第7話 着任と再会 2
ゲオルク・バッヘム上級軍曹は、中隊に5両配備されているティーガーのうち小隊長車の砲手である。白の防寒着に包まれた恰幅のいい体つきと、年配者としての余裕が感じられる穏やかな表情が印象的な彼だが、開戦のころから戦い続けたベテラン戦車兵だった。かつてはⅢ号戦車の車長として開戦当初の西部戦線を戦ったこともある。
しかし当人としてはどうしても砲手の方が性に合っていて、ティーガー戦車隊配属の際に”砲手になれるなら”となかなか人事担当者が困る条件付けを申し立てるなど、強情な一面も持ち合わせた職人肌の男だ。
彼は火の入っていないパイプをくわえて、愛車の通信手席ハッチの隣に腰かけていた。結婚をきっかけに禁煙を始めて早くも5年。しかしどうにも口元が落ち着かないので、こうしてパイプだけは手放せずにいるのだ。
とある廃村を活動拠点に、彼の所属する戦車隊———第502特務戦車大隊第4中隊は野外整備を現在実施中だった。バッヘムの視線の先では、今まさにもう一台のティーガーが乗員たちによって簡単な整備を受けている。
「よーし、いくぞ。せーの、1、2、1、2」
先端に布を巻いた長大な棒を3人がかりで持ち上げ、主砲の中へと突っ込み、掛け声に合わせてリズムよく前後させる。主砲の砲身内部を掃除しているのだ。
発砲すればその煤やら砲弾が通った後の金属片やらが汚れとして付着し、冬場であれば凍結した水分が氷の膜を作ることもある。それらを除去するのは非常に大事なことだ。命中精度の低下を招く程度ならまだいい方で、下手をすれば弾が変な詰まりを起こしたりして砲身が壊れてしまうこともある。
とはいえ、金属製ブラシなどでゴシゴシやりすぎると、砲身内部の切り溝――――要は弾を回転させて打ち出すライフリングが削れてしまうので、布を巻きつけての手入れがメインだ。
ありとあらゆる戦車を一撃で葬り去る強力無比なティーガーの主砲と言えど、こういったメンテナンスを欠かさず行うことが、戦場で生き残れるかどうかに繋がりかねない。ここからは見えないが、おそらく砲塔内では乗員一名が閉鎖機———砲身の一番後ろにある、砲弾を装填する場所をブラシや油をしみこませた布で整備していることだろう。
「バッヘム上級軍曹、終わりました」
そう言いながら、通信手用ハッチから一人の若者が工具箱とともに顔を出す。神経質そうな顔立ちに眼鏡をかけたその若者は、やれやれといった具合に肩をほぐしながら、少し気難しい表情を浮かべていた。
「どうだ? 何とかなったか?」
「ええ、どうにか。ただ、新品の部品と早めに交換したほうがよさそうです」
言いながら若者———パトリック・コルネリウス伍長はメモを一枚差し出す。眼鏡をかけたその風貌のイメージ通り、彼はいわゆる学者肌である。大学を卒業して技師となる予定だったが、紆余曲折を経て通信兵になった。
この時代の無線機というのは非常に取り扱いが複雑で、高度な専門技能が必要とされる。戦車の搭乗員のうち無線機を取り扱う通信手だけは、いわば他の役職とは全く毛色の違う別部門の専門知識を必要とされる異質な存在だ。ゆえに戦車兵ではなく通信兵から要員が引っ張られていることも多く、コルネリウスもその一人である。
多少気難しいところがあるとはいえ、コルネリウスは任せられた仕事は忠実にこなす男だ。この戦車隊に配属されてからはずっと通信手として小隊長車の無線機を任されており、彼はいつだって自身の無線機を完璧な状態にすることにこだわっている。その整備には一切手抜きがない。それゆえに他の戦車の乗員からも、”無線機でわからないことがあればあいつに聞け”と頼りにされている。
彼もまた、バッヘムと同じく職人気質というわけだ。そういうわけだからか、少し年が離れているがこの2人は非常に気が合うのだった。
