第二章 彗星は落ちる

第一話


 青空の下、白い体操着を着た男子生徒たちがふざけ合いながらグラウンドを駆けている。砂埃を立てて賑やかに笑う彼等の中で、一層目立っている金色を私はひたすらに視線で追いかけた。


 降り注ぐ太陽の光を浴びた七星さんの金髪は、今日もキラキラと輝いている。勿論輝いているのはその髪だけでなく、体育の授業中にふざけ合う学生らしい七星さんの姿そのものが、思わず目を瞑りたくなってしまう程に眩しい存在だった。


福原ふくはら


 それでもその眩しさに抗うようにカッと目を見開いて、クラスメイトたちとふざけ合う七星さんの動きに合わせて忙しなく視界を動かす。


「おい、福原。」


 あぁ、クシャッとした笑みを浮かべた七星さん格好良すぎないか。こんな姿を拝めるのは、今だけの特権だ。彼から一秒たりとも目を離したくはない。


「福原!いい加減にしろ!」


「うわっ!?」


 両手に衝撃が走り、見ていた七星さんの姿が突然小さくなって視界から消えていく。


 慌てて顔を上げれば、神経質で有名な数学教師が眉間に深い皺を寄せて、私から取り上げた双眼鏡を片手に此方を睨んでいた。


「授業中にお前は何をやってんだ!」


「すっ、すみません!」


 数学教師の怒鳴り声が教室に響き渡り、現在四時限目の数学の授業の真っ最中であった事を思い出す。


 黒板にはいくつかの問題が書かれていて、その全ての問題を過去に習っている筈なのに馬鹿な私は一問も解答する事が出来なかった。


 まぁ、過去の私も授業なんてロクに聞いていなかったので仕方なくも思う。


「しかも、これはなんだ!?」


「あっ、えーと…」


 数学教師は私から取り上げた双眼鏡を忌々しそうに睨み付けながら、強い口調で問い掛けてくる。比較的にコンパクトな見た目の黒い双眼鏡は、この貴重な学生生活で七星さんの姿を一秒足りとも見逃さない為に先日ネットで購入したものだ。


 ずっと忘れられなかった七星さんがいる日々に、どうやら私は相当浮かれているらしい。


 体操着姿でやる気なく佇む姿や、クラスメイトたちと軽口を叩いて運動する七星さんを拝めるなんて、この窓側の席で良かったと心底思った程だ。


 七星さんの結婚にショックを受けて、飲めない酒を飲んで酔っ払い道路に飛び出したあの日。


 大型トラックに撥ねられてどうゆう訳か突然過去に戻ってしまい、懐かしいあの頃の七星さんに再び出逢ってから二週間が経った。


 この不思議な出来事が巻き起こってから二週間、私は走馬灯で見ていた過去の世界で、学生の頃と変わらない日常を送っている。


 しかし、あの頃とは違って今の私は、ずっと好きだった七星さんが他の人と結婚してしまう未来を知っている。


 その事を知った途方もない絶望も自分だけが前に進めない虚しさも、どうにも出来なかった感情が確かに今も私の中で渦巻いていた。


 だからこそ、昴さんにも宣言した通りに後悔しないために私は七星さんに関して出来る事は全てやりたいのだ。


 数年ぶりに感じる得体のしれない高揚感に、私は何処か夢心地だった。


 七星さんを見たいが為に双眼鏡なんて買ってしまう程に頭が馬鹿になっている。もう馬鹿を通り越して、阿呆だ。


 けれど、流石に授業中にも関わらず双眼鏡を片手に七星さんを眺めていたのはやり過ぎたかもしれない。


「はぁー、これは没収する。」


「えっ!?」


 深い溜め息を吐いて何処か疲れたような低い声でそう言った数学教師に、私は反射的に声を上げれば、直ぐに怒りを含んだ鋭い視線が飛んできた。


「すっ、すみません…」


 その視線から逃れるように俯けば、数学教師は再度溜め息を吐いて私の双眼鏡は没収されていった。


 少しの間だけ中断してしまった授業が再開されて、ふと感じた視線に周囲を見渡せば、クラスメイトたちの何処か呆れた視線が四方八方から突き刺さる。


 それを今更ながらに恥ずかしく思い、出来る限り身体を小さくするように再び俯いた。


 見た目は学生の頃に戻ったとはいえ、中身はクラスメイトたちとは違い立派な大人だ。いい歳して、本当に情けない。自分の馬鹿さ加減にうんざりしながら、四時限目の数学の授業は過ぎていく。


 暫くしてから、キーンコーンカーンコーンと学生時代に何度も聴いた懐かしいチャイムが鳴って、呆気なく授業が終わった。


 ガヤガヤと騒がしくなる校内に急かされるように、私は慌てて席を立ち上がり財布を片手に教室を後にする。


 廊下を歩く生徒たちの間を縫うように走り抜けて、目的である購買にまで辿り着けば、もう既にたくさんの生徒たちが群がり大層賑わっていた。


 そこに踏み込む事はせず、私は生徒たちの群れの中から、先程の授業中ひたすらに視線で追いかけていた金色を探す。キョロキョロと視線を巡らせていれば騒がしい人混みの中で、まるで目印のように光る金髪の彼を見つけた。


