第4話

 足は、昇降口とは違う方向に進んだ。後ろから誰かが追いかけてくる気配はなかった。

 歩くにつれ火照った頬が平熱を取り戻す。三宅は先ほどの諍いを後悔し始めていた。

 自分が間違ったことを言ったとは思わない。だが、言い過ぎだった。明日から自分は悪者で、神代は群れた女たちによって被害者に祀り上げられる。敵も味方もいない、空気のような地位が自分にとって最善だと、分かっていたはずなのに。

 考え事をしながらも、三宅の足は自然と進んでいた。生徒達の教室が入っている教室棟から、二階同士をつないでいる半屋外の渡り廊下を通って部活棟へ進む。

 頭を切り替えようと、三宅はゆっくりと呼吸する。

 もう、起こしてしまったことは仕方がない。問題は、夢の件だ。鮎川から話を聞かない選択をした以上、他の情報源をあたる必要がある。

 三宅には、この手の情報が一番集まっていそうな場所に覚えがあった。一時期、居場所を求めて入り浸っていたのだが、当時の部長の積極的勧誘活動によって部員が増え、居心地が悪くなってからは、ほとんど訪れる機会がなくなってしまった。だが今は、背に腹は代えられない。

 部室棟の二階廊下は、部活に向かう生徒たちで賑やかだった。その様子を尻目に、三宅は階段を登る。

 三階では生徒たちの声はいくらか静かになって、四階になると遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえる以外は、すっかり静寂だった。廊下に生徒の姿はない。歩いていると、時折どこかの部室から、小さな話し声が聞こえてくる。

 三宅は目当ての部室の前で立ち止まった。廊下に突き出している標識には確かに、オカルト研究部とある。無くなっていたらどうしようかと思ったので、安心した。

 扉を開けようと思ったとき、奇妙な違和感があった。ふと扉を見回してすぐ、その違和感の正体に気が付いた。

 教室や部室のスライド式の扉には、衝突防止のために上部に曇りガラスが嵌められているのが常である。扉の向こうの人の存在を知るためだ。ところが、この部室の扉の窓部分には、黒い画用紙に白字で描かれた逆さの五芒星が飾られている。何らかの呪術的な意味合いがあるのだろうか。たったそれだけの意匠が、三宅の手を止めさせた。こうした奇人変人っぷりを披露する人物に心当たりがあり、むしろ自分はその人物を頼って部室を訪れたはずなのに、気後れしてしまっている。

 だが、突っ立っていてもどうにもならない。三宅は意を決して、扉をノックした。

 返事はなかった。

 そっと扉を引く。鍵はかかっておらず、木の擦れる音を立てて扉が開いた。

 以前訪れた時からの室内の変容に、三宅は少なからず驚き、肝を冷やした。

 部屋の中心には円卓があり、卓を囲むように椅子が置かれている。部屋の両端には本棚があって、かつては怪しげな本が並んでいた一角が、今や様変わりしていた。市松人形、ビスクドール、ブードゥー人形、マトリョーシカなどの数多の人形がところ狭しと並び、無数の目が室内を見渡していた。人形だらけの部屋……もし『匣の中の失楽』の黄色い部屋が現実に存在したとすれば、このような装いなのだろうか。たとえ人形と分かっていても、ぞっとする装飾である。その棚はオカルトグッズの陳列棚となったらしく、人形に追いやられた水晶玉や、何に使うか分からない湾曲した金属製の器具や容器、瓶詰めされた乾物みたいなものがずらりと整列している。

 次に目に飛び込んできたのは、窓を隠しているカーテンだった。

 陽光を遮断している黒いカーテンには、大きな星型紋様が描かれている。その角数は五芒星より随分多い。そのカーテンの下、入口に対面するように置かれたソファに自然と目が向かい、三宅はぎょっとした。

 大きな人形が横倒しになっている。円卓が遮って全貌が見えないが、その顔はまっすぐ天井に向けられていた。

 三宅は足音を忍ばせてゆっくりと、人形の方へ近づいた。

 人形は女子の制服を着ている。長いスカートから覗く足や顔は青白く、生気が見られない。三宅は心臓が荒々しく脈打つのを感じた。その顔には、見覚えがあった。もしかして、彼女もまた、予期せぬ夢の中で幽霊と出会い……。

「趣味が悪いな。三宅」

 人形は、やおらに目を開いた。

 うめき声を上げた三宅をよそに、人形は傍らに置いていた丸縁の眼鏡を掴み、体を起こす。眼鏡をかけた女子生徒は、小さな丸顔に黒く無骨な丸縁眼鏡が酷くアンバランスだった。

「寝ている女性の顔を覗き込むのは、感心しない」

「寝てたんですか……。驚かせないでください」

「いや、寝ていない。正確には横になって目を瞑っていた。私は目を開けただけで、勝手に驚いたのは君の方だろう」

 南美亜子みなみみあこは青白い顔のまま淡々と答えた。そして、座ったまま伸びをする。

「それは、そうですけど」

「何の用事だ? 部活に戻ってくる気になったか?」

「いえ、今日は聞きたいことがあって」

「幽霊の話か」

「なんで……それを」

 美亜子はにやりと口を歪める。

「当てずっぽうだよ。つい最近のトレンドと、君が何故わざわざ今日に限って、私を訪ねたのかを考えてみただけだ」

 ソファから立ち上がった彼女は、円卓の椅子の一つへと座りなおした。そして、傍らの椅子を三宅に勧める。

 誘われた椅子に座り、鞄を床に置いた。以前は学校の備品のパイプ椅子だったが、木製で座面にクッションがある椅子に変わっていた。

「今日は、部活は休みですか」

「いや、活動日だ」

「その割には、部員は来ていないようですけど」

「一名を除いて揃ってるな」

 三宅は首を傾げる。

 部活から足が遠のく前は、十人以上は部員が居たはずだった。椅子が足りない、と当時の部長が生徒会やら教師陣やらと交渉するために東奔西走していたのを覚えている。

「……何か、やらかしたんですか?」

 何がおかしいのか、美亜子はくっくっと押し殺したように笑った。

「私が部長になって、少しばかり趣を変えてみたら人が来なくなってしまって。今では私と千紗都ちさとだけだ」

 美亜子が部長になったと聞いた時から薄々想像はしていたが、予想通りオカルト研究部は崩壊寸前らしかった。

「あの子も寂しがっているよ。名誉会員で良いから、たまには顔を出したらどうだ?」

「……いえ、遠慮しておきます。一度、辞めた身ですし」

「君の女嫌いも筋金入りだな。私や千紗都は平気なくせに」

 美亜子の瞳が、じっと三宅を見た。

 三宅は虚を突かれて返す言葉を失った。

 まさに三宅が部活動を忌避したのは、見知らぬ誰か——特に女子生徒と、この狭い部屋で毎日顔を突き合わせる事態だった。その性状は、千紗都以外は知らないはずだった。

「……千紗都はもちろんですけど、先輩もいいんですよ」

 それ以上のことを、三宅は口に出さなかった。

 三宅が美亜子を信じられる最大の理由は、御舟千紗都みふねちさとが美亜子を信頼しているからだった。もちろん第二の理由は、美亜子自身に裏表がなく、どこか胡乱なところはあるが一定の信用はおけるという、三宅の個人的な評価による。

「そうかい。まあいいよ、部活は無理に勧めるようなものでもないしな。気が変わったら、また声をかけてくれ」

「……はい。そのときは」

 そんな日は来ないだろう、という心の声を偽って返した言葉に、三宅の胸は僅かに痛んだ。

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