悪役令嬢は負けヒロイン
一柳すこし
悪役令嬢は負けヒロイン
あの人の、声が聞こえる。
あなたに好きな人がいて、その人の心があなたになかった時、あなたはどうするの……?
その声は、晴れ渡った五月の空のように澄んだ、素敵な声だった。声だけではない。あの人の顔も、瞳も、初夏のお日様の光に包まれたみたいに、明るくてやわらかくて、穢れがなくて、そしてどことなく物憂げだった。
その声と表情であの人……義姉は私に言った。
自分が失っても、寂しくても、それで大事な人が幸せになれるなら私は満足よ。あなたは人から奪って手に入れたもので、幸せになれるの?
そんなの綺麗事だ。
と、私は声に反論しようとする。
「私は……」
* * *
「どうしたの。麻里子? 奪うって……何を?」
正面からした男の人の声で私は我に返る。慌てふためいてきょろきょろと周囲を見渡す。木組みの天井。目の前のテーブルに置かれたパフェ。大きな窓の外で揺れる新緑の桜の枝。そうだ。ここは放課後に友達と三人で立ち寄った喫茶店だった。
「変な目つきでニヤニヤしてさ。なにかあった?」
正面に座る男子が心配そうな目で私の顔を覗き込む。大友
「ご……ごめん。なんかちょっと、以前観た変なドラマのシーンを思い出しちゃってさ。女の吸血鬼が出てくるやつ」
アハハと笑いでごまかして、パフェをスプーンですくい口に持っていこうとする。動揺のせいか、豪快にすくったクリームは、口に到達する前に盛大に落っこちてしまった。
「うわ。あいかわらずドジだな麻里子は」
「うるさい。あんたが驚かせたせいだろ。かわりにあんたのを一口よこせ」
スプーンを相手のケーキに伸ばすも、皿をずらされかわされてしまう。なんたる早業。私のスプーンさばきをかわすとは、おぬしなかなかやるな。
「ケチ。一口くらい私によこせ」
「それでどれだけの俺のデザートが、お前の腹の底に消えたと思ってるんだ」
「百から先はかぞえていない」
「それみろ」
晶が舌を出す。それに対抗して私も白い歯を見せ「イーっだ」と言ってやる。古い漫画に出てきそうな幼いいがみ合い。クラスメイトが見たらびっくりするだろう。なんせ私はクール系で通っているからね。こんな大人げない姿を見せるのは幼馴染の晶にだけだ。
とつぜん視界の隅からスプーンが伸びてきて、私の鼻先で止まった。スプーンにはプリンの大きな塊が乗っている。
私は隣を向き、まぶしさに思わず目をすがめる。
もう一人の親友、奥宮
「私の、あげるよ麻里ちゃん」
「え、いいの?」
「うん。はい」
餌を乞うひな鳥のごとく開けた口に、やわらかいプリンの塊がつるりと入り込む。甘さが口の中いっぱいに広がる。
「うう。ふっごひおいひい。ありふぁほお」
「よかった」
「何言ってるのかわかんねえよ」
史香と晶の目が優しく細められる。それと一緒に私のささくれだった心が溶けていく。
私には望外な幸福だな。
そう、思いながら私は名残を惜しむようにプリンを飲み込んだ。
〇
本当に、私には望外な幸福だ。
喫茶店を出、市街地を流れる川沿いの桜並木の下を晶と史香と歩きながら、私はあらためて思う。右隣には憧れる子がいて、それは私の親友。左隣にはずっと仲良くしている幼馴染。頭上を覆う桜の新緑の隙間から、春の柔らかな光が降り注ぐ。木漏れ日を踏みながら三人肩を寄せ合い、冗談を言い、笑いあう。私なんかには、もったいないほどの幸福だ。
私は、本来こんな幸福を享受していい女ではないから。
私は罪深い女だから。
首筋をなでていった風の冷たさに、過去の苦い記憶を思い出して、私はふと空を見上げた。今日はよく晴れている。追放先のこの北国にしては、珍しい晴天だった。
N県某市。冬には雪に閉ざされる、日本海に面したこのさみしい北国は、昔は流刑地だったという。多くの貴族や著名人が都からここに追放されてきたらしい。貴族や著名人ではないけれど、私もその一人だ。もちろん犯罪者ではないけれど。しかし罪を犯した私は、実家から追い出されるようにしてこの地の大学に進学させられたのだ。
私の罪……。それはある人の大事なものを強奪した罪であり、さらにその人を侮辱し陥れた罪だ。
その人とは私の義姉。名を恭子という。京極財閥を統べる父の、前妻の娘だった。
私より五つ年上の彼女は、とても優しく、朗らかで、春のお日様のように明るかった。私とは大違いだった。私は子供の頃から神経質で陰気で、怒りっぽくて、使用人たちからも嫌われていた。そんな私にさえ、彼女は優しく接してくれた。
