第4話 対句法(Udāharaṇa. Parallelism)
朝食のあと、皆で話し合うことになった。
ヴァーティヤ「皆に相談することなく王の依頼を受けたことは謝る。しかし、私が注意深く考えてからそうしたことは信じてほしい。そして私たちはすでに王の計らいで、快適な宿舎と、充分な食事を享受している。他のカリンガの人々とは明確な違いがある。私はこれを私たちの務めと考えている」
父の言うことは正しい、と私は思った。多くのカリンガ人はいまだ捕囚のままでいるが、私たちは外出の自由すら与えられている。そもそも父は私たちにこの特権を与えるために上演を引き受けた? そうではない。
ヴァーティヤ「とは言え、いま私たちは議論しよう。皆が劇の上演に反対するようなら、今からでも私は王にこのことを断ることにしよう。だから皆は意見を言ってほしい。まず叔父上から聞かせてください。叔父上は劇の上演について、どうお考えですか? 思うことを存分に言ってください」
ブダセーナ「ヴァーティヤ、私はお前の心中は分かっているつもりだ。だから賛成と言いたい。だが一方で、二種の戸惑いも感じる。ひとつには、これを言わなければならない。いわんやカイシキーとセナーのこと、殺されたカリンガの人々のことだ。私たちの劇への意欲の問題だな。もうひとつは、これも要するにカイシキーとセナーのことだが、私たちはナーイカ(主演女優)と女のパータカ(朗唱歌手)を失った。これで良い劇が上演できるものかというものだ。つまるところ、良い劇ができると私たちが確信できるかどうかであり、それは劇の筋を作ってみて、筋を鑑賞したとき、私たちが感動できるかどうかではないかな。感動できるようなら、それは私たちが劇の上演に賛成しているということになるだろう」
ヴァーティヤ「ヴィプラ、お前はどう考えるかな?」
ヴィプラ「兄上、私は叔父上と同じように考えます」
ヴァーティヤ「ドリティはどうかな?」
ドリティ「叔父上、私も大叔父上と同じように考えます」
ヴァーティヤ「コハラはどうだ?」
コハラ「私は劇の上演自体には賛成します」
私ははっきり答えた。そのことには迷いがなくなっていた。
コハラ「ですが一方で、叔父上のおっしゃる通りにも考えます。つまりまず劇の筋を考えましょう。それと関係しますが、ナーイカと女パータカについて考えましょう。おおむね二つの道があると思います。ひとつの道は、ナーイカと女パータカ抜きの劇を作る。もうひとつの道は、ナーイカと女パータカをパータリプトラで探して劇団に加える道です」
ヴィプラ「ナーイカと女パータカ抜きの演劇が良い演劇になるとは、ちょっと考えにくいな。おしなべて言うに、感動(Rasa)の引き金を引くのは、このふたりなのだからな」
叔父上の言う通りである。
ドリティ「でも父上、パータリプトラで探すということは、マガダ人ということになるんじゃないですか」
ヴィプラ「まあ、そうなるかな」
ドリティ「それはちょっと...なんて言うか....」
ブダセーナ「気に入らんな。だいたい、パータリプトラにセナーやカイシキーほどの腕前の女優、歌手がいるだろうか。いたとして、彼女たちはカリンガ人と劇を演ずることを承知するだろうか」
コハラ「それは探してみて、そして見つけたなら、彼女たちに尋ねてみましょう。カリンガ人の収容所もあたってみましょう。マガダ人であれカリンガ人であれ、その演技、歌にもし私たちが感動するようなら、彼女たちは良い女優、良い歌手なのではないですか」
ブダセーナ「それはその通りだ」
コハラ「ではともあれ劇の筋を考えてみる、ということでいいですか」
皆が了承したので、しばらく皆で筋の話をしたが、どうにもはかどらない。
ヴィプラ「どうも駄目だな。少し早いが昼食にしよう。ドリティや、アンマラ(Āmra. マンゴー)でも買ってきてくれ」
ドリティ「いいですね。では行ってまいります」
コハラ「ドリティ、私も行こう」
ドリティ「はい、それではご一緒に」
私は外を歩きたくなったので、ドリティと一緒に城を出た。城から市場までは多少距離がある。ドリティはなぜか楽しげであった。
ドリティ「ねえ兄様、どうして劇の上演に賛成されたのですか」
コハラ「それは、父上がおっしゃった通りだ。私たちは他のカリンガ人と違い、贅沢と自由を享受している。何かをしなくてはならない」
ドリティ「それだけではないでしょう」
コハラ「何が言いたいんだ?」
