Bon appetit

黒本聖南

◆◆◆

 星影ほしかげ柄杓ひしゃくの養父・星影北斗ほくとは、料理が得意な男だった。


 富裕層が多く住む土地に三階建ての広い一軒家を構え、家事のほとんどを通いの家政婦に任せられるほどに裕福な家であったが、料理だけは北斗自ら行っている。家政婦はもちろん、養子たる柄杓が料理をすることは許されていない。


 望まれているのは、食べること。


 今夜も星影家のテーブルには、北斗が作った料理が並んでいる。星柄の深い皿によそわれたビーフシチューに、切り分けられたバケット、ドレッシングの掛かったサラダに熱々のグラタン。どれもこれも、レストランで出されるものと遜色ない出来だ。


「待たせたね、柄杓」


 笑みを浮かべながらそう口にするなり、北斗はぱちんと指を鳴らした。するとどこからか、スプーンとフォークが飛んできて、北斗と柄杓の手元に着地していく。どれも綺麗に揃えられていた。

 テーブルの上に置かれていた水差しが、誰も手を触れていないのに独りでに浮かび上がり、北斗と柄杓のグラスに水を注いだ。

 ついさっきまで茶色掛かった瞳をしていた北斗の瞳は、今や赤く染まっている。──魔法を使っている間は、そうなるのだ。

 星影家は魔法使いの家。その富も、魔法によって築かれたもの。現代を生きる魔法使いは、養子との食事の時間を何より楽しみにしていた。


「さあどうぞ、召し上がれ」

「……っ」


 楕円型のテーブルの、端と端に向かい合わせに座る北斗と柄杓。北斗から話し掛けられても、柄杓は返事をしない。

 できないのだ。

 柄杓の顔は青ざめ、流れる汗で眼鏡の位置が若干ずれている。十代半ばの成長途中の身体は小刻みに震えており、俯きがちに見つめる先には、北斗の作った美味しそうな料理があった。

 柄杓はそれが、怖くて堪らない。


「柄杓、遠慮しなくていいんだ。食べ盛りなんだから、もりもり食べてくれ」

「……ぁ、ぁ……」

「僕の作った料理を、君が食べる。この時間が何よりの楽しみなんだよ。……柄杓はそんな僕の楽しみを、邪魔するのかい?」

「……っ!」


 一段低い声音で紡がれたその言葉に、柄杓の肩が派手に跳ねた。


「食べておくれ、柄杓。それが僕の望みだよ」

「………………は、い」


 嫌だ。

 柄杓の顔には、はっきりとそう書かれている。北斗の目にもそれは見えていただろう。それでも、食べないなどという選択が、この食卓で許されているわけもなく。

 いくらか手間取りながら、柄杓はスプーンを手に取り、ビーフシチューを一口分すくった。


「あ……ああっ……」


 怯えた声をもらしながら、ゆっくり、ゆっくり、スプーンを口へと運んでいき──瞼を閉じて、一息に喉へと流し込む。


「ほら、もっと」

「……っ」


 瞼は閉じたまま、震える指で何度も、ビーフシチューを口に運んでいく。

 二回、三回、四回と。

 北斗の朗らかな笑い声が柄杓の耳に届き、そのタイミングで彼は、空いた手を口元に持ってきて、盛大に咳き込んだ。


「すまないね、急かし過ぎたようだ。水でも飲んだらどうだい」

「……」


 手を、口から離す。

 口内に残っていたビーフシチューがいくらか掌に付着していた。それに混じって──赤色もそこにある。

 鉄錆の味が、ビーフシチューの味を打ち消していく。

 しばし柄杓は、自分の手の汚れを呆然と眺めた後、膝の上に置いていたナプキンで手を拭うと、傍に置いてあるグラスを手に取り、ゆすぐように水を口に含んだ。

 グラスの水は、ただの水。

 何の味も付いていないことに安堵するも、「今度はグラタンを食べてみなさい。エビグラタンにしてみたんだ」と養父に言われ、すぐに顔を曇らせる。

 食べたくない。

 だが食べなければ、叱責される。そんな不義理な者を養子に迎えたわけではないと、北斗は笑みを消して、料理を柄杓の口の中へと詰め込んでいく。柄杓に抵抗はできない。魔法で手足を動かなくされるのだ。

