3 ゴーレムの想い
古代都市ユリーカ。
暗雲たちこめる魔物の街の上空に、竜魔王が住むと言われる城が浮かぶ。
リーベは次元を切り裂いた先に、ある歪みの部屋にいた。
魔王になることを拒否し、反抗し続けた結果、インキュバスに連れてこられたのだ。
赤や緑の混じった不思議な背景をしていて、上も下もわからない。音も、光も、闇さえも存在しない空間。
腹も減らないし、眠くなることもない。実体がおぼろげで、自分に触れることもできない。
「こんなところに押し込んで申し訳ございません。自害されては困りますので。ここは夢の中のようなものです。私は夢魔ですから」
儀式の間に現れた魔物、インキュバスは、歪みの外からリーベに声をかけた。
インキュバスの姿を目で捕らえたリーベが叫ぶ。
「僕は魔王なんかにならないって言ったろ! ここから出してくれ! 魔王になるくらいなら、死んだほうがましだ!」
「お言葉でございますが」
インキュバスは冷たくも優しくもない、淡々とした口調で言った。
「魔王とはなるものではございません。あなたは元々魔王です。生まれながら、人間が勢力をふるうよりももっと古来から存在する、魔物の頂点に君臨せしドラゴンの王。それが『竜魔王』なのです」
重力のない部屋で、何もできず睨みつけるだけのリーベに、インキュバスはなおも話を続ける。
この魔物は話すとき、声を出さない。相手の脳に直接語りかけてくるのだ。
「貴方は人間どもに毒され、誤解していらっしゃる。ドラゴンともなればまた別ですが、本来我々魔物の力は微弱です。そよ風のようにひそやかに、自然と共に生きてきたのです」
そのとき見せた微笑みは妖艶で、夢魔にふさわしかった。
「掛け算式に繁殖した人間どもが押し寄せるまでは、この世界は均衡を保っていました。奴らは肉体における弱肉強食を覆し、自然の摂理を無視した破壊を繰り返す反乱分子です。それに人間は、自分たちの視点からしか物事を計りません。奴らの言う混沌とは、世界の安定、正しき姿のことなのです」
そんなこと、信じるもんか。そう叫ぼうとしたが、声にならなかった。
頭に入り込むインキュバスの声が、鋭い痛みへと変わる。
「もうじき貴方にも、魔王としての自我が目覚める。そのときまでどうかご辛抱を……」
どこかでレイの声が聞こえた気がした。
それからダンとローズの声。
だがそれらは全部知らない声にすり替わり、やがて彼のよく知る声になった。
リーベ、彼自身の声だ。
『目覚めろ、我は竜魔王。この世界を安寧に導くもの』
***
ゴーレムの谷は村を西に進み、『コヨートル山岳地帯』と呼ばれる標高の低い山々を抜けた先にある。
山自体はそれほど広くないが、土壌が柔らかく、至るところで地面が崩れ落ちて行き止まりを作っているせいで、道が途中で途切れている場所がそこら中にある。
何度も同じ道を行ったり戻ったりしながら、レイたちは谷底にあるというゴーレムの谷を目指した。
谷の近くに来るとハイエナに似た黄褐色の魔物が徘徊していた。普通の獣と違うのは、小柄だが魔力を持っており、溶岩に似た高熱の土砂を地面から作りだせるのだ。
レイとサリアの剣だけで倒せない相手ではなかったが、ペルの防御魔法もなかなかのものだった。
山とは相性がいいらしく、
ペルは道中、何度も首から下げた赤い石のペンダントを取り出して眺めては指で触れていた。服の中に隠していて、普段は人に見えないようにしているようだ。
「ペル、その石はなんだ? 不思議な力を感じる」
レイが尋ねると、ペルは嬉しそうに答えた。
「これ、お母さんだよ。ペルのお母さんは、ペルが小さいとき砂に戻っちゃったんだ。砂の中にこの石があったんだよ。あと、お兄ちゃんもいたよ。お兄ちゃんは狼の魔物で、僕を村に連れていった冒険者に殺されちゃったけど」
レイはペルの金色に輝く耳と尻尾をちらりと見たが、何も言わなかった。
「おい、レイ。別のパーティがいるぜ」
サリアの声に促されて、緩やかな傾斜となっている山道の先を見あげると、六人組の男女が岩や地面に座って休息を取っているところだった。
剣士、斧使い、弓使い、魔導士、聖職者、盗賊が揃った、熟練の雰囲気が漂うパーティだ。
彼らはレイたちの姿に気づくと、ひそひそと話をした。話が終わるとリーダーらしい剣士が立ち上がり、こちらにやってきた。
「おやおや、その剣と鎧、もしや勇者レイ様ではありませんか。お噂はかねがね」
剣士の男が丁寧な口調でレイに話しかける。だが、その声にはレイを見下した調子が混ざっていた。
そして胸に教会の刺繍が入ったペルの姿を一瞥すると、馬鹿にするように言った。