ドリティ「私だって演劇人です。それに私は兄様の妹同然です。ですから私にはわかるのです。兄様は昨日から変わられました。いま兄様の心には明かりが灯っています。兄様の心には美しくたくましい樹木が生え、兄様はその樹の木陰で憩っておられます。さあ兄様、教えてくださいまし。兄様の心に明かりを灯したのは、どこのどなたですか? 兄様の心にその樹木を植えたのは、どこのどなたですか? つまり、兄様はどこのどなたに対して、そんなにも恋に落ちたのですか?」
コハラ「言っていることがわからない」
ドリティ「そうですか、わからない。わからない。おめでとうございます。いいでしょう、いまはそうやってしらばっくれていればいいでしょう。いずれみんなが知ることになるのですから」
私は観念した。
コハラ「わかった、認めるよ。美しい人に出会った。パールヴァティさながらに、心清らかな方だ。私はその人の虜になった」
ドリティ「それから、それから。その方はどこのどなたなのですか」
コハラ「ドリティ、こういう話をいたずらにするものではないと思うんだ。あの方に失礼だと感じる」
ドリティ「うーん、それもそうですね」
コハラ「それにねドリティ、私は迷いがなくなったわけではまったくない。君だってそうなんじゃないか」
ドリティ「もちろんです」
コハラ「だから今はそのことに向き合ってみないか。ねえドリティ、君はどうして生きているんだい?」
ドリティ「何ですかいきなり」
コハラ「なぜなら、私たちはトーシャリから歩いている間、そのことを考えたからだ」
ドリティ「はい。考えました」
コハラ「では教えてほしい。ドリティ、君はどうして生きているのかね?」
ドリティ「えーと」
ドリティはあらためて自らに尋ねている様子であった。
ドリティ「生きたいからです」
コハラ「うん、私も同感だ。ではドリティ、君はどうして生きたいのかね?」
ドリティ「それはつまり、生きたいからです」
コハラ「うん、私もそう思う。では私たちは生きたいから生きるとして、生きるからには、生きている間に、何かをするだろう。そこで聞きたい。ドリティ、君は何をしたいのかね?」
ドリティ「食べたいです。飲みたいです。呼吸したいです。眠りたいです」
コハラ「うん、まったく同感だ。しかし食べるために生きる、飲むために生きる、呼吸するために生きる、眠るために生きる、と言うと、ちょっと妙な感じがしないかい」
ドリティ「します。何だか変です」
コハラ「他に何か、したいことで、それをするために生きると言ってみて、変な感じがしないことというのは、あるだろうか。と言うのは、もしそういうものがあれば、生きることが嫌になったときに、助けになるかもしれないから」
ドリティ「あ、あります。私は善いことをしたいです。善いことをするために生きる、と言っても、変ではありません」
コハラ「ドリティ、共感するよ。しかし、善いこととはどんなことなのだろうか。あることであるとして、それはどういうわけで、善いことであると見做すことができるのだろうか」
ドリティ「兄様、それは演劇が教えてくれています。善いこととは、観客に感動(Rasa)を生じさせるもののこと、もしくは、その感動(Rasa)そのもののことです。非暴力、慈悲、同情、共感、繁栄、栄光、そうしたものが舞台で上手に表現されるとき、観客に最も強い感動(Rasa)を惹き起こします。このことから、私たちはこうしたものが善いことだと知ることができるのです」
私は少しドリティを侮っていたかもしれない。圧倒されかかったが、私はなお追及した。
コハラ「その通りだと私も思う。ドリティ、君は優れた演劇人だ。しかしドリティ、そうしたものが善いことだとして、善いことをすることが善いことだということは、言えるのだろうか。つまり、善いこととは、あることの役に立つ、というふうなことが言えるのだろうか」
ドリティ「それは兄様、善いことは役に立つと言うことができますよ。善いことは善い果報を生みます。善い果報は善い功徳となり、善い功徳を積むことで善い来世が得られるのですから」
コハラ「来世だって? ドリティ、霊魂は不滅であって来世があるということを、君はどうやって知ることができたのだね?」
ドリティ「兄様、兄様がチャールヴァーカ(唯物論者)だってことは昔から知っています」
コハラ「その通り。私はチャールヴァーカだ。しかしそれは脇に置いておいて、教えてほしい。少し意地悪な尋ね方だったね、すまない。君が霊魂の不滅や来世について導師たちに聞いて知ったことはわかっている。そうだね?」
ドリティ「はい、そうです」
コハラ「では導師たちは、いったいどうやってそれを知ったのだろうか?」
ドリティ「導師の導師に聞いて知ったのだと思います。つまり兄様は、最初の導師はどうやってそれを知ったのか、と言いたいのですか」
コハラ「うん、その通りだ」