バッヘムはメモを受け取り、少し困ったような顔をした。
「……ちょっと待て、こんなにか?」
「ええ。赤鉛筆で書いた奴はそろそろ交換必須、黒字のはまだ余裕はありますけど、できれば」
「赤字の方が多くないか?」
「だいぶガタが来てるんですよ。どうにかこうにか誤魔化してきましたが、そろそろ限界です」
「ふむ……」
パイプを一度咥えなおしてから、バッヘムは仕方ない、といった風にうなずいた。
「了解だ、オスカーの奴には今度俺から頼み込んでおく」
「手に入ります?」
「適当な酒瓶一つでも持ち込んで融通してもらうさ」
メモをポケットにしまいつつ、バッヘムは一息ついた。
「これで、うちの戦車の整備は終わったな。あとは新しい小隊長が来るのを待つだけだが……」
前任の小隊長は決して無能だったわけではない。気難しくて極端なところがあり、人使いが荒く頑固者ではあったが、戦車兵として、車長としてはそれなりに信頼もしていた。
しかし先の戦闘―――1週間前の戦闘で戦車から降り、味方の歩兵分隊長とコンタクトを取ろうとしてる最中、敵の砲弾の直撃を受けてその歩兵分隊全員ともども戦死。
小隊長たちの命を奪った砲弾の雨の中、バッヘムたちのティーガーは無線機が不調になった。咄嗟にバッヘムが車長を代行し、その場をどうにか切り抜けれたのが不幸中の幸いだったと言える。
圧倒的な連邦軍の制圧射撃は他の戦車にも被害をもたらした。一両は運悪く車体後部に砲弾が直撃し、ラジエータが見事にぶっ壊れた。
さらに押し寄せてきた敵部隊との戦闘で、一両は爆弾を抱えた連邦兵に自爆特攻され―――まあ、死をも辞さぬ勇猛果敢だったというより、突っ込んだ相手が単に逃げ遅れただけだが———左の転輪が大きく損傷。
中隊長車は敵戦車5両と壮絶な撃ち合いを演じた結果、そのうちの3両を返り討ちにした代償としてターレットリングが損傷。砲塔旋回が不調になった上、奇跡的にも砲身の中程に敵戦車の砲弾が横から直撃して折れてしまい、せっかくの射撃能力が使い物にならなくなった。
それでも結果的に見れば人的損耗は小隊長だけだったというのだから、そこはティーガーの頑丈さに感謝と言ったところだろう。
しかも敵部隊はちゃんと撃退に成功して任務達成。さらに幸運なことに、自走可能なティーガーでそうではないティーガーを延々と引きずっていく作業はものすごく大変だったが、損傷を受けたティーガーは全車がどうにかこうにか回収され、今は後方の整備部隊が修理を急いでいる。
第502特務戦車大隊第4中隊は、書類上の手違いで大隊に余分に届いてしまったティーガー5両と、それを支援するⅢ号戦車等で編成された部隊だ。第502特務戦車大隊は今年に部隊改編が行われて装備戦車が全てティーガーに一新されたのだが、この際に余分な5両が納品されたのである。元々第502特務戦車大隊だった小隊が抽出されて他の特務戦車大隊が編成されたりと、妙に複雑な人事変更が多かったのも原因の一つだろうか。
ともかく当初は、これらの余剰ティーガーは他の中隊なり大隊本部車両にするなりの処置を取る予定だったのだが、結局は紆余曲折の末に急遽第4中隊を結成することになった。
他には装備改編の際に余った偵察用のⅢ号戦車が5両、後は輸送用のトラックや指揮通信用の装甲ハーフトラック、偵察等に使うキューベルワーゲンがあるだけで、その実態は"ティーガーを運用する中隊"とは程遠いのが現状である。
要するに、本来であれば13両のティーガーとそれを支援する中隊本部を有する強力な中隊である筈が、その実態はティーガー1個小隊に毛が生えた程度でしかないのだ。
解体されて他の中隊に組み込まれてもおかしくないのだが、小規模ゆえに小回りが利く予備戦力、つまるところ便利屋のような形で、様々な戦闘に参加している。
