第2話 授業中にテロリストが入ってくる妄想
俺と桐馬と詩織は学校に着き、そこから階段を上がって四組の教室へと向かう。四人とも同じクラスだった。チンタラ歩いていたせいで、あと十分遅れていたら遅刻だった。
「静菜が来てないな」担任は不思議そうに呟いた。「というか、さっきまでいたよな?」
前列の適当な女子生徒に声をかける。女子生徒は頷いた。
「学校には来てました。八時前くらいには」
始業時間が八時二十五分だから、その生徒の話では三十分前には教室にいた事になる。その女子生徒が教室に着いて教室を見回した時に目に付いたのだろう。
「先生もさっき見た気がしたんだよ。多分、トイレにでも行ってるんだろうな。一言だけでも言ってくれなかったら遅刻になるぞ」
そのうち戻ってくるだろうという雰囲気だった。
「先生すみません、トイレに行ってました」
「まったく、早く座れ」
という会話が二分後くらいにあるだろうと想像した。けれどそれはなかった。
担任は夏休みの心構えみたいな話を始めた。その後、終業式のために体育館へ移動を始めた。静菜さんは結局来なかった。
体育館へ桐馬とダラダラ歩いて行く。廊下の人口密度が一気に上がる。二組も移動しているらしく、階段前で人が渋滞していた。
「どうしたんだろうな、静菜さん」
「桐馬、どうしたんだ?心配してるのか?」
「そりゃそうだよ。だって静菜さん、可愛いじゃん。清楚な感じがするし。心のアイドルだよ」
「お前、前にも別の人に似たような事言ってなかったか?学校に心のアイドル十人以上いるだろ」
よく教室移動の時に、すれ違った女子を指差して桐馬から「あの子かわいくない?」と横から言われる。
体育館に全校生徒が集められた。夏だから蒸し風呂みたいに暑かった。我慢大会でも始まるのかと思った。
終業式の前に表彰があった。バドミントン部とか、卓球部とか、書道コンクールとか、五月からの入賞者が名前を呼ばれてステージの前に出ていく。
やはり俺は名前を間違えられた。迷って返事が遅れると、間違えた体育教師本人が「しっかり返事しなさい!」と怒った。お前はまず漢字の勉強をするか読み仮名をふっとけ。マジでよしこで頼む。こんなんなら表彰ならされない方が良かった。
終業式が始まる。校長の話がある。さっき教室で担任が言っていたような、夏休みを正しく過ごせみたいな内容だった。よくまぁ、こんな内容で十分も二十分も話せるもんだ。ある種の才能だろう。校長ってのは全員がこの無駄な才能を持っている人間の中から選抜されているんじゃないか?
俺はしばらく全校生徒の前で体育教師から怒られた事を引きずっていたが、やがて別の事、もし今テロリストが体育館に入ってきたらどうするかを考えていた。体育館はテロリストに占拠される。銃を持っていて無差別に乱射された場合、どの入り口から出ようかと考えていた。死んだフリはリスキーだろうか。よく使う暇潰しの妄想だった。たまに授業中もする。『あの出口は危ないな』と逃げるプランを考えたり、『前の、あの辺のアイツらは多分すぐに打たれて死ぬ位置だな』と出席番号が早い奴の運命を憐れんでいた。
そんなだらけた雰囲気の中だった。男性教諭の一人がステージを登って行った。物理の教師だったと思う。物理を選択してないから教師の名前までは覚えてない。
物理教師は慌てた様子で走っていた。遠くからでは分からないけれど、中年太りの体から汗の玉が吹き出しているだろう。彼は校長の傍まで行った。校長は話を止めた。遠目からでも、いったい何事かという面倒くさそうな雰囲気なのが分かった。
ボソボソと何かを耳打ちするのがマイクに伝わって聞こえた。内容までは聞き取れなかった。校長は何も言わなかった。そして、今度は遠目にも分かるほど、みるみる顔から血の色が引いて行った。校長はステージをヨロヨロと降りて行った。
俺の意識はテロリストに占拠された体育館から、ステージ上の校長へと戻された。
生徒たちは何事かとざわついていた。隣の女子は前後で「何?」「分かんない」と話していた。俺はステージをボンヤリ見つめていた。
「生徒の皆さんは、体育館から出ないでください」
国語の教師、つまりよしこがマイクでこう言った。本格的に何かが起こったみたいだった。誰もがそう思った。テロリストが侵入してきたのだろうか。
