第3話 自費出版社の興亡

 自転車操業というと、

「うまく歯車が絡み合っている時はいいが、それが狂ってくると、どうしようもなくなることになる」

 ということであろう。

 逆にいえば、

「まったく余裕のない状態で回しているので、いつ、歯車が外れるか分からない」

 ということであり、

「これが一種の、バブルが崩壊した理由」

 ということではないだろうか。

 それをどこまで理解しているのかということになるのだろうが、

「遊びの部分がない」

 ということで、はち切れそうになっているということは、まわりから見ていれば、分かりそうなものである。

 それが分からないというのは、

「そもそも、自転車操業だ」

 ということに気づいていないのか、それとも、

「神話を信じ切っているからではないか?」

 ということかも知れない。

「バブルの崩壊」

 ということにおいても、

「数々の神話が崩壊した」

 といってもいいだろう。

 一番大きなものとしては、

「銀行は絶対に潰れることはない」

 と言われたことであった。

 というのは、

「銀行は潰れそうになれば、政府が助ける」

 というような言われ方をしていたからだ。

 しかし、実際には、それもままならない状態になっていた。

 何といっても、どこの銀行も、

「事業を拡大すれば、その分儲かる」

 という、

「正比例の法則」

 というものを、当たり前のように信じていたからである。

 だから銀行は、

「もっと儲かるように、もっとたくさん融資しますよ」

 ということで、利益を少しでも出したいということで、

「過剰融資」

 を持ち掛けるのだ。

 企業としても、

「金はいくらでもあればいい。その分、儲かるのだから」

 と思うことだろう。

 それに、ライバル会社との絡みというのもあったに違いない。

「トップになりたい」

 という気持ちはどの会社にもあるもので、逆に、

「トップでなければ、二番でも、後ろの方でも変わりない」

 と思っているとすれば、

「たくさん融資があればあるほどいい」

 と思うことだろう。

 それが、

「お互いに利害が一致した」

 ということで、過剰融資に対して、疑いを持つということはないのだろう。

 それを思えば、過剰融資が、

「悪いことだ」

 と思う人もいない。

 しかし、これが、企業の命取りになり、

「企業が破綻する」

 ということになると、

「利益部分だけではなく、元本まで返ってこない」

 ということになる。

 そうなると、

「不良債権の山」

 というものを銀行は築くことになり、

「銀行も破綻する」

 ということになってしまうのであった。

 それが、バブル経済において、どうしようもないことの始まりであり、

「歯車が狂う」

 という第一歩だったのだ。

 しかし、それでも、何とか銀行は助かる道を模索した。

 破綻してしまうと、

「貸付」

 だけではなく、市民が預金しているものまで、返ってこないということになり、社会的な大混乱が、リアルに起こるということで、放っておくわけにはいかない大問題となったのであった。

 そこで、銀行が考えたのは、

「吸収合併」

 ということであった。

「力があるところが、救済を必要としている会社を吸収する」

 というものだ。

 もちろん、中には、

「対等合併」

 というのもあるだろうが、しょせんは、吸収合併ということにしかならないということである。

 実際に、吸収合併ということになると、

 潰れかけているとはいえ、その銀行が持っている顧客が、自分たちが入り込めなかった部分であったとすれば、吸収する側も、その利益をもらうことができて、お互いに、悪いことではないということになる。

 それがメリットというもので、

「お互いに、得をする合併であれば、いい」

 ということで、バブル期に、ほとんどの銀行が合併したといってもいいだろう。

「バブル期の銀行名って何だっけ?」

 というくらいに、もう昔の影がなくなってしまった。

 特に、昔の都市銀行というと、

「財閥系」

 というのが多かったが。今では、その財閥の名前を残している銀行は、ほとんどないだろう。

 残っているとすれば、

「合併した会社がそのままつながった」

 というような、

「やたら長い名前」

 ということになるのではないだろうか。

 それを考えると、

「何か滑稽にも思える」

 と、外野は思うだろうが、実際には、

「結構真面目な判断で、その判断は間違っていなかった」

 と、30年経った今では、そう感じることであろう。

 時代はどんどん進んでいき、ここから先、どこに向かうというのか?