「勇者様御一行はまだ三人ですか。ずいぶんと可愛らしい
後ろにいた五人が、声を荒げて笑った。
「このあたりは魔物もまだ弱い。勇者様には物足りないかもしれませんが、ご武運を」
そう頭を下げて勇者の横をすり抜けると、さっきとは打って変わった挑戦的な声色で、レイの背中に言葉を吐いた。
「血筋だか何だか知らないが、アンタにしか魔王を倒せないってことはないはずだ。竜魔王の首は俺がもらう。平民の俺が真の勇者になるんだ」
全員で騒がしく笑いながら、六人組は山を下りて行った。
「なんだい、あいつら!」
ペルは怒っていたが、「まあ、気持ちはわかるねえ」とサリアは冷静だった。
彼らのメンバーである盗賊が、去り際にペルのペンダントを盗み取っていったことに、レイたちはまだ気づいていなかった。
***
谷底にぽっかりと空いた巨大な洞窟の前に、レイとペルは立っていた。
「……ここか? ゴーレムの巣は」
「ここ、だったと思う。ペルが暮らしてたところ」
「なんだ、もぬけの殻じゃねえか」
数歩遅れて、サリアが追いついた。道中に咲いていた、魔法耐性が一時的に上がるというエーデルヴァイスの花をむしゃむしゃと食べている。
「お父さん! ペルだよ! みんな、どこ!?」
洞窟の中に駈けて行ったペルが叫ぶ。声は岩の壁をこだまし、幾重にも響いて、やがて消えた。
岩石に囲われた場所特有の、地響きの音に似た重厚な気配が漂っている。
「……足跡は新しいな」
レイはしゃがみこんで、地面にくっきりとついた四角い巨大な跡をたどっていった。
洞窟内の地面には、大小無数のゴーレムの足跡がついている。砂と石でできた無機物の魔物が歩き回った跡だ。
サリアが洞窟の真ん中に立ち、魔物の痕跡を読み取ろうと瞼を閉じる。自身に
しばらくして目を開け、こりゃだめだ、と首を横に振った。
「どこかに移動したならまだいいが、さっきのパーティが全部倒しちまったのかもな。あいつらの言ったとおり、ここのゴーレムはそれほど強いやつらじゃなさそうだし。もう帰ろうぜ。どんだけ花食っても、これ以上魔法耐性上がらねえよ」
「でも……」
「ゴーレムは自分が生まれた大地に属する魔物だ。集団で移動した前例はほとんどない。諦めるんだな」
なかなかその場から動こうとしないペルに、レイは少し迷ったが、はっきりとした口調で言った。
「ペル、ここにおまえの家族はもういない。受け入れるんだ。その後で、自分がどうしたいか考えろ」
「……はい」
ペルはうなだれて、力ない返事をした。
険しい山道をふたたび戻る。レイたちだけなら先に進んでもよかったのだが、ペルを村に送り届けなければならなかった。
冒険に連れていってほしいと言ったのはゴーレムの谷に行きたかったからだ。結果はどうあれその願いが達成された今、危険な旅に子どもを連れていく理由はない。
帰り道、ペルはじっと押し黙って考え事をしていた。やがて、踏ん切りがついたようにレイに声をかけた。
「ねえ、勇者様、やっぱりペルはお父さんを探したい。だからペルを」
そう言いかけたペルを、レイは片手で制止した。
ペルが見あげると、その青い瞳はまっすぐに前方を見据えていた。
「……村が騒がしい」
サリアは腰から下げた袋からメッキ製の単眼鏡を取りだし、村の様子を確認した。
「あれは……ゴーレムの群れ!? 村人を襲っているのか!?」
民家の高さをはるかに超える、巨大なゴーレム。十五体、いや二十体はいるだろうか。
小さな村の中でひしめきあうようにして、手足を振り回して、力の限り暴れて回っていた。
家は崩れ、畑は踏まれ、教会すらも半壊していた。巨大すぎる魔物を前に、人々は反撃することもできず逃げまどっている。
村人の半数はすでに村の敷地内から退避していて、壊されていく家や畑を呆然と見つめていた。
残りの半分は、まだ村の中にいる。逃げ遅れて建物の陰で怯えている者、何とか畑や家畜を守ろうと瓦礫でバリケードを築く者、逃げ遅れた村人を助けようとする者。
中でも一回り大きい銅色をしたゴーレムが、石の体から音波のような雄たけびを発している。
強烈な不協和音に人間たちは耳をふさいだが、音は鼓膜に無理やりねじこんでくるようだった。
その音波の意味する言葉がわかるのは、ここにいる人間の中では、ペルただ一人だった。
『ぺる、むかえにきた ぺる、むかえにきた』
『お父さん!!』
ペルが、ゴーレムに向かって叫ぶ。その声に気づいたゴーレムは振り返った。
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