2 魔物に育てられた子

 山間の村は数えられるほどの民家と畑、それから小さな教会だけで成り立っていた。

 民家の間を歩いているのはレイとサリア、そしてペルと名乗った少年の三人。


「冒険に出たいって言ってるのに、なんで村に戻るんだよ」


 ペルは不満そうに文句を言っていた。


「うるせえ、迷子を送り届けてるだけだ」


 サリアが言い返す。


 子どもたちが目を輝かせてレイとサリアを眺めている。宿さえないこの村には、冒険者たちもほとんど立ち寄らない。よそ者の姿が珍しいのだろう。

 村の奥からまた別の子どもたちが走ってきて、彼らは代わる代わるペルに小石を投げつけた。


「魔物の子! 魔物の住処に帰れ!」


 ペルは慣れているようで何も言わなかったが、悔しそうに唇を噛みしめていた。


「まあ、亜人ならいじめられてもしかたないよな。殺されないだけましってもんだ」

「サリア、言い過ぎだ」


 レイがサリアをたしなめたとき、教会から年老いたシスターが出てきて、急いだ様子で三人のところへやってきた。


「ペル!」

「シスター!」


 彼女の元へ駆けていったペルは、その広がったスカートに抱きついた。

 老いたシスターもまた、大事なものを扱うように、ペルの小さな体を抱きしめた。



 ***



 シスターはゆっくりとした動作で紅茶を淹れると、カップとソーサー、それからミルクポットをレイとサリアの前に置いた。熱すぎないお茶から細い湯気が立ち昇っている。


 木造の教会は古く、午後の早い時間にも関わらず応接室にはランプが灯っていた。

 テーブルと布の破れたソファ、茶器が何組かおさまった棚、読み込まれた聖書が並ぶ低い本棚、それから小さな暖炉があるだけの簡素な部屋だ。炭を掻き出した跡だけが残る暖炉は、もう何年も使用されていないようだった。


 老女は自分用の紅茶を淹れ終えると、テーブルを挟んで正面の客用ソファに座っているレイとサリアを交互に眺めた。その口元には常に上品な笑みが浮かんでいた。


 サリアはシスターに向かって前置きもなく、不躾な口調で言った。


「あんた、大丈夫なのか? 教会で亜人なんか匿って、下手したら首が飛ぶぜ」


 遠慮のないサリアの言葉を、シスターは意に介さない落ち着いた様子で聞いていた。

 そしてミルクを少しだけ入れてスプーンでカップの中を混ぜ、一口飲んでから言った。


「あの子は、亜人ではありません。勇者様御一行」

「だってよ、耳と尻尾ついてんじゃねーか」


 両手で耳の形を作って反論するサリアを見て、シスターは静かに微笑んだ。


「あれは、ただの作り物です。狼の毛皮で作っただけのものです」

「なんだそりゃ……」


 力が抜けたように、サリアはソファに深く沈み込む。やり取りを黙って見ていたレイが言った。


「よく出来ているな」

「そういう問題じゃねえだろ」


 ちかちかと、油が残り少なくなった壁のランプの灯が、弱くなったり強くなったりを繰り返している。ソファのすぐ横にある窓の外では、ペルが他の子どもたちと遊んでいる声がする。

 さっきまで石を投げられていたのに、子どもとは現金なものだと、レイは思考の隅で考える。


「村の子どもたちが、あの子を魔物の子と言っていたでしょう。あれは本当です」

「どういうことだ?」


 シスターはそっと目を伏せ、首を少し左右に振った。


「あの子は、ゴーレムに育てられた子どもなのです」


 礼拝堂のある方角から、女性の歌うか細いソプラノの聖歌が聴こえていた。


「ゴーレム……。この目で見たことはないが、家庭教師に教わった。西の砂漠のほうに多くいる、体が土や石でできた魔物だというが」


 レイの言葉に、サリアが補足する。


「ああ。ゴーレムは群れで行動し、そのコミュニティの中では意思疎通もできる程度の知能を持っている。まあ、犬くらいのもんか。たまに狼とかの野生動物と共存しているという報告も聞く。だが、まさか人間まで育てるとは、にわかには信じらんねえなぁ……」


 と、疑念の眼差しだ。


「ですが、本当のことなのです。あの子を育てたのはゴーレムと、その群れに混ざって生きていた金色狼サン・ウルフという魔物です。ここから西に進んだところにある断崖絶壁の谷、その底にゴーレムの巣があります」


 この村の周辺が描かれた古びた地図を示しながら、シスターは説明を続けた。


「金色狼って上級魔物だろ。このあたりに出現すんのか?」

「生息地は北ですが、おそらく怪我をして移動してきたのでしょう。冒険者が見つけたときにはすでに弱りきっており、ゴーレムの中に潜んで生き延びていたそうです」


 上級魔物ともなれば人の言葉を解する個体も多い。

 それならまあ有り得なくもないか、とサリアは納得して頷いている。


「ペルは五年前、この谷で暮らしていたところを冒険者に発見されて救い出され、私のところに預けられたのです。当初はほとんど言葉も話せませんでした」

「しっかし、魔物の中で育った子どもなんか拾って、よく許されたな。教会の上部に反対されただろ?」


 驚いた様子を隠せないサリアに、シスターは説明を続けた。


「あの子は希少な回復魔法が使えます。戸籍の代わりに『聖職者プリースト』で冒険者登録をしました。私がこの五年で人間の言葉と生活を教えましたが、覚えの早い子で、魔法の才能も飛び抜けています。それなのに……あの子は、ゴーレムの巣に帰りたがっているのです」

「そうだよ! ペル、お父さんのところに行きたいんだ!」


 窓から顔を覗かせたペルが、手をあげて叫んだ。


「私は、このまま村で暮らしたほうがいいと思うが」


 ペルは窓枠をよじ登って部屋に入り、そう提案したレイの膝の上に座った。

 勇者を見あげ、無邪気に笑って言った。


「ペル、急にいなくなっちゃったから、お父さんも心配してると思うんだ。ペルもお父さんが心配。だから様子を見に行かなきゃ。でも、危ないからひとりじゃダメってシスターが言うんだ。勇者様は冒険でいろんな場所に行くんでしょ? だから、ペルをゴーレムの谷に連れてって」

「おいおいおい、俺らはガキの送り迎え係じゃねえぞ」


 とんでもない、というようにサリアは呆れた声を出す。

 その声が聞こえなかったのか、パン、とシスターが音を立てて両手を合わせた。


「それが、いいわ。そうしましょう」

「ハァ?」

「魔物があの子を覚えているとも思えないけど、諦めがつかないみたいだから、一度連れてってあげてくださらないかしら。勇者様と一緒なら安心ですわ」

「俺らに何の得があるってんだよ……」

「ゴーレムを倒していただければ周辺の村も安全だし、修行にもなりますでしょう。谷には魔法から身を守ると言われるエーデルヴァイスの花が咲いていますよ」


 そうよ、それがいいわとシスターは嬉しそうな声をあげた。

 んー、と頬を掻きながらサリアはうなった。


「どうするよ、リーダー?」

「放っとくわけにもいかないだろう。どちらにしろ、私たちは強くなるために経験を積まなければならないんだ」


 迷いのない声で、レイは言った。


「ハァ、ガキのお守りをするために旅をしてるんじゃねえんだけどな」


 サリアはなおもぼやき、冷めたお茶を飲み干した。

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