「やはり、自転車操業の破綻が、結局は、経済を停滞させる」

 というのは、今も昔も同じことで、その間に、

「インフレやデフレ」

 というものが絡んできて、今の時代であれば、

「円安」

 などという問題が起こり、かつての日本が持っていた、

「超大国」

 ということで、日本企業の大半が世界のトップだったなどというのは、もう幻ということになってしまったのだろう。

 そんな自転車操業であるが、この自費出版社系の会社というのは、

「まず、必要経費として一番大きいのは、いわずと知れた、人件費ということであろう」

 といえるだろう。

 人件費においては、まず、原稿を応募してきた人に対して、

「その作品を読み込んで、評価を下し、さらに、批評をする」

 ということになるだろう。

 その批評というのも、ただ、お世辞を並べるわけではなく、

「最初に、批判的なことを書いておいて、その後に褒めることを書く」

 というのが効果的だ。

「あなたの作品は、ここが残念だが、それを補って余りあるだけの内容が書かれている」

 ということになると、

「落としておいて持ち上げるのだから、そのギャップで、かなりいいことを言われたと感じることであろう」

 さらに、

「褒めるばかりであれば、お世辞にしか聞こえないが、批評が入っていれば、本当に読み込んでくれているということも分かるので、信憑性があり、この人なら、この会社なら信じられる」

 ということになるだろう。

 それを思えば、

「応募者に、会社や担当者を信用させる」

 ということで、成功したといってもいいだろう。

 問題はここからで、

「送り付けた内容の見積書で、いよいよ営業ということになる」

 ということになるのだが、

「決して安い金額ではない」

 ということから、

「まず相手は、すぎには納得するわけもない」

 それをいかに説得するかというのが、ここからの営業としての成果になるわけで、もう一つ言えるのは、

 相手は、出版に関してはまったくの素人だ」

 ということで、

「出版に対しての、すべてのサポートは行う」

 ということであった。

 だから、人によっては、

「アイデアだけでも、本にできます」

 ということで、そこから先のサポートであったり、実際に、文章に起こすということまで、編集者が行うということになる。

 それは、出版という意味では、

「ルール違反ではないか?」

 とも思える、ギリギリの線ではないだろうか?

 実際に、原稿を起こして、作者に見てもらった時、どう感じるかというもの難しいところであろう。

 もっとも、

「代筆量」

 というのは、作者からいただくことになるだろうが、それがいくらほどになるかというのは、実際に分かるものではないといえるだろう。

 小説を出版するまでに、本来であれば、

「きちんとした原稿を本にする」

 というのが当たり前だが、ここは、

「売れる売れない」

 ということよりも、

「いかに製本して、それを、著者に払わせるか?」

 ということが問題なので、

「売れる売れないは、問題ない」

 ということになるのだろう。

 それを考えれば、本当であれば、すぐに、この

「自転車操業」

 のカラクリに気づくのだろうが、それが分からないということは、

「それだけ、世間に対して無知なのか」

 それとも、

「自費出版社系の会社のやり方が巧みなのか?」

 ということになるのであろう。

「出版するまでを二人三脚で行い、さらには、営業も行い。そして、応募原稿には、批評する」

 ということを、一人で果たして、何人を相手にしているのかということを考えると、

「果たして、一人で何人分の仕事をしているのか?」

 と思い知らされるだろう。

 今でいえば、

「相当なブラックだった」

 といえるのではないだろうか?

