花文字(rewrited for KAKUYOMU contest 10)
柑橘
花文字(rewrited ver)
ここに一つのスケッチブックがある。開くとどのページにもびっしりと可憐な花々が書き込まれていて、そのいくつかは我が家の庭で実際に見つけることが可能だ。逆に、いくつかの花は世界のどこにも存在しない。真贋織り交ざった花々は、スケッチブックの中で咲き乱れている。
このスケッチブックは僕の祖母の遺品だ。
祖母の印象というものは恐ろしく薄い。というのも、祖母が亡くなってしまったのは十何年も前、僕が3つのときのことなのだ。だから僕の祖母の印象はほぼ全てが祖父からの伝聞をもとに作られている。
祖父は祖母の話をするとき、いつも祖母のことを「あれ」と呼ぶ。ちょっとどうかと思う横柄さだけど、祖父が過去家長として絶大な権力を発揮して我が家にとんでもない悪政を敷いていたかというとそうでもないらしく、父によると祖母が生きていた頃にはずっと「由紀子さん」と下の名前で丁寧に呼びかけていたらしい。珍しいほどのおしどり夫婦だったとも聞く。なんで祖父が祖母の死後に呼び方を変えたのか、祖母の早逝を恨んでのことか、それとも妻の名前を口に出しても誰も来ないことが悲しいからか、真相は知りようがない。どうせ直接聞いても教えてくれないだろう。祖父が祖母に呼びかける声の調子や二人の雰囲気というものは、祖母の死と同時に永遠に失われてしまった。
「あれは」と祖父は言い、「記憶力がずば抜けていてな」と言う。僕はもう何度聞いたか分からない同じ話に対してにっこりと頷き、記憶力の良かった祖母にまつわる祖父の記憶はどうやら年々欠落している。
祖母は超記憶能力者だったのだろうと思う。祖父の話を真に受けるのならば。祖母のもの覚えの良さとして祖父が挙げるエピソード、台所の調味料や食器棚にある無数の食器の配列を完全に覚えていたという話や、初対面の人の名前どころか生年月日や会った日付までをもすぐに覚えてその後もずっと記憶していたという話、祖父の顔の皺の本数を正確に覚えていたという話はどれも若干常軌を逸している。「成長期だね」と中学校の頃の父に声をかけて、父が家の柱で身長を測ってみたらひと月前の健康診断からちょうど1cmだけ伸びていたなんて逸話もある。確かに中学生の平均成長率は高々10cm/年くらいだから、ひと月に1cmというのは目覚ましい成長と言えるだろう。だけれど普通の場合は、3cmとか4cmとか、もうちょっとぐっと背が伸びて、あらあんたいつの間にか私の背を越したのねなんてことになって初めて気づくものだ。毎日生活している相手の細かな差分を見つけることは難しい。恐らく祖母の頭の中には日々の父の姿がスナップショットのように完璧に保存されていて、それと差分を取っていたのではないかと僕は予想する。祖父母宅の写真は、どの時期に撮られたものを見ても室内の様子が全く変わっていない。時間の経過を感じさせないほどの整理整頓は祖母の一種の愛情表現だったのかもしれず、祖母が亡くなってからも祖父はどうにか家の中をそれまで通りに保ち続けようとしたみたいだけど、やっぱり全てが元のままというわけにはいかなかった。祖母が亡くなってから、祖父母宅の乱雑度は時間に対して概ね単調に増加していって、祖母の痕跡はここでもやはり失われ続けている。
ところで人が覚えていられるものごとには限りがある。USBに保存できるデータには限りがあるように。限りがあるからこそ僕たちは出来事を短期記憶と長期記憶に割り振って、短期記憶の方はすぐに忘れてしまう。目に入る一瞬一瞬の何もかもを覚えてしまうという状況は試験前の学生にとっては望ましいかもしれないけど、よくよく考えると恐ろしい。良くて発狂、悪い場合は脳が壊れてしまうだろう。だから超記憶能力者と呼ばれる人々は、皆独自の記憶の整理法を持っている。たいていは覚えた物事を別のものに紐づけて、できあがった別のものを無意識の領域に沈めてしまうのだ。たとえば記憶を脳内の架空の図書館に本のように仕舞うとか、あるいは架空の都市のキャラクターとして割り振るとか。記憶を外部領域へ排出するって手もあって、外国の誰だったかな、有名な人で生涯架空の動物を描いていた超記憶能力者がいたはずだ。奇妙に捩れたその動物の一つ一つをインタビュアーが指さすと、その人は即座に人名だったり、出来事だったり、紐づけられた事象を答えたという。
