絶望に咲く夢
魔人むにまい
絶望に咲く夢
今の俺は、言うことを聞かぬ老体に鞭打ちながら、毎日過酷な強制労働に明け暮れていた。体中の筋肉が軋み、手足が痺れ、あらゆる場所が痛む。しかし、それでもひたすら動き続けねばならない。周囲には無数の顔があって、その全てが俺のように疲れ果て、死んだような目で無言で作業をこなしていた。
日が沈むと、ようやく仕事が終わり、薄暗いほら穴の奥へと追いやられる。空は鈍色の雲に覆われ、冷たい灰色の雨が降り続いていた。俺たちはその寒さから身を守るために、ひしめき合うように身体を寄せ合った。誰も言葉を交わさないが、その沈黙がさらに辛さを引き立てる。
今日もまた、無口な奴隷たちと共に、僅かな不味い泥粥を啜りながら、空腹を誤魔化していた。粥には泥のような匂いが混じっており、喉を通すたびに気持ち悪さが広がったが、それでも他に食べるものはなかった。彼らの目に希望の光はなく、ただ黙々と生き延びるために啄むだけだった。その無表情な顔が、俺の心に重くのしかかる。
すべてを諦めた俺は、今日も仕事に疲れ果て、身体を横たえた。硬い地面が背中に冷たく感じられ、心も体も重く沈んでいく。寝返りを打つことすら億劫で、ひたすら目を閉じているだけだった。夢も希望も失ってしまったこの場所で、ただ一日を生き延びることだけが俺のすべてだった。
なかなか眠りにつけぬ夜、俺はふと自分の過去を思い出していた。あの頃の俺は、豊かな家庭に生まれ、何ひとつ不自由なく幸せに暮らしていた。両親や兄弟、友人に囲まれ、愛されて育った。勉学にも励み、拳闘にも秀でていた俺は、将来に大きな夢と希望を抱いていた。
やがて、美しい妻と出会い、愛し合い、子宝にも恵まれた。家族と過ごす日々は、まるで夢のように輝いていた。絶えず笑い声が響き渡り、温かい食卓を囲む時間が何よりも幸せだった。家族と過ごすそのひとときこそが、俺にとっての真の宝だったのだ。
昔の俺は、未来に対する期待と希望に満ち溢れていたのだ。しかし、それは一瞬で崩れ去った。
ある日突然、俺の村は恐ろしい軍隊に襲われた。俺はすぐさま、妻や子供だけでも街の方角へ逃れられるように画策した。彼らを安全な場所へ導くため、必死に指示を出し、祈るような気持ちで見送った。彼らが無事であってほしい、ただそれだけを願っていた。
しかし、すぐに村へ駆け戻ると、目の前で両親や兄弟、友人たちが無惨にも殺される光景が広がっていた。その時の衝撃は今でも忘れられない。恐怖と怒りが心の中で渦巻き、逆上した俺は、たまたまそこに転がっていた鍬を手に取り、一心不乱に抵抗した。しかし、数で圧倒する敵の前に、俺の力は無力だった。敵に押し倒され、捕らえられてしまった。
その後、俺は奴隷として見知らぬ地に売り飛ばされ、様々な苦痛と屈辱に耐えねばならなかった。毎日、見えない鎖に縛られ、自由を奪われた。数の多い敵を前に単独で、しかも素手で応戦するにもいかず、幾度も脱走を試みたが、毎度失敗し、さらに酷い拷問を受けた。自分の命さえもどうでもよくなり、ただひたすら毎日を過ごしていた。
どうにも変えようのない現実を前に、自分の人生に絶望し、救いを求め死を願った。しかし、死ぬことすら叶わなかった。何度も死にたくなったが、実現できることはなかった。
俺はいつの日か、妻や成長した子供たちの姿を、一目見られるのではないかと、心のどこかで淡い期待を抱いていたのだろう。それだけが、僅かな希望として胸の中に残っていた。
その夜、またひと時の眠りの中で、俺は夢を見た。そこでの俺は自由になることができた。ほら穴から抜け出し、竹林を抜け、山を越え、新しい世界へと向かう。まずは、自分の好きなことをすることにした。