彼女のようになりたいと、何度思ったことだろう。私は彼女に憧れていた。私の持たないものをみんな持っている彼女に。神様から祝福されているような彼女に。
だから、きっと怖かったのだろう。彼女と争ったら、私になんか勝ち目はないと、わかっていたから。
それは私が高二の時の夏だった。
私と恭子は同じ人を好きになってしまったのだ。彼は同じ高校に通う先輩で、私と同じ吹奏楽部に所属し、よく私をかわいがってくれていた。いずれ彼と付き合うであろう未来を、私は疑っていなかった。そう。彼が恭子と出会うまでは。
演奏会のあと、文化会館のロビーで恭子と会った。先輩も一緒だった。一目ぼれだったという。恭子も、先輩も。お互いが運命の出会いを感じたと、後に私に漏らした。もっとも、それを聞く必要はなかった。聞くまでもなく、その場にいた私は感じてしまっていたのだから。この二人は、お互いに惹かれ合っていると。
奪われる。
直感的にそれを察知し、私は戦慄した。恭子に対する尊敬と憧れが、その時そのまま、恐怖と憎しみに反転したのだ。太刀打ちできない、強大な敵が立ちふさがっている気がした。
そして私は思った。奪われる前に、奪わなければ、と。
その後私がとった行動は、悪逆非道の一言につきた。
恭子についての悪い噂を捏造して言いふらし、先輩が彼女と会うのを妨害しまくった。父にも、でっち上げた彼女の素行の悪さを吹聴し、策を弄してついには留学という体で彼女を海外に追い払ったのだ。
結局、あそこまでして私が得たものは何だったのだろうか。
私は桜の葉の向こうに見える空を見上げながら、虚しく思う。
結局先輩の心は私から離れ、悪事の数々は程なく明るみになって、もともと低かった私の評判は地に落ちた。あの家に居場所がなくなり、あげくこの雪国に追放されたのだ。
後悔はない。言い訳もない。ただ、海外に旅立つ日、恭子が私に言った言葉が忘れられない。
あなたは人から奪ったもので、幸せになれるの?
彼女は何で、あんなことを聞いてきたのだろうか。答えは決まっているのに。私には奪うしかないのだ。何もない私が何かを得るには、奪うしか。
◯
「海を、見に行かないか」
城址公園の北側の住宅地に住む史香と別れた後、晶は何を思ったか、私を海に誘った。
断る理由はない。まだひとりになりたくなかった私は、二つ返事で駅へと足を向けた。海はそんなに遠くはない。中心街の駅から電車に乗って十分ほど。陽が沈む前につくだろう。
目的の駅について電車から降りると、なんとなく潮の香りがした。小さな海辺の町は閑散としていて、静かだ。街を歩いているとどこからともなく潮騒が流れてくる。その昔、ある女流作家は、『海と港の旅情を求めてこの地を訪れたところ、その荒涼たる様に打ちひしがれた』……というようなことを書いたらしい。私もお勧めはしない。しかしこんなふうに穏やかな日、この静けさのなかを歩くとき、ここもそんなに悪いものじゃないと、最近の私は思う。
海に近づくにつれ、潮騒が大きくなる。晶との会話はあまりない。する必要がなかった。会話なんかしなくても、彼と一緒にいるだけで安らかな、くつろいだ気持ちでいられたから。相手もそうだということが、空気で感じ取ることができたから。
晶の実家と私の実家はご近所で、彼とは幼い頃からの腐れ縁だ。小中高と同じ学校で同じクラス。どんなに私の評判が悪くとも、私の肩を持ってくれた、彼は数少ない人だ。私が道を踏み外したあとも気にかけてくれた。
進学した大学まで同じだったのは、さすがに偶然だったのかもしれない。だが私はその偶然に運命を感じないわけにはいかなかった。そして遅まきながら再認識したのだ。小さな時から一緒にいた人への気持ちを。ずっと心の何処かに持っていて、でも当たり前すぎて素通りしてしまっていた気持ち。私はこの人のことが、好きなのだと。
いつの間にか私たちの影は長くなり、空に浮かぶ雲は燈色に染まっていた。海浜公園に沿って少し歩いたところで私と晶は足を止めた。どちらかがそうしようと言ったわけではなく、ほぼ同時に、お互い申し合せたようにそうなったのだ。なんとなく振り返り、公園の人魚像の向こうに広がる海を眺める。海は凪いでいて、春の暮れゆく陽の下に、黄色いきらめきを漂わせていた。
そうだ。晶に告白しよう。
海を眺めながら、潮騒に押されるように、唐突に私は思った。
この地にきてから二年余。知り合ってから十数年。彼がいるのが当たり前すぎてなんとなくしないでいた。そんなことわかっていると思っていた。いまさらこんなこと言うのはちょっと恥ずかしい。だからずっと迷っていた。でも、大事な人だから。やっぱりちゃんと伝えておいたほうがいい。