祖母の描いていた花々は、そういった類の外付け記憶媒体だったのではないかと僕は睨んでいる。もちろん僕は祖母ではないから、花を見ても綺麗だなぁくらいしか特段思うことはない。しかし形態で分類したり、凄い暗号解読装置に放り込んだりしたら、花々から祖母の記憶が、日記が復元されるってことはあってもおかしくないのではないか。そう考えると、スケッチブックに実在しない花がかなりの割合で含まれていることもそれっぽい証拠のような気がしてくる。
もちろん、単に祖父が言うように「あれは花が好きだったんだよ」ってことかもしれない。祖母は単にちょっと記憶力の優れた普通の人だったって可能性だって大いにある。そして、実際の祖母がどうであったにせよ、祖父にとって祖母は「超」が付くような変わった存在ではなく、単なる一人の、たった一人の愛する妻だった。
いま僕は真っ白な花を見ている。祖母が亡くなる前に最後に描いたらしい花を見ている。ここに何が込められていたのかは知りようがなく、それでも勝手に何かを読み出すことは可能だ。「この子は賢い子になる」と1歳の僕を見て祖母は断言したそうだが、賢い人間になれたかはともかく、小難しい理屈をこねくり回すのが好きな人間にはなってしまったという自覚がある。だから僕がここから読み出すお話は当然祖父母の生活とは全く異なったものになるだろう。記録の中にいる祖父母が庭あたりににょっきり生えた僕の頓智気な空想を目にして、ちょっと目を丸くしてから笑いあっているような、そんな様子を想像するのは楽しい。
僕は祖父から譲り受けたスケッチブックのページを、かつて祖父がしていたように、そしてかつては祖母がそうしていたかもしれないように、そっと撫でる。真白な花に指先で触れて、お話を読み出し始める。
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王国があった。遥か昔のことである。
五方を山々に囲まれていた。四方ではなく五方であり、5つの山頂を結ぶとちょうど正五角形のようになっていた。
正五角形の頂点をひとつ飛ばしに結んでいくと、内部に別の正五角形が現れる。だから、と言い切ってよいものかは分からないが、正五角形を為す山脈の内側に造られた王国の城壁もまた正五角形であり、王国の中心に位置した王城もまた正五角形をしていて、王城の壁には、そして王城に掲げられた国旗には、正五角形の紋様が刻まれていた。よくよく見るとその紋様は単なる正五角形ではなくて、五角形の内部に何やら別の細かいモチーフが散りばめられていた。実のところ、それは紋様ではなく、一つの文字であった。
これから語るのはこの一文字が何を意味するのかということであり、それは即ち王国の来歴を語ることに等しい。
王国はその地理的特徴から他者の侵攻を受けず、それゆえに自らがどこかに槍を向けるということもなかった。城壁はあくまで鹿とか猪とかの獣が辺縁の農地を荒らさないようにしつらえられた素朴なもので、実態としては壁というよりも柵に近かった。そもそも柵に突っ込んでくるほど気性の荒い獣は存在せず、人々もやはりおしなべて穏やかで、穏やかな生物が生まれやすい土地だったということかもしれない。
人々は争いを好まず、自分のテリトリーを無理に拡げようとはしなかった。ひたすら何かの内部を充実させることにだけ興味を向けた。生活に一番近いところでは家の中を綺麗な小物で装飾することに熱中し、流行を受けて王国内の石材加工や焼き物一般の技術水準はかなりの上昇を見せた。織物もまた親しまれたが、これは布を織るという行為に織り木枠の内部を糸で満たすという意味を見出していたからだろう。
このようになんだか超然とした人々だったから、王国はそこまでの人口を抱えていなかった。人々はそれなりに間隔をあけて暮らし、それなりにご近所付き合いをして、それなりに恋に落ち、それなりに子を為した。人口はほぼ横ばいで推移し、どこか人間味が希薄であった人々の欠落した人間性がために、かえって人間の住みよい環境が維持されているような趣があった。
