第4話 原因

 持ち出した回復薬ポーションをすべて使い切ってなんとかユリアーナを家まで連れ帰り、寝室のベッドに寝かせて、ようやくイーリスは一息ついた。ベッドサイドに置いたランタンの明かりに照らされたユリアーナの顔色は悪くなく、すうすうと穏やかな寝息を立てている。出血や外傷らしきものもまるでない。

 ただ、いくら呼び掛けても、身体を揺すっても、頬をつねってみてもまったく目を覚ます気配がなかった。まるでイーリスと出会う以前の伯爵令嬢ねむりひめに戻ってしまったかのようだった。


「ユーナ……」


 眠り続ける伴侶の頬をそっと撫で、心配そうに名を呼ぶ。

 しかし、やはり返事はなく、イーリスはぐっと唇をかみしめた。

 いったいユリアーナに何があったのか。

 そのことだけがイーリスの意識を満たし、思考が巡り続けている。


(魔物に何かされた……? でもあの辺りにそんな高度な知能を持った危険な魔物なんていないし、いれば鈴が反応しただろうからユーナが気づかないはずはない……。じゃあ人間か? だったら鈴は鳴らないけど、ユーナがいた辺りに他の足跡はなかったし、その可能性もない。いや、考えなきゃならないのは『誰が』じゃなくて『原因』だ。どうしてユーナは目覚めないんだろう? 何が原因で眠ったままなの……?)


 ベッドサイドからユリアーナをじっと見つめ、イーリスは考える。

 以前のように呪いや魔法のたぐいで眠らされているなら、イーリスにその術式がえるはずである。視えていればそれを分析し、改変して解除することができる。

 だが、今のユリアーナにはそういった魔法的な反応が一切ない。魔力量キャパシティはポンコツだが魔法や呪いに関する知識量が飛び抜けているイーリスに気づかれないほど巧妙な隠蔽いんぺいほどこしてある可能性は否定できないが、それほど大掛かりなことをしておいてユリアーナを眠らせるだけで放置した意味がわからなかった。


(まあ、この森で無防備にぐーすか眠っていたらあっさり魔物に殺されちゃうから放置で問題ないって思われた可能性もあるんだけど、ユーナに持たせている魔物除けはガチガチに強化してあるから相当強力な魔物じゃない限り襲われないはずだし……)


 仮に高度な隠蔽工作を施した魔法を使える魔道士がいたとして、ユリアーナを眠らせて魔物に殺させようとするなら、当然『魔物除けの鈴』を奪い取っておくだろう。それが普通に使われているものではなく、イーリスが効力を極限まで強化したものだと気づけば、なおさら奪わない理由がない。

 つまり、魔道士――人間は関わっていないと判断できる。

 魔法や呪いでもなく、魔物でもなく、人間のわざでもない。

 では、何なのか。


「……ちょっと失礼するよ……」


 イーリスはブランケットをめくり、ユリアーナの全身をくまなく調べた。どこかに傷がないかを改めて確認するためである。

 森に自生する草花には毒を持つものも少なくない。中には花や葉に素手で触れるだけで昏倒したり絶命したりする強力な毒素を持つ種類もある。そういった植物にユリアーナが触れてしまって毒を受けたのではないかと、イーリスは疑ったのだ。

 だが――


「……傷跡きずあとなし、と」


 その結果が当たり前だといわんばかりに息をついてブランケットを戻した。

 森には危険な植物があるから採取のときは絶対に手袋をするように、とイーリスが強く言いつけているうえに、ユリアーナには毒を持つ植物の種類と見分け方を叩き込んであった。そうでなければユリアーナを溺愛しているイーリスが危険な森に一人で行かせるはずがない。むろん、同じくイーリスを心からしたっているユリアーナがその言いつけをおざなりにすることは考えられないし、用心深い彼女が不用意にそれらに近づくはずもない。


「だからこそ、原因がわかんないんだよね……」


 はあ、と重いため息が漏れる。

 イーリスが今まで蓄積してきた知識では解決できない問題なのか、単に思い出せないだけなのか。それすらも判然としない現状に、イーリスの焦りと苛立ちが増していく。


「……いや、こういうときほど落ち着かないと……」


 ぺし、と自らの頬を叩いて再び黙考を始める。


(考えろ……考えろイーリス。思考はお前の唯一の特技だろう。森のことはよく知ってる。だから未知の何かじゃない、見落としてるんだ。考えろ……)


 ユリアーナが家を出てイーリスに発見されるまでのことを必死に推測し、記憶を掘り起こす。

 はんに残されたユリアーナの荷物の状態。見つけたときの様子。その周囲の異変。

 それらを思い出し、つなげて――り寄せた、小さな小さな一つの違和感。


「…………?」


 ふと、その疑問が思考の片隅をかすめた。

 かすめた瞬間、イーリスは自分の馬鹿さ加減を笑わずにいられなくなり、緊急事態だというのに身体がよじれるほどの高笑いを上げてしまった。


「何でこんな簡単なことに気づかなかったんだ、わたしは……!」


 はあ、と自嘲のため息を漏らし、イーリスはユリアーナをじっと視た。

 相変わらず、魔法的な反応が何もなかった。

 そう、

 つまるところ、ユリアーナはということである。


「待っててね、ユーナ。すぐに助けるから」


 原因がわかればあとはそれを取り除くだけ。

 イーリスは眠るユリアーナの額にキスをして、足早に部屋を後にした。

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