部隊との調整に取り掛かった。
「全員、こんなところで死ぬなよ」
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