第四話


 何て事を言ってしまったんだと、後悔したところでもう遅い。


 私のとんでもないタイミングでの告白を聞いてしまった七星さんは、顔だけでなく口角までもヒクヒクと引き攣らせている。


 最悪だ。


 こんな意味の分からない状況で、いきなり告白をするなんて馬鹿にも程がある。


 しかも本来ならば、私達は今が初対面な筈なのだ。


 先程、不良の先輩たちから私を助けてくれるまで、七星さんはきっと私の存在すら知らなかっただろう。


 そんな状況にも関わらず、出逢って速攻告白をかました私は現在七星さんの目に一体どう映っているのか。考えれば考える程、状況が最悪すぎて頭を抱えたくなる。


 突然過去にやって来た今の状況が理解出来なさすぎて、数年ぶりに会えた七星さんに舞上がりすぎて、きっと私はまともな判断が出来なくなっているのだ。


 何とも反応しづらい空気の中で、数メートル先に居る七星さんがゴクリと息を呑んだような気がした。


「あー、わりぃ!今急いでるから、また今度な!」


 私の告白をどう捉えたのかは分からないが、七星さんは時間に追われていた事を思い出したかのように再び此方に背を向けて走り出す。


「えっ!?いやっ!その、今のは違っ…!」


 走り去る七星さんに、何とか今の告白についての弁解をしたいと声を上げたものの、先程と違って七星さんは私の声に足を止める事なく校舎裏を後にした。


 見えなくなってしまった七星さんの後ろ姿に、私の意味分からないタイミングでの告白が完全に終わってしまった事を理解する。


 せっかく、七星さんに出逢えたというのに。


 七星さんが結婚するというメッセージを目にした時のような忘れていた虚無感が襲ってきて、絶望のあまりその場に崩れ落ちる。


 夢ならば覚めてくれと思ったけれど、崩れ落ちた際にコンクリートの地面にぶつけた両膝が酷く痛んで、これはどこまでも現実の出来事なのだと告げてきた。


「お前、馬鹿だろ。」


「…え?」


 地面に座り込んだ状態で呆然としていれば、隣に居た昴さんは冷めた視線で私を見下ろしていた。


 その冷たい印象を持つ切れ長の目に、そういえば以前もこの人に馬鹿だと言われた事があったなと懐かしい記憶が蘇る。


 七星さんに出逢ってから少し経った頃のこと、私は不良の先輩たちから助けてくれた七星さんの事が忘れられず少しでも近付きたくて、何かと彼に付き纏っていた。


 そんなある日に凄く美人な転校生が七星さんのクラスにやって来て、七星さんはその転校生の彼女と次第に距離を縮めていくのだ。


 七星さんと転校生の彼女は誰の目から見てもお似合いで、お互いに好意を抱いているのが良く分かった。


 そんな二人を引き離したくて仕方なかった私は、今まで以上に七星さんに付き纏ったりしたのだけど、結局二人は直ぐに思いが通じ合って結ばれる。


 幸せそうな二人から目を逸らすしかなかった当時の私に、昴さんは無表情のまま冷たい視線で今と同じ事を私に向かって吐き捨てた。昴さんの言うように、私は本当に馬鹿なのだ。


 当時は失恋した私に、追い打ちをかけるような事を言った昴さんに腹が立ったしショックも受けたけれど、今考えれば七星さんに少しでも近付きたい一心で、ただひたすらに付き纏った挙句、七星さんたちの気持ちも考えずに邪魔ばかりして虚しく恋に敗れた私は馬鹿以外の何者でもない。


 付き纏うだけで告白なんて出来なかったし、「好き」だとは口にしてもそれは冗談混じりに流す事が出来る軽いもので、自分に自信が持てなかった私は最後まで本当の気持ちを七星さんに伝える事は出来なかった。