 実際に、

「本を出したい」

 として、製本の段階にまで進む人は少ないだろうが、実際に、原稿を最初に送り付けてくる人は、相当いるだろう。

 それを考えれば、

「寝る暇ないかも?」

 というほどではないかと、容易に想像がつくというものだ。

 それでも、かなりの社員はいるだろう。

「人件費もバカにならない」

 ということだ。

 その次に罹る必要経費ということで考えられるは、

「宣伝費」

 ではないだろうか。

 この商売で一番必要なのは、

「本を出したい」

 と考える人を一人でも手に入れるということであった。

 そのためには、興味のある人に会社を認知させることが必要であり、何といっても、最初にすることは、

「宣伝をして、こういう会社があるということを、皆に知らせる」

 ということであった。

 文芸雑誌はもちろんのこと、

「新聞や、週刊誌などの宣伝部分に、少しでも入れてもらう」

 ということが大切であった。

 というのも、

「もちろん、認知してもらいたい」

 というのも大切なのだろうが、何よりもそのために、

「これだけ宣伝を載せている会社なので、儲かっているということと、メディアに信用があるということを、見る人に信じ込ませることができる」

 ということが大切だということであろう。

「本を出したい」

 と思っている人とすれば、

「そんな会社があるのか、興味あるな」

 と思っているところに、

「これだけ宣伝が乗っているということは、怪しい会社ではないということだろう」

 と認識することで、安心させるというのが大切なのだ。

 しかも、

「年間発行部数が日本一」

 という実績のある会社もあり、

 それだけで、世間への認知は、

「ハンパではない」

 ということになる。

「新しいジャンルの経営方針」

 ということであり、

「その成功例」

 ということで紹介されるようになれば、

「一石二鳥」

 ところか、

「一石三鳥」

 にも、それ以上にもなるというものであろう。

 それが、宣伝効果というものである。

 さらに経費というと、その他には、事務所の家賃であったり、備品代金であったりと、細かいところはいくらでもあるといってもいいだろう。

 それとは別に、これが一番忘れられている部分ではないかと思うのだが、

「倉庫などの、在庫管理費」

 というものではないだろうか。

 それがどれほどの値段になるのかということは分からないが、

「これは意外と想定外だった」

 ということになるだろう。

 というのは、

 そもそも、筆者に本を出す時の部数として、最低でも、500部くらいは、お願いすることになるだろう。

 しかし、それだけ作っても売れるわけではない。

 そもそも、

「素人の作品をいくら製本したからといって、本屋が置いてくれるわけはない」

 ということは、分かり切っていることである。

 作者としても、

「少しでも売れればそれでいい」

 ということであり、そもそもの目的とすれば、

「本を出したい」

 と思っている人よりも、

「小説家になりたい」

 と思っている人が、

「賞ではなかなかうまくいかない」

 ということで、

「このままなら、自分の作品が表に出ることはない」

 と感じた時、それを何とかしようとして考えることは、

「まず、誰かに見てもらえるように、どこでもいいからおいてもらいたい」

 ということから、この出版社を利用しようと思うのだろう。

 だから、

「売れる売れないは二の次」

 ということになるのだ。

 しかし、現実はそれよりももっと厳しく、

「素人の本を置くわけはない」

 ということになるのだ。

 本屋としても、飽和状態の中で、

「ベテラン作家であっても、数日置けば、それで売れないとなると、返品を食らう」

 というのが関の山である。

 そんな状態なのに、500部作っても、数冊は筆者に渡すとしても、あとの本は、どこかで眠らせておかなければならない。

 それが、在庫という形になり、

「本を出したいという人が増えなければ、自転車操業は回らない」