桜の花が咲き誇る大地で、美しい景色を眺め、茶屋で美味しい食事を楽しみ、古い寺院の書庫で心を癒す物語を読んだ。そして、祭りでは、笛や太鼓の音色に魂を揺さぶられた。新しい人々にも出会い、友情や恋愛、冒険を経験した。全てが新鮮に感じられ、俺は忘れかけていた笑顔を取り戻していた。
また、自分の価値や才能を認められ、感謝や尊敬、賞賛を受けた。やがて自分の人生に満足し、幸せになった。だが、夢から覚めると、辛い現実に引き戻されるのだった。
ほら穴の奥で、周囲のものからは俺の夢を嘲笑われ、自分の現実を嫌悪するのだった。なんとくだらない……俺が見る夢は最近こんなものばかりだ。
ある夜、眠りに就くと俺は再び自由の身となった。しかし、今回はただ単に逃げ出したり好きなことをしたりするだけではなかった。空を見上げると、遠くに薄曇りの空が広がり、雲の合間から差し込む光が、どこか温かさを感じさせていた。
その光の中に、ひときわ輝く一輪の花が咲いていた。俺はその花を見て、初めて心から感動した。普段は何気ない光景に過ぎなかったものが、今の俺には特別な意味を持って見えた。なぜだろう、どうしてこんなにも美しく感じるのか。
その花に向かって歩き出すと、足元に小さな川が流れていた。水の流れは清らかで、俺はその冷たさを足で感じながら進んでいった。川の向こう岸には、人々が楽しそうに集まり、賑やかに笑っている。俺はその光景に引き寄せられ、自然と歩みを速めた。
近づくと、その中に見覚えのある顔があった。妻の顔だ。久しぶりに見たその笑顔に、心が温かくなるのを感じた。彼女は俺に気づくと、優しく手を差し伸べてきた。その手を取ると、心の中に長い間忘れていた安心感が広がった。そこには、俺が失っていたすべてのものが存在しているように感じられた。
だが、何かが違う。彼女の笑顔は本物のようでありながら、どこか儚げで、まるで消えてしまいそうな気がした。その不安感に気づいたとき、俺の手はすっと空を切り、妻の姿は次第に薄れていった。
そして、また目が覚めた。ほら穴の中で、どこか切ない残像が胸に広がる。その温かさと優しさ、妻の手のひらの感触が、今も尚、指先に残っているような気がした。しかし、現実に引き戻されるたびに、その感覚は薄れていき、虚しさだけが胸を締め付けた。残像が消えていくごとに、胸の中の空洞が広がり、何もかもが無意味に思えた。
いつもより一層冷え込むある夜、俺は幾度目かの夢を見た。俺はまたもや自由の身となり、ほら穴から抜け出し、不思議な世界へと旅立った。すると、俺は美しい草原に辿り着いていた。周囲には懐かしい顔が並んでいた。妻や子供や家族たち、そして村の人々が俺を温かく迎え入れてくれた。
俺は心の底からの笑顔を見せ、涙を流しながら彼らの元へと駆け寄り、抱きしめ合った。今度の夢は今までにないほど幸せに感じられ、俺は自分の人生が再び輝きを取り戻したかのように思えた。
だが、俺はこの夢から目覚めてしまうことを恐れた。しかし現実は残酷で、再び目覚めてしまうのだった。目を開けると、またしてもほら穴の中だった。
その時、俺は気づいた。もう過去を引きずることはできない。未来も望むべくもない。だが、今この瞬間だけは、生きることを許されているのだと。だから、俺はもう一度目を閉じた。今度の俺は高く切り立った崖の上に立っていた。冷たい風が体を包み込み、輝く星々が、まるで手に届くかのようだった。
そっと目を閉じ、風に身を任せると、星々とひとつになる感覚に包まれた。すると意識は闇に落ちた。
その瞬間、すべてが本当だと感じた。夢の中で感じた温かさ、愛する人々との再会。それはまるで長い苦しみの果てにようやく辿り着いた場所のようだった。俺はその場所で、愛する人々と再び一緒に過ごすことができたのだった。
絶望に咲く夢 魔人むにまい @munimarin
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