 まともな告白の一つも出来ないくせに、私は転校生の彼女に嫉妬して七星さんへの届きようがない想いを募らせていくばかりで。


 そんなどうしようもない想いを消そうとしてこの数年間で何人かと付き合ってみたけれど、心の何処かで七星さんの事が忘れられなくて虚しいだけだった。


 私なんかが七星さんと結ばれない事は分かっていたし、その想いはもうとっくに諦めた筈なのだ。


 けれど、何年経っても七星さんを好きだったあの頃が色褪せなくて、彼を想う苦しい日々の中にあった確かな輝きから目が離せないでいる。


 きっと、私自身が彼に抱いた感情を忘れたくないのだ。


 七星さんが結婚する事を知って、私はこの数年間

何をやっていたのだろうかと酷く落ち込んだ。


 ずっと捨てられなかった七星さんへの感情を燻らせて、私だけが過去の光に囚われて前に進む事が出来ない。


 憧れだった彼の結婚にショックを受けて酔っ払って道路に飛び出して、走馬灯までも彼らの居た眩しい光に魅せられていた。


 そんな自分を馬鹿で愚かだと、私が一番分かっている。


 昴さんに言われなくても、もう嫌というくらいに実感していた。


 けれど、不思議な事に過去にやって来てしまって、数年ぶりにあの頃の七星さんに再び出逢えた。


 彼に会って言葉を交わして、改めて私にとって七星さんとの出逢いは何ものにも変えることが出来ない大切な瞬間で、出来る事ならばこの輝く瞬間がずっと続いてほしいと願わずにはいられなくなる。


 長い間捨てられずに大事に抱え続けた想いが、恋しくて仕方なかった懐かしい光に照らされたような気がした。


 だから先程も、奇跡的な出逢いをした七星さんと少しでも一緒に居たいが為に、馬鹿な私は咄嗟に告白までかましてしまったのだ。


 あの頃、言えなかった気持ちを衝動的に吐き出してしまったのは、また七星さんに出逢えるなんて思ってもみなかったからで。


 泣きたいくらいに彼の居る世界は眩しくて、この想いをどう足掻いても消せそうにないと思った。


 何年経っても、私はあの頃からずっと変われない馬鹿のままだ。


 変わろうと思っても変われなくて、何処かで変わることを恐れている私は本当にどうしようもなく馬鹿なのだ。


 そんな馬鹿にしかなれないのなら、もう貫き通すしかない。


「…馬鹿で、上等です。」


 そう呟いて座り込んでいた地面から立ち上がった私に、昴さんは静かに視線を向ける。


 七星さんのぱっちりとした二重の目に比べて、昴さんの鋭い切れ長の瞳はいつも何処か不機嫌そうに見えて苦手だ。


「私、七星さんが好きです。」


 その昴さんの切れ長の瞳を真っ直ぐに見つめて、一つの決意するように告げる。


「だから、これから馬鹿みたいに七星さんにこの気持ちを伝えていく予定です。」


 七星さんの結婚を知った時のような、途方もない虚しさに呑まれる思いはもうしたくない。


 折り合いつかない感情に何年も振り回されるくらいなら、馬鹿な私を貫き通して今度こそ後悔しないくらいに七星さんに想いを伝えようと思った。


 あの頃どうにも出来なかった恋心が、眩しい記憶と共に蘇る。


 この気持ちをまた叶えられず終えるのか、新たに育む事が出来るのか結末は分からない。


 けれど、七星さんと結ばれなくても情けなく虚しい思いして、酔っ払った挙句に道路に飛び出さなくてもいいように、今度こそ私はこの想いを消化しなくてはいけないのかもしれない。


 大型トラックと撥ねられたのに今だ死なずに私が存在しているのも、あれだけ思い浮かべていた過去に戻れたのも、きっと何かの運命なのだと思う。


 過去に戻ったところで、馬鹿な私のやるべき事はあの頃と変わらない。


 少しでも七星さんに近付きたくて、必死に彼を追いかけていたあの頃と同じように、また彼を追いかけて今度はこの気持ちをぶつけるだけだ。


 そう決意を固めて宣言した私に、昴さんは少しだけその切れ長の目を見開いた。


 春風に揺れた黒髪の下から、眼光の鋭い黒曜石のような瞳が覗く。


 昴さんは私を見て少し眉間に皺を寄せから「あっそう。」と言い放つと、制服のポケットに手を突っ込んで気怠げに歩いていく。


 学ランを羽織ったその肩に、ひらりと舞い落ちた花弁が乗った。


 その花弁に気付かないまま、校舎裏を立ち去っていく昴さんにほんの少しだけ微笑ましいような気持ちになる。


 改めて考えれば、あの頃苦手に思っていた昴さんだってただの男子高校生なのだ。


 本来の私の年齢から何年も年下の存在なのだと思えば、何とも言えない不思議な感じがした。


 誰も居なくなった校舎裏で一人佇みながら、舞い落ちる桜の花弁を眺める。


 ともかく、突然過去に戻ってしまった私は前に進む為にも、この懐かしい世界で燻り続けた恋心に決着をつけるのだ。


 そう密かに胸に誓えば、強い風が花弁を巻き込みながら私の背中を押す。


 風に乱れた髪を押さえて、見上げた空は気付かぬ間に茜色に染まり始めていた。

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