何かをとりあえず詰め込めばよしとせず、配置にまで、配置にこそこだわるのが人々の特質だった。こだわりの強さは人間らしさの表れのように思えるが、実態としては数理的なパターンに沿った配置が好まれ、好きなものをとにかく収集するのではなく、理想的な配置から逆算的に必要な要素を淡々と買い揃えるような無機質さがあった。織物においても、花とか小鳥とか自然らしい可愛いモチーフはあまり好まれず、いくつかのパターンの繰り返しからなるような図形的な意匠が好まれた。数学に滅法強い人々だったということかもしれず、単に皆身の回りのものにあまり執着しない性質だったということかもしれない。幾何はとにかく好まれた。
当然、幾何の中でも特に平面充填にまつわる諸論が発達した。
平面充填。タイリングとも呼ばれる。要するに床をタイルで敷き詰めるだけのお話なのだが、これが意外に奥が深い。
一番素直なところでいくと、長方形のタイル1種類だけで床はどこまでも敷き詰められる。正方形でもよく、平行四辺形でも良い。ついでに言えば平行四辺形をその対角線でかち割ると相同な2個の三角形が出てきて、そういうわけで適当な三角形1種類だけでも床は敷き詰められる。
正方形のタイルで床を敷き詰めたとき、どの場所を見てもなんとなく同じ模様をしているのが分かる。このように、ざっくり言ってしまうと同じ模様の場所が複数箇所現れるようなタイルの貼り方を周期的タイリングと呼ぶ。素朴で想像しやすいのは良いのだが、何やら単純すぎる気もしてくる。
まして幾何を日頃から手に取っていじっている王国の人々にとって、周期的タイリングは簡素で退屈なものに見えた。そういうわけで、非周期的タイリングの探索が開始された。
偶然にも時を同じくして持ち上がっていたのが王国内の街路を石畳にするという計画で、上で述べた通り王国内では石細工の高需要が慢性的に続いていたため腕の立つ石工は何人もいたのだが、問題はどのように石材を敷き詰めるのかということだった。
周期的タイリングでは、ある地点の模様が別の地点にも出現する。これは王城周囲の模様が他の場所にも出現しうるということを意味しており、ちょっといただけない。そういうわけで都市計画の方面からも非周期的タイリングの探索は強力に後押しされ、そうして一つの図案が発見された。それは2種類の菱形タイルから構成され、正五角形を基調に考案されたタイリングであり、ただ1か所だけ回転対称性の中心となる点があった。王国の図形的特徴から生まれ、それゆえに王国を敷き詰めるに最もふさわしい性質を備えた平面充填形の名はペンローズ・タイル。およそ何百年も後にイギリスの物理学者が発見することとなるタイリングである。
王国によって発見されたのは、正確に言えばペンローズ・タイルの中でもP3と呼ばれる種類のものだった。恐らく「ペンローズ・タイル」で検索して真っ先に出てくるのがこのP3であり、その中心はちょうど桜の花のような形をしている。
桜の花は1/5回転ずつ回転操作を施すと元の形と重なり、また花の中心と5枚の花びらのうちどれか1つの頂点を結んで直線を引くと、花はその直線に関して左右対称となっている。ペンローズ・タイルについても同じことがいえ、専門用語では
こうして王国は大小2種類の菱形によって表面を覆われ、大きな菱形には白磁の如く白くつややかな石材が、小さな菱形には飴色の少しざらざらと毛羽だっているような石材がそれぞれ用いられた。もうちょっとあるんじゃないと思うほど地味な色合いだったが、実際に配置してみると思いの外優雅で上品な風合いとなっていて、素朴な街の景色ともよく調和していた。晴れの日には飴色の小菱形の上でちりちりと反射した光が真白の大菱形のまるい表面でさらに跳ねっ返ったりして視覚的に楽しく、しかし人々が楽しみ愛でたのはもっぱら配置の妙のみであった。
王国全土に石畳を敷くこの事業は、当然王国内で行うことのできる最大規模のタイリングであった。王国内においては物理的に行いうる最大の充填であり、上限であり、行き詰まりであった。
しからば領土を広げ国を拡充するのだ、とは当然ならず、代わりに人々は次のような問いを考えた。
最大の充填は実現された。では、最小の充填とは?