「あの……」
「ねえ、麻里子」
勇気を振り絞って声を出したその時、晶もまた思い切ったという風に呼びかけてきて、私は出しかけた言葉を飲み込んだ。
「なあに晶。どうしたの?」
私は余裕ぶって晶に先を促した。予感がしたから。晶もきっと、私と同じことを考えている。海に誘ってくれたのは、このことのためだったのに違いない。
晶は海に向けていた視線を私に向ける。そのブラウンの澄んだ瞳で私を見つめ、私の手を取る。
私の胸の鼓動が急に高まる。膨らむ予感とともに、心の中の私が忙しくまくしたてる。ほらやっぱり、晶のほうから告白してくれるんだ。さすが幼馴染、同じことを考えていたのね。以心伝心とはまさにこのこと。これはもはや熟年の夫婦の域に達していると言っても過言ではあるまい。結婚しよう、今、すぐに。
「俺、史香のことが好きなんだ。告白しようと思っているんだけど……」
その言葉が晶の口から放たれた瞬間、その意味を理解することができなかった。
史香のことが好きなんだ。
史香のことが好きなんだ。
史香のことが……!?
私の鼓動が止まった。息も止まっていたかもしれない。開いた口を閉じるのも忘れて、阿保みたいに目をぱちくりさせながら、私はただ晶の顔を見上げていた。
「俺一人じゃ心もとない。女子に告白するなんて初めてだし。どうか協力してくれないか、麻里子」
思考が状況に追いつかないまま、私は気の抜けた人形みたいにうなずいていた。どうしてそうしてしまったのかわからない。頭の中は真っ白だった。私はただ、うれしそうにぶんぶんと握った手を振る晶の顔を、泣きたい気持ちで見つめているばかりだった。
〇 〇 〇
サンシャインランドはこの地域唯一の遊園地である。大きな遊園地ではないが雄大な北アルプスの峰をを望む高原にあって、風光明媚。桜の名所としても親しまれている。今はもう遅い桜も散ってしまったが、初夏の休日とあって、行楽の家族連れでにぎわっていた。
そんなにぎやかな遊園地の駐車場に私は颯爽と降り立った。その傍らにおずおずと寄り添う男の人は
「それで……。なんで僕がこんなとこに連れてこられたんですか」
眠そうな顔をした小男が、テンパの頭をかきながらぼやいた。朝倉四郎。わが京極家の執事……の四男だ。私の目付役。でもたぶん、それは口実でこいつも厄介払いされた口だと思う。いたずら好きで、いつもその父や兄たちから叱られたり小言を言われたりしていたから。死神みたいな不健康そうな容姿も忌み嫌われたのかもしれない。
なにはともあれ、この不健全な妖気を垂れ流している男は私の唯一の配下。今日は我が計画のために働いてもらわなくてはならない。
「よいか四郎よ。今日は私にとって人生を左右する日なの。我が野望成就のため、あなたは京極家執事として、全力で私のサポートをしなさい」
「どうせ、ろくなことじゃないんでしょ」
「よくわかったな」
グフフ……と思わず悪代官のような笑いがこぼれた。それに合わせて四郎も悪商人のごとき追従笑いを浮かべる。
「何年お嬢様をそばで見ていると思ってるんです。小一の時マコちゃんの筆入れを隠した時も、小二のときタエちゃんの水着を切り刻んだ時も私が協力したことをお忘れですか。それから……」
私の過去の悪事を指折り数えだそうとする彼を、私はあわてて止めた。そんなことしだしたら日が暮れてしまう。ちなみに四郎のやつも同い年。小中高一緒の腐れ縁だ。認めたくはないけれど。
「本当に悪い奴ですよ、お嬢様は。それで、今回はどんな悪事を?」
その言葉、否定してやりたいけれどできない。
今日画策していることは紛れもなく悪事で、そんなことをしようとしている私は、たしかに悪い奴だと思うから。
「晶と
「ああ、あのいけ好かないイケメンと、お嬢様の親友ですね」
「今日、この遊園地で晶が史香に告白することになっている」
四郎の目が、猥褻な映像でも観たみたいにいやらしく細められた。
「それを、邪魔するんですね」
私は大きくうなずく。そのとおり。今日ここで、晶と史香はデートをする。私がそれをアドバイスし、セッティングした。もちろん罠だ。協力するふりをしながら、私は全力で、二人の仲を引き裂いてやるんだ。
〇
回転木馬から降りてきた男の子が、広場のベンチに腰掛ける私を指さして、からかうように声を上げた。
「あ。魔女だ。魔女がいる」
すると男の子の手を引いていた、大人びた感じの女の子が、知ったような顔で彼に教えた。
「ちがうよ。あれは悪役令嬢よ」