ざわめきは大きくなるばかりだった。教師たちは何を聞かれても答えなかった。彼らの顔も青ざめていた。
やがて、救急車の鳴らすサイレンが聞こえてきた。
「救急車?なんで?」
生徒たちのざわめきは一際大きくなった。いくらかの生徒が立ち上がり、外に出ようとしたが教師が押しとどめた。
「何が起こったんだろうな?」
「分かんない」
いつの間にか、桐馬と詩織が隣に座っていた。まぁ、ずっと座らされて暇だから話し相手ぐらい欲しくなるだろう。もともと座っていた場所もそんなに離れていないし。生徒たちの何割かは立ったり近くの友達の所へ移動している。
「事故とか怪我があったのかな?」
詩織が呟く。俺がそれに答える。
「いや、全校生徒が今は終業式に出てるよ。平日なら体育で骨折したとか、なくもなさそうだけど」
「そう言えば静菜さん、終業式出てないよな。学校には来てたのに……」
桐馬の言葉を聞いて、俺と詩織は黙ってしまった。詩織がまた口を開く。
「終業式サボって、階段から落ちたとか?」
「でも静菜さん、終業式をバックレるような子じゃないだろ」と桐馬が言った。「そもそも、うちの学校でそんな奴いないというか、見たことないけど」
うちの高校の偏差値は中の上か上の下の間くらいだ。低いことはない。だからか、授業中にスマホをこっそり弄るくらいの奴はたまにいても、ヤンキーとか授業をサボる程の生徒は見かけたことがない。
やがて、マイクを通して教師の声が体育館に響いた。もう校長が話を止めてから五十分以上経っていた。さすがに生徒達も限界だった。
「生徒は全員、担任の先生の指示に従って教室に戻ってください。途中で決して列から外れず、まっすぐ教室に向かってください」
アナウンスの後、クラスごとに並んで教室に戻った。前方には担任、最後尾には副担任が生徒を見張っていた。廊下の途中で立っている教師もいた。監視しているのだろうか。
救急車のサイレン音はもうなくなっていた。
さらに教室で二十分待たされた。担任はいなくなり、副担任が残っていた。
「先生~、何で早く帰らせてくれないの?」
生徒の質問に、副担任は難しい顔をして黙っていた。
やがて担任が戻ってくる。
「今日はこの後すぐさま下校してください。居残りの自習も、部活も今日は禁止です。学校内から速やかに立ち去ってください」
ようやく生徒たちの中で、何かが起こったのだという確信が生まれた。
「何があったんですか?」と何人かの生徒が聞いたが、教師は口を閉ざした。クラス内の不満の雰囲気は大きかった。
「あんなに長く体育館で待たされて、部活もなしって、それで理由も教えてくれねぇって納得できねぇよ」
サッカー部のキャプテンをやってるらしい男子生徒、中村がこう言ったが、やはり教師は地蔵モードに入っており何も言わなかった。
帰り道、生徒が一斉に校門から放流され、学校付近は人でごった返した。
俺と桐馬と詩織は三人で帰っている。ふと後ろの方で話し声が聞こえた。
「ねぇ、今日、就業式の途中で誰かが自殺したらしいよ?」
「え、マジ?」
「さっき先輩が言ってた。警察見たって言ってたし、駐車場にパトカーも停まってたよ」
「誰?何組の人?」
「なんか、二年四組の女子らしいよ?朝はいたんだけど、終業式だけいなかったんだって。帰りの教室でもいなかったらしいし」
「うわ~、なんかめっちゃ気持ち悪いな」
この会話を俺は背中で聞いていた。
「終業式に自殺?」桐馬は驚いていた。「普通、始業式じゃない?」
「自殺する日に普通ってあるのか?」
「いや、分かんないけど」
俺と桐馬はこんな事を言い合う。
「本当なのかな、後ろの会話」と詩織が心配そうに言った。
「……まだ確定はしてないから何とも言えない」
「そうだよね。でも、してるとしたらやっぱり……」
答えると、いつもお喋りな詩織も今日に限っては口数が少なくなった。クラスメイトが一人いなくなってしまったかもしれないのだ。彼女は静菜さんが腹痛でトイレにいただけだと、まだ願っているらしい。
その日の夜、連絡網が回ってきた。
静菜楓が、四階の地学準備室で自殺していた。
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