ドリティ「それは....きっと、知ったというよりも、その人はそう言いたかったのだと思います。何らかの動機によって」
コハラ「うん、私もきっとそうだと思う。しかしそうすると、その動機については一度脇に置いておくとして、そう言いたかったのだとすると、霊魂というようなものが存在するとか、それが不滅だとか、来世があるというようなこと、それ自体については、ちょっと信じるわけにはいかないように感じるんだがね」
ドリティ「そうかもしれません。でも、動機が重要かもしれません。つまり、私たちがそういうものを信じることの効能です。来世があるとすれば、善いことをする動機になるではありませんか」
コハラ「そうだと思う」
私たちはしばらく沈黙した。
ドリティ「兄様、私、何だか寂しい気持ちになりました」
コハラ「うん、私もだ。そういうつもりではなかったのだが。すまない」
私はドリティの敬虔な信仰に、熟慮せずして土足で踏み込んでしまった。気まずい気持ちのまま、私たちは市場に着き、アンマラを買った。
ひとりの沙門が市場を歩いているのを私は見た。彼は、立ち方、歩き方、四肢の伸ばし方、視線の配り方、全ての挙動が美しく整えられていて、私に熟練した俳優の舞台での演技を思わせた。彼は、舞台における威厳ある賢者の表現であった。年の頃は、私より十も上というところだと私は見た。剃髪しているが、首に聖糸がないから婆羅門ではなく、裸形でないからバウッダ(Baudd'ha. 仏教徒)かもしれない。私はこう思った。
"この沙門は立ち方、歩き方、四肢の伸ばし方、視線の配り方、全ての挙動が美しく整えられていて、熟練した俳優さながらであり、してみればこの方は立派な修行者に相違ない。この方であれば、対句法(*)などによって、私がこの悩みを解決するという目的を達成するための示唆を与えてくださるかもしれない。それでは私はこの方に尋ねてみよう。あなたはどの方に従って家を出たのですか? あなたの師はどなたですか? あなたはどんな教えを信奉しておられるのですか? と"
*対句法 「良い劇の筋の要素は36通りあります...同様の状況を表現する文章によって、賢明な人々が何らかの目的を達成するための示唆を与えること。これが良い劇の4番目の要素、対句法(Udāharaṇa)です」
Nāṭyaśāstra. XVII, 9
しかしこの沙門が乳粥の屋台の前で立ち止まり、沈黙しているのを見て、私はこう思った。
"いや、今はそうするべきではない。この方は今乳粥を乞うておられる。この上はこの方について行って、お尋ねする機会を待とう。それが正しい作法なのだ"
コハラ「可愛いドリティ、私は用事ができた。悪いがアンマラを皆に届けてくれないか」
ドリティ「それはかまいませんけど、どうされたのですか?」
私はアンマラをひとつ残して、ドリティに渡した。
コハラ「あの沙門様に施しをしたいのだ」
ドリティは沙門を見てすぐに了解した。
ドリティ「あの方の表情は穏やかで明るく、体つきは清らかです。きっと立派な方ですね。わかりました」
沙門は鉢に乳粥を乞い受けると、市場を出た。私はついて行った。プンプン川に出ると、川をさかのぼって歩いていく。いったいどこまで行くのかと私がいぶかしみ始めたとき、静かな森の中に滝と大きなニグローダ樹があるところへ出て、私は了解した。この方はここに住んでらっしゃるのだと。
沙門がニグローダ樹の下に座り、乳粥を食べ終わるのを待ってから、私は彼に近づいた。沙門は私に気づいて、私たちは慎みある仕方で合掌を交わした。
コハラ「沙門様、私はカリンガから来た俳優のコハラです。無礼を承知で市場からついてまいりました。どうか施物をお受け取りください」
私がアンマラを差し出すと、沙門は微笑して受け取った。
サティヤジット「なんと美しいアンマラでしょう、ありがとうございます。明日食べようと思います。コハラさん、私はサティヤジットと申します」
発声に淀みがない。心地よい響きであった。
コハラ「沙門様」
サティヤジット「私の友コハラさん、どうかあなたの友サティヤジットとお呼びください」
コハラ「わかりました。私の友サティヤジットさん、あなたの表情は穏やかで明るく、体つきは清らかです。ですから私はお尋ねしたいのです。あなたはどの方に従って家を出たのですか? あなたの師はどなたですか? あなたはどんな教えを信奉しておられるのですか?」
サティヤジット「私はコーリタさんという修行者に従って家を出ました。ですから師はコーリタさんです。しかしコーリタさんはバウッダとして知られています。ですから私の師はブッダシャカムニであるとも言えます。従いまして、私はブッダシャカムニの教えを信奉していると言うことができます」
