第11話 大団円(Bhavya Samāpana. Denouement)

 カリンガの捕囚たちは解放された。米と綿布が支給されたし、トーシャリに帰ることを望んだ人々のために、乗り合いの牛車が手配された。これらは、アショーカ王とマンダカ卿、そしてチャーナキャさんの働きで行われたことだ。

 劇の感動は、劇を見た人々によって、パータリプトラ中に広まった。市場ではスンダリーさんを描いた絵や、彫像が売られ、人々はこれを買って家の祭壇に祀ったり、首にかけたりした。それからスンダリーさんとアショーカ王の結婚がもう決まっているという噂が広まった。アショーカ王がマンダカ卿を通じてあらためて結婚を申し込んだことは、クシャラさんが教えてくれた。私は旗祭りからスンダリーさんに会っていないので、それからどうなったのかはわからなかった。アショーカ王がサティヤジットさんを師として帰依し、在家のバウッダになったことも聞いた。私たちは宿舎で旅支度をした。

 ヴァーティヤ「さあ、我々は旅に出よう。旗祭りの劇を成功させてくださったヴァイシャ―リーのスンダリー姫に敬意を表現するために、ヴァイシャ―リーへ行って、劇を上演しよう」

 ブダセーナ「それはいい。だがナーイカがいないぞ」

 ヴィプラ「女パータカもいない」

 コハラ「今後はドリティをナーイカにしましょう。特訓が必要ですが。女パータカ、伴唱、タンプーラは、差し当たって、いないことになりますが、ナーイカがいないよりはましです」

 ドリティ「私? ナーイカ? 冗談じゃありません」

 コハラ「君ならできる」

 ドリティ「兄様、そういう問題ではないのです。私はタンプーラと伴唱が好きで、誇りを持っているのです。それに、もっといい方法があります」

 ヴァーティヤ「どんな方法だ」

 ドリティ「みんなわかっていることです。スンダリー姉様を連れて行くのです。スンダリー姉様に、正式に私たちの劇団に入っていただくのです」

 ヴィプラ「ドリティ、それは無理な相談だ」

 ドリティ「父上、無理ではありません。スバドランギ叔母様はマガダの太后様ですから、そういうことは難しいでしょう。でもスンダリー姉様は、こう言っては失礼かもしれませんが、今はどんな地位にもない方です。これからカリンガが自治を回復するとしても、マンダカ卿がカリンガ人の代表を務めてくださるでしょう。もっとも、スンダリー姉様がアショーカ王と結婚してしまえば、姉様はマガダ王妃になってしまいますから、全ておじゃんですけどね」

 ドリティが私を憐れむような目で見た。

 ヴィプラ「ドリティ、お前は世間というものがわかっていない。慣習というものがわかっていない。コハラとスンダリーさんの心が通じ合っていることは、旗祭りの舞台でのふたりを見て、私たちも知っていることだ。恋する者同士の情熱による結婚、ガンダルヴァ婚は珍しいことではないし、そういうことになればいちばんいいと私だって思うよ。だがね可愛いドリティ、いかんせん、身分が違いすぎる」

 ドリティ「父上、父上は世間と慣習とをよくご存じだと思います。でも男女については何もわかっておられません。兄様と姉様の愛は、身分などという世俗のこととは、縁がないものなのです」

 ブダセーナ「ドリティ、お前が正しい。だがヴィプラやコハラを責めるな。コハラがスンダリーさんを強奪すればよいのか? スンダリーさんが我らと一緒に旅をしたいと言ったか? コハラと結婚したいと言ったか?」

 ドリティ「それは、そうではありません」

 ドリティはしぶしぶといった様子で黙った。

 ヴァーティヤ「さあ、出発は明日だ。荷造りを続けよう」

 私たちは旅支度を続けた。すると宿舎に誰かが走り込んできた。スプシュカラさんだった。息を切らして私に駆け寄った。私たちは合掌を交わした。

 スプシュカラ「コハラさん、明日旅立たれるというのは本当ですか? クシャラさんから聞きました」

 コハラ「それは本当です。それで私たちは今支度をしているのです」

 スプシュカラ「姫様はクシャラさんからこのことを聞かれると、私に言葉を与え、コハラさんにその言葉を伝えるよう、慎ましい仕方で私に示唆なさいました。それで私はこうして走ってきたのです」

