第6話 賢い礼儀(Dākṣiṇya. Clever Manners)

 私とスンダリーさんが宿舎に入ったとき、皆はスンダリーさんを見てため息をついてから、私たちに何が起こったのかただちに了解した。私たちはナーイカを得たのであると。スンダリーさんが何者なのかについても。最初に父とスンダリーさんが合掌を交わした。

 ヴァーティヤ「座頭のヴァーティヤです。コハラの父であります。ようこそおいでくださいました」

 スンダリー「これは座頭様、いえお父上。スンダリーがご挨拶いたします。コハラさんのおかげで私は命を得ました」

 ヴァーティヤ「未熟な倅ですからご無礼があったことと思います。しかしあなたをお連れしてきたことは褒めてやりたいと思います」

 スンダリー「そうしてくださいまし」

 父は私の背中を叩き、私の手を握った。私は無邪気にも自分が誇らしかった。次に大叔父上がスンダリーさんと合掌を交わした。

 ブダセーナ「スンダリー様、笛吹きのブダセーナでございます。コハラの大叔父にあたります。老いたりとはいえ、あなた様の美を讃える笛の音を吹くことはできると思っております」

 スンダリー「大叔父上、私をそんなふうに呼ばないでくださいまし。どうぞ又姪スンダリーと」

 次に叔父上がスンダリーさんと合掌を交わした。

 ヴィプラ「コハラの叔父にして太鼓打ちのヴィプラでございます。パールヴァティと見紛うばかりのあなたの舞踏に合わせられるか心もとないですが、努力できるかと思うとわくわくいたします」

 スンダリー「ヴィプラ叔父様の姪、スンダリーでございます。わくわくしているのは私も同じなんですのよ」

 最後にドリティが歓喜した様子でスンダリーさんと合掌を交わした。

 ドリティ「スンダリー姉様、あなた様の姪にして妹のドリティがご挨拶します。私のタンプーラと伴唱が、姉様のお美しさに追いつくと良いのですが。あ、それと、もどかしい兄様のことは、兄様にかわってお詫びします」

 ドリティの洞察力はいったいどこから来ているのか。見ていたようではないか。

 スンダリー「ドリティさん、そんな...いいんですのよ」

 ドリティ「とにかくスンダリーさん、あなたは今日から私たちの劇団の一員ですから、すなわち私たちは家族です」

 私も皆もうなづいた。

 ドリティ「と言うか、スンダリーさんはカリンガの王女様で、先王様と王子様がお亡くなりになられた今、私たちカリンガ人の女王様ですし、もともと私たちは家族なのです」

 スンダリーさんが突然泣き始めた。

 ヴァーティヤ「ドリティ、控えよ」

 スンダリー「いいえ、そうではないのです、ヴァーティヤ父様。父上と兄上のことはもちろん忘れてなどいません。でも私は嬉しかったのです。皆さんのような芸術家ご一家の家族に加えていただけるなんて、こんなに有り難いことがあるでしょうか。今わかりました。私は寂しかったのです。コハラさんと皆さんのおかげで、私は今歓喜しているのです」

 皆であらためて合掌また合掌。

 ドリティ「皆さんは揃って礼儀正しくもお辞儀ばかりして、まるで稲穂が垂れ合っているようではありませんか。そのうち地に頭がついてしまいますよ」

 コハラ「そうです、スンダリーさんは我らの姉妹にしてナーイカです。さあ、ざっくばらんに打ち解けましょう」

 スンダリー「そういたしましょう。でもコハラさん、あんな置き手紙をしたのですから、叔父上とアショーカ王はじきにこちらへ来られるのではないでしょうか?」

 コハラ「ええ、来てくれなければ困るのです」

 スンダリー「コハラさん、そろそろ教えてくださいまし。あなたの計略の全容を」

 コハラ「わかりました。どこからお話ししましょう。そう、あそこから。私たちはアショーカ王の依頼を受け、今度のインドラの旗祭りに演劇を上演することに同意しました」

 スンダリー「あとひと月半後ですね」

 コハラ「そうです。アショーカ王には、マガダ人とカリンガ人の和解のためになるような、そんな感動(Rasa)を生み出す演劇を、と頼まれました」

 スンダリー「それは難しくも意義深いことです」

 コハラ「そしてマンダカ卿は、あなたとアショーカ王が結婚すれば、マガダ人とカリンガ人の和解のためになるとおっしゃったのですね?」

 スンダリー「その通りですわ」

 ドリティ「兄様、聞き捨てなりません」

 コハラ「まあ待ちたまえ、聡明なドリティ」

 スンダリー「ええドリティさん、今はコハラさんの計略をしまいまで聞きましょう」

 ドリティ「スンダリー姉様がそうおっしゃるなら」

 コハラ「してみれば、アショーカ王もマンダカ卿も、私たちの演劇が、そのような結果を導いて成功するなら、満足なさるのではありませんか? そうすると、あなたとアショーカ王が結婚する必要はないはずです」