物理世界における試みに限界を感じた人々が次に手を伸ばしたのは文学の分野である。文学といっても叙情的な詩を詠んで美麗な書体で書きつけるような方向性ではなく、ひたすら情報の圧縮に関心を持った。もともと何かの内部の充実を好む人々である。心にうつりゆくよしなしごとをとりあえず書いていくのではなしに、この大きさの紙にどれほどの内容を記せるかということを最初から意識して書くスタイルが取られた。禁欲的な性情が見える気もするし、単にそういうのが好きな人たちだったのだなぁという気もする。
表現上の技巧などは気にかけられず、むしろ文の滑りを悪くしてでも文章の長さあたりの情報を増やそうとした。「昨日、私は先生に会いました」を「昨日、私会先生」に縮めるような操作ばかりが研究され、そのうち「昨、会先」「き、あせ」くらいのレベルにまで省略されて、流石にこれは意味不明だねなんてことになることもあった。
意外なことに定型詩が発達した。しかしこれは「定型を共有しているという情報によって文章に字面以上の意味を付加できないか」という動機の上に流行したものであり、言っていることは「和歌を読解するときは古今和歌集とかも参照するよね」みたいな話と概ね同じだが、どこか風情というものが致命的に欠けていた。
これまた意外なことに、手紙に花の絵を添えることも流行った。しかしこれもまた花から連想される言葉をそのまま書くよりも花の絵だけを描いた方が面積当たりの情報量が多いという身も蓋もない理由によるもので、そのうち花の絵ではなく花の名前の頭文字だけを表記するような事態になり、頭文字をつなげて新たな文章にして文章に二重の意味を持たせ始めたあたりで流石に実用性が限りなくゼロに近くなった。しかし良いこともあって、ここに来てようやく草花の性情を細かに観察することを覚えた人々は、王国の周りを囲む森の中で王国に近い側にだけ特別多く咲く花があることに気付いた。雑草のようにも見えるその花は、けれども小さく可憐で、なにより5つの花弁を有し、色は王国を覆う大菱形と同じくやわらかな真白であった。それでこの小柄な花は国花として採用される運びとなった。
文章において長さあたりの情報量を最大化するにはどうすればよいか。王国の歴史の後半、人々はずっとこの問いに取り組み続けていた。
花から言葉への変換など特定の変換規則を噛ませるやり方は、変換規則を記したぶ厚い本を用意しなければならない時点で総合的に見ると結局効率化できていないような感じがある。特定の変換規則を施せば無限に相異なる文を吐き出し続ける文などがあればまた話も変わってくるのだろうが、そういうのは酒の席で与太として話すからこそ面白いのであって、実装を議論するには馬鹿らしすぎる。そもそも無限の文というのは総体として何も言っていないのと同じな気もする。文字種が限定されている以上は高々有限個の文しか生成できないじゃんというもっともな指摘もある。
「そう、まず文字が問題なんじゃない?」
との指摘を行ったのは王女である。何代目かは分からない。
「現実的な話として、私たちが使ってる表音文字よりも表意文字を採用した方が単位文章量あたりの情報量は確実に増大するわよ」
と言い、
「象形文字が良いでしょうね。形がそのまま意味を規定するから」
と言い、
「できれば形から音も分かるようにしたいけど、それは難しいでしょうし。何個か基底となる文字を作って、それらの読みが分かるような文字を更に別個作るのはどう?」
