2 弔いの燈籠
その夜の海は、船ごとひっくり返ってしまうのではないかと思われるほどに荒れた。
巨大な帆船がまるでおもちゃのように、波に手綱を取られて遊ばれている。そこら中で渦が巻き、海そのものを乱暴に掻き混ぜたような嵐だった。
だが、どんな嵐もいつかは終わりが来る。止まない嵐はない、というのは船乗り共通の合言葉で、苦しい航海を乗り切るための祈りの言葉だった。
朝日が昇り始めたときには、昨晩の天候が全部嘘のように、水平線は穏やかだった。
今回もどうにか生き延びたと、船長と乗組員は胸を撫で下ろした。
「あー、乗客に告ぐ。我が船は昨夜の嵐による故障箇所の修繕のため、これからランターン島へ立ち寄る。夕方まで停泊するから、目的地への到着が延びて申し訳ないが各々自由に過ごしてくれ」
船内に張り巡らされたパイプを通じて、船長の声が乗客たちに届けられた。
冒険者も商人も慣れているのか、到着の遅れに文句をつけるものはいなかった。
「島だって!! どんなところかな!? 南の島!?」
「ペル、何でそんなに元気なんだよ……おえ」
楽しそうな声を上げているのはペル、嵐での船酔いにいまだ苦しんでいるのはサリアだ。
「ランターン島はね、南の島だけど、花が咲かないんだ……」
昨日船で出会ったばかりの吟遊詩人、メロウが答える。長い銀色の髪と、同じ銀色の瞳を持った青年。
憂鬱そうに目を伏せて、時々左手に持った竪琴をポロンと鳴らすのが癖らしい。
「ふうん、じゃあ地味な島なんだぁ」
「だから住民は、島中を色とりどりの灯りで飾ることにした。ランターンというのは、島の民芸品である
「とうろう……?」
「見ればわかる。どことなく東国の雰囲気がする、美しい島さ」
***
勇者一行は、ランターン島に降り立った。
気候は温暖で、草木が濃い緑色を艶めかせて茂っている。
メロウの言っていたとおり、どこにも花は咲いていない。その代わりに赤や黄、橙、水色といった、淡くて鮮やかな色の燈篭が島のあちこちに飾られていた。
まだ午前だが燈籠の中のキャンドルには火が灯り、幻想的な光を放っている。
「ほほー、確かにこりゃあ美しい。でも何だ、この空気は……」
「……砂浜の様子がおかしい」
島を見渡すサリアとレイは、島民たちの異変に気がついた。
定期船を停泊した港のすぐ傍に、広い砂浜が広がっている。その場所には何十人もの島民が集まっていた。
「みんな、泣いてるね……。どうしたのかな」
ペルが心配そうな顔をして、言った。
砂浜には深い朱色の布にくるまれた塊が十三体。
大きいものが七体。小さいものが六体。それは、明らかに人間が包まれている形をしていた。
「嵐の被害者……」
小さいものは子どもだろうか、とレイはその光景を眺めて、目を細めた。
海の真ん中にあり、嵐の直撃を受けたランターン島は、かなりの被害を被ったようだ。
あちこちで民家が破損している。時計台や教会の十字架が吹き飛び、木の柱が露出していた。砂浜に寄せる波の、澄み切った海の色が余計に島の風景を悲しくさせていた。
「ずいぶん燈籠の数が多いと思ったら、これから葬儀か……」
潮風に髪をなびかせ、メロウが重い声で呟く。その言葉を聞いたペルがメロウに尋ねた。
「とうろう、どうするの?」
「燈籠流しと言ってね、遺体と一緒に海に流すんだよ。死んだ人の魂が迷わないよう、道しるべさ……」
ペルはメロウのことが気に入ったようで、船を降りても傍を離れない。
魔物に育てられた少年は、亜人であるメロウに対しても親近感を抱いたようだ。
島民の老人がレイの姿に気づき、駆け寄ってくる。
「勇者様!! 皆の者、勇者様が来られたぞ!!」
その声を聞いた島の住民たちが、歓声を上げながらレイたちの下に集まってきた。
勇者がゴーレムからペルの暮らしていた村を救った話は、事情を知らない民たちの間では英雄譚として語られているらしい。「勇者様、勇者様!」と声がこだまする。