 コハラ「スンダリーさんはなんとおっしゃったのですか?」

 スプシュカラ「あなたは真理を、答えを見つけましたか?」

 私の心の内側で、スンダリーさんがそう言ったのを私は見た。それで私はすぐに駈け出そうとした。父上が私の肩に触れた。

 ヴァーティヤ「コハラ、待て」

 コハラ「はい、なんでしょう」

 父上はふところから紅玉髄の腕輪を取り出した。

 ヴァーティヤ「これが何か、わかるな? セナーがいつも付けていたものだ。お前に渡しておく」

 私は腕輪を受け取った。

 ヴァーティヤ「お前に嫁が見つかったら、渡そうと思っていたのだ」

 父は泣いていた。他の皆も泣いていた。そして私も。

 コハラ「スプシュカラさん、行きましょう」

 スプシュカラ「はい、参りましょう」

 スンダリーさんの部屋まで走った。ウグラさんが戸の前にいた。

 ウグラ「若旦那、よく来られた」

 私たちは合掌を交わした。

 スプシュカラ「ウグラ、私たちは少し散歩をしましょう」

 ウグラ「なんのために? 私はお前と散歩などしたくない」

 スプシュカラさんはウグラさんの尻を叩いて、ふたりでどこかへ行ってしまった。戸を叩くと、スンダリーさんが現れた。私たちはもう抑えることも、慎むこともできなかった。互いに駆け寄り抱擁した。スンダリーさんは私の手を引っ張って戸を閉めた。

 コハラ「私はついに答えを、真理を見つけました。それで約束通り、あなたに教えに来たのです」

 スンダリー「私もついに答えを、真理を見つけました。約束通り、あなたにお教えしたいと思っていたのです」

 コハラ「私の答えはあなたです。私の真理はあなたです。私はあなたに恋をしています」

 スンダリー「私の答えはあなたです。私の真理はあなたです。私はあなたに恋をしています」

 私たちは接吻した。

 コハラ「これは姉上がいつも付けていた腕輪です。あなたに贈ります。これを付けて、私と結婚してください」

 スンダリー「セナー様の腕輪を付けて、私はあなたと結婚します」

 スンダリーさんの右腕に腕輪を付けた。ぴったりとはまった。私たちはもう一度接吻した。


 スンダリーさんは私を連れてマンダカ卿に会いに行き、事の次第を伝えた。

 スンダリー「ですから、叔父上はカリンガの執政官になってください」

 マンダカ「王女がガンダルヴァ婚とは、あまり聞かない話だが、旗祭りの劇で大泣きした私には、納得のできることだ。わかった、アショーカ王には私から伝えよう。そなたは好きなようにするのがいいし、私はカリンガの皆のために働くことにしよう。ウグラとスプシュカラも一緒なんだろうね? そうなら安心だが」

 スンダリー「それはふたりに尋ねてみましょう」

 スプシュカラ「私が姫様のそばを離れるはずがありません」

 ウグラ「私とて」

 スンダリー「それでは旅の支度をしましょう」

 コハラ「そうしましょう」


 翌朝、クシャラさんが用意してくれた牛車に舞台道具を積み込み、私たち一座の団員が乗り込んだ。一座は3人増えた。スンダリーさんと、スプシュカラさんと、ウグラさん。

 私が御者となり、スンダリーさんが御者台に座っていた。牛車はヴァイシャ―リーへ向かった。

 ドリティ「ねえ兄様、姉様、ガンダルヴァ婚とはいえ、ちゃんと儀式をしなければなりませんよ。神々の前で誓いを立てるのです」

 荷台からドリティが言った。

 スンダリー「ドリティさん、誓いならもう済ませましたわよ」

 スンダリーさんは右腕にはめた腕輪を触り、恥じらうしぐさ。

 ドリティ「済ませた、済ませた。ひゃあ、それはごちそうさま。でも姉様、そっちの誓いではないのです。いまさらなんですけど、ただでさえ身分違いの結婚です。婆羅門様に立ち会っていただいて、神々に誓う儀式をしなければ。神前結婚、ブラーフマ婚です。こういうことは、神々を喜ばせるためにするのではなくて、みなの気持ちをすっきりとさせてくれるものなのです」

