第2話 大好きなお姉ちゃん

「麻帆。私のいちごあげる」

「いいの? お姉ちゃん大好き」


 チョコレートケーキもショートケーキも食べたくて、迷っていたら、お姉ちゃんはチョコレートケーキの上に大きなイチゴを乗せてくれた。


「汐里は優しいね」

 ママに褒められても、お姉ちゃんは「そんなんじゃないの」と首を振る。

「麻帆の嬉しそうな顔を見るのが、私の幸せなの」


 食べながらお姉ちゃんを見ると、にこにこしていた。

「ついてるよ」

 口の端についたチョコレートを、指ですくってぱくりと食べた。

「美味しいね」

「うん!」

 お姉ちゃんの笑顔を見ると、あたしも嬉しくなった。


 ママとパパは、お休みの日以外は忙しい。帰宅は夜8時を回る。

 でも両親の不在を、寂しいと思ったことはなかった。

 いつもお姉ちゃんがいてくれたから。


 あたしとお姉ちゃんは四歳離れている。

 生まれた時からお姉ちゃんがいて、あたしはひとりぼっちを経験したことがない。

 お姉ちゃんが親代わりだった。


 食事中、口の周りが汚れていたら、拭いてくれるのはお姉ちゃんだった。

 食べたいお菓子を先に選ばせてくれた。半分こするといつも大きい方をくれた。


 たくさん公園に連れて行ってもらった。家でもたくさん遊んでもらった。

 お絵描き、おままごと、積み木、絵本、いろいろ。


 共働きの両親より、お姉ちゃんとの思い出がほとんどだった。


 たくさん甘やかしてくれたけど、叱られるときももちろんある。

 イタズラが過ぎた時や、道路で安全確認をせずに飛び出した時。遊んでいた友達にバカって言った時。借りた物を返さなかった時。

 お姉ちゃんは怖い顔でダメって叱る。


 怒った顔が怖くて泣いて逃げた。

 でも少し時間がたつとお姉ちゃんはもう怒っていなくて、おいでって言ってくれる。

 叱られたことをすっかり忘れて、お姉ちゃんにハグしてもらった。


 お姉ちゃんが小学校の高学年になると、料理をしてくれるようになった。

 混ぜるだけのカラフルおにぎりや親子丼、カレーライスやクリームシチュー。

 箱の裏や、料理サイトを見て、丁寧に計りながら作ってくれた。

 

 あたしが大きくなると、一緒に作るようになった。

 お姉ちゃんは中学生になっても計りを使うけど、あたしは目分量でぱっと作るタイプだった。


「美味しい、とっても美味しいよ。麻帆はお料理が上手ね」

 褒めてくれるのが嬉しくて、あたしは料理に打ち込むようになった。


 お姉ちゃんは、料理があまり得意じゃなかった。

 学校の勉強はずっとトップだし、作文コンクールで優勝したり、中2の秋から一年間、生徒会長をしていたり。

 友だちもとても多くて、「汐里ちゃんはすごいね」とよく言われていた。


 どこにいっても褒められる、自慢の姉だった。

 優秀なお姉ちゃんにあたしが唯一勝てることが、料理とお菓子作りだった。

 人からすごいねと言われるお姉ちゃんに「すごいね。美味しいね」と言われることが、お姉ちゃんに美味しい顔をしてもらうことが、楽しみだった。


 もう、その顔を見ることは、できなくなった。 

 お姉ちゃんはいない。

 料理をしても、お菓子を作っても、食べてくれない。褒めてくれない。美味しい顔をしてくれない。

 写真の中のお姉ちゃんは、笑っている。けれど動かない。

 全部全部あたしのせいだ。

 あたしの浅はかな行動が招いた、姉の死だった。


 両親は一週間休んだ後、今までの生活に戻った。朝から仕事に行き、夜に帰ってくる。

 あたしは夏休み中だから、学校はない。

 家で一人。ひとりぼっち。


 お姉ちゃんのいない家は夏なのに冷え切っていて、寒い。

 少しの物音が怖く思えるほど、静まり返っていた。

 寂しくて、お姉ちゃんの部屋で毎日を過ごした。


 お姉ちゃんの部屋は、きれいに整頓されている。

 本棚には看護用語辞典や、看護学の教科書が並んでいた。

 高校の看護科に通っていて、今は看護専攻科の四年生だった。


 教科書を手に取って、中を見てみる。

 書いてあることはちんぷんかんぷんだけど、書き込みがあって、お姉ちゃんを感じられた。


「あたしのせいで、無駄になっちゃった」

 

 お姉ちゃんがどうして看護師さんを目指していたのか、あたしは知らない。

 ママが歯科衛生士さんだから、どこかで影響を受けていたのかな。

 お姉ちゃんは優しいから、人の役に立ちたいとか考えていたのかな。


 お姉ちゃん、ごめんなさい。

 夢を奪って、ごめんなさい。

 お姉ちゃんになら、呪い殺されてもいいよ。


 十日間、お姉ちゃんの部屋にずっと引きこもっていたら、ママとパパに心配された。

 今回のことは麻帆のせいじゃないから、元気になって欲しいと諭された。

 お風呂に入れられた。仕方がないから体を洗ってお湯につかったら、さっぱりした。それがとても申し訳なく思えた。


 ママが作ってくれたお粥を食べた。柔らかいお米と卵が優しくて、美味しいと感じられて、あたしは泣いた。

 お姉ちゃんは食べられないのにあたしは食べられる。それが申し訳なくて、あたしは泣きながらお粥を食べた。


 数時間後に吐き戻してしまったけど、ママは諦めずに、毎日あたしが食べられそうな物を買ったり、作ったりしてくれた。

 吐き戻しをしなくなって、お腹が満たされる。

 毎日体を洗い流す。

 人間らしい生活を送ると、姉への罪悪感は抱えたまま、でも前向きな気持ちも芽生えてきた。


「あたし、看護科受ける」

 来年の高校受験、元からお姉ちゃんと同じ高校を受けるつもりだった。調理科に行くつもりだったけど、看護科を目指すことにした。

 二人は驚いていたけど、お姉ちゃんと同じ道を進むことを喜んでくれた。


 お姉ちゃんの部屋で勉強した。すごくわかりやすいノートのお陰で成績は上がり、本物の桜が咲く前に、サクラが咲いた。

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