「あくやくれいじょう? なにそれ」
「えっとね。ヒロインの邪魔ばかりする悪い女。最後は悪事がばれて処刑されるの」
「えー。かわいそ」
「可哀そうじゃないよ。だって、悪者だもの」
好き勝手言いおって。大きなお世話だ。
もっともここで子供に怒るのも大人げない。私はにっこりとほほ笑んで女の子に手を振ってやる。大サービスだ感謝しろよ、と思っていると、なぜか彼女はちょっとおびえた表情になって逃げていった。
「あーあ。ひどいことするな。あの子は本当のことを言っただけじゃないスか。この外道」
隣に座っていた四郎があきれたように私を責める。
「うるさい」
知らない子供に悪者呼ばわりされた挙句に召使から外道あつかいとは、私が一体何をしたというのか。もっとも、確かに今の私の見てくれは、魔女だの悪役だのと言われても仕方がないけど。真っ黒いフリフリのドレスを着て真っ黒いつば広帽子を頭にのっけた姿は、怪しさ満点だ。化粧も濃い。真っ赤な口紅を塗りたくり、アイラインをこれでもかと引いて、眉も太く力強く描いた。この風貌で映画に出たなら、それを観た者の十人に七人は、私を悪女と断ずるだろう。残り三人はそれと気づかず、我が色香の虜になるに違いない。私ってば罪な女だぜ。
それはそうと、私がこんな格好をしているのは理由がある。
大観覧車を見上げて、私は今日の予定を再確認する。
晶と史香は二人でこの遊園地に来て、デートをする。そのクライマックスに、あの観覧車に乗る。そして観覧車の中で告白をするのだ。それが、私が晶と練った今日のストーリー。
もちろんそれは、実現することのない幻のストーリー。本当の筋書きはこうだ。観覧車に乗る直前、占い師に扮した私が二人の相性を観る。そして二人に告げるのだ。
「ああ、可哀そうに。おふたりの相性は最悪です。もしつきあったら様々な災厄に見舞われるでしょう。家族に不幸が訪れ、財産を失い、健康を害してしまいます。やることなすことうまくいきません」
もちろんでたらめの占いだ。
しかし呪いとしては充分だと私は確信する。怪しいオーラをまき散らす占い師から発せられたその言葉を、二人はどのように受け取るだろう。たかが占いと一笑にふすだろうか。信ずるに値しないと受け流すだろうか。しかし、その言葉を聞いてしまったからには、もう、元には戻れない。どんなに否定しようと、一度心に沁み込んでしまったその言葉は、ことあるごとに二人の思考に波風を立て、結局はその言葉を実現させていく。言葉には、そういう力が宿っているのだ。時に人を励まし、時に人をどこまでも不幸にする、恐ろしい力が。
言葉は刃だ。人の心を、人と人の仲を裂く、刃なんだ。そしてこの衣装は、その刃の切れ味をちょっとだけ鋭くするアイテムなのである。
「お嬢様。来ましたよ」
四郎の声で私は我に返った。実際に刃を手にしたみたいに、こぶしを握り締めてベンチから立ち上がる。
「さあ、お嬢は早く身を隠して。その恰好は目立つから」
「わかっているわよ。四郎あんたも支度をしなさい」
言いながら振り返ったとたん、ヒッと短い悲鳴が口から洩れた。
なぜか大勢の子供が集まっていて、興味深げに私を見上げていた。表情をこわばらせた子、ちょっとおびえている子、笑っている子も多数いる。
「ほんとだ。ほんとに悪者だ」
誰かが叫ぶと、楽しそうにほかの子が同調した。
「この悪役令嬢め。やっつけてやる」
そして持っていたポップコーンをつかんで私に投げつけるふりをする。
そのとき、誰かが彼らの前に立ちふさがった。
子供らからの故のない迫害を受けんとしているか弱き令嬢を、身を挺して守ろうとしてくれたのは、人もあろうに四郎であった。
子供のつまはじきなどなんということはないけれど、四郎の行動に私の胸は熱くなる。ああ、さすがは京極家執事の血を引く者。普段は悪口か憎まれ口か卑猥な発言しかしない腐れ外道でも、いざというときは主人のために身をささげてくれるのね。
しかしそんな私の期待を裏切ってくれるのがこの男だ。私を背にかばうようにして進み出た四郎は、重々しい表情で子供たちを睥睨して、言ってくれたものである。
「よーし、みんな。今日はこのお姉ちゃんの公開処刑ショーをやっちゃうぞ! でも、イベントの時間は夕方なんだ。だからそれまで、よい子に待っててね」
子供たちはキャーキャー騒ぎながら楽しそうに散っていった。なぜか四郎のやつまで愉快そうに笑っている。その様を眺めながら私は心底思う。私がこいつらに何をしたっていうんだ。っていうか、私、処刑されるの? マジで?
