第6話

「ええと、そう。磁気刺激の話だったな。フリームテック社は脳への磁気刺激に着目して夢への介入を考えたわけだが、磁気刺激の技術だけでは夢を自由に見させるのは困難だった。技術が飛躍的に進歩したのは人工知能技術の発展のお陰だ。フリームテック社は人間の見る夢の内容と、その時の脳波を何万人分と揃えて解析し、ようやく、脳内の動きと夢の情景が科学的に紐づけられることになった。ディープラーニングにおける人工ニューラルネットワーク……脳神経回路の模擬構造と脳との類似性の高さも、有効に働いたんだろう。なにせ、相手にしてるのは夢を見ている脳なんだからな」

「人工知能で、夢を……」

 思わずこぼすと、美亜子は愉快そうな顔をした。

「君の言葉で思い出したが、ほら、ディックという作家がいるだろう。人間と見た目は寸分たがわぬアンドロイド、果たして彼らは夢を見るのか……。その答えは現代になってようやく解き明かされたわけだな。今やアンドロイドは人の夢を理解できるし、人に夢を見せてやることもできる」

 美亜子は、試すような目を三宅に向けた。

「そしてこれが、先ほどの君の質問に対する答えだ」

 そう言われても、三宅はぴんとこなかった。授業でプログラミングを習ったことはあったが、あくまで数値をグラフ化するとか、初歩的な内容ばかりだったからだ。ディープラーニングまで立ち入ったことはなかった。

「ええと。まだよく分かりません」

「……少し、意地悪だったかもしれないな」

 ふっと、美亜子は息を吐いた。

「正確には、機械は夢を理解しているんじゃない。夢を見ている脳波と情景を形式的なデータセットとして蓄積しているだけだ。そして、それを人に投影しているだけ。結局のところ、夢は夢を見る当人に委ねられる。夢を見ているか、見ていないかは、依然として主観的意識の枠を抜け出せないんだよ」

 美亜子は、カップの縁を人差し指でなぞる。その顔はどこか夢を見る技術を快く思っていないように感じられた。それも当然かもしれないと三宅は思う。科学の発展は、夢をオカルトの座から引きずり下ろしてしまった。古来から夢に特別な意味を見出してきた人間にとって、そして美亜子にとって、それは辛いことなのではないか。

「先輩は、夢はオカルトのままであってほしかったですか」

 視線を動かさないまま、美亜子は首を振った。

「さっきも言ったように、神秘が科学によって明かされていくのは、拒むところではないよ。あるべき姿だと思う。ただ……。形容するなら、毛を刈られた羊を見る気分というのか。神秘のヴェールが取り払われ、科学でもオカルトでもない〝意識〟や〝魂〟が残る……。日本で言えば霊魂、キリスト教ならばプシュケー、それは神の領分だ。そんな手出しできないところへ行ってしまったのが、残念なのかもしれないな」

 少し、沈黙が訪れた。

「……でも、驚きました。先輩がFREAM界隈にこんなに詳しいなんて」

「いや、詳しいというほどじゃない。これ以上のことは、私も知らないしな」

 そっけなく言って、美亜子はコーヒーを飲み干した。

「飲めよ。冷たくなる」

 言われて、三宅は慌ててコーヒーを口に含んだ。すっかりぬるくなっている。美亜子の話に聞き入って、その存在を忘れていた。

 美亜子は立ち上がって、再びコーヒーを作りに部屋の隅へ行った。小さな背中から伸びる白いうなじを、三宅はぼんやりと眺めた。その姿を、夢で見た少女の姿と重ねた。

 今朝見た夢は、自分の記憶から再現された誰かだったのだろうか。美亜子であり、千紗都であり、鮎川であり、あるいは神代である誰か。それとも、古市皐月ふるいちさつき……。

