第8話 着任と再会 3

「よーし、到着」


 ディットリヒがシフトレバーとサイドブレーキを操作し、さらにエンジンを切りながら言う。さすがティーガーの操縦手というべきか、駅から此処に来るだけでも彼の運転は実にスムーズで、特に車の運転というものにこだわりがないヴォルフでも、彼の技量の高さを垣間見ることができた。


「ありがとう、ディットリヒ軍曹。ヴァイスマン伍長も」


「いやいや、お安い御用で。さて……」


 キューベルワーゲンから降り立つ三人に注目が集まっている。


 そりゃあそうだろう。やってきた新しい小隊長―――文字通り、自身の命を預けることとなる相手がどのような人物なのか、気にならないほうがおかしい。


 緊張しながらもヴォルフが口を開こうとするより早く、ディットリヒが一歩進み出て大きな声で言った。


「ようみんな、ちょっと手を止めて聞いてくれ!! こちら、新たに着任されたヴォルフ・クラナッハ少尉だ!! みんな歓迎しろよ!!」


「いや、なんで君が偉そうなんだよ」


 ヴァイスマンが呆れたように言うのを無視して、ディットリヒがヴォルフを振り返り、手で”何か一言あればどうぞ”と促して来る。


 その気遣いに感謝しながら、ヴォルフは作業の手をとめてこちらに注目している男たちに初めての言葉を発した。


「ヴォルフ・クラナッハ少尉だ。まだ22歳の若輩者だが、精一杯務めさせてもらう!! 以後、よろしく頼む!!」


 すると、ぱちぱちと拍手しながら一人の男が———バッヘムが進み出て、コルネリウスがそれに続いて歩いてくる。


「中隊にようこそ、クラナッハ少尉」


 その拍手と一言につられるように、他の者たちも拍手を返してくれた。


「はじめまして、小隊長車砲手のゲオルク・バッヘムだ。こっちは通信手のコルネリウス軍曹」


「よろしく、クラナッハ少尉。パトリック・コルネリウスです」


「こちらこそ、二人ともよろしく」


 三人が握手を交わし終えると、不意にバッヘムが思いついたように言った。


「中隊長に会いに行く前に、少し見ていきますか?」


 そう言いながら親指で背後を———そこに鎮座しているティーガー411号車を示す。

 少しいたずらっぽく笑いながらの問いかけに、視線で”いいんですか?”と問えば、バッヘムはにっこりと笑った。


「少尉殿、キューベルに乗っている間はティーガーに目線がくぎ付けでしたよ? 遠慮はいりません。こいつは貴方の車になるんですからね」


―――よく見ているものだな。


 年上の部下の観察眼に感心しながら、ヴォルフは促されるままティーガーの元へと歩いていく。


 まずは戦車の周囲を一周。さすがに新品同様とはいかないが、しっかりと転輪周りの泥をこそぎ落とした跡が垣間見られる。続いて戦車の上へ。四角い箱型の大きな車体の上へと昇ってみれば、小隊長車の乗員たちもそれに続いて上へと昇る。


 半分にした円柱に近い形状の砲塔から伸びている、既存の戦車よりもはるかに大きな長砲身。その根元は敵の弾を防ぐための装甲板―――防盾によって守られ、武骨なティーガーの印象をより強めていた。


「さあ、少尉の特等席ですよ!!」


 言いながらディットリヒが、砲塔に設けられた車長用のハッチを開ける。

 促されて中に入ってみれば、本来は白で塗装されている車内が薄黒く汚れている。何かと思えば、煤によるものだと気付いた。


「中で暖を取る時にランプを燃やすんです。するとどうしてもこんなふうに汚れてしまうんですよ」


「さすがにこればっかりは仕方ないと許してもらえるとありがたいですね」


 ヴァイスマンが解説し、コルネリウスが肩をすくめる。


 主砲の閉鎖機周辺や、外を見渡すための防弾ガラス———ペリスコープを始めとする重要部位はきちんときれいにされていることから、決して彼らが手抜きをしているわけではないことを感じ取り、ヴォルフはうなずいた。


「戦う上で問題がないならいいさ」


 最後に一通り車内を見渡し、そしてハッチから顔を出す。


———これが、彼女の見ていた景色なんだな。


 Ⅳ号戦車より大きなティーガー。それゆえに車長のハッチから見える景色はだいぶ違って見える。


 しかも、ここから見えるのは養成課程での演習場の景色ではなく、かつて仲間を失って去らざるを得なかった東部戦線。そのことが、今自分は彼女に追い付くための一歩を着実に踏んでいるのだと実感させてくれて、ヴォルフは嬉しくなった。