 スプシュカラ「それは善いことです」

 コハラ「それは結構なことだが、私たちは芸人。婆羅門の知り合いなどいないではないか」

 ドリティ「それはそうですが」

 後ろから砂煙が上がっているのが見えた。何か戦車の軍勢が押し寄せるような勢いだ。私は牛車を止めた。

 ヴァーティヤ「何事だ?」

 ウグラ「旗が見えます。獅子の紋章だ、するとあれはアショーカ王の軍旗じゃないですか?」

 ドリティ「姉様を取り返しに来たのでしょうか? これはたいへんです、逃げなくては」

 コハラ「早まるな、そうではあるまい」

 馬車の一団が近づいてくると、果たしてアショーカ王が現れて車から降りた。クシャラさんが御者を務めていた。

 アショーカ「座頭殿、コハラさん、スンダリーさん、皆さん、間に合ってよかった」

 私たちはそれぞれ合掌を交わした。

 アショーカ「マンダカ卿から全て聞きました。コハラさん、スンダリーさん、ご結婚おめでとうございます。これは私からのお祝いの品です」

 アショーカ王は馬車に差していた旗を抜いて、私とスンダリーさんに渡した。四方を向いて吠える獅子、その上に車輪が描かれている。地は藍で美しく染められている。

 アショーカ「これは私の祝福、認可を示す旗です。これからあなた方が劇を上演する際には、この旗を掲げるといいでしょう。そうすれば、誰も妨害したり、文句を言ったりしないでしょう」

 コハラ「ありがたくいただきます」

 スンダリー「陛下、私たちはあなたの旗を掲げて劇を上演します」

 ブダセーナ「陛下は劇団というものをわかっておられる。これはなによりの宝だ」

 皆が湧きたっていると、馬車からスバドランギさんが降りてきた。

 ヴァーティヤ「太后様、わざわざこんなところまで」

 スバドランギ「ヴァーティヤさん、あなたと皆さんにお別れを言いに来たのです。悲しいことですが、私はあなたと一緒に旅に出ることはできません。でも、あなたのことは忘れませんよ」

 スバドランギさんは父上の手を取った。

 ヴァーティヤ「もったいないお言葉です。太后様の朗唱によって、マガダ人とカリンガ人は和解できたのです。私こそ、あなたのことは忘れません」

 スンダリー「太后様、お名残惜しゅうございます」

 スバドランギ「スンダリーさん、あなたの表情は穏やかで明るく、体つきは清らかです。あなたは愛を得たのですか?」

 スンダリー「はい、私は愛を得ました。コハラさんを得ました」

 スバドランギ「おめでとう」

 ふたりは抱擁した。

 アショーカ「それから、あなた方はまだ結婚の儀式をしていないでしょう? チャーナキャ」

 チャーナキャさんがいやいやという様子で馬車から降りてきた。

 チャーナキャ「はいはい、ここにおりますよ」

 アショーカ「ガンダルヴァ婚がいけないというわけではありませんが、チャーナキャはこう見えて由緒正しい名門の婆羅門です。どうでしょう、ここでブラーフマ婚の儀式をしませんか? チャーナキャが司祭、私と母上が仲人を務めましょう」

 ドリティ「素晴らしいことです」

 スプシュカラ「古式ゆかしい」

 コハラ「それではお願いします」

 スンダリー「ぜひそうしましょう」

 アショーカ「さあ、チャーナキャ、頼むよ」

 チャーナキャ「はいはい、じゃあブラーフマ婚を執り行いましょう。私でしかできないことですからね。一応、古式通り、昨夜から何も食べておりませんよ。まったく腹が減って困っておりますから、早く済ませましょう」