 突然の胸のむかつきを覚えて、三宅は思わず口を手で覆った。指先が痺れる様な寒気が襲ってくる。静かに深呼吸して、悪寒が去っていくのを待った。幸い美亜子が戻ってくる前には、発作的な身体の異常は落ち着きを見せていた。

 美亜子は三宅の方をちらりと見たが、異変に気付いた様子はなかった。

「ようやく、ここからが本題だ。フリームテック社は夢のテンプレを販売し、FREAMのユーザーはデバイスにそれらをインポートすることで、意図する夢を見る。ここに幽霊がどう介入するかだが……」

 甲高いノックの音が二回、部室に響いた。

 三宅は、はっとして扉を見た。身体が強張るのを感じる。

「……かまわない。入っていいぞ」

 扉の方に向かって、美亜子が言った。

 扉を開けた女子生徒を見て、三宅の身体の硬直は解けていった。

「あれっ。雄一!」

 御舟千紗都みふねちさとは、三宅に気付いた様子で、ぱぁっと顔に笑みを浮かべて入ってきた。ぱっちりとした大きな瞳や、顔に浮かぶ左頬のえくぼが、愛嬌を感じさせる。

「どうしたの? 遊びに来てくれたんだ?」

 三宅は、さっと美亜子の方を見た。さきほどの話を千紗都には聞かせたくはない。話せばきっと千紗都を心配させる。迷惑をかけてしまう。自分の事情で彼女に負担をかけるのは、三宅が絶対に忌避することだった。

 美亜子の目線と一瞬だけ、交錯したのが分かった。その瞳は頷いたように見えた。

「私が三宅を呼んだんだ。人が居なくなって寂しいから話し相手になれ、とな」

「もう。私がいるじゃないですか。でも意外。先輩がそんな寂しがり屋だなんて」

 美亜子の隣の空席に腰を下ろした千紗都は、鞄を床に置いた。

「たまには千紗都以外に講釈し甲斐がある後輩が欲しいんだよ、私は」

「もしかして、雄一を無理やり連れてきたわけじゃないですよね?」

 千紗都はじっと美亜子の方を見た。

 二人の会話を、三宅は慌てて遮る。

「いや、俺も話したかったから。美亜子先輩の話は、興味深いし」

「だそうだ。千紗都も少しは私を崇めろ」

「崇めてますよ。今日も、お菓子を作って持ってきたんですから……」

 千紗都は足元に置いた鞄を開けて、中を探り始めた。

「じゃあ俺は、このあたりでそろそろ失礼します」

「えっ。いてっ」

 円卓が大きく揺れた。千紗都が鞄をまさぐった格好から勢いよく頭を上げて、強かに打ちつけたのだ。

「大丈夫か?」

 三宅が声をかける。

 苦悶の呻きを上げながら、千紗都は頭を押さえている。

「……もっと、ゆっくりしていけばいいのに。私も、話したいことが……」

 切れ切れに話す千紗都の声は、痛みを堪えているようだった。

「部活の邪魔しちゃ悪いし。……先輩、ありがとうございました」

「ねえ。もう少しいたら? ほら、お菓子もあるし」

 その千紗都の言葉に、三宅は奇妙な感覚を覚えた。彼女はあまり誰かにしつこくする性質ではないのだ。千紗都の誘いに後ろ髪を引かれそうになりながらも、千紗都に迷惑を掛けたくない気持ちが勝った。

「ちょっとした用事もあるんだ。親に買い物を頼まれてて」

 強く引き止められないうちに、三宅は鞄を掴んで立ち上がる。部屋を出ようとした背中に、美亜子の声が飛んだ。

「いつでも、連絡してこい」

 振り向くと、美亜子のまっすぐな瞳とぶつかった。彼女は自分を気に掛けてくれているようだった。千紗都もまた、頭を押さえたまま、濡れた瞳でこちらを見つめていた。後ろ暗い気持ちを押さえつけて、三宅はぎこちない笑顔を作った。

「また、来ますよ」

 そう言って、後ろを振り向かずに部室を出た。

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