第19話 追跡

 <氷原での再戦>

 アイオリアら一行は、氷の女王の座に『魔神』が現れると聞いて即座に準備を始めた。

 低温を防ぎ、吹雪の中でも見通すことができる魔法のランタンを魔術師ギルドから買い、氷雪世界の旅路に備えた。

 また大陸北方最大の都市であるミランジェにある魔術師ギルドまで転移することの許可を得、彼らは即時北方へ飛んだ。

『魔神』が出現するまであまり猶予はないとの話に加え、『魔神』は氷の女王を喰らえばすぐさま他の『贄』を探すために姿をくらますと考えられたからだ。

 時間の勝負であり、多少の準備不足は無視せざるを得ない。

 ミランジェから馬を駆り氷の女王の御座まであと数kmというところまで来たときだった。

 グインが真っ先に気付いた。

「『魔神』の反応がある。」

 アイオリアが無言でその先をうながした。

「急ごう。

 おそらく女王の御座だ。」

 果たして間に合うのか。

 キー・リンが息荒く言う。

「私ではついて行くのは難しいです。

 先行してください。

 なんとかして追いつきますから。」

 乗馬などほとんどしたことがないのであるから、馬を全速で駆けさせるなどキー・リンにとっては無理難題であった。

 キー・リンを除いた一行は全速で女王の御座へ向かう。

 眼の前にそそり立つ氷柱でできた巨大建造物が見えてきた。

「人界より参ったアイオリアと申す!

 『魔神』討伐に馳せ参じた!

 中に入る無礼を許されよ!」

 大音声で呼ばわり、アイオリア等は下馬すると氷の巨城内部へ駆け込んだ。

 壮麗にして荘厳なその造りは、今が火急でなければ目を奪われていたであろう。

 だが、今はその火急である。

 一行は巨城の中を突っ走り、御座の間と思しき場所にたどり着いた。

 そこでは今まさに『魔神』と氷の女王、男女の戦士らしき人影が睨み合っているところだった。

『魔神』はオルディウスの面影をわずかに残しているものの、頭には歪な角が何本も生え、八本の腕にそれぞれ剣を持ち、全身に金属か生体か分からない装甲を纏っていた。

「助太刀か、ありがたい!」

 男の戦士が槍を魔神に向けて構えたままアイオリアらを迎える。

「こいつは何だ!?」

 女の戦士が同じく槍を構えたまま問う。

「我らの仲間を討った敵(かたき)だ!」

 アイオリアが抜剣して二人に並ぶ。

 魔神は悠然と居並ぶ面々を睥睨していた。

「力ある精霊や神格を食らう『魔神』だ。

 精霊力を持つ仲間が犠牲になった!」

 アイオリアの一言に、女の戦士がぴくり、と反応した。

「なに・・・?

 貴殿、フィレーナの名を知っているか?」

「知っている。

 仲間であった!

 こやつに斬られたのだ!」

 轟!!

 突如、女の戦士から闘気が爆風となって吹き出した。

「そうか、貴様か!

