第3話 落ちこぼれ

 今日最後の授業が終わって、あたしは机に突っ伏した。

「疲れたあ~」

「海野さん、小テストどうだった?」

 隣の席の木戸さんが、話しかけてきたので、顔を上げる。


「サイアク。用語がなかなか覚えられなくて、変な汗止まんない」

「だよね。医療用語って、どうしてあんなに難しいんだろう」


 木戸さんも疲れた顔をしている。

 明日からGWだからか、教室は解放されたエネルギーで満ちている。

 でも、あたしはもうぐったりで、弾けさせるエネルギーなんて残っていない。


「咳を医学用語でいうと――」

「あー、さっき書けなかったんだよ」

咳嗽がいそう。読めないし、書けないよね」

「そうだよ。咳を『がい』って読むなんて知らなかったし、嗽の方なんて見たこともなかったよ」

「あたしも。あれね、訓読みだと『くちすすぐ』とか『うがい』になるんだって」

「うがいって、漢字あったんだ。難しい言葉使わなくてもさ、咳で良くない?」

 木戸さんは力いっぱい頷いた。


 HRで担任からGWの過ごし方の注意を受けて、木戸さんと一緒に教室を出た。


「GWはどうするの? どこか行くの?」

「中学のときの友達と遊ぶ約束してるけど、それだけ」

「じゃあさ、一緒に勉強しない?」

「えー勉強?」

「だって、医療用語の時間は毎回テストあるんだよ。頑張って覚えなきゃ」

「うん。わかってるけど」

「考えておいてよ」

「うん。わかった」


 それじゃあね、と駐輪場で木戸さんと別れる。あたしは電車、木戸さんは自転車。

 木戸さんはたまたま席が隣になって、話をするようになった。


 あたしが通っていた中学からこの高校に進学したのは三人。看護科はあたし一人だった。

 クラスに知っている人が誰もいないのは寂しいけれど、姉のことを知られていないから、過ごしやすくはある。


 先生たちは知っているみたいだけど、誰も何も言ってこない。姉の話題には触れないように、気を遣われている感じはするけど。


 中3の七月に姉を亡くし、九月の二学期登校すると、可哀想な子を見る目を向けられた。

 中学をとっくに卒業していても、優秀な姉を知っている生徒がたくさんいた。その子たちによって、お姉ちゃんっ子だったあたしのことを噂していたらしい。


 子供にとって家族が死ぬのは他人事で、その不幸に出遭ってしまった子をどう扱えばいいのか、わからなかったんだろう。


 同情の目で見られるのも嫌だったし、ひそひそと何かを言われるのも嫌だった。

 今までと同じ扱いをしてくれればいいのに、煩わしい視線のせいで卒業まで落ち着かなかった。


 高校では同じ苗字からバレるんじゃないかと、少し気を張って登校したけど、幸いにも大丈夫だった。

 話をする木戸さんにも、あたしに姉がいたことは話していない。

 深い話をするほど、まだ仲良くはなっていないから。


 それに、木戸さんはすごく真面目な子だから、悲しませるんじゃないかと思うと、気が重くてとても話せない。

 落ちこぼれのあたしに、「勉強すごく難しいよね」と同調してくれる。


 入学からまだ一カ月なのに、あたしはすでに授業についていけなくなっていた。

 一般科目はまだ大丈夫だけど、看護系の勉強が大変だった。

 覚えるだけのことができなくて、四苦八苦。

 日本語なのに、読めない書けない。

 ここに英語や略語も出てくるんだから、訳がわからない。

 他に、骨や体の部位、筋肉など、覚えることがもうたくさん。

 受験勉強よりもつらい。


 木戸さんから一緒に勉強しようと誘われたけど、休日は忘れてゆっくりしたいと思っていた。


 やっぱり、お姉ちゃんみたいにはいかないな。向いてないのかな。

 あたしはあまりにも早過ぎる挫折を味わっていた。

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