第四章 メロウ

1 翼を持つ吟遊詩人

「リーベ……!!」


 必死で腕を伸ばし、目覚めれば見慣れぬ天井があった。

 慌てて上半身を起こし、周りを見渡す。

 レイはようやく自分がどこにいるのか理解した。


 今は旅の途中だ。ここは昨日宿をとった部屋。

 隣のベッドでは、狼の耳をつけた金髪の少年ペルが静かに寝息を立てている。


 どんな夢を見たかは憶えていない。でも悲しくて、何かを求めて必死に叫んでいた気がする。

 握りしめていた手のひらを開くと汗で濡れていた。額に前髪が張りついている。

 レイは手の甲で、流れ落ちそうな寝汗をぬぐった。


「よう、起きたか。うなされてたぜ」


 逆光のせいで一瞬存在に気づかなかったが、明るい緑色の瞳をした青年が窓枠に座ってレイを見ていた。

 湯浴みでもしてきたのか、いつも毛先が跳ねた赤茶色の髪は水滴の重さで下に垂れている。


 元盗賊団の団長だったサリア。

 昨晩はペルの隣で眠りについたはずだ。


「サリア、寝ていないのか?」

「俺は昔っから眠りが浅いんだよ。ゆっくり寝てもいられない環境で育ったからな」


 宿屋の敷地内でニワトリが鳴き始める。

 その騒音で、ペルがもそもそとベッドから這い出してきた。


「……レイ、サリア、おはよう」

「おう、眠そうだな、ガキ」

「……ペルだよ」


 瞼を半分閉じたままで、ペルがサリアに言い返す。


「昨日はいろいろと大変だったからな。疲れているだろう。もう少し寝てても構わない」

「大丈夫……起きる……」


 ペルは昨日、育ての親と帰る場所を失った。

 まだたった三人だが、それぞれ心に何かを抱えたパーティだ。


「んじゃ、全員起きたところで、朝飯でも食いながら旅の計画を練ろうぜ!」


 普段通りの明るい調子に戻って、サリアが言った。



 ***



 安宿の朝食は、簡素なものだ。硬い麦パンにバターとイチジクのジャム、先ほど鳴いていたニワトリの卵を両面焼いた目玉焼き、そして干し肉。


 食事をしながらテーブルの上にカトラリア王国の地図を広げ、一番地理に詳しいサリアが説明をはじめる。


「ご存知のとおり我らがカトラリアは縦長の菱形、周囲の国からはダイヤモンド型と呼ばれる地形をしている。元々ダイヤの産地でもあるしな。最も南にある都市が国王の住む首都カリナン。レイの出身地だよな」


 菱形のちょうど真下を指差し、丸を描く。


「そして俺たちが目指す竜魔王の浮遊城は、最も北にある古代都市ユーリカの真上にあると言われている。最短ルートで行くなら、まっすぐ北上すりゃいいわけだ。だが、話はそう単純じゃない」

「……砂漠があるからか」

「レイ、正解。カトラリアの西から中央にかけて、広大な砂漠が広がっている」


 サリアは地図上にある、砂色に塗り潰された場所をとんとん叩きながら言った。


「東のほうへ陸地を迂回する手もあるが、そっちは火山地帯で魔物がうようよ棲む魔境だ。砂漠と火山に守られてるおかげで首都カリナンは敵国から攻められる心配もなく、我らが国王様はのうのうとふんぞり返っていらっしゃるんだぜ。で、北に進むのに一番ポピュラーな方法は、砂漠を外から回り込む定期船だ」