と言った。
それを受けて側近の一人がこう言った。
「姫さまが今最後におっしゃったような文字、その一文字だけを作れば事足りますまいか」
王女はぱちくりと瞬きをし、それからにっこりと笑った。
王国最後の大事業が開始された瞬間だった。
その文字は一番外側に正五角形の囲いを持つ。国構えの五角形版と思ってもらえれば良い。「国」という文字の国構えの部分が国の外郭を示しているのと同じく、この五角形も国の形を示している。五角形の中心には「王」を意味する文字があり、周囲には5つの別個の文字が等間隔に配置され、そしてその他の文字はペンローズ・タイルの要領で敷き詰められている。種々の文字を裡に収納した一文字は、その一文字だけで王国の地図を表している。
以下複雑を避けるために、全体としての一文字を「大文字」、大文字の中に散りばめられた文字たちを「小文字」と呼ぶことにする。大文字は小文字の配置と小文字の形そのものを利用して、小文字それぞれの読みを規定している。即ち大文字はその一文字だけでいろは歌のような機能をも果たしていた。
ところでペンローズ・タイルには回転対称性がある。正五角形にも当然回転対称性がある。しからば大文字に1/5回転を施せば何が現れるのか。
まず時計回りに1/5回転させると、小文字たちは位置はそのまま姿だけを変える。「十」を1/8回転させると「×」になり、一方「×」を1/8回転させると「十」になる。これと似たようなことがいくつもの小文字で起こっていると思ってくれればよい。アンビグラムの一種とも言える。アンビグラムは既存の文字に回転を施すが、この小文字らは皆回転を前提に設計されたものであり、それゆえに無理ない形で見事に姿を変えた。
時計回り1/5回転の後に現れたのは王室の家系にまつわる説明である。時計回り2/5回転を施すと王国の建国神話が現れる。時計回り3/5回転を施すと王国の食生活や風俗、文化にまつわる簡素な紹介文が現れる。時計回り4/5回転を施すと先の石畳施行事業に関わった人々の功績と名が現れる。時計回り5/5回転して、1回転してもとに戻る。1回転のうちに現れた5つの文章をまとめると、ちょうど今までここで述べてきたことと概ね一致する。
出来上がった大文字は無地であった国旗の上から刺繍され、王城の壁にも刻まれた。上述の通り王城もまた正五角形であったから、5つの壁にそれぞれ1/5回転ずつ角度が異なる大文字が5つ刻まれた。
ひらめく国旗に文字を読み取るには、大文字の中身はあまりにもごちゃごちゃとしすぎており、人々にはただの五角形にしか見えなかった。王女についても事情は同じで、「一応できたっちゃできたけど」と彼女は首を傾げる。
「せっかく作った小文字たちも複雑すぎて日常使いはできないし。読めば分かる作りになってはいるけれど、本当に読み取ってくれる人がいるかは別問題よね」
年老いた国王は鷹揚に笑みを浮かべ、
「でも」
と言った。
「いつか誰かが読み取ってくれると想像することは愉快じゃないかね」
王女は一瞬あっけに取られた顔をして、それから吹き出して、王の居室には2人の愉快そうな笑い声が響いた。
こうして、一文字だけで膨大な情報を含む魔法じみた文字の設計事業はここに終わりを迎え、王国内の未解決問題にもようやく解が与えられた。
最小の充填とは何か?