「どうです? 世界最強の戦車に乗った気分は?」


「うん……最高だな」


 バッヘムの問いは何気ないものだったかもしれないが、ヴォルフは自身の声が興奮で少し上ずっているのが分かった。


「それはよかった」


 バッヘムを始め、小隊長者の乗員たちが微笑む。それは、ティーガーに初めて乗った時の自分たちの興奮を思い出してのことだった。


 武骨に角ばった外見はお世辞にも美しいと言えるものではなく、T-34によって傾斜装甲の実用性が証明された今では古臭さすら感じさせながら、しかし確かな力強さを感じさせる鋼の猛獣。それまでⅢ号戦車やⅣ号戦車、なんならそれらよりも旧式かつ同盟を結んだ外国製である38(t)戦車しか知らなかった彼らがこの絶対王者と顔を合わせた時、誰もが興奮したものだ。”この戦車は、今までのとは格が違う”と。


 その時、ふとヴォルフの視界に”それ”が入ってきた。整備作業を再開した、もう一台のティーガー。その砲塔番号である。


「……412」


「ん? どうかしました?」


 ヴァイスマンが聞いてくるのに対し、ヴォルフは口を開こうとし———そして硬直した。小隊長車の乗員たちは急に黙ったヴォルフに対し、どうしたのかと怪訝そうな視線を寄越すが、彼が何を見つけたのかを察すると納得した。


 ヴォルフの視線の先で、一人の人物がこちらへと歩いてくる。


 きっちりと着こまれた戦車兵の漆黒の軍服。襟に縫い付けられているのは少尉の階級章。現場では外す者が多い中できっちりと結ばれたネクタイが、彼女の几帳面さをうかがわせる。


 頭にはクラッシュキャップを被り、そこからこぼれるように伸ばされた、腰まで届く銀色の髪が美しく輝いている。両サイドの一部を編み込みの様にねじって後ろにやり、ハーフアップにまとめたそれを飾る黒のリボン。乳白色の肌と淡い桜色の頬。そして長いまつ毛に縁どられた、快晴の青空または澄み切った湖を思わせる美しい青の瞳。


 愛嬌のない無表情ではあるが、その造形ゆえに精巧な人形めいた美しさを感じさせる美貌の小柄な女性。


 その大人びた娘の姿を、整備中のティーガー412号車の乗員たちが認めると、”お疲れ様です”とあいさつを交わす。


 それに対し軽く手を掲げ、気にせず作業を続けるよう無言で促しつつ、彼女はヴォルフたちの乗るティーガー411号車の前で踵を揃えて立ち止まった。


 こちらを見上げる吸い込まれそうな二つの青い瞳が、ヴォルフをまっすぐ見つめる。


「ヴォルフ・クラナッハ少尉ですか?」


 小さすぎず、大きすぎない唇から発せられる、非常に聞き取りやすい透き通った涼やかな声。それは、いまだにヴォルフの耳に残り続けるあの日の彼女のものと全く相違なかった。


「もしもしクラナッハ少尉?」


 ディットリヒが目の前で手を振ってくれたことで、ヴォルフはようやく我に返った。小首をかしげてこちらを見つめている彼女に、慌てて返事をする。


「そ、そうです。ヴォルフ・クラナッハ少尉です」


 乗員たちが意味深に視線を交わし合っている。間違いなくいらぬ誤解をされているだろうが、それを気にしている暇は、次に発せられた一言で消し飛んだ。


「私は、ティーガー412号車の車長、クラリッサ・ラインフェルト少尉です。着任早々申し訳ありませんが、直ちに中隊本部へいらしてください。緊急事態につき、取り急ぎお願いします」


「緊急事態?」


 バッヘムが怪訝な表情を浮かべると、彼女は特に声音を変えることなく告げた。


「味方からの救援要請です。411号車、412号車は出撃準備を。弾薬積載と暖機運転まで終わらせて、いつでも出られるようにして待機せよとの中隊長命令です」



「よく来たな、ヴォルフ・クラナッハ少尉。二人とも楽にしろ」


 ダイニングテーブルの上には大きな地図。壁に向かうように置かれた小さな机の上には無線機。その前では緩やかなウェーブがかかった茶色い髪を一つ結びにした女性兵士が腰かけて機材を操作している。壁にはダイニングテーブル上のそれよりさらに広域を描かれた地図が広げられ、暖炉の暖かな光によって照らしだされている。


