第1話 歩き回って歌う(Parivartanī Dhruvā. Walking-round)
登場人物
コハラ:Nāyaka(Hero)。カリンガの俳優。劇団の助監督。チャールヴァーカ(唯物論者)。
スンダリー:Nāyikā(Heroine)。カリンガ王女。ジャイナ教徒。
ヴァーティヤ:コハラの父。劇団の監督。朗唱歌手。タタ(リュート)奏者。ジャイナ教徒。
ブダセーナ:スシラ(フルート)奏者。コハラの大叔父。
ヴィプラ:タブラ奏者。コハラの叔父。
ドリティ:タンプーラ奏者。伴唱歌手。ヴィプラの娘。
スプシュカラ:スンダリーの従者。使徒(Messenger)。
ウグラ:スンダリーの従者。巨躯の豪傑。
マンダカ:スンダリーの叔父。
アショーカ:マガダ王。またの名をマガダの獅子。
クシャラ:アショーカの親衛隊長。隠れ演劇通。隠れスンダリー信奉者。
スバドランギ:アショーカの母。朗唱歌手。元女優。
チャーナキャ:マガダの大臣。アショーカ王の幼馴染。下品な実利主義者。一方で勤勉で有能な政治家。
サティヤジット:樹下にひとり住む仏教僧。幼少時の夢は俳優。
何が起こっているのかわからなかった。だが確かなことがひとつある。マガダがカリンガを攻め、カリンガが敗れ、私たちが捕囚となり、パータリプトラに移送されていることだ(*)。トーシャリを出て何日歩いたか、もうわからない。生き残った私の家族、すなわち5人の劇団員は、私を含め皆もう死にかけていた。私はすでに、この行進が永遠に、少なくとも死ぬまでは続くと信じ始めていた。
*移送されていることだ 「天愛喜見(デーヴァナンプリヤ・プリヤダーシ)王の灌頂8年に、カリンガが征服されました。15万の人々が移送され、10万の人々が殺され、さらに幾倍かの人々が死にました」
アショーカ王14章摩崖法勅 第13章
ヴィプラ「王と王子はトーシャリで討ち死にしたらしい」
コハラ「それがどうしたんです? 叔父上」
ヴィプラ「さっき、王と王子が勇敢に戦った姿を見た人たちが言っていたんだよ」
コハラ「つまり、何が言いたいんですか? 叔父上」
ヴィプラ「戦士たちも立派に戦った。それは私たちも見たことだ」
ブダセーナ「そうだとも。そしてセナーもな」
ドリティ「大叔父上、やめてください。セナー姉様の話だけは」
ヴィプラ「セナーもまた勇敢に戦ったのだと讃したかったのだ」
ブダセーナ「そうだ。セナーは最後までアドブッタ・ナーイカ(*)であった」
*アドブッタ・ナーイカ Adbhuta(素晴らしい) Nāyikā(ヒロイン。主演女優). 「演劇で認められる8つのRasa(感動)は次の通りです:官能(śṛṅgāra)、可笑しい(hāsya)、悲しい(karuṇa)、怒り(raudra)、英雄的(vīra)、恐ろしい(bhayānaka)、忌まわしい(bībhatsa)、そして素晴らしい(adbhuta)」
Nāṭyaśāstra. Ⅵ, 15
「女神、女王、高貴な家系の女性、遊女の4つの階級に分類されるナーイカについてお話しします。これらは、その特徴によって、自制心のある (dhīrā)、気さくな(lalitā)、高貴な(udāttā)、慎ましやかな(nibhṛtā)など、さまざまな種類があります」
ibid. XXXIV, 25-27
ブダセーナ「そしてカイシキーもまた最後までアドブッタ・パータカ(*)であった」
*パータカ pāṭhaka. 朗唱歌手。「劇の意味が、パーティヤ(pāṭhya. 朗唱)の直後に鋭い心によって把握できる場合、それは表現の直接性(artha-vyakti)の例です」
ibid. XVII, 103
ヴィプラ「その通りだ」
ドリティ「大叔父上、父上、もうたくさんです。セナー姉様やカイシキー叔母様をどんなに讃えたって、もうあのおふたりが舞台に上がることはできないのです。おふたりは亡くなられました」
ドリティはわんわん泣いたし、叔父と大叔父はすすり泣いたが、それでも歩き続けていた。私は悲しみ(*)を通り越して、絶望(*)に達していたと思う。泣くこともなく歩き続けた。父も同じであったかどうかわからないが、泣くことなく歩いていた。父は朗唱を始めた(*)。
*悲しみ、絶望 「永続的な心理状態(sthāyibhāva)は、愛、喜び、悲しみ、怒り、活力、恐怖、嫌悪、驚きであることが知られています。相補的心理状態(vyabhicāribhāva)は、落胆、脱力、不安、嫉妬、酩酊、疲労、怠惰、憂鬱、不安、注意散漫、回想、満足、恥、不安定、喜び、動揺、昏迷、傲慢、絶望、焦り、睡眠、てんかん、夢、覚醒、憤り、偽装、残酷さ、確信、病気、狂気、死、恐怖、熟考であることが知られています」
ibid. Ⅵ, 17
*歩いていた。父は朗唱を始めた 「ここで、開始の儀式についてお話しします。この儀式は、祝福の朗唱者がまず舞台で演劇の演技を始めることから、このように呼ばれています...歩き回り(Parivartana)は、舞台監督が舞台中を歩き回りながら、世界の守護神を讃える歌を歌う(Dhruvā)ことから、このように呼ばれています」
ibid. Ⅴ, 22-24
叔父がボル(口打音)を呟き、大叔父は口笛を吹いた。
ヴァーティヤ朗唱
我らはこの苦しみを省察しよう。この苦しみをよく味わおう。
そうすれば、決して忘れはしまいから。
ドリティ伴唱
何のためにですか?
ヴァーティヤ朗唱
生き延びるために。生き延びたのちのために。
この苦しみを省察してよく味わったなら、我らはいったい誰を同じ目に会わせるだろう。
この苦しみを省察してよく味わったなら、我らの劇はそれを人々に伝えるだろう。
ドリティ伴唱
そうです、私たちは生き延びたなら、決して誰かを同じ目には合わせません。
そうです、私たちは生き延びたなら、劇によってこの苦しみを人々に伝えます。
ヴァーティヤ朗唱
我らはこの悲しみを省察しよう。この悲しみをよく味わおう。
そうすれば、決して忘れはしまいから。
ドリティ
何のためにですか?
ヴァーティヤ朗唱
生き延びるために。生き延びたのちのために。
この悲しみを省察してよく味わったなら、我らはいったい誰を同じ目に会わせるだろう。
この悲しみを省察してよく味わったなら、我らの劇はそれを人々に伝えるだろう。
ドリティ伴唱
そうです、私たちは生き延びたなら、決して誰かを同じ目には合わせません。
そうです、私たちは生き延びたなら、劇によってこの悲しみを人々に伝えます。
ヴァーティヤ朗唱
これはなんと善いことだろう。
これはなんと有り難いことだろう。
ドリティ伴唱
なんて善いことでしょう。
なんて有り難いことでしょう。
そうして私たちは生き延び、パータリプトラにたどり着いた。
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