「船!? 船に乗るの!?」


 干し肉をほおばっていたペルが目を輝かせて立ち上がった。


「食い物を口に入れたまま喋るんじゃねえ。船は金もかかるが、うちのリーダーはなにしろ貴族のぼんぼんお坊ちゃまだ。心配ない」

「…………」

「というわけで、今日は港町まで歩いて移動! 定期船が午後に出ているはずだ。航海は順調なら三日とかからない。船で一気に砂漠を超えるぞ!」

「やったー! 船ー!」


 盛りあがるサリアとペルを尻目に、レイは旅立つ前に父から持たされた、金貨の入った袋をそっと懐に隠した。



 ***



 潮の香りを含んだ生温い風が、海から漂ってくる。飛び交うカモメが合図の鳴き声をあげていた。


 港には巨大な帆船が停まっていた。砂漠を超える航路を進む定期船だ。週に一度の出港日のため、港街には多くの冒険者や商人が集まっていた。


 商人たちはどこでも商売を忘れない。

 港で布を広げ、武器や装備を売る即席の市場ができあがっていた。


「ちょうどいい。砂漠を越えたら気温が低くなるはずだ。装備を揃えていこう」


 三人は色鮮やかな布が並ぶ市場を物色し、全員分の装備を整えた。


「ねえ、あの人……」

「ん? どうした、ペル」


 ペルがレイとサリアの服の裾を引っ張り、市場の隅に座っている男を指差した。


「すっごい派手な人がいるよ」

「ああ……おそらく吟遊詩人バードだろう。私の屋敷でも、旅の詩人がたまに演奏をしにやってきていた」


 銀色の長い髪に、同じく銀色の瞳。

 歳はレイやサリアより少し上くらい。ヒラヒラした白色のきらびやかな服を着て、左腕に銀製の竪琴を抱えている。


「やっぱりレイはお坊ちゃまだねえ。俺は生まれてこのかた、音楽なんて高尚なもんは嗜んだことねえや」

「ペルも教会で聖歌しか聴いたことない。いいなぁ、歌ってくれないかなぁ」


 吟遊詩人らしく華やかな容貌だが、表情のせいなのか、どことなく陰気な雰囲気が漂う男だ。

 時折思い出したかのように竪琴をポロンポロンと鳴らす。その音色は波の音にまぎれて、海に流れていく。


「出港、出港ー!!」


 船員の合図の声が響き渡る。大勢の冒険者と商人を乗せて、帆船が港を離れていく。


「うわぁ、すごい風! 気持ちいい!」


 ペルが船先から身を乗り出し、楽しそうにはしゃいでいる。

 荷物の多い商人は船室の中へ、冒険者は情報交換のため甲板で過ごす者が多かった。

 レイたちも甲板の端に腰を落ち着けた。


 すぐ近くに、さっき港で見かけた銀髪の吟遊詩人が座っていた。目を閉じて、楽器を抱きかかえたままじっと動かない。

 好奇心に負けたペルが、詩人に声をかけた。


「吟遊詩人さん! ペルだよ!」

「……ペル? 君の名前……?」

「そうだよ!!」


 ペルの頭についた耳に気がつくと、驚きの声をあげた。


「……!? 君、もしかして亜人かい?」

「ペル、人間だよ。ほら、耳取れる」

「……なんだ、びっくりした……。驚かせないでくれよ……」


 耳を外して見せたペルに、あからさまにがっかりした様子で詩人はため息をついた。

 声は小さく、今にも消えいりそうな話し方だ。


「詩人さんの名前は何ていうの?」

「……僕は、メロウ」

「メロウはどこに行くの?」

「……砂漠を超えた先の森の中にあると言われる、亜人の村パピルサグさ」

「亜人の村? まーた変な場所を目指してんだな、あんた」


 ペルの隣で話を聞いていたサリアが、ふたりの会話に口を挟んだ。


「……本当に存在するのか、知らないけどね」


 と、メロウは自嘲気味に笑う。


「あるんじゃねえの? 俺の生まれた街には亜人が何人も住んでたけど、パピルサグを知ってるって奴が何人かいたぜ」

「……本当かい!?」

「ほんと、ほんと」

「……嬉しいよ。それでは、喜びの歌を一曲」


 メロウが静かに竪琴を奏で始めると、それまで賑わっていた甲板の冒険者たちは声を潜め、その音色に耳を傾けた。


 その歌声は、レイたちがこれまでに聴いたこともないようなものだった。

 詩の一語一語が、脳に直接語りかけてくる。声が、細い針のように鼓膜を貫く。心臓が震えそうになる。



 まだ見ぬ仲間たちよ

 僕の声が聴こえるか?

 君たちにまだ巡り会っていないのは

 神様が嘘つきだったから

 この歌が聴こえたなら

 どうか応えてほしい

 僕はここにいる



 歌が最高潮に達したとき、レイは詩人の背中に真っ白な翼を見た気がした。

 それは、気のせいではなかった。歌い終わったメロウの背中には、鳥のような大きな羽が生えていた。


「おまえ……亜人か?」


 レイがメロウに尋ねると、彼は涙を流しながら答えた。


「そう……。僕はセイレーンと人間の間に生まれた亜人……」

「セイレーン、航海者を歌で誘い、海に引き摺り込むと言われている魔物か」

「……そのとおり。しくしく」

「どうして、泣いている?」

「また破ってしまった……。この服、高かったのに……」

「…………」



 その頃、船室では船長と乗組員が羅針盤を見ながら、真剣な表情で話し合いをしていた。

 髭をたくわえた船長は言った。


「まずいな、夜になったら、嵐が来る」

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