第5話
「それで? 世間話をするために立ち寄ったわけじゃないだろう。幽霊の話は?」
三宅は、今朝見た少女の夢のこと、世間で話題になっているという夢幽霊の噂を美亜子に話した。
「なんだか、よく似たような夢の気がして。先輩なら、夢の中の幽霊のことを、なにか知ってるんじゃないですか?」
三宅が話す間、黙って聞いていた美亜子は、考えるような顔のまま立ち上がった。
彼女は陳列棚と化している棚の方へ歩いていく。そして、棚の脇にある小さめの机に置かれた金属缶を手にとった。机にはポットや布を被った茶器のようなものが置かれている。
「コーヒー、飲むか?」
三宅は頷いた。美亜子は話が長くなると考えたようだ。
ポットには既にお湯が入っていたようで、美亜子は金属缶から粉のインスタントコーヒーを掬ってカップに入れ、手慣れた手つきでコーヒーを作ると、三宅に差し出した。
三宅は、受け取ったコーヒーを一口飲んだ。水っぽくてやたら苦いインスタント特有の味がした。
美亜子は、どさり、と元居た席に座って、コーヒーをうまそうに飲んだ。おそらくコーヒーっぽい苦みのものなら、特に味へのこだわりはないのだろう。
カップから口元を離した美亜子は、ふっ、と一息吐いてから話し始めた。
「君は昨日の夜から今朝に掛けて、FREAMを使っていたんだよな。その機構について、どの程度詳しい?」
「ええと、改めてどの程度と言われると……。機能で言えば、夢を選んで見られる、ってことでしょうけど、中の構造なんかはさっぱりです」
携帯電話と同じだ。何ができるかは分かるが、どういう仕組みだとか、どうやって動いているかとかは、よく分からない。
「では、そこから話そうか。といっても、さしあたり脳や夢の仕組みからだな。夢の心理学的な側面は置いておいて、機械の機構を知るには、まず一般論での生理学や神経科学を理解する必要がある」
美亜子は人差し指で、こんこん、と頭を突く仕草をした。
「まず脳だ。通常、人間が外界を知覚するプロセスというのは、こうだ。感覚器官に存在する受容細胞が刺激されて電気信号が生じる。信号はニューロンを通じて脳に送られ、感覚情報が脳の大脳皮質で認知処理されることで、人は世界を知覚することができる。これがおおざっぱな脳の知覚プロセスだ。その後、脳では感覚情報を思考したり、運動指令を発したりする。また、脳自体はこうした知覚や指令の機能だけではなく、記憶領域も持っている」
それぐらいなら、なんとなくわかる。三宅は確かめるように頷いた。
美亜子はそれを見て、意地悪そうな顔をした。丸眼鏡の奥の瞳が煌めく。
「ここで一つ質問を考えてみよう。夢では、君は人が話しているのを聞いたり、色彩豊かな風景を見たり、あるいは痛みを感じたりすることがあるよな。夢を見ているとき、脳はどこから刺激を得ているんだと思う?」
唐突に訊かれて、三宅は考え込む。
そんな経験を思い出そうとする。夢の中で音楽が流れていると思って、目が覚めるとその音楽が実際に聞こえていたことがあったように思う。耳が受けた刺激が夢に現れた……ということだ。
「……その場合も、やっぱり外から受けた刺激が、夢に繋がっているんじゃないでしょうか」
「うん、それもある。関連する事例はいくつもあって、アルフレッド・モーリーというフランスの学者は、ヘッドボードが首に落ちてきた感覚で、断頭台にかけられる夢を見たという。他にも、入眠時の身体に刺激を与えておいて夢を見るという実験を、身体中で試して夢への影響を確かめたそうだ。鼻先でマッチをこすったら、海辺の火薬庫が爆発した夢を見たりな。だが大半の夢は、寝ていては知覚しようのない視覚を伴っていたりするだろ? 夢を見ているときの脳は、外部からの刺激を処理するだけでなく、脳が自律的に活性化しているんだ」
「それは……つまり、脳が勝手に感覚を生み出している、と?」
口にしてみると奇妙な感覚がした。目の前の美亜子と話しているのが現実世界なら、夢の中とは、まさに精神世界ということになる。
「そういうことだ。ただ、厳密には活性化する部分がある一方で、不活性化する部分もあると言われている。知覚や運動感覚に関わる大脳皮質、情動に関わる大脳辺縁系は活性化するが、論理思考や認知記憶、自己認識に関わる部分は抑制される。夢の中の感覚が鮮明な一方、いかに奇妙な夢でも疑問に思わなかったり、夢の中で起きたことを記憶できなかったりするのは、そのせいだ」
「なんだか……よくできた話ですね」
「冗談を言ってるわけじゃないぞ?」
美亜子がじっとりとした目でこちらを睨んだので、慌てて弁明する。
「いや、その。疑っているわけじゃないです。夢と現実の人間の機能が、こうもリンクしているものかと驚いただけで」
「まあ、たしかに、できすぎているという感想は私も理解するよ。もっとも、FREAMで見る夢を人工的な夢とするとき、人はなぜ自然発生的な夢を見るのか、とか、まだまだ分からないことの方が多いんだけど」
「夢を見ることが人間に必要だからでは?」
「夢を見ない人間もいるんだ、生命維持に絶対に不可欠という訳ではないだろう」
「じゃあ……」
言葉に詰まった三宅に、美亜子は諭すように言う。
「専門家が現代技術で脳をこねくり回しても未解決なんだ。この内容は私たちがいくら知恵を絞っても、妥当らしい解は導けないと思うぞ」