 スンダリー「筋道が通っております」

 ドリティ「兄様、何だか楽しい匂いがします。それから、それから」

 コハラ「でもこのことは、アショーカ王とマンダカ卿に論説しても了解してもらえないかもしれません。そして、スンダリーさんをナーイカに迎えた今、私たちの劇の幕はもう上がったのです」

 ドリティ「ははあ、わかりましたよ、兄様」

 コハラ「賢者ドリティ、さすがだね」

 ブダセーナ「コハラにしては、考えたな」

 スンダリー「大叔父様、どういうことですの」

 ブダセーナ「即興です」

 ヴィプラ「これは腕が鳴るわい」

 スンダリー「ヴァーティヤ父様、教えてくださいまし。即興ってなんですの?」

 ヴァーティヤ「スンダリーさん、つまり皆で心のままに演ずるのです。花びらが風に舞うようなものです」

 スンダリー「そういうことですか。素晴らしいことです」

 どやどやという声やら音とともに、アショーカ王とマンダカ卿、クシャラさんたち親衛隊、そしてスプシュカラさんとウグラさんが宿舎に入って来た。アショーカ王がスンダリーさんを一目見て恍惚となった様子を私は見逃さなかった。

 マンダカ「スンダリー、そなたという子は、いつからそんなふしだらな女になったのだ」

 スンダリー「ご挨拶ですこと。叔父上、私はそんな女になったのではありません」

 マンダカ「それではどんな女になったか教えてもらえるかね? 私にはわかるんだ。その男がそなたをかどわかしたなんてことはね」

 マンダカ卿は私を指さした。私がかどわかしたのは間違いない。しかしスンダリーさんがふしだらな女というのは聞き捨てならない。

 コハラ「マンダカ卿、コハラがご挨拶します。私がスンダリーさんをここへお連れしたのは本当のことです。しかしそれはスンダリーさんがふしだらだからではなく、スンダリーさんはとても困り果て、私を友と認めてくださっていたために、私に助けを求められ、こういうことになったのです」

 スンダリー「ええ、その通りです、その通りです」

 アショーカ王が進み出た。

 アショーカ「スンダリーさん、マガダ王アショーカが初めてご挨拶します」

 スンダリー「陛下にはご機嫌麗しゅう。スンダリーでございます」

 アショーカ「意外な場所でとなりましたが、お会いできて嬉しく思います」

 スンダリー「そうですか、それはようございました」

 アショーカ「コハラさんのおっしゃりようから、事態はおおむね察したつもりでおります。このたびの非礼についてはお詫びします」

 スンダリー「察していただけたならなによりです」

 アショーカ「機会をあらためたいと思います」

 スンダリー「いいえ、それには及びません。この際はっきりお伝えしたいと思います。私は陛下とは決して結婚いたしません」

 マンダカ「陛下、スンダリーは今気が立っているのです」

 アショーカ「そうかもしれませんが、そうでないかもしれません」

 スンダリー「いいえ叔父上、陛下。私は気が立ってなんかいません。むしろ私の心は今安らいでいるのです。私はこの劇団のナーイカになり、ご一家の一員に加えていただいたのですから」

 マンダカ「なんだって?」

 頃合いだろう、と私たち劇団員は目を合わせた。スンダリーさんの目を見ると、彼女はうなづいた。その目はすでにナーイカのそれ、姉上と同じ、舞台の女王の威厳ある目だった。