 その時間は柄杓にとって何よりの恐怖。

 動けなくされた上で──毒の混入された料理を口の中に詰め込まれるなど、どんな拷問か。

 息をする間もなく食事をさせられるよりは、無理矢理にでも自分で喉に流し込む方がまだマシだと、柄杓はグラタンへと手を伸ばし、口に運んで間もなく、机に突っ伏した。


「悶えるほど美味しいのかい?」

「……ぐ、ぁ」

「柄杓」

「……と、とっ……とて、も、おいし……で……」

「それは良かった、どんどん食べてくれ」


 時折、食べたものと一緒に口から血を溢しながら、柄杓は手掴みで食事を続けていく。北斗は満面の笑みを浮かべて、柄杓を見つめていた。

 ──星影北斗は料理が得意だ。

 そして、他人が毒で苦しむ姿を見るのが何より好きだった。

 庭で毒草を育て、独自ルートで毒薬を調達し、そうして集めた毒を、自前の料理に混ぜて、他人に食べさせる。

 それで他人が死のうが後遺症が残ろうがどうでも良く、生きようともがき苦しみ、願い虚しく息絶える様を眺めるのが、楽しくて楽しくて仕方なかった。

 北斗にはこれまで三人の妻がいた。親族に紹介されて娶った妻達であり、家の存続の為に必要な女達だったが、彼女達にも当然ながら毒を盛り、さんざん苦しめて、全員死なせてしまった。

 三人目の妻が亡くなった時点で、北斗の齢は五十を過ぎていた。まだ子供を望める年齢ではあったが、親族は嫁ではなく養子を彼に与える。

 何か察する所があったのかもしれない。養子たる柄杓は、これまで幾度も毒を盛られてきたが、どれだけ苦しむことになろうとも、死ぬことはなかった。毒に対して少しは耐性があるらしい。

