第7話 相似からの推論(Tulya-tarka. Inference from Similitude)

 筋が決まらない。私たちが知っている劇の中に、非暴力や和解というような主題が存外とないことに私たちは戸惑った。官能か、英雄的な、軍事的な勝利を讃えるものばかりだ。アルジュナもラーマも私たちには使えない。既存の劇の改作であれば私と父は得意としていたが、筋を一から作ったことはなかったので、途方に暮れるばかりであった。直接的に非暴力や和解が表現されなくても、相似からの推論(*)によって、同一性を発見――感動(Rasa)を発見――できればいいのかもしれない。8種あるという感動(Rasa)も、最終的にはひとつ――善ないし真理――に至るだろうから。そこまでは考えたのだが、筋自体はどうにも思い浮かばなかった。


*相似からの推論 「良い劇の筋の要素は36通りあります...信じられないような対象が、同じような意味で使われた隠喩や直喩から推論される場合、それは相似からの推論(Tulya-tarka)の例です」

Nāṭyaśāstra. XVII, 21


 父はともかく稽古をしようと言い、私はスンダリーさんを迎えに行った。スンダリーさんの部屋の前にウグラさんが立っていた。何度見ても見事な巨躯である。彼が舞台に立つ姿を見てみたいと思った。

 ウグラ「若旦那じゃありませんか」

 コハラ「ウグラさん、お勤めご苦労様です」

 私たちは合掌を交わした。

 ウグラ「あれから姫様はすっかりご機嫌です。コハラさんのおかげだと思います」

 コハラ「それはよかった。父上から稽古のためにスンダリーさんをお連れするよう言いつけられて参りました」

 ウグラ「姫様はきっとお喜びになられます。おい、スプシュカラ」

 スプシュカラ「ウグラ、何ですか」

 ウグラ「若旦那がお見えだ」

 スプシュカラ「まあ、まあ」

 戸が開いてスプシュカラさんが現れた。

 スプシュカラ「これはコハラさん、姫様が待ち焦がれておられましたんですのよ。あ、いけない。私としたことが。つまり、お稽古をでございます」

 スプシュカラさんは恥じ入るしぐさ。可憐である。スプシュカラさんは女優が務まると私は思った。スンダリーさんが稽古を待ち焦がれていたのか、他の何かなのか、私は考えないことにした。

 コハラ「スンダリーさんはおいでですか」

 スンダリー「はい、ここに」

 スンダリーさんが輝く笑顔で現れた。私は目がくらむのに耐えつつ、スンダリーさんと合掌を交わした。

 コハラ「今から稽古に参加していただけますか?」

 スンダリー「準備はできておりますわ」

 コハラ「それでは皆さん参りましょう」

 スンダリーさん、スプシュカラさん、ウグラさんと一緒に宿舎へと歩いた。

 スンダリー「私の友コハラさん、ひとつ教えていただきたいことがございます」

 コハラ「私の友スンダリーさん、なんなりとお尋ねください」

 スンダリー「コハラさんは最初にお会いしたときよりもお顔が明るく、穏やかになられました。四肢には力がみなぎり、お元気になられました。何があなたをそうさせたのですか? もしかしたら、あなたは答えを、真理を見つけられたのですか?」

 私は2つのことを言うこともできた。しかしひとつのことは隠すことにした。

 コハラ「答えを、真理を見つけたのではないのです。もしもそれを見つけたなら、あなたにお教えすると約束しましたから、見つけていればとうにお教えしていたでしょう。でもひとりの立派な比丘にお会いして、示唆をいただきました。そのために私の迷いは消滅し、私の顔は明るく穏やかになり、四肢には力がみなぎり、元気になったのです」