 ヴァーティヤ「皆さん、ちょっと中庭へ、私たちの稽古場へ行きましょう。ちょうど稽古を始める時間だったので、見ていただけませんか?」

 アショーカ「そうしましょう」

 皆で中庭へ行った。突然クシャラさんが近づいてきて、私にささやいた。

 クシャラ「心配には及びません。存分におやりなさい。私としても幸せです」

 コハラ「やはりあなた、実は演劇通でいらしたのですね?」

 クシャラ「なんのことやら。私はただの武骨な武人」

 嘘に違いない。中庭に私たちは木板で稽古用の舞台をしつらえていたが、この板もクシャラさんが調達してきてくれたものだ。それは舞踏してもきしまない厚さの申し分ない木板であった。

 私たちはその舞台に上がって座り、他の人々が舞台の前に座った。太陽は天頂にある。初夏の陽気とそよ風。中庭の植物たち、蝶たちは生を謳歌しているようであった。ドリティのタンプーラが持続音を鳴らすと、演劇の空間と時間が始まる。父が立ち上がった。

 ヴァーティヤ「稽古と言いましても、今日は陛下とカリンガ大臣にお越しいただきましたから、粗末なものをお見せするわけにはまいりません。しかしご心配には及びません。皆さん、実は今日は、私たちにとってとても有り難く、めでたい日なのです。私たちは今日、新しいナーイカを得たのです。その方がどなたか、そしてどんなに美しいか、皆さんはすでにご存じです。しかしこれはご存じですかな? その方の心の清らかさを。そして心の奥底に秘めたほとばしる情熱を。さあ私たちは準備をしましょう。心の衝立を片付けて、その方の心の内を思慮深く、賢い礼儀(*)をもって鑑賞しましょう」


*賢い礼儀 「良い劇の筋の要素は36通りあります...幸せな顔、優しい言葉、その他の心地よい動作で他人に接することは、賢い礼儀(dākṣiṇya)の一例です」

Nāṭyaśāstra. XVII, 30


 父上が後ずさって座る。大叔父上の笛。叔父上のタブラが入ると、スンダリーさんは誰にも促されることなく立ち上がる。父上のタタ(リュート)。スンダリーさんが舞台の中央に進むのを見て私はガナ(タンバリン)を鳴らす。スンダリーさんが歌い舞う。ドリティが伴唱する。


 太陽が照っています。風が吹いています。素晴らしい日です。(素晴らしい日です)

 花々が咲いています。生き物たちがはしゃいでいます。素晴らしい日です。(素晴らしい日です)

 私の心は弾みます。私は心のままに舞います。素晴らしい日です。(素晴らしい日です)

 太陽よ、風よ、私を見てください。私は歓喜しています。(歓喜しています)

 花々よ、生き物たちよ、私を見てください。私は歓喜しています。(歓喜しています)


 なんという猛烈なる歓喜の表現だろう。その場の全員なすすべなく号泣する他ない。舞台下の人々が立ち上がり鼻水まじりの熱烈な拍手。

 アショーカ「スンダリーさん、皆さん、お見事です」

 スンダリー「お粗末でございました」

 マンダカ「スンダリー、私は過ちを犯した。許してほしい。そなたの心は清らかに激しく燃えている。そなたを束縛することは、太陽に縄をかけるようなものだ。いけないことだし、どだい無理なことだ。縄はたちまち焼け切れてしまうのだからね。そなたは優れた女優なのだから、旗祭りの演劇に出演するべきです」

 アショーカ「理にかなっている」

 マンダカ卿がむせび泣いてやまないのでスンダリーさん近づいて背中をさすった。

 スンダリー「叔父上、嬉しゅうございます」

 マンダカ「しかしそなたは王女。この宿舎に寝泊まりすることは慣習に反する。稽古のためにここへ通うのはいいとして、やはり自分の部屋へ帰りなさい」

 アショーカ「理にかなっている」

 ドリティ「どうだか」

 コハラ「それがいいです。稽古のときにはスプシュカラさんとウグラさんが付き従ってくださるでしょう」

 スプシュカラ「もちろんでございます」

 ウグラ「姫様あるところウグラあり、ウグラあるところ姫様あり」

 ヴァーティヤ「うん、それがいい。稽古のときにはコハラかドリティをお迎えにやりましょう」

 ドリティ「それは楽しみ」

 スンダリー「それではそうしましょうか。大叔父様、ヴィプラ叔父様、よろしいですか?」

 大叔父上と叔父上はまだ泣き止まず声にならなかったが、ふたりともうなずいた。

 スンダリー「劇の幕がついに開きました。さあ皆さん、善い劇を上演しましょう」

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