全世界の蝙蝠が俺にひざまずく

再来の筋肉星人3号

第1話 気持ち良すぎだろ


「終業式って、めちゃめちゃ気持ち良くない?」

「クソ分かる」

 朝、登校中に会った桐馬がこんな事を言い出して、俺は即答した。

 今日は七月十九日。一学期の終業式だった。

「やっぱりそうだよな。一昨日にテスト終わって明日から夏休みとか、開放感がヤバい。一か月以上休みがあるんだぜ?何しよっかな。最高過ぎんだろ」

 ウキウキした気分を隠さずに桐馬は話し続ける。BGMになっているジャワジャワ騒ぐ蝉の声がうるさくて、たまに何を言っているのかよく聞こえない。

「この一日が嫌いな高校生なんているのかな」

「さぁ?俺が死ぬ限りいない」

 俺は額の汗を拭う。桐馬は自転車を押していて、車輪がカラカラ鳴っている。俺は電車通学で駅から歩きで、桐馬は家から自転車通学だった。駅から学校へ歩く俺の後ろ姿を見て「おっは〜」と声を掛けてきたのだった。

 ちょうど、俺が「ふあぁぁ……」と大きな欠伸した時だった。朝一番の大きな欠伸に桐馬がおかしそうに笑っていた。

「寝不足か?遅くまで何してたんだよ。テストも終わったのに」

「いや、逆にちょっと早起きしすぎちゃってさ」

「なんだよ、それ」

 俺たちは適当に駄弁りながら学校へ向かっていた。まだ朝なのに暑さは容赦がない。今日は快晴で日差しが眩しい。道のアスファルトは熱さで空間が歪んでいるように見える。前方と後方には電車通学の同じ高校の生徒がいてゾロゾロと列をなしていた。皆、朝から日差しで死にそうな顔をして歩いていて、ゾンビの行進かと思う。

「なぁ、聞いたことあるか?健尋」

「ないけど」

「まだ何も言ってないだろ」

 桐馬は不服だと言わんばかりの表情をした。言いたいのならわざわざ聞かずに早く言えば良いのに。

 俺は優しいから質問してやる。

「で、何?」

「学生の自殺が一番少ない日って、いつか知ってるか?」

「……終業式?」

「正解、よく分かったな」

「分かるよ、今日じゃん。特大ヒントあるじゃん」

 天才かよお前、と適当な事を言って桐馬は続けた。

「やっぱりさ、今日来ればしばらく学校来なくて良いってのがどれだけ学生の支えになってるかって事だよ。反対に、自殺が多い日っていつか分かる?」

 答えようと口を開こうとすると、後ろから「始業式でしょ」という高い声がした。俺と桐馬が振り返ると、詩織がいた。

 詩織はドヤ顔だった。高校一年からの腐れ縁三人組が終結してしまった。

「なんで詩織が答えるんだよ、健尋に出したクイズなのに」

 桐馬は不服そうに言った。

「誰だって分かるよ、その流れで出された問題だったら。で、答えは?」

「正解……」

 桐馬は不服そうな顔を継続させる。

「九月一日なんだよ。やっぱり、今まで休みで学校に行かなくて良かったのに『これから学校です』って言われて行かされるのは、気が滅入るんだろうな。救いの夏休みだったのにさ、その救いがなくなる絶望感はヤバいよ。罪だよな、学校ってのは。一部の生徒にとったら地獄そのものなんだろうな」

 他人事みたいに桐馬は言った。実際、他人事なんだろうけど。

「欧米とかじゃ、クリスマスが近づいてくると自殺率が下がってきて12月24日に底を打って、そこから一月一日に急激に上がるらしいぞ。復活祭の次の週も多いし、一週間単位だと月曜と火曜が多い。何月何日とか曜日で死が決まるって、人ってそんな簡単に死ぬのかよって思うけど。やっぱり人間って目の前の事が全てなんだろうな」

 桐馬は追加情報を付け足して、こんな事を言った。俺は「ふぅん」と相槌を打った。

 詩織は俺に目配せしてきた。パチリと目が合う。

「簡単すぎるクイズだったね。健尋の名前の由来の方が絶対ムズイよ」

「別に。父親の名前が健一で、母親の名前が千尋で、半分ずつ取っただけだよ。聞こえ方は普通そうな名前なのに、たまに何て読むのか確認される。前に先生からも間違われたし」

「けんひろって呼ばれてたな、前」

 桐馬は面白そうに笑った。

「あ、でも」と詩織が思い出したように言った。「そういえば健尋、この前美術部のコンクールで入賞してなかった?表彰で名前呼ばれるんじゃない?」

「それなんだよ。マジで間違えられるの、ありえるんだよな。それでなくてもあの体育の先生、生徒の名前よく間違えるし。それで返事しなかったら『返事は!』ってキレるし。『けんひろ』って誰だよ。なんでアイツが読むんだよ。現国のよし子に読ませろよ」

 現国の先生は五十歳くらいの女性で、フルネームは藤田美子だ。クラスの間ではシンプルに下の名前で「よしこ」と呼ばれている。

 俺は溜息をつく。

「まぁまぁ、皆、すぐに忘れるって。それに、さっき言ったみたいに今日が終われば夏休みじゃん。高校生にとっては、満場一致で世界一ハッピーな日だ」

「そうそう、今日元気じゃなくていつ元気になるの?夏休み、三人でどっか行こうよ。色々、何しよっかな〜。夏休みは始まる前が一番楽しい」

 桐馬と詩織は急に同情した風になって慰めてくれ始めた。おまけに楽しい夏休みの事に意識を向けて明るくしようとしてくれてる。良い奴らだな。

 そう言えば、よくよく考えてみると、高校二年も三分の一が終わってしまったんだよな。高校生活自体も半分経とうとしていると考えると、時の流れは早過ぎる。ちょっと前に入学したばかりに感じる。

 来年の夏は受験勉強一色になっているだろうし、これが普通に楽しめる高校ラストの夏休みなのかもしれない。だったら今のうちに楽しんでおかなければ損だよな。

 俺は二人に元気を与えられた気がした。三人で騒ぎながら学校へ向かった。全身がこれから夏休みだという開放感に満ち溢れていた。確かに気持ち良すぎた。

 この日、学校で生徒が一人自殺した。


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