〇 〇 〇
観覧車の乗降口を望む一角に、私たちは即席の占い場を設えた。
もちろん、かってに遊園地内に店を開くことなどできない。そこはちゃんと許可は取ってある。ふつうは一介の女子大生にそんな許可はくれないのだろうけど、京極家の名を出したらすんなりともらえた。さすがは我が実家。追放された身だということは隠したけどね。
なるべく目立たないように風景に我が身を溶け込ませつつ、私は
折り重なる様々なアトラクションの隙間から垣間見ることのできる彼らの姿は、いつも通りのものだった。私と喫茶店でお茶をしている時と一緒だ。
でも……。
私は気づいていた。でも、ちょっと違うのだ。晶はいつもはジーパンにワイシャツなのに、今日はしっかりとジャケットを羽織っている。史香の服装も、普段のようなパンツスタイルではなく、私が初めて見るような白いフワフワのワンピース。化粧もいつもよりしっかりとしている。二人とも、今日という日がどういう日か、ちゃんと理解しているんだ。私がいない今日という日が。
「ボーっとしてちゃ、だめじゃないですか」
偵察から戻ってきた四郎が、私のさまを見て眉をひそめた。
「もうすぐ彼ら、こっちに来ますよ」
「そう。仕込みはすんだの?」
「もちろん」
私が占いでとどめを刺す前に、それをより効果的にするため、四郎には細かい不幸を撒いてきてもらったのだ。二人の足元にジュースをこぼしたり。ポップコーンをまき散らしたり。頭上から紙パックを投下したり。ケガを負わさないくらいの、小さないたずらの積み重ね。しかしそれは、地味に後の呪いに真実味を持たせるはずだ。
「あんなに楽しそうにしてるのにね」
さっき垣間見た二人の笑顔を思い出しながら、私は小さくこぼす。こんなこと、間違っているのかもしれない。でも、そうしなければ、また失ってしまう。今度は大事な幼馴染を。奪わなければ、何も持たない私は何も得ることができない。
「私って、本当に、悪い奴だね」
ため息交じりに言うと、四郎は心底驚いた顔をした。
「え。そうですけど。どうしたんです、今さらそんなわかりきったこと言って」
「ねえ、私の処刑ショーって、何をするのかな」
「そりゃあ、お嬢、処刑と言ったら、あれですよ」
四郎の顔が嬉しそうにぐにゃりと歪んだ。
「首枷をはめて拘束したお嬢に、投げつけるんですよ。クリームのたっぷり盛られたパイ皿を。パイ投げってやつです」
「それは、悲惨だね」
子供に嘲笑されながら、投げつけられたクリームで誰かわからぬほどに顔を真っ白にする己の姿を想像すると、なぜか笑いがこみ上げてきた。
「いたぶられる想像をして興奮しているんですか。お嬢も変態だな。この変態。変態悪役令嬢」
聞き捨てならない暴言をあびせられても、私は怒る気にならなかった。それでもいいような気がしたから。とことん惨めで無様な姿を皆の前にさらせばいい。こんな救いようのない私に待っているのは、そのような地獄こそふさわしいような気がした。
いつもなら即座に言い返すか拳骨をくらわす私が黙っていて、それどころか薄ら笑いすら浮かべているので、かえって怖れを抱いたようだ。四郎は彼にしては珍しくまじめな表情になった。
「安心してくださいよ。処刑ショーは夕方ですから。その前に任務を遂行してとんずらしましょう」
そして湯気をあげる食べ物の乗った容器を、占いの台の上に置いた。
「あと、売店で買ってきましたよ。昼ごはん、まだでしょ」
〇
四郎の買ってきたそれは、たこ焼きだった。
立ち上ってきた湯気と一緒に、香ばしいにおいが私の鼻をくすぐる。その瞬間、ふと脳裏に、星空と立ち並ぶ夜店の明かりがおぼろげに浮かんだ。
(麻里ちゃん。こっちこっち)
私を呼ぶ幼い声が耳の奥で響いた。目の前を、浴衣を着た女の子が歩いていく。私の手を引いて、時々振り返りながら。その横顔をまぶしく見上げながら、私は一生懸命足を動かしていた。私は彼女よりずいぶん小さかったから。
「どうしたんです?」