 ということで、

「本を出したいという人が増えれば増えるほど、在庫も増える」

 ということで、結局、支出部分は、

「本を出したい人を増やす」

 ということで、こちらの経費も当然増えるわけである。

 それを売上との比率で考えると、結局、ギリギリの状態でやっているのであって、

 宣伝費」

 という先行投資が最初に来たわけなので、それを回収して、黒字にもっていくまでには、少なからずの年数が必要だということになるだろう。

 実際に、これらの会社は、すぐに下火になってきたのだから、回収前に、ピークを越えたわけだから、

「破綻した」

 というのも当たり前のことで、

「こちらは、バブルが弾けたわけではなく、バブル状態になる前に下火になり、さらには、そのブラックな部分が、詐欺という形で表に出てきたのだから、どうしようもない」

 ということである。

 本当に一過性のもので、それまで、

「新しい成功例」

 ということで、評論家がほめていたことも、まったく無駄であり、却って。

「自分の良識を下げてしまう」

 ということに繋がったのである。

 数年しか持たなかった、

「自費出版系の会社」

 一時期のブームとして、

「小説家になりたい」

 という人の、

「にわか」

 と呼ばれる部分の人は、

「ほぼいなくなった」

 といってもいいかも知れない。

 中には、

「詐欺にあって、本を出したはいいが、損をしただけで終わった」

 という人は、

「もう、こりごりだ」

 と思っていることだろう。

 何といっても、

「本を出したい」

 というのが、夢だということを身に染みて分かっただろうし、その額は、人作品で、

「数十万から、数百万」

 という単位なので、

「詐欺だ」

 といっても、値段的にはいいレベルである。

 中には、

「詐欺ではない」

 という人もいるかも知れないが、結果として、

「小説家になれるかなれないか」

 という曖昧なことで、これだけの大金を使うほどの気持ちにさせたのだから、

「成功していれば、確かに、素晴らしい商法だ」

 ということになるだろうが、実際には、

「失敗して、お金を使わせている」

 ということになるのだから、

「実質的な詐欺だ」

 といってもいいのではないだろうか?

 そういうことで、今は、

「小説界も一段落している」

 といってもいいかも知れない。

 しかし、この、

「詐欺騒動」

 があってからというもの、今度は傾向が変わり、

「ネット小説」

 というものが主流になってきたといってもいいだろう。

「投稿サイト」

 というものが出てきたわけで、それは、

「スマホの普及」

 とともに、文字を拡大できるポータブル端末」

 ということで、

「無料、有料にかかわらずの投稿サイトに投降する人が増えてきたのだった」

 実際に、一番人気のサイトでは、

「異世界ファンタジー作家」

 というような、若者向けのサイトが人気を博しているようで、

「小説のジャンル」

 というのも、いろいろ変わってきたといってもいいのではないだろうか。

 これは、逆に、

「紙媒体」

 というものがなくなってきたということである。

 それは、

「出版界に限らず、会社でも、必要書類も、パソコンで作成し、それをメールなどで送付する」

 というのが主流になってきている。

 また、ビデオや、音楽などと言った作品も、

「ネット販売」

 つまりは、

「配信」

 という売上が増えてきているのであった。

 それだけ、配信ということであれば、

「劣化する」

 ということもなく、何といっても、

「場所を取ることもない」

 ということである。

 そもそも、昔のビデオなどは、最大でも十時間ちょっとしか録画ができないので、それ以上となると、本数が増えてくるというものであった。

 だから、

「ビデオ鑑賞が趣味」

 ということで、テレビからのダビングをして、個人で楽しんでいた人は、部屋の中は、

「ビデオでいっぱい」

 ということになっているのではないだろうか?