 アショーカ「神聖な儀式なんだから、しっかり頼むよ」

 私たちはそれぞれ古式通りの位置に立った。

 チャーナキャ「お任せください。では。梵天よ、獣主よ。ご照覧あれ。善良で、敬虔で、真理を支持する若い男女がここにおります。この二人の愛を、インドラの旗祭りの舞台で私たちは見ました。そして感動に涙しました。梵天よ、獣主よ、あなた方もそうであったと思います。ですから、私たちはこのふたりを祝福しましょう」

 私とスンダリーさんの額に水が注がれる。

 チャーナキャ「さあ、コハラ、スンダリー、あなた方はいま、神々の祝福によって、結婚しました」

 コハラ「チャーナキャさん、ありがとうございます」

 スンダリー「ご立派な祝詞でした」

 ドリティ「すっきり、すっきり」

 ヴィプラ「舞台でも思ったが、やるときにはやる人だったのだな。人を一見のみで判断するものではない」

 私はクシャラさんに駆け寄った。

 コハラ「クシャラさん、いろいろお世話になりました」

 クシャラ「なんの。たくさんの人に演劇を見せるのは善いことですが、早くパータリプトラへ帰ってきてください。スンダリー様が舞台に立つお姿を、私は早くもう一度見たいのです」

 コハラ「遠い先のことではないでしょう」

 ウグラ「クシャラ殿。舞台では手加減したが、今度は本気で立ち合おうぞ」

 クシャラ「望むところだ」

 私たちは合掌を交わした。

 アショーカ「それでは私たちの用事は済みました。そろそろ帰るとしましょう」

 馬車に乗ろうとするアショーカ王に私は呼び止めた。

 コハラ「陛下、私はあなたを憎んでいません」

 アショーカ「私もあなたを憎んでいません。それではコハラさん、私はあなたを友と呼んでもいいですか?」

 コハラ「もちろんです」

 アショーカ「我が友コハラさん、君の友アショーカと呼んでください」

 コハラ「我が友アショーカさん、また会いましょう」

 私たちは抱擁した。

 アショーカ「そうだ、忘れるところだった。あなたにお願いがあります」

 コハラ「それは何ですか?」

 アショーカ「コハラさん、あなたに演劇の教則本を書いてもらいたいのです。演劇人の中には、怒りによって敵を攻撃したり、憎しみによって善良な人を嘲笑するような劇を上演する者もいます。少なくない人々が演劇人を下賤な者たちと見下すのは、このためなのです。尊敬する友よ、私は敬虔で優れた劇芸術が地上に定着するのを見たいのです(*)。そのような劇芸術のための思想、技術が書かれた本があれば、それは演劇人のみならず、全ての生き物のためになるでしょう」


*見たいのです 「ナフシャ王は合掌して私に言った。"尊敬するバラタよ、私はこの劇的な芸術が地上に定着するのを見たいのです"」

Nāṭyaśāstra. XXXVI, 58


 コハラ「それは素晴らしいことですし、ぜひ挑戦してみたいと思います」

 アショーカ「それに挑戦し、それを書いてください。本の名前は、ナーティヤ・ヴェーダ、ではちょっと大げさですか。ナーティヤ・シャーストラではどうですか?」

 コハラ「ナーティヤ・シャーストラにしましょう。演劇の始祖と伝わるバラタの作ということにしましょう」

 ヴァーティヤ「それが古来からの習いだ」

 スンダリー「陛下」

 スンダリーさんがアショーカ王に近づいた。

 アショーカ「スンダリーさん、何でしょう」

 スンダリー「陛下はこれから、天愛喜見、デーヴァナンプリヤ・プリヤダーシとお名乗りくださいまし」

 アショーカ「これは身が引き締まる思いです。あなたが与えてくださった名であれば、私はこれからデーヴァナンプリヤ・プリヤダーシと名乗りましょう」

 アショーカ王たちは私たちに手を振りながら去った。

 スンダリー「さあ、ヴァイシャ―リーへ行って演劇を上演しましょう」

 コハラ「そうしましょう」

 スンダリーさんは私に肩を寄せてくっついた。

 スンダリー「今では、私たちの心の鼓は、ダルマの響きを鳴らしています。誰もが幸せで、誰も憎しみを抱いていません。私たちはひとつです。ひとつになって輪を回します」

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