 我が妹を討ったのは!」

 ぎり、と歯ぎしりする音が聞こえる。

 魔神がその大剣を振り上げる。

 即座に戦いの幕は切って落とされた。

 刹那。

 誰の目にも止まらない神速の突きが魔神の装甲に守られた脇腹に深々と突き刺さった。

 ヴレンハイトの大剣すら弾いたあの魔神の、である。

 女の戦士の槍だった。

「ぐるぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ」

 女の戦士が雄叫びとともに槍を引き抜き、さらに豪雨のように槍を突き出す。

 だが、魔神に傷を負わせたのは最初の一撃だけであった。

 魔神は痛痒も感じぬように、淡々と追撃を受け流し、弾き返した。

 アイオリアらも一斉に魔神に仕掛ける。

 だがアイオリアらの渾身の攻撃も魔神には通用しなかった。

 男の戦士も鋭い突きを何度も見舞うが、全て弾かれている。

 女の戦士の槍がもう一度魔神の腹部をとらえる。

 だが、今度は装甲を貫通できない。

 その槍の柄を掴み、魔神は槍ごと女の戦士を放り投げた。

 そして大剣を振り下ろす。

 ただの一撃ではない。

 闘気を込めた物理的威力を持った衝撃だ。

 それをまともに食らった女の戦士は壁面に深々とめりこんだ。

 その隙を縫うようにアイオリアらが仕掛けるが、八本の腕に握られた剣によりことごとく弾かれた。

 魔神が半眼になる。

 ぎゅぅ、と闘気がたわむのが誰の目にも見えた。

 一瞬後、周りの全てが裁断された。

 数十、数百の剣撃が一瞬で周囲を切り裂いたのだ。

 その中には氷の女王も含まれていた。

「女王!!!」

 男の戦士が立ちはだかっていたが、魔神の「範囲内全てを切り裂く」斬撃の前には意味をなさなかった。

 女の戦士がバキバキと音を立て自らの体を壁面から引き剥がす。

「がぁぁぁぁぁーーーーーーーーーッ」

 猛烈、という言葉すら生ぬるいほどの勢いで魔神に向かう。

 その槍を魔神が素手で掴み取る。

(あれですら掴むのか)

 アイオリアは全身に刻まれた傷の痛みも忘れそうなほどに驚愕した。

 アイオリアには全く見えていない一撃だったにも関わらず、魔神は難なくそれを掴んだのだ。

 魔神の別の手が伸び、女の戦士の首を掴む。

 その刹那、女の戦士は魔神の腕に絡みつき、その肘を逆に極めた。

 どちらの音か分からぬギリギリという音が響く。

 魔神は女の戦士ごと腕を高く上げると、その腕ごと地面に叩きつけた。

 だが、女の戦士は離さない。

 二度、三度と叩きつけられてもビクリともせずに魔神の腕を締め上げていた。

 アイオリアが魔剣スティアリスに闘気を込め、魔神に突撃する。

 女の戦士が穿った傷に向けて胴を薙ぎ払おうとしたのだ。

 ガィィィンと鈍い音がして、剣が弾かれる。

 すでに、魔神の傷は瘉え、装甲は元通りになっていた。

(くそっ)

 心のなかで毒づく暇もあらばこそ、魔神の別の腕がアイオリアに剣撃を叩き込む。

 とっさに盾で受けたものの、全身の関節がミシリとたわむほどの威力だった。

(以前より強い!?)

 その隙に、残った魔神の腕がめいめいに剣を握り、女の戦士に突き立てた。

 たまらず女の戦士が手を離す。

 いや。

 その手には槍を握っていた。

 過たず魔神の目に向かって突き出される。

 だが、無理な体勢な上、相手は超常の存在である。

 魔神は

 魔神が剣を突き立てていた腕を捻る。

 ぐずり、と女の戦士に突き立てられた剣が傷を広げる。

 女の戦士はそれでも魔神の顔を蹴り、自らの身体から剣を引き抜くと、自分の足で着地した。

 もはや人間の域ではない、完全な狂戦士のそれであった。

 男の戦士が全身から血を吹き出しながらも氷の女王に駆け寄るが、その身はもはやひび割れ、消えつつあった。

 ガキュン、と音がして、グインの盾が宙を舞った。

 グインの左腕はあらぬ方向を向いている。

 魔神の一撃によって折れたのであろう。

 次の瞬間、バリバリとすさまじい音がして、強烈な電光が魔神を襲った。

 リョーマが多重詠唱し、アーサーのバックアップを受けて放った渾身の雷撃だった。

 だが、それを受けても魔神は平然としていた。

 アイオリア、女の戦士、男の戦士が3人かかりで魔神に仕掛ける。

 だが、技量、膂力のどちらをとっても魔神の方が上であった。

 叩き伏され、吹き飛ばされる3人。

 さしものアイオリアも打ち身、切り傷、骨折と満身創痍になり、立ち上がれなくなっていた。

 ただ一人、女の戦士だけが普通なら致命傷と見られる傷を負いながら狂ったように戦うのみだった。

 男の戦士も壁面に強かに叩きつけられ、気を失っているようであった。

 魔神は以前の憎しみに満ちた目と違い、今はなんの感情も見せていない。

 ただひたすらに女の戦士の攻撃を受け止め、叩き返し続けていた。

 グインの祈祷の声が聞こえる。

 治癒の祈りをアイオリア「ら」に行き渡らせているのだ。

(無茶しやがる・・・)

