第5話 欲望の間接的表現(Manoratha. Indirect Expression of Desire)

 なによりもまず、女優を募集した。ナーイカがいない演劇など、やはり考えることは不可能であった。親衛隊のクシャラさんに頼んでみると、快く引き受けてくれた。私はクシャラさんが実は相当の演劇通なのではないかと疑った。彼が数日で5人もの本職の女優を私たちの宿舎に連れてきたからである。ただし、5人とも似たような類型の女優であった。これがパータリプトラの様式なのだと私たちは始めて学ぶこととなった。そして、私たちはまったく気に入らなかった。

 ヴァーティヤ「パータリプトラの連中は、気品というものがわからないのだろうか」

 ヴィプラ「露骨に官能的すぎる」

 ブダセーナ「まったくだ。ナーイカに必要なのは純潔さ、神聖さであって、それこそが常に最高の感動(Rasa)の引き金なのだ」

 やってきた女優たちが帰ったあとで、皆が酷評する様子を私は楽しんで見ていたし、私もまたこの女優たちには同じ評価を下していた。気品、純潔性、神聖性。ナーイカに必要な素質とは最終的にはこれに尽きると私も考える。しかし、楽しんでばかりもいられない。5人目の女優が帰ったあと、私はついに腹を決めた。

 コハラ「父上、実はひとり、いい女優を知っています」

 ヴァーティヤ「コハラお前、なぜそれを早く言わないのだ」

 コハラ「いい女優と言っても、素質があるというだけで、その方はまったくの素人なのです」

 ヴァーティヤ「素質があるなら、まだ日にちはあるのだし、稽古でどうにかなるだろう。それでその娘の素質というのは、どんな程度のものなのだ」

 コハラ「声、しぐさ、舞踏の素質では姉上に匹敵するものがあります。そして身に備わった神聖性では、姉上よりも上です」

 父上を目を丸く広げ、顎をしゃくり、私の背中を叩いた。

 ヴァーティヤ「さあコハラ、一刻も早くその娘をここへ連れてくるんだ」

 コハラ「ですが父上、その方はその、やんごとなきお方でして」

 ドリティがにやにやしているのが横目に見えた。

 コハラ「連れてくる、というわけにはいかないのです」

 ヴァーティヤ「どういう意味だ?」

 切り出したものの、どうしたものかと考えていると、突然宿舎にスプシュカラさんが走り込んできた。

 スプシュカラ「コハラさん、やはりこちらでしたの」

 コハラ「スプシュカラさん、どうされたのですか。そんなに慌てて」

 ドリティ「兄様、こちらの方ですか? お綺麗な方ですこと」

 コハラ「違う、君は控えていたまえ」

 スプシュカラ「何のお話ですの?」

 コハラ「いえこちらの話です。それで何事ですか?」

 スプシュカラ「大変です。一大事です。姫様は大変に困っておいでです。姫様は慎みつつ、間接的な形で私にご意志を伝えられました。私にははっきりとわかりました。姫様はコハラさんに助けを求めておいでです。それで私は走ってここまで来たのです。コハラさん、お慈悲ですから、私と一緒に姫様のもとに来てください」

 コハラ「わかりました。案内してくださいますか」

 スプシュカラ「もちろんでございます」

 ドリティ「ご武運を」

 ドリティの冷やかしにかまっている場合ではなかった。スプシュカラさんは思いのほか俊足で、私はついて行くのに多少苦労した。先日来た中庭の蓮池に出た。

 スプシュカラ「こちらでございます」

 スプシュカラさんの手引きで石造りの建物の窓まで行った。スプシュカラさんが窓を慎ましく叩くと、窓掛けが開いて、スンダリーさんが現れた。目が赤く腫れていたが、私には泣き化粧をしているように見えて、その美しさに一瞬恍惚とした。スンダリーさんは窓を開けた。