コハラ「私の父、私の劇団の座頭ですが、父はジャイナです。ですから私はジャイナの教えを受けて育ちました。ご承知の通り、ジャイナは主宰神を承認しませんが、霊魂の実在とその不滅、そして輪廻を説きます。ですが私は子供の頃から、霊魂の実在や輪廻を信じることができませんでした。バウッダは無我説派としても知られています。しかし一方で、バウッダも霊魂の実在と不滅と輪廻を説くとも聞いています。私はそれを聞いて、素朴に疑問を感じました。つまり、矛盾しているのではないか、とです。ですからこのことについて教えてください」
サティヤジット「はい、端的に矛盾していると思います。いろいろな説明をする人がいることは知っています。ですが、私の直接の師コーリタさんは、この種のことを説きませんでした。ご存じかもしれませんが、バウッダはいくつかの学派に分裂しています。各派はそれぞれに教義を立て、それぞれに争っています。コーリタさんはそうした争いから離れてひとりで修行していた方でした」
コハラ「ジャイナでも最近では、マトゥラーなどでは裸形を嫌う派が分裂して、修行者も衣を着ていると聞いています」
サティヤジット「そのようですね」
コハラ「これらはどういうことを現わしているのでしょうか。教えていただけますか」
サティヤジット「私の友コハラさん、私はご覧の通りまだ若く、修行の浅い身です。あなたは私を導師として見るべきではありません。それに隠し事のないようにしたいのであらかじめお伝えしておきます。私は子供の頃、俳優になりたかったのです」
コハラ「何ですって?」
サティヤジット「私はパータリプトラの生まれなので、毎年インドラの旗祭りには演劇を見ることができたのです。私は毎年その演劇が楽しみで仕方がありませんでした。演劇を見るたび、私は感動(Rasa)に打ち震え、生きることを鼓舞されたものでした。そして私は大人になったら俳優になって、皆を感動させ、生きることを鼓舞したいと考えていたのでした。ですからコハラさん、あなたが俳優でいらっしゃると聞いて、親しみを感じるとともに、私の心に嫉妬が生じたことを打ち明けたいと思います」
コハラ「これは驚きました」
サティヤジット「そういうわけですからコハラさん、私はあなたに説教をするような気にはなれません。どうか、ひとりの友と打ち解けて談笑するという気持ちで話していただきたい」
コハラ「わかりました」
サティヤジット「それでは私が思っていることを率直にお話ししましょう。今日、バウッダであれ、ジャイナであれ、婆羅門であれ、アージーヴィカであれ、教義を立て、学派を成し、争っています。これは最も単純に表現すると、在家信徒、つまり施物を獲得するための競争と言うことができると思います。もちろん、これは素朴なもので、端的には馬鹿げています。ですが、私たちはそもそも素朴で、馬鹿げた生き物だとも思いますから、不思議なこととも思いません。それに、善くないことばかりではないとも思います。残念なことでもあるのですが、こうした競争を戦わないことには、例えばブッダシャカムニの教えは、後世には消えてしまうかもしれません。そうなるよりはましだと考える人がいても、不思議ではありませんし、それはそれで善いことなのかもしれません。もっとも、私はそのような行為をしたいとは思わないのですけれども」
コハラ「私の友サティヤジットさん、ありがとうございます。おっしゃろうとしていることを私は理解できたと思います。ですが私が知りたいのは、真理なのです。多くの人が多くのことを、これが真理だ、と言います。これらのうちでどれが真理なのでしょうか? どれが真理ではないのでしょうか? また私は漠然と、真理とはあるひとつのもののことだと思っていますが、そもそも真理とはある一なのでしょうか、それともそうではなく真理とは多なのでしょうか」
サティヤジット「私の友コハラさん、私が真理とはこれである、と言説を述べたとして、それであなたが、真理とはそれである、と感じることが起きるとお考えですか?」
コハラ「いいえ、ありそうにありません。もしもそういうことが起きるとすれば、演劇というようなものは不要ということになります。劇場は不要です。俳優は不要です。音楽は不要です。朗唱は不要です。演技も舞踏も不要です」
私たちは心から笑った。
コハラ「これは妙なことをお聞きしました。すみません」
サティヤジット「善いのです。久しぶりに大いに笑うことができました」
コハラ「演劇と言えば、アショーカ王の依頼で、今度のインドラの旗祭りに、私たちは演劇を上演することになりました」
サティヤジット「何ですって? 是が非でも見に行かなければ」