 だから、時代とともに、

「軽量化」

 であったり、

「小型化」

 というものが急務であり、

「DVD」

 になり、今では、

「月額いくらで、いくらでも見ることができる」

 という状態になったのであった。

 それが、

「ネット配信」

 として、

「スマホがあれば、他はいらない」

 という時代になってきたのだ。

 つまりは、

「テレビもパソコンも持っていない」

 という若者も多いだろう。

 ただ。小説執筆に関しては。そうもいかない。

 小説を書く場合に、いくらスマホのパイピングが早いといっても、

「パソコンにはかなわない」

 ということであろう。

 それを思えば、

「パソコンは、どうしても必要」

 ということになるだろう。

 だが、これは逆にいえば、

「本当にパソコンを必要とする、仕事であったり、趣味というものがないと、スマホだけで十分だ」

 といえるであろう。

 だから、

「スマホだけでいいのであれば、スマホを数台持つ」

 という人もいる。

 その数台で、それぞれにやりたいことをやっている人も多く、それが、

「今という新しい時代になっている」

 といってもいいだろう。

 そういう意味では、逆に、

「小説家になりたい」

 と思っている人がいるとすれば、それは、

「ネットの世界で、誰でも見ることができる」

 ということで、

「プロの目に触れる」

 という可能性は高まったかも知れない。

 しかし、

「もう騙されたない」

 と思う人は、

「もう誰も信じない」

 と思っていることだろう。

 そんな中で、

「対になる」

 という、

「ライバルの投稿サイトがあった」

 そこは、それぞれ、無料投稿サイトであったが、他の無料投稿サイトに比べれば、

「二大巨頭」

 といってもいいくらいに、とびぬけているところであった。

 というのは、

「それぞれに強み」

 というのがあったのだ。

 というのは、

「片方には、前述の異世界ファンタジーと呼ばれるようなジャンルでは、他に類を見ない」

 と呼ばれるほどのところで、

「もう片方は、バックに控えている、親会社が、有名出版社」

 ということであった、

 こちらの方は、、それまでの出版社として築いてきた基本部分があり、そこからの進出ということになるので、その力は結構強いものであろう。

 それぞれに、強みを持っていることから、他のサイトは、完全に押されてしまう。

 人気面でも、バックの強さでもかなうということはない。

 それを考えると、

「他のサイトは、眼中にない」

 という利用者も多いだろう。

 ただ。それでもまだ続いているのは、

「今まで入会してくれた会員がいる」

 という考えからなのか、

「ブームが変わって。違うジャンルが人気を博すと、今の異世界ファンタジーに頼っているところは、衰退するかも知れない」

 という考えがあってのことなのか分からない。

 それともう一つとすれば、

「利用者の目的の違い」

 ということであろうか?

「編集者の人の目に触れたい」

 ということであれば、あれだけ人気のあるところでは、

「1分に数作品が一気に投稿する」

 ということになり、

「あっという間に、埋もれてしまう」

 ということであれば、少々名が通っている人でないと、注目されるわけもない。

 つまりは、

「一日に数作品」

 というくらいの作品数でなければ、他の人の目にも止まらないということだ。

 確かに、見に来ている人も少ないだろうから、可能性は低いが、

「マッハのスピードで埋もれてしまう」

 というサイトに比べれば。

「まだ可能性としては高いのではないだろうか?」

 といえるだろう。

 それを思えば。

「無料投稿サイト」

 というところは、なかなかどこにするかによって、作戦が変わってくるといってもいいだろう。

 それを考えれば、

「自費出版社系」

 の会社で、

「プロの作家になりたい」

 と考えたとすれば、同じことが言えるのではないだろうか?

