第3話
教室に着いて自席に座ると、早々に、予期していた会話が飛び込んできた。
「なあ、今朝ニュース見た?」
「見た見た。意識不明の話だろ」
窓際で群がる男子生徒たちが、興奮気味に話している。
今朝の家での会話が思い出されて、三宅は咄嗟に、ちらと周りを見回した。鮎川らしき人は見当たらない。
「それがさぁ。また、らしいんだよ」
「またって何が」
「例の、ネットで話題の夢幽霊の呪い。ニュースでやってた細田ってのが有名なインフルエンサーでさ。前日に幽霊のことを呟いてたらしい」
「眉唾だなあ」
三宅は、鞄の中から読みかけの文庫本を取り出して、机に置いた。本に挟んでいた、青い花をあしらった栞に指をかけて、読みかけのページを開く。時折、ページを捲ってみるものの、耳は完全に、その会話に集中していた。
「だから、また、ってのが話の肝なわけ」
坊主頭の男子生徒は息巻いて続けた。
「実は鮎川の兄ちゃんも、亡くなる前に見てたんだって。夢幽霊」
「偶然だろ。それに二人が見た幽霊ってのが、同一人物かも分からない」
サッカー部の髪の長い生徒は、懐疑的なようだった。
「鮎川の兄ちゃんと俺の兄ちゃん、交友があるんだよ。鮎川の兄ちゃんが話してたらしい。変な女の夢を見たって」
三宅はぴたりと、ページを捲っていた指を止めた。
「偶然とも言い難いんだ。鮎川兄とか、細田だけじゃなくて夢幽霊の書き込みはネットでポロポロあるんだよ。数十件のその全てが……」
坊主頭は声のトーンを少し落とした。その先の言葉はなんとなく予想がついていた。
「幽霊を見たって書き込んだ日以降、更新されてない」
サッカー部は黙ってしまった。
ネットの住民が面白がって、複数アカウントで自作自演しているかもしれないだろう、と三宅は心の中で反論する。それだけの情報で何かを判断することはできない。
しばしの沈黙の後、サッカー部は沈黙から逃れるように口を開いた。
「なんかの偶然だろう。どんな夢だって?」
「なんでも、皆が同じ夢を見てるらしい」
「同じ夢ねえ。怪しいなあ。口裏合わせの嘘っぱちじゃなけりゃ、違法売買されてる夢かなんかじゃないのか」
「まあ。ネットで話題になってる今では、どれが嘘かホントか見分けがつかないけど……。とにかく夢幽霊の最初の書き込みは夏らしいんだよね。最初期なら、お互いの書き込みを知らないから、口裏を合わせるのは難しいだろ。それにな、最初期の二件の書き込み、両方とも鍵アカウントだったんだよ」
「……鍵アカウント?」
「特定の人しか見れない非公開アカウント。つまりお互いの書き込みをお互いが見ることはできなかった。にもかかわらず、二人の書き込んだ夢幽霊の話はピッタリ一致してる」
「その夢の内容って?」
「これな、見ろよ。『黒い服を着た女が、うつむいて泣いている。声をかけたら目が覚めた』だって」
三宅は男子生徒達から盗み聞いた話を頭の中で反芻し、気が付けば終わりのホームルームになっていた。昼飯をどう食べたかも覚えていない。噂と照らし、今日見た夢の様子を想起しようとして、授業にはまったく身が入らなかった。
ホームルームを終えた生徒たちは、部活へ急ぐもの、帰宅するもの、教室に残って雑談に勤しむものなどで散り散りになっていく。噂話をしていた男子生徒たちは教室から居なくなっていた。部活へ行ったのだろう。
三宅は、ようやく鞄を持って立ち上がった。普段なら即時帰宅するが、確認すべきことがあると思っていた。
思い出し得る限り、今朝の夢と夢幽霊というやつは、よく似ている。ただ、違う点もある。女の子は俯いていたが、泣いていない。判然としない夢の記憶だが、それは間違いない。たかが噂だ、都市伝説だと切り捨てることは可能だが、このままなにもしないというのは、清潔な部屋に不快な虫が入り込み潜んでいるようで落ち着かない。
立ち上がった三宅の目線はそのまま、隣の席で帰り支度をしている鮎川沙百合に動いた。小麦色にうっすらと日焼けし、髪を後ろで束ねている彼女は、いかにも快活な少女の風貌に違いなかったが、その伏せがちな瞳には覇気がない。
三宅は口を開こうとして、血の気が引いていくのが分かった。鞄を持つ手を固く握りしめて、三宅は意を決する。
「……鮎川さんは部活、行かないの?」
鮎川が振り向く。その顔は表情に乏しい。