 剣を握る手に感触が戻ってきたのを確かめ、最後の気力を振り絞って立ち上がる。

 何度目かしれない女の戦士の攻撃を吹き飛ばし、魔神は一同を再び睥睨する。

 アイオリアはガクガクと笑う膝を叩き、歯を食いしばって剣を構えた。


 そして魔神は以前のように姿をぼやけさせ、すぐに消えた。


「――――――――――――ッ」

 女の戦士の雄叫びとも嗚咽とも取れる叫びが氷の巨城にこだまする。


 魔神はまたしても「贄」を食らって目的を果たしたのだ。


 <獅子隊>の面々は、己の傷を癒やす前に、女の戦士を止めなければならなかった。

 怒りのあまりか、もはや敵味方無く暴れ、その雄叫びは堅牢な氷の巨城すらひび割れさせるほどの威力があったからだ。

 女戦士の猛攻を男の戦士-ミザルピオと名乗った-の手助けも受けて何とかしのぎ、グインの<平常化>の祈りもあって女戦士をなんとか宥めることに成功した。

 正気に戻った女戦士はリーナと名乗った。

 そして自分は風の精霊王であるということと、フィレーナが実妹であるということ、フィレーナの手がかりを得てライガノルドに降り立ったことを話した。

「しかし、それならばリーナ殿も魔神にとっては『贄』だったのでは?」

 リョーマのみならず、誰もが抱いた疑問であった。

 リーナ自身もそこの説明はつかない。

 後から追いついたキー・リンも心当たりはないようであった。

 純粋種の精霊で、しかもその王たるリーナを贄としない理由は誰にも思い当たらなかった。

「…リーナ殿を狙う可能性がある以上、我々もご一緒して魔神討伐したいところだが…」

「いや、私は一旦精霊界に戻り傷を癒やしてくる。

 魔神が現れればこの護符で知らせてくれれば駆けつけよう。」

「わかりました。

 くれぐれもお気をつけて。」

「ああ、君たちも気をつけて。」

「ミザルピオ殿はどうする?」

「私か…今回の件で力不足を思い知った。

 敵を討つためにも武者修行が必要だろう…。」

 女王をみすみす失った悔悟に、キリリと歯噛みするミザルピオ。

「ならば、我々と一緒に来ないか?