人の評価はあまりに簡単に変わるものだ、とレイは複雑な思いで微かな笑顔を作った。
「このようなときに立ち寄って申し訳ないが、夕方まで船は動かないらしい。しばらく滞在させていただきたい」
「ええ、ええ、もちろんですとも!」
それらのやり取りを後ろで見ていたメロウが、驚いた顔をしている。
「勇者って……、あの『暁の勇者』!? もしかして君たち、勇者のパーティなのかい?」
「そうだよ! ペルもレイの仲間だよ」
「気づかねえよな。レイの奴、勇者のくせにいつも隅っこにいるし、喋らねえし、目立たないからなー」
「…………」
好き勝手なことを言っているサリアを横目で見ながら、レイと老人は話を続ける。
「勇者様、お着きになられたばかりで疲れておられるでしょうが、ひとつお願いがございまして……」
老人が、申し訳なさそうな顔をしてレイに言った。
「勇者は客ではない。我々にできることなら、なんなりと手伝おう」
「この島の中心にある丘に、たった一か所だけ花の咲く場所があるのです。昨夜の嵐で命を失った者たちへの手向けとして、どうかその花を摘んできてはいただけないでしょうか。いつもは島の若者に頼んでいるのですが、生憎……」
布に包まれた誰かと、周囲に集まる友人たちのほうを老人はちらりと見た。
その頼みに、レイは頷いた。
「痛ましい光景を見て、私にできることはないかと考えていたところだ。そのくらいのことならば喜んで手伝おう」
「ペルも! お花とってくるよ!」
ペルの無邪気な瞳を見た老人は、思わず微笑んだ。
「丘にはサーベルタイガーの群れが棲んでいますが、私たち島民と彼らは古くから共存してきました。こちらから何もしない限り襲っては来ません。どうかお気をつけて」
***
ランターン島は、それほど面積の大きな島ではない。中心にあるという丘まで歩いて数時間。地面は草原で、視界が開けているのでほとんど迷うことはなかった。
「昼間は暑いからさ……ちゃんと水、飲むんだよ」
「うん!」
メロウがペルに、水の入った皮袋を手渡す。会話を聞いていたサリアが、ふたりのほうに振り返って、メロウに向かって言った。
「なんであんたまで一緒にいるんだ? 足さえ引っ張らなきゃ別にいいけどよ」
「僕、子ども好きなんだ……。それに、少しはお役に立てると思うよ」
「そうならいいけどねぇ」
やがて前のほうに、この丘で一番標高が高く、盛り上がっている場所を見つけた。大きな岩がいくつも転がっている。
老人の話では、この岩石のどこかの隙間に、ランターン島で唯一咲くという花があるはずだった。
先頭を歩いていたレイが、何かを見つけて立ち止まった
「お、どうした? レイ」
「あれが、サーベルタイガーか」
緩やかな傾斜になった草原の向こう、岩山の影から、口元に大きな牙の突き出した虎のような獣の姿が見える。
サーベルタイガーは足も速いが、強い
サリアが手を目の上にかざして、魔物の姿を眺める。
「おー、ほんとだ。結構たくさんいるなぁ。一、二、三……って、あれ?」
後ろから歩いてついてくるメロウとペルが、
「わあ、こっちにすごい勢いで向かってきてるね……」
「すごい、虎だ! ペル、初めて見た。かっこいいなぁ」
「いや、ペル、そんなこと言ってる場合じゃ──」
レイが叫んだ。
「来るぞ!!」
サーベルタイガーの群れは、牙を震わせてレイたちのいるほうへと走ってくる。
その目は血走って、敵意を剥き出しにしていた。空は晴れているのに、丘中に雷鳴が轟き、細い紫色の光がまっすぐに地面へと落ちた。
そこら中に落ちる雷を避けながら、サリアが叫ぶ。
「何もしなけりゃ襲ってこないんじゃなかったのかよ!? 納得いかねー!!」
それぞれに武器を構え、勇者たちは魔物の群れと対峙した。
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