四郎の声が私の回想を止めて分け入ってきた。ハフハフとたこ焼きを咀嚼しながら、小ばかにしたように私を見ている。っていうか、それ全部私のじゃないのかよケチな奴、という非難の視線をかわして彼は、苦笑交じりに言った。
「おいひいですよ。お嬢の口にはあわないかもしれないけど。たこ焼きなんか、食べたこともないでしょう?」
「バカにしないでよ。食べたことくらい、あるわよ」
そう言い返して、私はたこ焼きを一つ口に放り込んだ。
だしの利いた熱い汁が口の中に広がる。それと同時に濃厚なソースの香りが鼻を突き抜けていった。
私の脳裏に、再び夜店の風景がよみがえった。先ほどよりも詳細に、映画のスクリーンに映されたみたいにはっきりと。
連なる照明の下にはいろんなお店が並んでいた。お面、綿あめ、りんご飴にバナナチョコ……。店と店の間の道には大勢の人が行きかっていて、雑踏のざわめきを縫って、祭囃子が流れていた。あれは……そう、私が小さなころに一度だけ連れて行ってもらった、実家の近所の夏祭りだ。所狭しと行きかう人々にもまれながら、七歳のころの私は、きょろきょろと忙しく視線を巡らせて、夜店に並ぶ珍しいお菓子たちに目を輝かせていた。
「離れちゃだめよ、麻里ちゃん」
そんな私がはぐれないように、ずっと手を引いてくれていたのは、義姉の恭子だ。あの夜、祭りに連れて行ってくれたのは、ほかならぬ彼女だった。両親が忙しく、また過保護で、いつも屋敷の中で過ごしていた。父は厳しく、母は笑わない人だったので、わがままを言うことができなかった。それができるのは恭子だけだった。ある日クラスメイトがするような体験を自分もしたいとせがむ私を、彼女が連れ出してくれたのだ。
祭り見物に疲れた私たちが買ったのは、たこ焼きだった。
にぎやかな通りから離れて、街を見下ろすベンチに並んで腰かけて食べた。
「おいひい。今日は、ありがとう」
たこ焼きをほおばりながら、私は恭子に礼を言った。そんな私を、にっこりと包み込むような笑顔で、彼女は見つめてくれた。
「また、来ようね」
「え。いいの」
「うん。麻里ちゃんが望むなら、どこだって連れて行ってあげるよ。いろんなとこに行って、いろんなおいしいものを、一緒に食べよう」
「ほんとに? ありがとう。お姉ちゃん、大好き!」
その時の義姉の表情を忘れまいと、あの時の私は思った。ふんわりと、花が開くように彼女は笑っていた。笑わない母を持つ私にとって、それは母がくれるはずの慈愛そのものに感じられた。大好き。恭子の笑みを見ながら私はもう一度言った。はっきりと。大好き。そう……私は彼女のことが、大好きだった。
「……どうして、忘れていたんだろう」
たこ焼きをかみしめる私の視界で観覧車が歪み、目から涙が一粒、零れ落ちた。
これは、あの時以来のたこ焼きだ。結局、あのあと祭りに行ったのが両親にばれて、恭子はこっぴどく怒られた。恭子だけが怒られた。最後まで彼女は私をかばって、私が行きたがったとは言わなかったのだ。その後監視が厳しくなり、二人でどこかに行くことはできなくなった。
どうして忘れていたんだろう。
私はたこ焼きを咀嚼するように、その想い出をかみしめる。私は、どうしようもない奴だけど、何も持っていない人間ではなかった。奪わなければ得られないような人間でもなかった。ちゃんと持っていたのに。かけがえのない、大切なものを持っていた。それなのに自分は、自らそれを捨ててしまったのだ。
「お嬢……。お嬢!」
私の感傷を破ったのは、またしても四郎の声だった。
「奴ら、来ましたぜ。はやく、準備を」
「え……え?」
心の準備のできないまま、私はあわてて顔にベールをかぶせた。四郎が晶と史香にすり寄っていき、もみ手をしながらこちらへと彼らを誘導してくる。その手際たるや、歌舞伎町の呼び込みも真っ青のあざやかさだ。いったいどんな甘言を弄しているんだ、と怪しむ間もなく、ふたりがこちらに歩み寄り、そして即席の占い台をはさんで私の正面に座った。
「よろしく……お願いします」
