二度目のお別れまであと・・・

衿乃 光希

第一部 海野 麻帆

第1話 夏の海

 夏の雨は大嫌い。

 つらい記憶を掘り越してくるから。


 でも傘は差さない。

 与えられた罰は、受けなければいけないから。


 あたしのせいで死んだ姉を、忘れてはいけない、忘れたくない。


 十字架を背負わせる夏の雨。

 しとどに濡れた全身を震わせ歩く。

 胸の前で仏花を抱えて。





第1話 夏の海

「海だーーーー!」

 パパの運転する車は街中を抜け出して、海岸沿いの道路に出た。

 目の前に広がる大海原。

 遠い向こうで、抜けるような空とひとつになる。


「窓開けてもいい?」

 家族の返事も待たずに窓を開けた。潮風が頬を撫でていく。

「気持ちいいー」

 かすかな磯の匂いがして、今年も大好きな海に来たんだって、嬉しくなった。


 駐車場に車を止めて、パパがスライドドアを開けた瞬間、

「麻帆! ダメだよ!」

 お姉ちゃんから待ったがかかった。


「飛び出したらダメ。ゆっくり降りて」

「えー」


 目の前には白い砂浜

 寄せては返す青い海。

 カラフルなビーチパラソルやテント。

 楽しそうな歓声が、耳を打つ。

 大好きがいっぱい広がっていて、うずうずとわくわくが止まらない。


「早く、早く行こうよ」

 この海水浴場には幼稚園にいる頃から家族で来ている。慣れた所なのに、お姉ちゃんはすごく慎重だ。

 あたしはもう中学三年生になっているのに、お姉ちゃんはまだ子供扱いする。

 まったく、心配しすぎだよ。


「麻帆、荷物持って」

「持ってるよ」

「自分の荷物だけじゃないの。ほら、パパを手伝って」


 運転席から降りて、後ろのハッチを開けたパパは、クーラーボックスを下ろしていた。

「ええ。重たいよお」

 ビーチまで走って行きたいのに、クーラーボックスなんてあったら早く走れない。


「麻帆。頼んだわよー」

 そう言うママは、大きなビーチバッグを二つ提げていた。

 大きなハットとサングラスで顔を隠しているから、近所の人が見たらママだってきっとわからない。


「手伝ってくれるのか? じゃあこれな」

 自分の着替えが入っているリュックを背負って、しぶしぶパパの横に行くと、小さいほうのクーラーボックスを渡された。


 中にはゼリーとプリン、チョコ菓子と今朝ママとお姉ちゃんと三人で握ったおにぎりが保冷剤と一緒に入っている。


 パパはドリンクが入っている大きなクーラーボックスを肩から提げて、テントや浮き輪などの遊び道具が入ったバッグも持った。


 お姉ちゃんもリュックを背負って、ビーチバッグを提げている。


「先に行くよ」

 駐車場から浜に向かう階段に向かう。

「慌てちゃだめだよ」

 お姉ちゃんからの忠告は、海風に流されて、あまりよく聞こえない。


 階段を駆け下り、残り三段になったところでジャンプした。砂浜に着地。

「あっつ」

 ビーチサンダルに入り込んだ砂が、想像以上に熱かった。びっくりして倒れ込み、手を付いた階段も熱かった。


 一人でうぎゃっと暴れていると、追いついてきた家族が笑っていた。

「それ、毎年やってる」

「そんなことないよ」


 お姉ちゃんに反抗してみせたけど、記憶にあるので声は小さくなる。


「ほら、手を貸して」

 差し出された手を取る、と見せかけて、お姉ちゃんの腕に抱きついた。


「あ、ちょっと」

 慌てるお姉ちゃんがおもしろくて、猫がするみたいに両腕でぎゅっと挟んだ。


「歩きにくいから、それに暑いよ」

 お姉ちゃんは本気で嫌がってない。だから腕にしがみついたまま、砂浜を歩いた。


「よーし。ここを拠点とする」

 振り返ると、パパが立ち止まって、荷物を下ろしていた。


 砂浜を浅く掘り、ポップアップテントを広げる。

 熱い砂の上に直接置くと、座ったとき熱いに決まってる。だけどほんの少し掘るだけで熱がましになる。パパから教えてもらった。


 テントの中はひんやりしている。クーラーボックスを置いて、服を脱いだ。水着は家から着てきた。


「準備運動始めるぞ」

 海に走って行こうと思ったら、パパが先に制してきた。

 準備運動なんてしなくても平気なのに。

 仕方なくえっちらおっちら腕を回し、足の筋肉を伸ばして、体をほぐす。


「よーし。気をつけて遊ぶんだぞ」

 パパからの許可が下りると、

