第8話 居場所


 トラウマに向き合おうとは思うものの、相変わらず火が怖くてどうしても足が動かない。

 キッチンの煙突から漂う匂いだけで胸がざわつく。結局、俺は部屋にこもったまま、一歩も外に出ることができなかった。


 時間ばかりが過ぎていく。窓を開けると、夏の始まりを感じさせていた青々とした景色は、少しずつ秋の気配を帯びていた。緑が濃かった木々の間に、黄色く色づいた葉が混じり始めている。風も少しだけ冷たくなった気がした。

 けれど、そんな変化を見ても、俺の中の季節は動かないままだった。

 

 このままじゃダメだ、ってわかっているのに、どうしようもなく自分が情けなかった。


 そんなとき、ふとあの場所を思い出した。

 村外れの花畑――俺だけの秘密基地。あそこで魔法の練習をした日々。失敗して水を浴びたこと、何度も地面に図を描いて工夫したこと。


 「……秘密基地にでも行ってみようか。」

 

 そう呟くと、胸の中にほんの少しだけ勇気の欠片が湧いた気がした。

 あそこなら、村人の視線も気にしなくていいし、火の気もない。


 大丈夫、俺なら行ける。


 小さな決意を抱えて、俺は自分の部屋から出る準備を始めた。少しだけ胸を張って、自分のために一歩を踏み出すために。


 俺は村人に気づかれないようにそっと外へ出た。そして秘密基地へ向かうため、いつもの道を進む。誰にも会わないようにと願いながら、少し早足になった。


 道端の木々は、いつの間にか夏の鮮やかな緑から、どこか寂しげな秋の色へと変わっている。葉の端が色づき、少し乾いた風が頬をかすめた。


 しばらく歩くと、花畑と小さな池が見えてきた。俺の「秘密基地」だ。ここに来るのは久しぶりだが、周囲は以前と何も変わっていない。白い花が風に揺れ、池の水面が光を反射して穏やかに輝いている。


 俺は静かに花畑の端に腰を下ろした。頭を抱えて深く息を吐き出す。


 「はぁ……どうして、こんなことになったんだろう。」


 あの日、村の人たちが俺をどう見ていたのかを思い出してしまう。噂話はあまりに冷たく、俺の居場所を奪っていったように感じた。火を消してしまったことが、そんなに悪かったのか? なんだか無性に村人の態度に腹が立ってきた。

 

 なんだよ。火を消したぐらいで。

 怪我人も出てないし、無事だったんだからいいだろ。

 というか俺のための祭りだったんだ。

 火が消えたくらいで大ごとなんだよ。

 噂話もコソコソ言ってるけど、全部聞こえてるって。

 そういうの子供に対してやっていいと思ってるのか?

 …………いや、怖がるのも無理はないよな。

 一歩間違えれば誰かが怪我していた。

 やっぱり……俺が暴走したのが悪い。

 

 村人に対しての怒りと、自分への怒り。それが頭の中で繰り返していた。

 火を見た瞬間、俺は自分を保てなくなった。過去の記憶が、全てを奪い去るように蘇ってきた。自分の意志で動いている感覚がなくなり、ただ逃げたかった。


 「はぁ……火も村も嫌いだ……。」


 手元の地面に目を落とす。村に戻る気になれない。じいちゃんとばあちゃんに申し訳ないと思いつつ、俺はまた誰にも会いたくなくなってしまう。


 ふと顔を上げると、池の水がさざ波を立てているのが目に入った。風のせいだろうか。それとも、自分が何か感じすぎているだけなのか。水面をじっと見つめていると、少しずつ心が落ち着いていく気がした。


 「……ここだけは、変わらないな。」


 この場所が俺を拒むことはない。それだけでも救われるように感じた。


 でも、ただここに居続けるだけじゃ、何も変わらない。自分を受け入れてくれるじいちゃんとばあちゃんの顔が浮かぶ。あの二人に心配をかけたくない、そう思う自分がいる。それでも、村に戻ることを想像すると足が動かない。


 結局、俺は花畑の中で膝を抱えたまま、ただ時間だけが過ぎていくのを感じていた。


 膝を抱えたまま、秘密基地でただ時間が過ぎるのを感じていた。周囲の木々が、秋の風に揺れて静かな音を立てるだけで、心はずっと落ち着かなかった。気づくと日はすっかり沈んでいた。


 「何してるんだろう、俺……」


 そんな思いが胸を締めつけた。家で待つじいちゃんとばあちゃんが心配していることは分かっていたが、どうしても足が動かない。結局、ただ黙って座り込み、ただの時間が過ぎてしまった。


 「帰ろう。」


 自分を言い聞かせるように、俺は静かに立ち上がった。足取りは重く、まだ心の中で火の恐怖に囚われている感じがしたが、それでも家路を目指した。


 家に帰ると、じいちゃんとばあちゃんが心配そうに自分を待っていた。


 「ラキ、どこに行ってたんだ? 黙っていなくなるもんだから、心配してたんだよ。」


 それでも二人の表情には、責めるような言葉はなく、ただ優しさだけが感じられた。


 「ちょっと……風にあたってた。」

 少しだけ視線を逸らしながら答えた。


 じいちゃんとばあちゃんは心配そうに顔を見合せたが、何も言わず温かく迎えてくれた。

 俺の視線で二人とも察していたのだろう。無理に問い詰めることなく、しばらく静かな時間が流れた。


 それからは秘密基地で過ごす時間が増えた。

 秘密基地の静かな時間が、俺にとって心を癒す場となった。池の水面は、昼間の柔らかな陽射しを受けてきらきらと輝き、周囲の草木が風に揺れる音が心地よく響く。その風景を見つめていると、少しだけ気持ちが落ち着いていくような気がした。


 「今日も誰も来ない、俺だけの場所。」


 この場所では、誰の目を気にすることもなく、自分を見失わずにいられる。でも、やっぱり完全に忘れることはできない。祭りでの火事のことが、心の中でずっと渦巻いている。


 それでも、秘密基地で過ごす時間が少しずつ、俺を外の世界へ引き戻してくれているように感じた。

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