 ウグラ「かくありたい」

 スンダリー「有り難いことです。私もその比丘様にお会いして、施しをさせていただきたいものです」

 スプシュカラ「それは尊いこと」

 どうして思いつかなかったのだろう、そうすべきだ。

 コハラ「そうしましょう。しかし皆に一言断らなければ。おやドリティだ」

 前を壺を両手に持ったドリティが歩いてやってくる。

 ドリティ「兄様、皆様、ご機嫌麗しゅう」

 コハラ「ドリティ、いいところに」

 ドリティ「父上に買い物を頼まれたのです。ほらダヒ(Dahi. ヨーグルト)」

 ドリティは壺の中を見せた。新鮮なダヒに見えた。

 コハラ「さすがは叔父上」

 ドリティ「何の話ですか?」

 コハラ「今から先日の比丘様にスンダリーさんを紹介しようと思うのだ」

 ドリティ「それは善いことです」

 コハラ「そのダヒをひとつもらえないだろうか」

 ドリティ「どうして私が断るでしょう。私からも比丘様への敬意を」

 ドリティから壺を受け取った。

 スンダリー「ドリティさん、ありがとうございます」

 ドリティ「姉様のためなら、火の中水の中」

 スンダリー「ウグラ、スプシュカラ、私の愛しい妹を宿舎まで送って差し上げてください。それからあなたたちは先に私の部屋に帰ってください」

 ウグラ「姫様はウグラをお見捨てになられた」

 スプシュカラさんがウグラさんの腕をつねるのを私は見た。

 スプシュカラ「かしこまりました。比丘様の隠棲所に大勢で押しかけるのは善くありませんし、ドリティさんをお送りするのは大切なことです」

 それで私はスンダリーさんとふたりでプンプン川に沿って歩いた。スンダリーさんは楽しげであった。

 スンダリー「コハラさん、私楽しいです」

 コハラ「そのようですね」

 スンダリー「コハラさんは楽しくないのですか?」

 コハラ「楽しいですよ。でも、戸惑ってもいます」

 私はここでは正直に言うことにした。

 スンダリー「教えてください。何を戸惑っていらっしゃるのですか?」

 コハラ「私は俳優。あなたは王女。連れ立って歩くのは私たちの慣習に反します」

 楽しげだったスンダリーさんの表情がさっと変わった。

 スンダリー「コハラさん、あなたまでそんなことをおっしゃるのですか」

 コハラ「仕方がないことです。本当のことです」

 スンダリー「いいえ、仕方がないことではありません。本当のことではありません。この際はっきりさせておきましょう。先日私たちが窓から逃げたときも、あなたは私の手を取ってくださいませんでした。あれはそのようなお考えからだったのですか?」

 コハラ「おおむね、そうです」

 スンダリー「コハラさん、あなたにとって私は何なのですか?」

 コハラ「私たちは心と心が繋がっています。ですから私にとってあなたは心の友です。あなたは私たち劇団の一員にして最高のナーイカであり、私たち家族の姉妹です」

 どうしてこれ以上のことが言えるだろう。

 スンダリー「それでは私の手を取ってください」

 スンダリーさんは右手を差し出した。

 コハラ「できません。私はあなたに触れるべきでないと思います」

 スンダリー「なぜですの? 私が王女であなたが俳優だから? 私も今では女優ですよ。ドリティさんの手はお取りになるでしょう? 私はあなたの姉妹だったのでは? この先いつまで私に触れないおつもりですの? あなたはナーヤカ、私はナーイカ。演劇でナーヤカとナーイカが手も触れないなんて、聞いたことありまして?」

 筋が通っている。私はスンダリーさんの手にそっと触れた。するとスンダリーさんはとっさに私の手を強く握った。私は全身がびりびりと痺れた。

 スンダリー「これでよいのです」

 スンダリーさんは満足げに手を離そうとしないので、私たちは手を握ったまま歩いた。スンダリーさんは歌い始めた。


 スンダリー 楽しいです。満足です。あなたと手を繋いでいます。

 コハラ 楽しいです。満足です。あなたと手を繋いでいます。

 スンダリー あなたの心が前よりよく見えます。

 コハラ あなたの心が前よりよく見えます。

 スンダリー それでは私の心をよく見てください。何が見えますか?

 コハラ 眩しすぎてわかりません。太陽を見るようなものなのです。

 スンダリー そうではありません。見ようとなさらないのです。

 コハラ そうです。そうするべきだと思うのです。

 スンダリー それではご自分の心を見てください。何が見えますか?

 コハラ あなたが歓喜して踊っています。あなたが全てを祝福しています。

 スンダリー 楽しいです。満足です。あなたと手を繋いでいます。

 コハラ 楽しいです。満足です。あなたと手を繋いでいます。


 滝の音が聞こえてきた。

 コハラ「着きました。ですから、その」

 スンダリー「そうですわね」

 スンダリーさんはようやく手を離した。

 コハラ「いらっしゃいました。あの方です」

 滝つぼの前で、衣を頭からかぶって禅定している比丘が見えた。サティヤジットさんに相違ない。

 スンダリー「禅定をなさっています。声をおかけするべきではありません。待っていましょう。それが正しい作法なのです」

 コハラ「そうしましょう」

 私たちはサティヤジットさんから離れた川辺に座った。私はダヒの入った壺をスンダリーさんに渡した。おしゃべりをするべきではないから、私たちも禅定するような次第となった。私は思考を整理することになった。戦争のこと、姉上と母上のこと、スンダリーさんのこと、演劇のこと...

 スンダリーさんも同じようにしていたと思う。しばらくして、私たちは目と目で合意に達したことを確認し合ったから。私たちは、幸いである。

 サティヤジットさんが衣を解いて、立ち上がった。私たちに気づいた。私たちに近づいた。

 サティヤジット「私の友コハラさん。待っていてくださいましたね?」

 コハラ「私の友サティヤジットさん、そうなのです。ですがおかけで私は心の落ち着きを得ることができたのです」

 サティヤジット「それは善かった。それで」

 サティヤジットさんはスンダリーさんを見た。ため息をついた。

 サティヤジット「コハラさん、あなたたち劇団は、ついにナーイカを得たのですね?」

 コハラ「そうなのです。私たちはナーイカを得ました。我々のナーイカにして私の心の友にして姉妹、スンダリーさんです」

 スンダリー「沙門様、スンダリーがご挨拶いたします」

 サティヤジット「サティヤジットです。我が友コハラさんの心の友にしてご姉妹ならば、私にとってもまたそうなのです。どうぞあなたの友サティヤジットとお呼びください」

 スンダリー「では私の友サティヤジットさん、コハラさんにあなたのことをお聞きして、私はあなたに施しをすることを願いました。それでコハラさんは私をここまで案内してくださったのです。ダヒをお持ちしました。どうぞお受け取りください」