「わーい」

 あたしはビーサンを投げ飛ばして、海に向かって走った。



 お昼過ぎ、海の家で焼きそばとかラーメンを食べて、夕方になる前にかき氷を食べようねと、パパとママと約束した。


 お姉ちゃんに日焼け止めを塗り直してって言われて塗ったあと、パパが空気を入れてくれたアヒルの浮き輪に乗って、また海に繰り出した。


 ぷかぷか浮いて波に任せていると、気持ちがいい。

 頭にしがみついてぼんやりしていると、突然傾き、海に滑り落ちた。

 びっくりしてアヒルにしがみつくと、


「ごめんごめん」

 茶髪で日焼けしたお兄さんが、近くで笑っていた。

「ひろき、気をつけたげなよ」

「お前のコントロールが悪いんだろ」

 ビキニのお姉さんとボール遊びをしていたみたい。


 朝に比べて人がかなり増えていた。

 さっきみたいにぶつかっちゃうと嫌だから、離れよう。

 バタ足でアヒルを押して、人の少ない大きな岩の近くを目指した。


「よいしょ」

 良さそうなところに来たから、泳ぐのはやめてアヒルにまたがる。

 快適快適。


 しばらくぷかぷか浮かんでいると、「麻帆!」と呼ばれた気がして、首を動かした。

「え?」

 お姉ちゃんが泳いでくる。そのお姉ちゃんと浜との距離見て、思っていた以上に自分が浜から離れているのに気がついた。


 お姉ちゃんはすぐに追いつき、アヒルに手を乗せた。

「流されるの、気づかなかったの?」

「うん。目つぶってた」

「危ないから、戻ろう。お姉ちゃんが押してあげるから」


 アヒルを少し回転させて、沖に向いていたあたしの体は、浜と並行になる。

「行くよ」

「浜は向こうだよ」

「あっちはダメなの。大丈夫だから、お姉ちゃんに任せて」


 そう言って、浜と並行になるように泳ぎだす。


 お姉ちゃんにだけ泳がせているのは悪い気がして、何度か「あたしも泳ぐよ」と言ってみたけど、お姉ちゃんは「乗ってなさい」と言う。

 すごく頑張ってくれているけど、なかなか浜に近づかない。


「お姉ちゃん!」

 気になって見下ろすと、お姉ちゃんがアヒルにしがみついていた。顔を歪めて、すごく苦しそう。

「足が、つった」

「ええ?! 大丈夫? お姉ちゃんが乗って」


 アヒルから滑り降りて、海の中のお姉ちゃんの体を支えた。

 ひどく不安定で、浮き輪に乗せられない。

 お姉ちゃんの手は、アヒルをうまく捕まえられないみたいで、何度も滑って、必死にしがみつこうしていた。


 ヤバいかも。

 海が怖いと思ったのは初めてだった。

 楽しくて、良い思い出しかない場所だったのに。


 早く戻ろう。

 アヒルにしがみついたまま、浜に向かって泳ぎだした。


 泳いでも泳いでも流されている気がする。

「麻帆‥‥‥ダメ‥‥‥」

 お姉ちゃんの声が弱々しい。早く、もっと頑張って泳がないと。


「あっ!」

 波でバランスを崩して、浮き輪がひっくり返る。

 手が離れた瞬間、アヒルは波にさらわれた。


 しがみつくものがなくなって、不安が増した。

「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

 必死で立ち泳ぎをして、お姉ちゃんの姿を探した。

 近くにお姉ちゃんの姿は見当たらない。


 何度か塩水を飲んだ。ゲホゲホとむせる。苦しい。

 苦しくてもがく。

 もがけばもがくほど、体がどんどん沈んでいく気がした。


 ふいに、体が軽くなった。

「お姉ちゃん!」

 下からお姉ちゃんが支えてくれた。


「良かった。お姉ちゃん大丈夫?」

 うんうんと頷くけれど、お姉ちゃんの顔は苦しそうだった。

 黙って浜を指差す。

「泳ぐんだね。わかった。一緒に泳ごう」


 お姉ちゃんがいてくれるなら、平気だ。怖くない。

 互いに体を支えあいながら、懸命に波を蹴り、波をかいた。


 どれくらいの時間泳いでいたのかわからない。けれど、あたしとお姉ちゃんは、なんとか足が着く地点に辿り着いた。


「お姉ちゃん‥‥‥やった‥‥‥やったよ」

 ぜいぜいと激しく息を吸い込み吐き出す。振り返ろうとして、体がひきずられた。


「お姉ちゃん?」

 そこにはうつぶせで倒れ込む、お姉ちゃんの姿があった。

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