「……部活? その……最近体調が良くなくて、休んでるんだ」
机に向き直り、教科書を緩慢な動きで鞄に仕舞っている。やはりまだ、以前の鮎川のような元気はなかった。
「そっか……。体調、よくなるといいな」
「ごめんね。……ありがと」
気の利いた励ましの言葉も言えないことがもどかしかった。それどころか、彼女の傷を更に深く抉る質問をしなければならない。
口元まで出かかった言葉を、三宅は喉の奥に飲み込んだ。
傷ついた人間を、自分本位で更に傷つける。それは最も忌むべきことだと分かっているはずだ。代わりに口を衝いて出た言葉を、出来るだけ冗談っぽく聞こえるように言った。
「……なんで謝るんだよ」
「ふふ、そうだね。……ただ、皆に心配かけてる自覚はあるからさ」
三宅に向き直ってぎこちなく笑った鮎川は、酷く儚げだった。三宅は、胸がぎゅうと押さえつけられる心地がした。
「じゃあ、また明日」
「あぁ、また……」
言いきらないうちに、鮎川は振り返って教室の出口に向かう。
「……はやく……と……」
足早に去っていく鮎川の呟きは、教室の喧騒に掻き消された。鮎川が視界から消えてしまうまで、三宅はその後ろ姿を見送った。
「ちょっと三宅」
声とともに、肩まである黒髪をたなびかせて視界を遮ったのは、
「あんた、沙百合と何話してたの」
「何って、別に何も」
「いいから話しなさい!」
語気を強める神代は見るからに不機嫌だった。
鮎川を前にして彷徨っていた感情が、氷のように冷えていくのが分かる。なんでも自分の思い通りになると考えている、思い通りにしなければ気が済まない神代のような女を、三宅は心から憎んでいた。吹奏楽部に所属し、クラスの女子グループでも中心的人物である神代は、我が強く、三宅のような主張の薄い男子生徒には事のほか横柄だった。
「大した話じゃない。部活は行ってるのか、とかそれだけ」
「本当にそれだけ?」
「それだけだよ。こっち見てたなら、大して喋ってないことくらい、分かるだろ」
三宅はぶっきらぼうに答えた。
「それなら良いんだけど。あの子にちょっかい出さないでよね。そっとしておいてあげて」
声のトーンを落として、説教がましく神代は言った。
鮎川を自分が一番分かっているとでも言いたげな高圧的で不遜な態度に、三宅は先ほど見た鮎川の、儚げで消え入りそうな顔を思い出していた。
三宅は鮎川とは決して仲が良い訳ではない。それでも、ながらく隣でその様子を自然と目にしてきた三宅は、他の女子と比べても鮎川の善良さを感じ取っていた。だから、たとえ三宅であっても、意気消沈した彼女を不憫に思うくらいの分別はあった。
それゆえに三宅は、神代の態度が解せない。友人を称するならば、二カ月も経って腫物に触るような態度は無責任で無情ではないのか。
頭を巡る血液が急激に温度を上げた。三宅は鼻を鳴らした。
「そっとしておいた結果がこれなら、神代さんは大したカウンセラーだよ」
「……は?」
「神代さんの押し付けが有益だったのか無益だったのかは、今の鮎川さんを見たらよく分かるってこと」
途端、神代は自らの掌を、物凄い勢いで三宅の机に叩きつけた。その大音響に、僅かに教室に残って雑談をしていた生徒たちの会話がぴたりと止んだ。教室が静まり返る。
「……あんた何様のつもり? お前みたいな眼鏡に何が分かるって?」
上気した顔で、神代は叩きつけた手をわなわなと震わせている。
「少なくとも、鮎川さんが辛い状況にあるってことは分かる。ただ見ているだけなんてのは、利己的で卑劣な薄情者だ」
三宅は薄情者、という言葉を殊更に強調して、神代の目を睨み付けた。普段ならここまであからさまに相手を煽る言葉は吐かない。自分でも自分を見失っているのがわかった。
「友達なら友達らしく、もう少し声をかけてあげたらどうだよ。俺なんかが話すより、よほど気が紛れるだろうに」
三宅は、手に握っていた鞄の紐を肩にかけなおし、神代に背を向けた。神代が自分の考えを曲げることは無いだろうし、これ以上の話は無駄だ。
「おい! 逃げんなよ!」
「話があればまた明日にしてくれ」
大声で喚いている神代の声を背中に受けながら、三宅は教室を後にした。
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