 スンダリー「コハラさん、来てくださったのですね」

 コハラ「スプシュカラさんが導いてくださったのです」

 スンダリー「スプシュカラ、よくぞ察してくれました。ありがとう。おかげで私は救われました」

 スプシュカラ「はい、ようございました」

 スンダリー「ウグラが部屋の前で見張りをしてくれています。彼のところに行ってもらえますか」

 スプシュカラ「仰せのままに」

 スプシュカラさんが走り去ると、スンダリーさんは窓を開けて首を出し、辺りを見回した。

 スンダリー「ここは人目につきます。さあコハラさん、お入りになってください」

 コハラ「はい、それでは」

 私は戸惑ったが、窓からスンダリーさんの部屋に入った。なんということだろう、完全に演劇の、それも官能劇の一場面である。スンダリーさんは手早く窓と窓掛けを閉めた。

 スンダリー「ああ、私の友コハラさん、あなたはご存じですの? 私がどれだけあなたにお会いしたかったか」

 コハラ「私の友スンダリーさん。それは、私こそ、あなたにお会いしたかったですけれども」

 私はつい口ごもった。ナーヤカ(主演男優)はこんなことではいけないのだが。

 コハラ「それで、何があったのですか。スプシュカラさんはあなたが大変に困っていると言っていました」

 スンダリー「それなんですの、それなんですの。どこからお話ししましょう、そうですわ、あそこから。先日コハラさんとお別れしたあと、私は叔父上に会いました。叔父上は、私に恐ろしいことをおっしゃいました。アショーカ王が私との結婚を望んでいると」

 私は最初絶望し、次に、憤怒した。

 コハラ「何ですって?」

 スンダリー「ええ、とんでもないことです。それで私は叔父上に即座にお断りしました。ですけど叔父上は私の意志をアショーカ王には伝えてくださらなかったのです。それどころか叔父上は、今朝になって、午後にアショーカ王がここへ見えられるから、会う支度をしてほしい、とおっしゃるのです。あんまりにひどい仕打ちです」

 コハラ「はい。私はマンダカ卿にお会いしたことはありませんが、ひどいことです」

 スンダリー「でもねコハラさん、叔父上は私たちカリンガ人の代表として、アショーカ王と交渉しておられます。叔父上はトーシャリや移送された人々への慈悲ある待遇を主張され、それを勝ち取られました。これは叔父上の尊い功績です。また叔父上がおっしゃることも理解できるのです。アショーカ王と私が結婚すれば、こんなにも引き裂かれてしまったマガダ人とカリンガ人が、和解できるかもしれない、カリンガの人々のマガダでの地位が向上するに違いない、叔父上や私自身の地位も保証される、これらが叔父上の意見です。それは確かにもっともなこととは思うのです」

 コハラ「いけません、スンダリーさん。その考えは間違っています」

 ここははっきりさせておかなければならない。

 スンダリー「ええ、コハラさん、もちろんです。叔父上のお立場も理解できるというだけのことです。私は自分の意思を曲げるような人間ではありません。ああ、私はあなたにそれを言ってほしかったのです」

 スンダリーさんは私の目を凝視した。私は戸惑った。

 コハラ「でも、どうして私に?」

 スンダリー「それは」

 スンダリーさんは神聖な恥じらいのしぐさを見せてくれた。私は目がくらむばかりであった。

 スンダリー「あの花に尋ねてくださいまし」

 スンダリーさんは部屋の花瓶に生けられた蓮の花を指さした。朗唱した。


 花は水なしに生きていけるでしょうか。

 水は花がなくとも生きていけるでしょう。

 それゆえ水は花にいつでもつれないそぶり。


 マノラタ(*)...私たちは見つめ合った。


*マノラタ「良い劇の筋の要素は36通りあります...自分の心の奥底にある欲望を、他人の状態に言及するように装って表現すること。これが良い劇の31番目の要素、「欲望の間接的表現」(Manoratha)です」

Nāṭyaśāstra. XVII, 36


 部屋の戸が慎ましい仕方で、しかし危機を告げる仕方で叩かれた。スプシュカラさんに違いない。

 スプシュカラ「姫様、マンダカ様がいらっしゃいます」

 スンダリーさんは素早く戸に近づいた。

 スンダリー「ウグラ、いますか」

 ウグラ「へい、控えております」

 スンダリー「できるだけ叔父上を引き留めてください。手荒なやり方ではいけませんよ」

 ウグラ「お任せください」

 私は一計を案じた。

 コハラ「スンダリーさん、私に考えがあります」

 スンダリー「お聞かせくださいまし。あなたの考えは私の考え」

 コハラ「まずスンダリーさんはマンダカ卿宛ての短い手紙を書いてください。アショーカ王と一緒に演劇を見に来てください、と」

 スンダリー「意味深長ですわね。それから、それから」

 コハラ「窓から一緒に逃げましょう」

 スンダリー「冒険的ですわ。それから、それから」

 コハラ「私たちの宿舎に来てください」

 スンダリー「いったん隠れるのですね。妙案です。それから、それから」

 コハラ「そしてスンダリーさん、あなたは私たちの劇団のナーイカになってください」

 スンダリー「なんてことでしょう、素晴らしいことです、夢のようです」

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