それゆえに他の中隊に比べると今一つ影の薄い部隊であり、先日大隊本部の人事部に小隊長の戦死と補充要員の申請に赴いた時―――窓口の相手が着任してまだ数日の新任だったということもあって、”第4中隊なんてありましたっけ?”と言われたときには中隊長ともどもさすがにがっくりきた。
「新任小隊長、どんな人なんでしょうね?」
「さあな。士官学校での成績はずば抜けたものではなかったらしいが、かといって悪くもなく、といった感じらしい」
「ザ・平凡な人ということですか。とりあえず間に合わせで1人確保して、さっさと部隊を戦線復帰させるために送ってきた、とかそんなんじゃないですよね?」
”人使いの荒いことだ”とコルネリウスがやれやれとため息交じりに言う。
バッヘムはパイプを右手で弄びつつ肩をすくめて苦笑し、
「まあ、そんなことはないだろう。そもそもうちのティーガーは今は2両しか動かないんだぞ? こんな状況で戦えるものかよ」
「Ⅲ号戦車も合わせれば小隊が組めますよ」
「無茶を言うな。せめて長砲身Ⅳ号かⅢ突だったなら、まあ、やれないこともなかったかもしれんが……」
帝国軍初期の快進撃を支えたⅢ号戦車だが、連邦との戦いが始まって以降はすっかり型落ちとなってしまった。そもそも開戦当初の西部戦線ですら、敵の戦車に対し貧弱な装甲と高いとは言えない火力から、本格的戦車戦になると苦戦して大損害を受けることも多かった。その状態がほとんど改善されないままに対峙することになったT-34やKV-1といった連邦軍の新型戦車相手には、攻撃力・防御力・機動力のすべてにおいてほとんど無力だったのである。
西部戦線同様に乗員の練度差と優れた戦術のおかげでどうにか対抗はしたが、装甲と火力という対戦車能力に絶対不可欠な要素を根本的弱点として抱えていては、それも限界がある。
それまでは歩兵の火力支援を重視した短砲身を装備していたⅣ号戦車が、せめて敵を打倒しうる火力だけは持たせようとして、より対戦車戦に優れた長砲身の主砲を搭載するようになったなど、これら連邦新型戦車が帝国軍に与えた影響は大きい。
そんな中でⅢ号戦車は、Ⅳ号戦車のように改造しようにも車体が小柄だったのが仇となってしまい、より強力な主砲を乗せる為に砲塔のない”長砲身装備のⅢ号突撃砲”へと生まれ変わっていくのだが……
ともかく、Ⅲ号戦車は戦力としてはあまりに頼りない。ゆえに実質、今この中隊でまともに敵戦車とやり合えるのはティーガーが2両のみだ。
「でも、うちのスペシャルエースなら単独でも大活躍でしょう?」
「いや、確かにそうかもしれんがな。物事には限度ってものがある。単独出撃なんてリスクの高いこと、早々何回もやらせられるものかよ」
そう言いながら二人が見やるのは、砲身の手入れを終えて履帯の泥落としに入ったもう一両のティーガーだ。
先の戦いでも、次々に仲間たちが何かしらの損傷を受けていく中、唯一全く損傷らしい損傷を受けず、かといって後方に引きこもっていたわけではなく、見事戦い抜いて5両を撃破したその車両の砲塔番号は———
「おっ? 帰ってきたか」
キューベルワーゲンが1台、こちらに向かって走ってくる。若干飛ばし気味なその運転の仕方に見覚えがあった。あれは間違いなく我が戦車の操縦手、ギュンター・ディットリヒ軍曹によるものだ。出発した時は二人だった乗員が三人になっているのを見ると、無事に新任小隊長を拾って帰ってきたらしい。
「下車だパトリック。新しい小隊長を迎えるぞ」
「了解」
戦車から降りるバッヘムに続き、コルネリウスはメガネの位置を直すとハッチから外へと出るのだった。
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