その通りだと思って、言葉を呑み込んだ。一介の高校生に考え付くような話なら、既に研究しつくされているだろう。ただ、三宅には一つ気になったことがあった。
「でも、生涯で一度も夢を見ない、なんてことがあるんでしょうか。実はそういう人達は夢を忘れてしまうから、見ないと言ってるだけ……とか。それなら、人間には夢が必要という話は、まだ筋を通せますよね」
「それは夢の持つ根本的な問題を含んでるんだが……」
美亜子は苦々しい顔をした。
「夢を見ないと語る人にも夢の兆候は見られる。睡眠時の状態は大きく二つ……レム睡眠、ノンレム睡眠に分けられるが、中でも眠りが浅いレム睡眠の際に夢を見るのが大半とされている。レム睡眠の被験者を起こして、見ていた夢の内容を聞くという睡眠実験が夢の研究で行われているんだ。このレム睡眠やノンレム睡眠は、夢を見ないと言っている人たちにも存在するんだが、彼らをレム睡眠の最中に起こしても夢は見なかったと答えたらしい」
そこまで滔々と喋ると、美亜子は喉が渇いたのかコーヒーを一口飲んでから、カップをゆっくりと置いた。カップを眺め、思いつめたような顔をする。
「つまるところ、夢は主観的な意識の産物なんだ。夢を見ているか見ていないかは、本人にしか分からない。答えを答えとして信じるしかないんだよ。……似たような議論でな、こういうものがある。君は、胎児が夢を見ると思うか?」
美亜子が訊ねる。
真っ先に思い浮かべたのは、
「夢は、脳が見せる幻覚のようなものなら……胎児も脳が作られてからは、夢を見るんじゃないでしょうか」
美亜子は頷いた。しかし、三宅の回答をいいとも悪いとも応じなかった。
「妊娠二十六週の胎児は、ほぼ一日中レム睡眠下にあるという話もある。胎内で外界から遮断され、夢を見るには申し分ない状況だ。だが彼らが実際に夢を見ているかどうか、その結論は〝わからない〟なんだよ。我々に胎児と意思疎通する手立てがない限りはね」
ようやく、夢の問題、というのが三宅にも分かった気がした。
夢を見ている人間をどれだけ科学的に突き詰めても、最後に行きつく夢特有の主観的意識の証明ができないのだ。しかしそうだとすれば、どうやってフリームテック社は主観的意識のはずの夢を、さも客観的に人間に与えてみせるのだろうか。
「でも、フリームテック社は夢を解読できたから、夢を操作できるんじゃないんですか? その技術を使えば、胎児でもどんな人でも夢を見ているかは分かる気がしますけど」
三宅が考えながら言うと、美亜子は滲みだしたような笑みを口元に浮かべた。
「……私はその批判的思考、猜疑心を君の誇るべき面だと思うよ」
三宅は思わず、どきりとした。三宅の過去を揶揄したような言葉のように聞こえたからだ。だが、美亜子は何も知らないはずだ。千紗都が話すとも思えない。
三宅が口を開けないでいると、彼女は椅子の上で居住まいを正した。
「君の質問に答えるために、夢を見させる技術の話に移ろうか。フリームテック社の開発した磁気型睡眠時夢誘導端末——通称、FREAMは磁気で脳を刺激して夢を誘引する。磁気が脳内の意図する箇所に渦電流を誘導し、脳内に人為的な電気信号を生じさせることで、使用者に夢を見せている。つまりは、夢を見ている人間の脳を人為的に再現している、と言えばわかりやすいだろう」
「え。大丈夫なんですか、それ」
「うん。実際に、昔からうつ病の治療なんかでも、磁気を利用して脳に電気刺激を送るという技術自体は使われている。
三宅は舌を巻いた。オカルトには滅法詳しいと思っていたが、現代の科学技術にも随分と造詣が深いようだった。美亜子はそんな三宅の様子を察したのか、小さく笑って繕った。
「意外か?」
「てっきり、先輩の専門はオカルトかと」
「まあ、夢の源流は、はるか昔からオカルトだからな。ギルガメシュ叙事詩では未来予知、旧約聖書では神の啓示、古代メソポタミアでは夢占い。私の興味は、そんなオカルトの追及のためだよ。十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない……アーサー・チャールズ・クラークの言葉だ。逆説的に言えば、オカルトを見極めるためには、必然的に科学を理解する必要がある。科学で説明できることをオカルトで解釈するのは、ただの狂信家だ。私が求めているのは、科学で説明ができない純粋神秘学だから」
美亜子は遠くを見つめるような顔をした。
それなりに美亜子のことを知っていると思っていた。美亜子の新しい一面を見たような気がして、三宅は内心で感嘆していた。その思想は崇高にすら感じられる。
この部活から部員が離れていったことが、理解できるような気がした。
美亜子のようにストイックにオカルトを追求する姿勢を、真似できないと思ったのだろう。この自称進学校で、実績も作れず趣味にしても持て余すオカルト研究部は、部活など暇つぶしか、コミュニティ造りとしか考えない生徒達にとっては何のメリットも無かったに違いない。特に美亜子が部長となってからは。
「私の話はもういいだろう。話を戻そうか」
美亜子は話を切り上げた。思えば、美亜子が自分の口から自己の思想を語ったのは、初めてに思う。彼女なりに会話を楽しんでいるのかもしれないと、三宅は思った。
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