 サティヤジット「これはありがとうございます」

 サティヤジットさんは鉢にダヒを受けた。

 サティヤジット「まだ食事の時間ではありませんから、後で食べようと思います」

 スンダリー「そうしてくださいませ」

 サティヤジット「それにしても、スンダリーさんの心は清らかでいて、火のように燃えています。私にはそれがちらっと見えるのです。ですから私はスンダリーさんを見ているだけですでに感動しています。コハラさん、私は旗祭りが待ち遠しくなりました」

 スンダリー「サティヤジットさんのお心こそが清らかでいて火のように燃えています。私にはそれがちらっと見えるのです」

 コハラ「はい、スンダリーさんのおかげで私たちは希望に包まれました。ですが、劇の筋が思い浮かばず困っているのです。私たちが知っている劇の中には、非暴力や和解というような主題が見当たらないのです」

 サティヤジット「そういえば、そうかもしれません」

 コハラ「バウッダに伝わる説話で、そのようなものをご存じではありませんか?

 サティヤジット「そうですね...あ、あるかもしれません。ブッダシャカムニが弟子たちの見解の相違による争いを戒めるために語られたと伝わる物語があります。実際にブッダシャカムニが語られたものなのかどうかは、ブッダシャカムニのみぞ知る、というところですが。私の師、コーリタさんが物語ってくださいました」


*伝わる物語 Mahāvagga. 10, 2


 コハラ、スンダリー「それを物語っていただけますか」

 サティヤジット「もちろんです。昔カーシーに、ブラフマダッタという王がいました。彼とその王国は裕福で、強大な軍隊を持っていました。一方隣国コーサラのディギーティ王とその王国は貧しく、軍隊は弱小でした...」


 愛しいディガヴよ

 遠くを見るな 近くを見るな 内を見よ

 憎しみは憎しみによっては鎮まらない

 憎まないことによって鎮まる

 私たちはかつて命の始祖であった

 私たちは祖先の労苦の結晶である

 私たちはひとつである

 ひとつになって輪を回す

 賢い者はそれを理解するであろう


 サティヤジット「そうして誰もが幸せで、誰も憎しみを抱いていませんでした」

 物語が大団円を迎えたとき、私とスンダリーさんは号泣した。

 コハラ「不思議なことです、有り難いことです。その詩は私の姉が殺されたときに父が、母が亡くなる間際に母が唱えられた詩と全く同じです」

 スンダリー「不思議なことです、有り難いことです。その詩は私の父と兄が亡くなる間際に唱えられた詩と全く同じです」

 サティヤジット「何ですって?」

 コハラ「そして私は今理解しました。劇の感動(Rasa)がそれを惹き起こしたのです。遠くとは何か、近くとは何か、内とは何か、命の始祖とは何か、輪とは何か」

 スンダリー「私も今理解しました。劇の感動(Rasa)がそれを惹き起こしたのです。遠くとは何か、近くとは何か、内とは何か、命の始祖とは何か、輪とは何か」

 サティヤジット「不思議なことです、有り難いことです。全ては繋がっています、輪のようです」

 サティヤジットさんも号泣し始めた。私たちは長い間感動(Rasa),に浸っていた。

 私の中で劇の筋が沸き起こった。それはたちまち序幕から終幕までを形成した。そして私はふたつのことに思い至った。この劇に沙門の役が必要なこと。サティヤジットさんが俳優に憧れていたとおっしゃっていたこと。

 コハラ「サティヤジットさん、俳優に憧れていたとおっしゃっていましたね」

 スンダリー「これは驚きです」

 サティヤジット「はい、言いました。そしてそれは本当のことです」

 コハラ「今ではどうですか?」

 サティヤジット「私は修行者。世俗を離れた身です」

 スンダリー「うまくはぐらかされました」

 コハラ「そうです、あなたは修行者です。世俗を離れておられます。でも私がお聞きしたいのはそのことではないのです。私たちは友達です。さあ、ありのままに打ち解けて話しましょう。私たちの演劇に俳優として出演していただけませんか? そうしたいお気持ちが心の奥底におありではないですか?」

 スンダリー「おありではないですか?」

 サティヤジット「あります。本当のことを言いましょう。偽りを語ったところで、何になるでしょう。私は猛烈に劇に出演したいのです」

 コハラ「それでは出演なさってください」

 スンダリー「良い役を差し上げなくては」

 サティヤジット「ありがとうございます。ですが、やはり私は世俗を離れた身。あなた方と一緒に寝起きするわけにも、毎日城に通うわけにも参りません。通し稽古には参加します。必要なことです。劇の筋が仕上がったら、私に語ってください。それを私はすっかり覚えることができると思います。そして私はここでひとりで稽古したいと思います」

 スンダリー「修行者とは孤独を楽しむもの」

 コハラ「それではそのようにいたしましょう」

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