第7話 引きこもり


 自室の薄暗い空間で、俺はベッドの端に座り、膝を抱えていた。

 何度もあの光景が蘇る。目を閉じれば、前世での火事の記憶と昨夜の出来事が入り混じり、頭をかき乱してくる。


 「消えろ……消えろ……」


 無意識に呟いた言葉。

 気づけば、手が震えていた。


 その時、コンコンと扉を叩く音がした。


 「ラキ、入ってもいいかい?」

 ばあちゃんの優しい声だった。


 「……」

 答えようとするが、声が出ない。


 「入るよ」

 返事を待たずに、ばあちゃんとじいちゃんがそっと入ってきた。


 ばあちゃんはベッドの横に腰掛け、俺の肩にそっと手を置いた。

 

 「大丈夫、大丈夫だよ。もう怖いことは何もない。安心しなさい。」

 じいちゃんも少し離れた椅子に腰掛け、静かに俺を見守っていた。


 「……俺……」

 ようやく絞り出した声は、途切れ途切れだった。

 

 「俺……変なんだ……火が……怖いんだ……」

 

 前世のことを言うことはできない。

 言葉を濁らせそういうと、ばあちゃんはそっと頭を撫でた。


 「誰だって、怖いものはある。それは変なことじゃないよ。ラキが火を怖がる理由も、私たちはちゃんと受け止めるから。」


 じいちゃんも低い声で続けた。

 

 「怖い気持ちも、悩む気持ちも、全部そのままでいい。じいちゃんたちはラキの味方だ。」

 その言葉に胸の奥が少し温かくなった。火の記憶の熱とは違う、じいちゃんとばあちゃんの優しさが心に染みた。

 ぎゅっと拳を握り締めた。震えが少し収まった。俺はそのまま眠ってしまった。

 

 

 

 あの日のことを、完全に忘れていたわけじゃない。ただ、忘れたいと思っていた。地獄のような光景だったから。


 炎に包まれた部屋、燃え盛る家具、耳をつんざくような悲鳴――それらは心の奥に深く刻み込まれていた。けれど、転生して新しい生活が始まると、それはだんだんと記憶の奥底に押し込まれていった。もう思い出さないようにと。


 自然と火から距離を置いていた。暖炉には近づかず、料理中のキッチンにもできるだけ行かないようにしていた。火属性魔法も、練習の候補にすら挙げたことがなかった。


 その選択に深く考えたことはなかった。ただ、それが当たり前のように思えたから。火は暖かさや便利さをもたらしてくれるものだと頭では分かっている。けれど、あの時の記憶がチラつくと、全身が震え、息が詰まりそうだった。だから無意識に避け続けていた。


 自分がこの世界で新しい生活を送る中で、あの日の記憶は過去のものにできたはずだった。でも、実際にはずっとそこにあった。ずっと心の奥で眠り、消えることなく燻り続けていたのだ。


 そして昨日、櫓の炎を見た瞬間、それが一気に目を覚ました。過去の記憶がまるで鮮烈な夢のように心を支配し、ただ恐怖に飲み込まれてしまったのだ――。

 


 櫓の火を消してしまった夜のことが、村全体に広がるのに時間はかからなかった。翌朝、俺は目を覚ましてからも布団の中でじっとしていた。初めて毎日の日課である祠への参拝をサボってしまった。胸の奥に残るざわつきが消えず、昨日の出来事が頭から離れない。