 ヴォルフと銀の髪の娘を迎えた男は、机を挟んでコーヒーの入ったコップを手にし、椅子に腰かけていた。いかにも武骨な軍人と言った、彫刻の様に彫りの深い強面気味の顔立ちが見つめる先は暖炉の炎だ。


 暖炉の炎に照らされる、左の額から目のあたりまでに走る傷は古参兵であることを如実に語る。単に太っているのとは違う、がっしりとした骨太の体。それを戦車兵の漆黒の軍服で身を包んだ彼は、パチパチと火の粉を時折上げる薪を鋭い眼光で見やりながらもう一杯だけコーヒーを啜り、ゆっくりと立ち上がると二人の方へと体ごと向き直る。


「ようこそ、中隊長のフランツ・ヴァルター大尉だ。以後よろしく頼む」


 机越しにヴォルフと握手を交わした後にその視線が机上の地図へと注がれ、ヴォルフと銀髪の娘の視線もそちらへと向かう。


「歓迎のパーティーと行きたいところだが、あいにくそうはいかなくなった。前線の防衛線が、連邦の戦車隊の一部に抜かれたのだ」


 男―――第502特務戦車大隊第4中隊長、フランツ・ヴァルター大尉は地図の一点を鉛筆で差し示し、街道に沿うようにそれを動かしていく。


「そのうちの一つが辿っているのがこの経路。こいつらの勢力は先鋒だけでもT-34が10両以上。内訳はまだ分からんが、現在敵は街道沿いに分派して前進中。Ⅳ号戦車中隊を中心とする味方が迎撃に向かったが、予想以上に前進速度が速く、遅滞戦闘を展開するので精一杯となっている」


 ヴァルター大尉の説明に対し、ヴォルフと銀髪の娘―――クラリッサ・ラインフェルト少尉は、自前の地図を片手に時折必要だと思われる事項をメモしていく。


「他の敵の先鋒や後続部隊の動きを遮断するために近隣の部隊も動いている。すでに一部は迎撃に成功し、突破口の横への広がりは阻止した。だが、未だ前進を続けている、敵の頭であるこいつら―――敵戦車増強1個小隊規模を抑え込まないことにはどうにもならん。とはいえ、現在足止めをしている連中もそろそろ限界だ。そこで我々の出番だ」


 中隊長は言葉を切り、地図上の丘を指し示す。


「ラインフェルト少尉、以前お前が偵察に行った”狐の丘”、覚えているな?」


「はい、中隊長」


 無表情のまま頷いたクラリッサが地図上のある地点を指差す。ヴァルター大尉は頷き、


「遅滞戦闘中のⅣ号戦車中隊がここに敵の先鋒、増強1個戦車小隊を誘い込む。クラナッハ少尉とラインフェルト少尉はティーガー2両で出撃、Ⅳ号戦車隊と交代して、”狐の丘”一帯で敵を足止めしろ。味方の増援部隊を以って、包囲網を完成させるまでの時間稼ぎだ。今から準備して前進したとして2~3時間後には到着できるだろう。それに対し、敵の先鋒が”狐の丘”に到着するのはおそらく明日の明け方」


 一息ついてから、ヴァルター大尉はヴォルフとクラリッサを見つめて厳かに告げた。


「うちのⅢ号戦車小隊は、歩兵分隊を配属した上で分派した敵の迂回部隊に備えて動く。この中隊が正面戦力として現在使えるのはティーガーが2両のみ。幸い砲撃支援は十分見込めるが、追加の歩兵の到着は、一番手近な部隊に要請してはいるがおそらく間に合わん。戦車自体も頭数があまりに足りないのは重々承知だ。だから半日だ。半日でいいから持たせろ」


 ヴァルター大尉は地図を指し示しながらヴォルフに告げる。


「地形的には、敵が街道沿いに来た場合、少なくとも最初のうちはティーガーの長射程を活かせるはずだ。この最初の不意討ちで何両やれるかでかなり話が変わってくる。仮に戦車2個小隊いるなら、1個小隊くらいは一気に潰すつもりで戦え。取り逃がしたやつにも地形を最大限活用しろ。砲兵隊の火力を使って死角を補え。期待されている持久時間的に、敵が足の遅い歩兵を主体で事態を解決しようとすれば、必然的に敵が時間を浪費してより有利になるはずだ。離脱の時は一気に距離を離してしまえ」


「了解しました、中隊長。最善を尽くします」


 おそらく、実際に地形を確認した上で示してくれた内容をしっかりメモし、ヴォルフは頷いた。


「燃料や必要なものは食事と合わせて送ってやる。何か質問は?」

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