 それでも、苦しいものは苦しいのだ。


「ああ、今日も綺麗に食べてくれたね」


 テーブルの上の皿が空になる頃には、柄杓は突っ伏して動けなくなっていた。


「ごちそうさまは?」

「……ご、ちそ、さ……」

「ありがとう。明日も食べてくれると嬉しいよ」


 そして再び北斗が指を鳴らすと、全ての食器がひとりでに浮かび上がり、どこかへと飛んでいった。


「休んだら、さっさと自分の部屋に戻りたまえ。あまり夜更かしはしないように」


 柄杓に返事をする余裕はなく、北斗もそれを求めていなかったようで、柄杓を置いてさっさと自室に戻っていった。

 残された柄杓は動けない。息をするのも辛そうだ。ずっと、ずっと、突っ伏して、そして──いくらか時間が経つ頃に、突然肩を掴まれた。

 北斗の手ではない。そもそも北斗は戻ってきていない。

 血が通っているのか不思議になるほどに冷たい手は、瞬時に彼を床に叩きつけて仰向けにする。

 がはっと血液混じりの息が溢れる。柄杓は弱々しく瞼を開けていき、下手人の姿を見るべく視線を動かした。

 果たしてそこには──白い者がいた。

 雪のように白い肌、絹糸のごとくきめ細やかな白く長い髪、星の刺繍が施された白い浴衣。

 どこもかしこも美しい白を誇りながら、瞳だけは禍々しいほどに赤い。その瞳からは音もなく、何かが溢れ落ちていた。涙の形をしているが、涙のような液体ではない。

 それは赤い結晶。

 涙の形をした結晶。

 白い誰かはそれを一粒、床に溢れ落ちる前に摘み取り、しゃがみこんで、柄杓の口の中へと無理矢理押し込む。

 柄杓はそれを飲み込んだ。途端に柄杓の目は赤く染まり、ゆっくり、ゆっくりと呼吸が楽になっていく。


「……気分はどうか」


 白い者は、聴いただけで男と分かる低い声で、柄杓に訊ねる。彼は息を整えてから、返事をした。


「……いつも通り、悪いです」

「そうか。では、部屋まで運ぼう」


 柄杓の首の下、膝の下に手を差し込み、白い誰かは彼を抱き抱える。そして宣言通りに柄杓を彼の部屋まで運び、ベッドに身体を横たえさせた。

 そのまま出ていこうとする白い者の服を、柄杓は弱々しく掴む。


「行かないで、ください。ポラリス、様」

「……」


 ポラリスと呼ばれた者は、吐息を溢し、眠る柄杓の傍に腰を下ろす。


「苦しいか」

「……今は、楽になりました」

「北斗が生きている限り、ずっと苦しいぞ」

「……だとしても、耐えなければいけません。僕が生きている限り、あの人は僕の母にお金を払ってくれますから」


 柄杓の家に父はおらず、母が一人に対し、子供が六人もいる大所帯だった。

 数ある星影家分家の一つでありながら、母は魔法の才能があまりなかった。母にできる魔法に関わる仕事は少なく、普通の仕事をすることも親族から許されておらず、子供達は常に腹を空かせていた。

 長子たる柄杓は高校に進学しなかった。そんな金があるなら弟妹の為に使いたかった。とにかく働かなければ。そう思い、親族に仕事を紹介してもらおうとして、同じ分家筋の北斗との養子縁組を提案される。

 働くならともかく養子にされることに抵抗があったが、家族全員が生活できるだけの金を仕送りすると言われ、柄杓は仕方なくその話を飲んだ。

 そして、毒を盛られる日々を送ることになった。

 北斗の家に行く前に、紹介してくれた親戚の家で少しずつ。北斗の家に送られてからは大量に。

 このまま死ねたらどんなに幸せだろうと思いながら、家族の顔を思い出して、毒を摂取していく毎日。

 終わりはない。──星影北斗が死ぬまでは。

 あるいは、星影柄杓が死ぬまでは。


「殺してしまえばいい」


 柄杓の頭を撫でながら、ポラリスは淡々とその言葉を口にする。


「殺せば全て終わりだ。この家の金は好きに使え」

「……ぼくにそんなこと、できません。あの人を殺すなんて、想像もできない。どうやってやれと言うんです」

「俺を使えばいいだろう」

「……」

「バッキンガムの子供達の一種、特別な吸血鬼たるこの、ポラリス・シェフィールドの涙をいくらでも使えばいい。たくさん飲めばそれだけ強い魔法を使えるぞ」


 星影家は魔法使いの家。

 ただし、誰も自力で魔力を精製することはできない。

 ポラリスが自らそう言ったように、彼のような特別な吸血鬼が流す涙──魔力の込められた赤い結晶を口に含むことで、自在に魔法を使えるようになる。

 人を殺すことだって、容易だろう。


「……嫌、です」

「何故?」

「──家族に顔向けできないようなこと、できません」

「……いつも通りのつまらない回答だ」


 ポラリスは立ち上がり、扉を目指して歩きだす。


「俺の涙もいつまで保つかな。その内、魔法での解毒が間に合わなくなることも、あるかもしれないぞ。それでもお前は北斗を殺さず、あいつの毒を呷り続けるのか」

「……いつも助かってます、ポラリス様」

「そう思うなら北斗を殺せ。そして、この家に囲われた俺を解放してくれよ。あいつの魔法のせいで、俺はこの家の中でしか自由に出歩けない。いくら引きこもりの多いシェフィールドだろうと、俺は外の世界を見たいんだ」

「……ごめんなさい」


 鋭い舌打ちの音が室内に響く。


「じゃあな」


 ポラリスが出ていった扉は、強く閉められた。

 柄杓は吐息を溢し、瞼を閉じる。残してきた家族の笑顔を脳裏に思い浮かべた。

 殺意はある。

 あるが、実行すれば、きっとこの笑顔を思い出すのが辛くなり、会うことにも罪を感じるようになるだろうから。


 これでいい。


 そして柄杓はそれからも、ずっと、ずっと養父に毒を盛られ続け、吸血鬼に解毒を手伝ってもらう。

 柄杓の殺意が実行されるのが先か、柄杓が死ぬのが先か。──それは、誰にも分からない。

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