 はぁ……

 憂鬱だ。昨日の記憶を消したい。

 ……空気の入れ替えでもしよう……


 少し気持ちを落ち着けようと思い、部屋の窓を開ける。外の空気が冷たくて、ほんの少し気が紛れる気がした。


 風、気持ちいいな。

 頭が冷えてくる。


 窓の外からは、村人たちの声が聞こえてくる。朝の賑わいに混じって、ひそひそと交わされる言葉が耳に飛び込んできた。


 「昨日の櫓の火、あの子が……」

 「何だったのかしらね? 魔法? でも、誰が教えたの?」

 「普通じゃないわよ。あんな風に火が一瞬で消えるなんて……」

 「ちょっと怖いよな。なんか、何をしでかすかわからない感じがして……」


 胸がギュッと締め付けられ、体が動かなくなった。


 「火が怖くてパニックになったって話だが……でもあれは異常だろう。」

 「おかげで祭りが台無しだ。」

 「いや、でも村が燃えたわけじゃないし……感謝するべきじゃないのか?」


 いくつかの声が聞こえてきたが、そのどれもが胸に突き刺さった。


 俺のせいで、祭りが台無しに……

 あの光景を見た人たちは、俺を怖がっているのか。


 俺はそっと窓を閉じた。手は震えていた。足もすぐには動かない。村人たちの声が頭の中で反響して、止まらなくなる。胸が重く、息苦しい。


 あの時の火の光、熱、燃え盛る音――それらが頭から離れない。それに加えて、昨夜の出来事がさらに心を締め付ける。


 怖い。外に出たくない。


 その日から、俺は自室に閉じこもるようになった。

 

 あの日のことが噂となり、村人たちは目に見えて自分を避けるようになった。まるで異物を見るような視線。それは不安や恐れが混ざったものだった。


 「火を消すなんて、そんな魔法が使えるなんて…」

 「恐ろしい力だわ。小さな子どもなのに……」


 そんな声が耳に届くたびに胸が痛んだ。自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったのだと思った。


 薄暗い部屋の中で、前世の記憶が繰り返し頭をよぎる。俺は部屋に引きこもったままだった。じいちゃん、ばあちゃんとも、誰とも顔を合わせたくない。誰かの目を見たら、自分の中の後悔や恐怖がもっと大きくなりそうだった。


 二人ともきっと呆れてるよな。

 こんなことになって、迷惑だろうな。

 俺、ここにいられないかもしれないな。


 その日も、じっとベッドに潜り込んでいると、コンコン、と優しいノックの音がした。


 「ラキ、じいちゃんだ。入ってもいいか?」

 

 じいちゃんの声だ。俺が返事をする前に、そっと扉が開いた。じいちゃんの後ろには、ばあちゃんの姿も見える。


 「何日も顔を見てないからな、心配になってな。」 

 じいちゃんはそう言うと、椅子を引いて座り、俺と視線を合わせた。


 「ラキ、お前がどう思ってるかはわかる。でもな、あの火を消したのは、お前のせいで祭りが台無しになったわけじゃない。むしろ、村を守ろうとしてくれたんだろう?」

 

 俺は黙っていた。


 そうじゃない、そうじゃないんだよ、じいちゃん。

 ただ怖くて、何も考えずに……

 

 「怖がるのは悪いことじゃない。お前が怖がる理由もわかる。それでも、火を消したおかげで何も失わなかった。それを誰も責めやしないさ。」


 じいちゃんの声は穏やかだったが、心に染みるようだった。けれど、それだけではまだ胸の重さは消えなかった。


 「ラキ。」

 今度はばあちゃんがそっと俺の手を取った。

 

 「お前が何をしたって、私たちはお前のことが大好きだよ。お前が怖がるなら、一緒にその怖さを分け合えばいい。それを一人で抱え込む必要なんてないんだから。」


 ばあちゃん……


 俺は思わず涙が込み上げた。けれどそれを見ても、ばあちゃんは微笑んでいて、じいちゃんはただ黙って横にいてくれた。


 二人の言葉のおかげで、少しだけ救われた気がした。俺がどんな状態でも、この二人は離れずそばにいてくれる。そのことがどれだけ心強いか、今になって初めて気づいた。


 けれど、胸の奥にある恐怖や罪悪感が消えたわけじゃない。火に対するトラウマは、俺の中に深く刻み込まれていて、それはたぶんこれからも俺を苦しめるだろう。だけど――。


 俺は、このトラウマに向き合わなきゃならない。心配してくれる人がいるから。

 一人じゃない。誰かが、俺を支えてくれる。だからこそ、俺も一歩ずつ進んでいく必要があるんだ。


 そう自分に言い聞かせると、胸に少しだけ灯りがともったような気がした。温かいけれど決して熱くはない、不思議な安心感だった。

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