 引き続き魔術師ギルドに魔神捜索をお願いするつもりでいるし、仲間がいれば勝算も上がると思うのだが。」

「そうだな。

 ではご一緒させてもらおう。」

 こうして<獅子隊>の一行は氷の女王の御座を後にした。



 再び魔神討伐は振り出しに戻ったのである。

 キー・リンの分析によれば、魔神は次元転移を用いてライガノルドではない世界に移動した蓋然性が高いということであった。

 次元を超えて探索の手を伸ばすというのは、人の領分を超えている。

 いかな魔術師ギルドでもそこまではできない。

 だが、ここで一つの目印があった。

 ゲバの持ち帰った石柱の欠片である。

 魔神の封じられていた石柱の欠片である以上、その「縁」は魔神と結ばれている。

 そしてそれを用いて行った魔術師ギルドによる探知の結果、魔神はライガノルド物質界に隣り合わせである俗に言う魔界に居ることが分かった。

 召喚陣を用いて魔界への扉を開き、魔神を探すことが理論上は可能になったのである。

 ミザルピオを新たに加えた<獅子隊>は、召喚陣から魔界へ進入する。

 「軸」を魔界に合わせることで魔神の居所についてはキー・リンが石柱の欠片を用いて探知することになったが、一言で魔界と言っても広大である。

 ある程度の目星が付くとは言え、実質、大海の中で孤島を探すようなものであると言えた。

 予知の秘術も世界を跨ごしてまでは効果が見込めない。

 アイオリアらは、何度も魔界に潜ったが、結果は思わしくなかった。

 幾度かは魔神の痕跡らしき虐殺跡に遭遇したものの、肝心の魔神自体はすでに移動した後であった。



 ―――魔界―――

 幾度目かになる魔界への進出。

 アイオリアらの焦燥が募る。

 氷原で魔神と邂逅してから年単位の月日が過ぎた。

 魔術師ギルドの秘術をもってしても、人界から魔界へ予知の力を行き渡らせるのは不可能であった。

 それでも魔神の痕跡を感知する限り、アイオリアらは魔界へ潜った。

 魔神は、魔界で上位魔族を喰らいつつ、力を溜めているであろう。

 時間の経過は魔神に有利に働く。

「墳墓」における魔神戦での凶行がつい昨日のことのように思い出される。

 あのような無軌道な殺戮が、いずれ世界全土に及ぶかも知れないのだ。

 キー・リンが術の詠唱を終え、魔神の封柱の欠片を手に意識を集中している。

「この先で戦闘が起きているようです。

 魔神の気配に間違いありませんが・・・間に合うかどうか。」

 瞬間転移という高次の魔術能力を自在に操る魔神相手に追跡を行うのは、困難を極める。

「向かおう。

 時間が惜しい。」

 アイオリアが即断する。

 キー・リンの探知によれば距離は約2kmある。

 魔界の瘴気のため馬が使えない一行としては必然徒歩以外に移動手段はない。

 グインによる身体能力強化の祈りを受け、一行は小走りで探知された魔神の方角へ向かう。

「そこ」へ向かう一行の顔を熱風が叩いた。

 そこでは、オルディウスの変じた魔神と巨大な火炎を纏った魔神が戦っている最中であった。

 魔界の住人にとっては、アイオリアたちは敵か餌である。

 場合によっては双方を敵に回す可能性もあり得た。

 だが、その心配は杞憂に終わった。

 一行がたどり着くとほぼ同時に、ずずぅん、と音を立て、火炎魔神が地に倒れ伏したのだ。

 いつぞや迷宮の最深部で出会った上位魔神をさらに強力にしたような火炎魔神を悠々と屠った魔神。

「オルディウスーーーーッ!!!

 俺と戦えーーーーーッ!!!」

 アイオリアの咆吼と同時にアーサーが風の精霊王の護符を使い、リーナをその場に呼び出す。

 身体強化を受けた上、闘気による能力上昇までかけたアイオリアと、怒りに駆られたリーナが猛然と魔神に突進する。

 魔神は表情を見せずにそれに応戦した。

 八本の腕に握られた剣がめいめいに前衛である3人(アイオリア、リーナ、ミザルピオ)を襲う。

 魔盾スレイガルドを構えたアイオリアは、開幕一番に砕牙獅子吼を魔神に叩き込んだ。

 続けて超跳躍をしたリーナの魔槍蒼嵐龍尾が魔神の頭上から襲いかかる。

 魔神の大剣が、砕牙獅子吼を斬り払いついでにアイオリアの頭上へ振り下ろされた。

 二人の攻撃に魔神が集中している間に、ミザルピオがこれも凄まじいスピードで回り込み、魔神に槍を突き入れる。

 3人の力量は、もはや人の域の限界を超えつつあった。

 特にリーナの力量は、かつてのオルディウスやヴレンハイトの戦力に匹敵するか、それすら凌ぐ勢いである。

 だが、魔神とて眠っていたわけではない。

「墳墓」で出会ったときよりもさらに技量、膂力とも成長していた。

 その防御は固く、そして攻撃は苛烈極まりない。

 <獅子隊>は、総力を上げた魔法支援のおかげもあって何とか戦えている、という状況であった。

 魔神の闘気が収縮する。

 刹那、爆裂した。

 同時に無数の剣撃が飛ぶ。

 前衛3人が同時に吹き飛ばされた。

 全身に深い傷を受けながらも瞬時に体勢を立て直した3人だが、それでも一呼吸の隙が生じる。

 魔神の姿がスゥーッと薄れていく。

 リーナの音速の突きが魔神に向けて突き出されるが、手応えなくその姿を突き抜ける。

「待て!

 逃げるな!」

 アイオリアの叫びも虚しく、魔神の姿は虚空へと消え去った。


 キー・リンが肩で息をしている。

 魔神の斬撃を魔法盾の呪文で受け止めたが、威力のあまり過負荷に陥ったのだ。

「それにしても…リーナさんを狙わない理由がわかりませんね…。」

 キー・リンが息を整えながら呟く。

 アイオリア、リーナ、ミザルピオも闘気による魔神の斬撃が貫通し、手傷を負っていた。

 グインが治癒の祈りを捧げ、その間、他の者は周囲を警戒する。

 ここは魔界なのである。

 油断のできる場所ではない。


 それにしても、魔神がリーナを贄として狙わない理由については、誰もが理解できずにいた。

 霊格は誰が見ても高い上、能力としてもアイオリアより一段上回っている。

 狂戦士バーサークしている間の戦力に至っては、魔神と匹敵するかもしれない。

「私が一撃入れたので嫌われているのかもな。」

 本気か冗談かわからないが、リーナなりに一行を気遣って言う。

 そうして一行は一旦人界に戻った後、再び別れた。

 <獅子隊>が魔界において魔神と邂逅できたのはこの一度きりであった。


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