晶と史香。見慣れた親友の顔が私に向けられている。二人仲良く寄り添って。私と一緒にいるときには見せないような、ちょっと緊張した、はにかんだような笑みを浮かべて。
「では……まずは手相を見ます」
声がかすれた。私は咳払いをしてから、私のそれとばれないよう、低く威厳のこもった声を作って改めて指示する。
「お二人の、手を見せてください」
〇 〇 〇
何か適当な質問をしたり、月がどうとか水星がどうとか言ったり、割りばしみたいな細長い木の柵をこねたり並べたりした。全部でたらめだった。動画でなんとなく見たのを真似ただけの、まったくのでたらめ。当然だ。呪いの言葉を浴びせることだけが目的で、もともと私に占いのスキルなんかないのだから。
もっともらしくすべての作業を終えた私は、おもむろに二人を見た。
「おふたりの相性ですが……」
そこまで言って口を閉じ、もったいぶって間をおく。視界を覆う薄いベールの向こうで、晶と史香が同時にかたずをのむのが見えた。真剣な表情。たかが占いと馬鹿にすることなく、私の言葉に真摯に向き合おうとする姿勢がうかがえた。
ここまで来たら、もう、簡単だ。
おふたりの相性は最悪ですね。
そう、言うだけでいい。ただそれだけで、私の望みはかなうはずだ。
「おふたりの、相性ですが、そうですね……」
ふとその時、先ほど食べたたこ焼きの残り香が、鼻先をかすめた気がした。突然史香の顔に、恭子のそれが重なった。幼いころの夏の晩、私を祭りに連れ出してくれた恭子の顔が。私は出しかけた言葉を飲み込んだ。何も言えなくなってしまった。
人から奪ったもので、あなたは幸せになれるの?
どこからともなく、恭子の声が聞こえてきた気がした。
私は歯を食いしばる。そしてその答えを出した。今こそ、確信をもって。
幸せになんか……なれるわけないじゃない。
だって失ってしまうもの。大事な人を。大事な人を大好きだと思う心を。その人が私に抱いてくれているかもしれない友愛を。それはとても……とても寂しいことだ。
恭子を失ったみたいに、今度は史香を失うの?
「相性は、どうなんでしょう?」
晶が不安そうに問うてくる。
私は意義を正し、二人を交互に見つめた。ずっと一緒だった幼馴染と、大学に入ってからいつも仲良くしてくれた、憧れの親友……。
ふたりとも、大好きだよ。
ベールの影から視線でそう語りかけ、私は意を決して言い放った。
「いいですね」
その瞬間、私はまぶしさに目を細くした。晶と史香が同時に笑みをはじけさせたから。それに反して、視界の隅で四郎が目を剥いたのがわかった。何言ってんですかお嬢! とでも言いたげだ。しかしそれを無視して私はつづける。
「お二人の相性はとてもいいです。手相も星の動きも、みな抜群の相性を示しています。おふたりの幸せを約束していますよ」
そのとき二人が見せた表情を、今度こそ私は忘れないだろう。ふんわりと柔らかなその笑みは、あの夏の夜、恭子が私に見せてくれた笑顔によく似ていた。
◯
肩を寄せ合い観覧車へと去っていく晶と史香の背中を、私は瞬きもせずに見つめていた。
まるでその前途を祝福するように、初夏の明るい光が二人の頭上に注いでいる。
史香が晶をみあげて何か話しかける。晶が答え、史香が口に手を当てて笑う。
幸せそうだった。私なんかが言うまでもなく相性抜群で幸福な、それはカップルの姿だった。
もし……。
やめればいいのに、私はそこに自分の姿を重ねてしまう。晶を見上げているのは、ちょっとつり目気味の気の強そうな女の子。彼に語りかける口もとはほころんでいていて、その白い頬はほのかに桃色に染まっていて……。
二人の後ろ姿がたちまちかすんで、私は目をこすった。
「まったく。何やってるんですか」
横目でうかがうと、四郎が仏頂面で、私と同じように二人の後ろ姿を見送っていた。
「そんなに、怒らないでよ」
「怒っちゃいませんけど……」
私と視線を合わせた彼は、何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに、困ったように視線を占い台の上に向けた。