「七星さん!」


 そう声を上げて駆け寄ると、七星さんは「また、お前か」と少し呆れたような表情をして笑った。


 その表情は、過去に私が七星さんに付き纏っていた時と変わらないもので酷く懐かしさを感じる。


「はい!二週間前に、七星さんに助けてもらった福原千夏ふくはらちなつです!」


「それ、昨日も同じ事言ってたぞ?」


「七星さんに早く、私の事覚えてほしくて!」


「いや、色々強烈過ぎてもう忘れねぇよ。」


「ほっ、本当ですか!?」


 先程の体育の授業の後、七星さんは直ぐに購買にやって来たようで体操着にジャージを着たままの姿だった。


 七星さんはよく購買を利用するので、過去の私もそれを真似るように購買に行く事を心がけていた。そのまま続けられる七星さんとの会話に、何年経っても私は馬鹿みたいに舞い上がる。


 二週間前、突然過去に戻り七星さんに出逢えた衝動のまま告白をしたのにも関わらず、七星さんは私の事を拒絶することも無く、至って普通に接してくれていた。


 最悪のタイミングで告白した事もあり、翌日の七星さんの反応が怖くて仕方なかったけれど、勇気を出して声を掛けてみると七星さんは「あっ、昨日の奴か。」となんてことないように会話してくれたのだ。


 その事が嬉しくて、私は出来る限り七星さんと関わりが持てるように、あの頃の自分よりも積極的に七星さんに話し掛けに行っている。


 告白の件については、直ぐに返事はしないでくれと七星さんに懇願して、とりあえずは保留にしてもらえた。保留にしてもらえたとはいえ、私が七星さんを好きな事は変わらないので、これから少しずつ自分の事を知ってもらおうと毎日必死だ。


「おい、七星。」


 七星さんとの会話に幸せを噛み締めていれば、それを遮るような低い声が私達の間に割り込んできた。


 艶のある黒髪が揺れて、七星さんを呼んだ昴さんの不機嫌そうな視線が私に向けられる。


 そんな昴さんの視線に気付いていないのか、七星さんは「おー、昴。飯買えたか?」なんて呑気に聞いていた。


「あぁ、買い終わった。もう行くぞ。」


「おう。」


 昴さんは何処か無愛想な態度を隠すことなく、私から七星さんを引き離すように連れて行く。


「んじゃ、またな。」と律儀に声を掛けてくれた七星さんに、私はまた嬉しくなって「はっ、はい!」と食い気味に声を上げた。


 昴さんは一度振り返って、私を見ると煩わしそうに顔を顰めてから、再び背を向け七星さんと共に購買を去っていく。


 昴さんの態度は相変わらずで、相当私の事が気に入らないらしい。それは七星さんの対応もしかり、あの頃と全く変わらなくて懐かしさを覚える程だ。


 もう見えなくなってしまった二人の背中を今だにぼんやりと見つめていれば、「千夏ー!」と名前を呼ばれた。


 制服のスカートを揺らして現れたのは、私の友達であるハナちゃんだ。ハナちゃんとは一年生の時に同じクラスになり、高校で初めて出来た友達だ。


 そして、未来で私に七星さんが結婚するというメッセージを送ってくれた友人でもある。


 ハナちゃんは既に購買に行ってきたのか、菓子パンとパックのジュースを両手に持っていた。


「アンタ聞いたよ。数学の授業中に、七星さん見てて双眼鏡没収されたんだって?」


「げっ!…何で知ってるの?ハナちゃん、隣クラスなのに!」 


「マイカが教えてくれたんだって!最近、アンタの奇行がヤバすぎるから、友達の私にどうにかしてくれないかって!」


「えぇ!?それ、どうゆう事!?」


「こっちが聞きたいわ!」


 先程、四時限目の授業で私が数学教師に叱られた話題が既に隣クラスのハナちゃんのところまで知れ渡っていて驚く。


 しかも、その内容がクラスメイトから、ハナちゃんへの私に対しての相談とは。本当に私って奴は恥ずかしい。もう恥ずかしすぎて、あの教室に戻れないくらいだ。


「それにしても、最近のアンタはちょっとヤバいよ?七星さんを好きになったって聞いたけど、恋ってここまで人を可笑しくするわけ?」


 ハナちゃんの言葉に、私はまた頭を抱えたくなる。確かに、私の奇行は誰がどう見たって可笑しいと思う。


 それこそ、この過去へ戻るきっかけになった事故だって、七星さんが結婚してしまうショックから私が起こした奇行が原因だ。


 過去に戻り七星さんにもう一度出逢った私は、学生の頃とは違い年齢は二十歳超えのいい大人だ。それにも関わらず、こうも奇行に走ってしまうのはきっとこれから先の未来を知っているから。


 私自身、あり得ない事の連続で頭のネジが緩くなっているのだろう。自分の奇行を少し反省しようと心に決めてハナちゃんに向き合えば、「まぁいいけど、ほどほどにしなよね。」と大人な対応をされた。一体、どちらが大人なのだろうか。


「それで、もうご飯買ったの?」


「あっ!まだ買ってない!」


 気を取り直したようなハナちゃんの声に、慌てて人が群がる購買に視線を向ける。一人、また一人と昼ご飯を買い終えた学生たちが人混みから去っていくも、今だに食べ盛りの学生たちで購買は一層賑わっていた。


 「早くしないと売り切れるよー?」というハナちゃんの声を背に、私は「ちょっと、行ってくる!」と手に持っていた財布を握りしめて学生たちの波に飛び込んだ。



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