コハラ「ですが、先の戦争で、私たちの劇団はナーイカと女パータカを失いました。姉はトーシャリで殺され、母はパータリプトラへ移送される途中で亡くなりました」
サティヤジットさんは瞬間的に感動(Rasa)に取りつかれた。それは私にも感染し、私たちはひとしきり泣いた。
サティヤジット「恐ろしいことです、悲しいことです。あなたとご家族がどんな思いをされたか、私はちらっと見ただけなのに、こんなに悲しいなんて。あなたとご家族がいったいどんな思いをされたか、私にはうかがい知ることもできません」
コハラ「はい。ですが、過ぎ去ったことなのは確かです。ですから、私たちは前に進まなければなりません。それで今日、劇の上演のために皆で話し合ったのですが、筋が思いつきません。アショーカ王からは、マガダとカリンガの人々の和解のためになるような、そんな感動(Rasa)を惹き起こすような劇を、と依頼されました。ですが、今の私たちはまだそのような境地に至ることができないでいるのです」
サティヤジット「もっともなことです」
コハラ「それで市場でサティヤジットさんをお見かけする前に、従妹のドリティ、彼女は優れたタンプーラ奏者で抒情豊かな伴奏歌手ですが、彼女と話していましたら、彼女が驚いたことを言ったのです。私もそうしたことを漠然と感じてはいましたが、彼女は学識があるわけでも、思索的な人でもありませんが、一流の演劇人だったのです。はっきりと説きました」
サティヤジット「教えてください。ドリティさんは何を説かれたのですか?」
コハラ「私は、善いこととはどんなことなのだろうか、あることであるとして、それはどういうわけで、善いことであると見做すことができるのだろうか、と問いました。すると彼女は、それは演劇が教えてくれています。善いこととは、観客に感動(Rasa)を生じさせるもののこと、もしくは、その感動(Rasa)そのもののことです。非暴力、慈悲、同情、共感、繁栄、栄光、そうしたものが舞台で上手に表現されるとき、観客に最も強い感動(Rasa)を惹き起こします。このことから、私たちはこうしたものが善いことだと知ることができるのです、と説いてみせたのです」
サティヤジット「うーん、ドリティさんは間違いなく一流の演劇人であり、賢者です」
コハラ「はい。ですが、私は愚かにも食い下がったのです。そうしたものが善いことだとして、善いことをすることが善いことだということは、言えるのだろうか。つまり、善いこととは、あることの役に立つ、というふうなことが言えるのだろうか、と」
サティヤジット「ははあ、読めましたよ、コハラさん。しくじりましたね。最終的にあなたは、全ての教義を覆す獅子よろしく、チャールヴァーカの見解を開陳したのでしょう」
コハラ「お恥ずかしい」
サティヤジット「いや、ドリティさんにはお気の毒でしたが、コハラさんのお気持ちは理解できますよ。コハラさんは、チャールヴァーカにとっての倫理の根拠、生きる意義の根拠を探しておられる。当然それは神や来世ではないから、なかなか見つからない。しかしコハラさん、あなたがそんなにそうしたものを探しておられるのは、あなたがすでに敬虔な方だからではないですか? あなたは善を求めていますね? 求めるからには、善がどのようなものか、あなたはすでに知っているのではないですか? 食べ物を求める人が食べ物がどのようなものか知っているように。あなたのその敬虔性は、ドリティさんが説かれたような、演劇上の経験から、もうすでに手中にされているものなのではないですか? つまりあなたは倫理の根拠、生きる根拠、善を探しておられるけれども、実は、もうすでに持っておられるか、あるいは、目の前に落ちているのではありませんか? 例えば目が、目はどこにあるだろうと探すようなものなのでは? 私が、私はどこにいるだろう、と探すようなものなのでは?」
もう充分であった。私の悩みはすでに消えていた。
サティヤジット「ドリティさんの説に私は強く賛同します。演劇は美を表現することで、感動(Rasa)を惹き起こし、それによって私たちに意図せずして善を支持せざるをえなくなさしめるものである、と私は主張します。演劇がそのような意味で善いものだとして、では善いこと、つまり演劇は役に立つと言えるかどうか? 役に立つと言えるでしょう。上手な演劇が、マガダ人とカリンガ人を和解させるのであるならば」
私は猛烈な感動(Rasa)に襲われ、サティヤジットさんと一緒に、大いに泣いたのである。
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