「どうするんです。それ」
それは一枚の五百円玉だった。二人が置いていった、占いの料金だ。私はそれに手を伸ばしかけ、しかしすぐに指を引っ込める。
「あんたに、あげる」
「じゃあ、遠慮なく」
本当になんの躊躇もなく五百円玉を拾い上げた四郎は、そのまま踵を返して何処かに行ってしまった。
私は構わずに、晶と史香の姿を追い続けた。二人が観覧車の乗車口の階段を上り、そしてゴンドラに入っても、目を離さなかった。
ゴンドラは地上から離れ、ゆっくりとのぼっていく。私ひとりを地上に残し、二人を乗せて空へ空へとのぼっていく。彼らを彼らにふさわしい青く澄み渡る世界へと運ぶように。
今ごろ、晶は史香に告白しているのかな。
そんなことをぼんやり考えながら、どんどん自分から離れていくゴンドラを、私は一心に見上げていた。
〇
突然視界に白い物体があらわれて、私の感傷の時間は途切れさせられた。
よく見ると、その白い物体はソフトクリームだった。
「いつまで浸ってるんですか、お嬢」
へ? と、間抜けな声を出して振り返ると、そこにはいつのまに帰ってきたのか四郎が立っていた。彼は手にしたソフトクリームを私の鼻先に突き出して、忌々しそうに言った。
「五百円じゃ、一つしか買えませんでしたよ」
「え。これ、私にくれるの?」
「そうですよ。お嬢の口に合うかはわからないけど」
「……ありがとう」
素直に礼を言ってしおらしくソフトクリームを受け取ると、四郎は軽く微笑んだ。私の胸が不覚にも鼓を打つ。彼らしくない、さわやかな笑みだったから。
「さあ、さっさと片づけて、とんずらしましょう。もたもたしてると、ガキどもに処刑されちまいますぜ」
「ちょっと待って。それはあなたが勝手に……」
「クリームとパイ皿の準備はしてあるんですが。それとも、ソフトクリームのほうがいいですか?」
前言撤回。やはりこいつはどこまでいっても朝倉四郎だ。
「……この、腐れ外道め」
「ははは。お褒めの言葉をたまわり、ありがとうございます」
軽口をたたきながら、てきぱきと手際よく小物とテーブルクロスをカバンにしまう。折りたたんだ簡易机をかついだ四郎は、仕事終わりの飲みに誘うみたいに晴れ晴れと言った。
「さあ、帰りましょう。帰って、残念会だ」
「そうね」
ソフトクリームを大事に両手で持ちながら、私もようやく踵を返した。
早く帰ろう。ふたりが地上に戻ってきちゃうその前に。
帰りがけにもう一回、大観覧車をふりあおぐ。二人の乗るゴンドラがどれか、もうわからない。
目を凝らした私は、驚きに目を見開いた。
ゴンドラの窓の一つの向こうに、よく知る人の姿があったから。七歳くらいの小さな女の子。それは幼い頃の私だった。そして彼女の向かいにもう一人……。
「恭子……」
私は思わずその名を呼ぶ。夏祭りに連れて行ってくれた、十二歳の恭子がそこにいた。彼女は幼い私に話しかけ、その頭を優しく撫でた。あの花咲くような笑みを浮かべ、よくやったねと褒めるように。
ガラスが陽光を反射して、窓の向こうは見えなくなった。ゆっくりと回っていく、色とりどりのゴンドラの窓という窓が、昼下がりの光を受けて輝いていた。その中にいるすべての人を祝福するように。
「こういうのも……悪くないよね」
私はひとりごちて、ソフトクリームをなめた。
それはとてもおいしいソフトクリームだった。甘く柔らかい塊を飲み込むと、それは冷たいはずなのに胸が熱くなった。
どんどん形を崩していくソフトクリームに、一心不乱にかじりつきながら、私は思う。
自分はきっと、この味も忘れないだろう。と。
きっと忘れない。口に広がる甘さとバニラの香り、舌に残るさわやかさ、そして、ちょっとしょっぱい後味を。
おわり
悪役令嬢は負けヒロイン 一柳すこし @kubotasukoshi
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