 というのも、

「人気があって、発行部数が日本一」

 というところであれば、

「毎日のように、数冊の本が発行されるわけなので、その中の本で誰が自分の本を手に取ってくれるか?」

 ということである。

 しかも、

「その出版社以外の本を、本屋が置くとは思えない」

 といえる。

 その出版社は、

「有名本屋以外でも、自分のところで、自前の本屋を持っていて、そこでは、喫茶コーナーであったり、その奥には、スタッフがいて、

「本を出したい」

 という人の相談に乗るスペースを持っていた李するのだ。

 しかも、週末になれば、

「出版キャンペーン」

 というようなものを催していて、そこでいろいろイベントを開催することで、たくさんの人が来てくれるということから、

「自分の本を見てもらえる可能性もある」

 ということになるだろう。

「しょせん、砂漠で金を探すようなものだ」

 ということであり、低い可能性に賭けるのだから、まずは、

「どれだけ見てくれそうな可能性があるか?」

 ということから始まるのであった。

 ただ、本を出したい人の中には、本来であれば、

「記念に」

 と思っている人もいるだろう。

 そういう人は、以前からある自費出版として、

「数十冊くらいの本を作り、無料で自分の知人にあげる」

 という人もいるだろう。

 また、販売するとしても、

「フリーマーケット」

 のようなところに出品し、

「販売員は自分」

 ということで、別の意味で、楽しめるという人もいるだろう。

 何といっても、

「自分で書いた本を、自分で販売する」

 というのは楽しいものだ。

「無料で知人に配る」

 というのでもいいと思っているのであれば、

「知らない人が買ってくれるかどうか?」

 と考えた方が楽しいだろう。

 ひょっとすると、

「詐欺に引っかかってしまった人のほとんどは、もう本なんか出したくはない」

 と考えているだろうが、

「フリーマーケットでの販売」

 くらいであれば、

「これは楽しい」

 と思う人も多いことだろう。

 それを考えると、

「最初から、こっちでいけばよかった」

 と思うのだろうが、その時代に、

「フリーマーケットで本を販売」

 というのがあったかどうかである。

 もっとも、マンガなどで、

「同人誌による販売」

 というのが昔からあったということで、実際に、販売している人もいたわけなので、自分の本を売るという発想がないわけではなかっただろう。

 逆に、

「自費出版」

 というのが、センセーショナルな人気があったことで、目が見えなくなっていたのかも知れない」

 そういう意味で、

「詐欺というのは、実に社会問題を引き起こし、罪深いものではないだろうか?」

 といえるのだった。

 そういう意味で、残っているところに登録し、小説を書き続けている人もいる。

 投稿サイトというのは、たいていのところが、その基準はあまく、

「多重投稿あり」

 としているところも少なく無いようだ・

 というのは、

「同じ作品を複数の投稿サイトで公開しても構わない」

 ということである。

 これが、応募作品であれば、

「まるで常識」

 と言わんばかりに、

「一つの応募作品を、他の応募と同じように出してはいけない」

 というのは、マナーの上でも当たり前だということになるだろう。

 何といっても、他と自分のところで同じように出していて、

「万が一、どちらにも入賞すればどうなるということか」

 である、

 入選作品は、賞金とともに、

「出版社との作家としての契約ができる」

 ということであれば、

「あっちでも入選しているじゃないか?」

 ということで揉める原因になる。

 だから、出版社としても、そういうトラブルを起こしたくないので、

「多重投稿は不可」

 としているのだ。

 やはり、

「モラルに欠ける」

 というのは当たり前のことで、

「もし、この出版社と契約をしたのに、他の方が、条件がいい」

 などということで、一方的に契約を破棄するという人も出てくるかも知れない。

 どこまで、

「作家にモラルがあるか?」

 ということは、人によってさまざまであろうが、

「作家という、個人事業主」

 という感覚で、見ると、会社に所属している人から見れば、

「あまり、モラルはないだろう」

 と思われるに違いない。

 それを考えると、

「作家というのは信用できない」

 ということになるかも知れない。

 一応、出版社の方では、

「先生」

 といって、おだてはするだろうが、立場的には、

「金を払う方が絶対的に強い」

 ということで、出版社の方が強いのだ。

 だから、出版社が、

「右といえば、右」

 でしかないということである。

 問題は、出版社と作家が契約するまでは、作家は自由なので、作家が強いかも知れないが、

「契約をしてしまうと、そこで売買契約も成立するわけで、そこから先は、出版社が強い関係にある」

 ということになるのは分かり切っているのだろうが、それを果たして作家が分かっているかということである。

 それまでのおだてをそのまま引きずって、

「俺は作家の先生なんだ」

 と思っていると、いずれすべてを否定され、

「あいつは傲慢だ」

 ということで、どこからも嫌われ、

「契約しよう」

 というところはどこもなくなってしまうということになるだろう。

 そんな状態になると、

「作家としての寿命は尽きた」

 といってもいいかも知れない。


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