一文字に全てを込めることである。
ところで、国旗に紋章が追加されていることは口数少ない人々の間でも話題となり、あれはすごい文字であるのだ、なるほどあれが、と二言三言言葉を交わした後に、はて、あれをどう呼べばよいのかという問題に思い至った。
「やべっ」と王女は言った。大文字は自身が包含する小文字たちの発音規則は定めていたものの、肝心の自分自身の読みについては一切定めていなかったのである。大文字の中に大文字を書くという応急処置が考えられたが、そうすると大文字の中に書かれた大文字の中にもやはり大文字を書かねばならなくなり、大文字の中に書かれた大文字の中に書かれた大文字についてもやはり同様で、案は即座に却下された。
側近の一人が「この国の名を読みとすれば良いのでは」と発言し、その後全員が自分たちの王国に名がないことを初めて認識して、王城内は一時騒然となった。他国が周囲にない以上、確かに自国の名前を定義する積極的な必要性はありはしないが、それにしたって今更気付くのかという話である。人々は超然としているというよりかは単に抜けていただけなのかもしれなかった。
皆がうんうん唸り、一人が額の汗を拭うためにハンカチを取り出した。
「ねぇそのハンカチ」
見せて、と言うより先に王女はつかつかとその一人のもとへと歩み寄り、彼がおろおろするのを気にも留めずにハンカチの一箇所を指さした。皆が息を呑んだ。薄緑のハンカチの上に刺繍されていたのは真白の可憐な花。王国の国花であった。
「決めた」
と王女は言い、
「この花の名をわが国の名とします」
と言い、
「わが国の名をこの文字の読みとします」
と言った。
こうして国旗に記された巨大な一字は、国の名を示し、真に国の全てを現す文字となった。文字が国であり、国が文字であった。
人々は同じモチーフを手元の布にも縫い付けたがったが、文字は複雑すぎて小さく刺繍することが不可能であった。そこで人々は代わりに正五角形の枠を縫い取り、その内部に小さな花をあしらった。
正五角形の内部には正五角形が現れる。これと同じことがペンローズ・タイルについても言え、敷き詰められたペンローズ・タイルに特定の操作を施すと元のものよりも小さなペンローズ・タイルが現れる。このような性質を自己相似的であると言うが、正五角形とペンローズ・タイルからなるこの王国もやはり自己相似的であった。
正五角形の城壁の内には正五角形の王城があり、正五角形の王城には正五角形の文字が刻まれている。
国内はペンローズ・タイルで覆われ、ペンローズ・タイルで覆われた国内の情報を圧縮して有している一文字もやはりペンローズ・タイル的に配置された小文字たちで埋め尽くされている。
ここに最小単位から最大単位まで連続する相似の連鎖は結実を見た。そうして、これでおしまいであった。
王国はゆるやかに人口を減らし、ゆるやかな減少が続いたために急速に滅びた。常に何かの内部を充実させてきた人々が終に埋めうるものを失ったということかもしれず、単に社会が老いたということかもしれなかった。
滅びた、と言うからには最後の世代がいたはずである。最後に残った何人かがどうしたのか、森を抜けて新天地を目指したのか、最後までこの地に留まってこの地で朽ちたのか、はっきりとした事実は分からない。
無人となった王国では石畳だけが残り、やがてそれらも風化して、あるものはひび割れ、あるものは風に吹かれて剝がれ飛び、あるものは下から押し上げる雑草に負けてめくれ裏返った。石畳がその秩序と面影を無くしたころ、王国の跡地にはあの可憐な花が群生していた。花の名だけが王国を唯一伝えるものであったが、花に付けられた名を知るものは最早誰一人としていなかった。花の名を読みとする、王国の全てを包含した一文字も、とっくの昔に失われていた。城壁はただばらばらに砕け、国旗は細かな線維にほどけて、花々の足元に散逸した。
やがてこの花畑も森に浸食され、王国の名残は完全に消え去ってしまうのだろう。
蝶がひらひらと舞い、花の一つにとまった。それからしばらくして別の花の方へと飛び去った。かすかな衝撃で花弁が揺れた。
王国が滅びて、幾度目かの春だった。
花文字(rewrited for KAKUYOMU contest 10) 柑橘 @sudachi_1106
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