高校二年生
自己昇華
――――この小説を書き終えたら、私は死のうと思っている。
私が死ぬ前に、どうか私の、高校二年生、九条紫の物語を聞いてほしい。
……私は天才になりたい少女だった。
幼い頃から引っ込み思案で、人と関わることを非常に嫌悪していた。自己対話が好きだった。自身を多面的に見ることができて、無駄な衝突もない。他人と会話するときのようなずれは生じない。
そんなことをしているくらいだから、同世代の子供よりはませている方だったと思う。人よりも落ち着いている、知識がある、秀でている。そんな経験が私を歪ませた。
「紫ちゃんは頭がいいねえ」
親戚からも言われ続けてきた。周囲の人からも。
読書好きで漢字を読めるようになるのも早くて、なにもかもが他の人よりも早くできるようになって、私自身も自分が特別なんだと思っていた。
――――違った。
【天才児】もどきの転落は中学校から始まった。
精神を病み、崩壊し、問題を起こし、小学生までの【優等生】は【おとなしいけど怖い人】に変わった。それでも、テストは学年でほとんど一位と言ってもいいほどの出来だった。
まだ私は堕ちていない。だって、他の人よりも優れている。他の人よりも、ずっとずっと冷静で、自身をちゃんと分析できてる。
大丈夫。私はまだ、ちゃんと【優等生】でいられてる。そう言い聞かせて三年間を乗り切った
ちょうどこの頃から、私は小説を書き始めた。主人公は誰よりも強く、誰よりも優しくて、誰よりも愛される最高のキャラクター。今となってはなんの面白みもない物語だったけれど、当時の私にとっては快感でしかなかった。
自己投影。誰よりも優れた人間というステータスを自身に付与できた気になって、いい気になって、本当の自分なんて気にもしなかった。
自分から見て、自分が天才ならそれでよかった。
けれど高校生になった私に、決定的なことが起こった。
平均点以下。今までに見たことのない順位、点数。脂汗が噴き出して、止まらなくなった。私のテストに関心なんてないから、親に怒られることもない。友達もいないから、周囲にからかわれたりもしない。
指し示された、七十一点という中途半端な数字。
私は私が、人よりも劣っていることに気付いてしまった。
それはどうしようもない絶望だった。今まで信じて通ってきた道のすべてが、その瞬間消え失せたような、書き埋めたはずの地図が台無しになったような重苦しい不安感と絶望、漠然とした希死念慮。
天才なんて夢のまた夢だった。プライドという絵の具で透明なコップに鮮やかな色を描いて、満たされていると思い込んでいた。中身を飲み干そうとしてようやくそれがまやかしだと自覚した。
自分で自分を騙して、満足させて、自尊心を満たして。
私は平凡ですらなかった。平凡でもないのに、自身を天才だと自負していた。外面の謙虚さとは裏腹に、自分は周りとは違う才能を持っていると信じてやまなかった。
自信なんてない方がマシだ。今度はそう言い聞かせて生きようとした。
このときには今のような小説を書き始めた。真に才能がある小説家が書けば心に響き深く染み渡り、侵食していくような【文学】作品を目指した。
そしてこのざまである。
私の小説は小説ではない。私小説ですらない。面白みのない小説は小説ではない。ただの自分語りでしかない。
こんな小説もどきのものを書いて優越感に浸っているなんて、私はもうとっくに堕ちている。もしかしたら最初から堕ちていたのかも知れない。
性善説も性悪説もよくわからないが、とりあえず、私は悪なのだ。善でいたかった悪なのだ。人を見下しては自分を保って空の器を満たそうとした。虎になってもおかしくないほどの自尊心。
背負ったまま生きるにはあまりにも重く、強すぎるプライドと自己否定。それを作品へと【昇華】させるための自己満足をここに綴るだけなのだ。
……ああ、こんな小説の面白みなんて、どこにあるんだろう。
――――この小説を書き終えたから、私は死のうと思っている。だけれど私はまだ、この小説から離れることができないままだ。
私の望むものは、何なのか? 地位とか名誉とかそういう上っ面のもの? 才能や自信や、そういう内面的なもの?
いや、違う。死を糧にした、私の、そして私の小説の、【文学】への【昇華】なのだ。
私は自身の死を以て文学へと昇格するのだ。こんな小説まがいの出来損ないに『既に死亡した少女』という物語を付与して、真の【文学】と言えるのだろう。
外はまだ真っ暗だ。きっと今飛び降りたのなら誰も気づきやしないし、助けはすぐには来ないだろう。両親はしっかり寝ている。準備は既に終わっている。玄関の扉を開けたら、すぐに墜ちるんだ。
できるだけ音を立てないように部屋から出て、駐車場の景色を見下ろす。ここは六階だ。運が良ければちゃんと死ねる。
こっそり用意していた折りたたみの台をそこに置き、柵を登る。私はこの台を、この柵を、この生命を踏み台に【文学】となるのだ。
さあ、自己を【昇華】しよう。私はそのまま身を墜とした。最期に映った藍色の空は異常なほどに綺麗で。小説らしく表現しようとしたけれど、もう言葉は何も出てこなかった。
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