2 義賊の男

 ライトグリーンの瞳をした男が去っていった方角が、なにやら急に騒がしくなった。

 家々の密集する路地を抜けた先には、小さな噴水を中心とした広場があるはずだ。

 レイは勇者の剣を右手に握ったまま、そちらへ歩いていった。


 この小さな街に住むすべての住民が集合したかのような賑わいだった。

 子どもから老人まであらゆる年齢の民が、屋根に立っている男に向かって、熱狂的な歓声を浴びせている。口笛まで吹き鳴らされ、まるでお祭りみたいだ。

 人々視線の先にいるのは、ついさっきまでレイと剣を合わせていた盗賊シーフである。


「待たせたな、おまえら。デートの時間だぜ!」


 盗賊団に団長と呼ばれていた男が指を鳴らして合図すると、金貨が空を舞った。

 住民たちは大喜びで我先にとそれを拾っている。現国王の顔が緻密に彫られたコインは、まるで本来の意味を失って、石ころの一部にでもなったかのように地面を埋めていた。


 男は屋根の上で、饒舌に語りはじめる。


「今回のターゲットは、南西の領地を治めている鼻持ちならない貴族野郎だ。生まれながらの金持ちのくせに資源は独占、食料も買い占め。いくら貯め込んでやがんだって話さ。俺たちが忍び込んだとき、奴は食いすぎてふかふかのベッドで豚のように眠ってたよ」


 彼の台詞に、聴衆は笑いと声援をあげた。

 民家の陰で様子をうかがっていたレイは、独り言を漏らした。


屍肉を喰らう者たちアード・ウルフ……。そうか、こいつら……義賊か!」



 ***



 住民の数より宿の部屋のほうが多いと言われる街だけあって、寝床は簡単に確保することができた。

 太った宿屋の主人は、勇者にたいして不愛想だった。彼はもう気にすることもなく、宿帳に記名した。

 電気の消した部屋で、寝心地がいいとは言えない木製のベッドに仰向けになり、レイは目を閉じた。


 ずいぶん長い間、眠りは訪れなかった。

 さっき出会ったばかりのアード・ウルフのこと、石になった母のこと、そしてリーベのこと。民たちがレイを見るときの疑わしげな視線。

 ほんの数日前、勇者承継の儀が行われたその日まで、彼は国民の期待を一身に背負った若き勇者であったはずなのに。


 名誉のために勇者としての修行を積んできたわけではない。この国を救うのが、彼の生まれながらの使命だったからだ。


 ──魔王となった友人を救うのは、その使命に反することなのか?


 問いかけの答えが出る前に、彼は深い眠りに落ちていた。


 真夜中、客室のドアが慌てた様子で叩かれた。

 静まった宿に響き渡るノックの音は、レイが泊まっている部屋のドアから聴こえるものだった。

 レイは剣を手に携え、音を立てずに寝床から抜け出した。こんなに深く眠ってしまうなど、油断しすぎた、と小さく舌打ちを漏らす。


 だが、ドアを叩いた主は敵意のある者ではなかった。

 彼が用心しながら扉を開くと、青ざめた顔色をした宿屋の娘が立っていた。

 宿の前で客引きの手伝いをしていて、部屋は空いているかと尋ねたレイを快く案内してくれた娘だ。


「勇者様、どうか」


 純朴そうな外見をした娘は、レイに懇願した。


「私の姉は、この街を治めている貴族さまのところで住み込みのメイドとして働いているのですが、今晩、アード・ウルフがそのお屋敷に盗みを働きに入るのだと噂を耳にしました」

「あの義賊たちが?」

「ええ。うちより貧しい連中は奴らをヒーローのように扱いますが、所詮は荒くれ者です。盗みのためなら人を殺すのもいとわない外道です。どうか姉が巻き込まれないよう、奴らを討ってくださいませんか」


 剣を握り、黙って外にでた。

 娘は当然彼が盗賊団を退治してくれるのだろうと思い込み、深々と頭をさげた。


 レイは考えていた。勇者として、公平な行動はなんだろうか?

 子どもの頃より、父から毎日のように勇者としての規範を教えられてきた。

 勇者は国民のために在るものだ。魔王を倒し、この世界と人々を救うのだ。それなのに彼は今、魔王を救うための旅に出ている。世界と国民を守る義務を放棄しようとしている。

 魔王は、世界に混沌をもたらす存在だ。でも、彼の大切な友人だった。


 盗賊シーフの男と戦った剣の感触が、ついさっきのことのように指先に蘇る。

 絵本の中で見た義賊は、民たちのヒーローだった。アード・ウルフ、奴らもまた、ある一面から見たなら民の英雄に違いない。


 ──英雄とはなんだ? 民を救うとは?


 だがいくら考えてみたところで、レイの知っている民とは金にも食べ物にも困ったことのない貴族だけだった。



 ***



 小さな街の中心に堂々と建つ貴族の屋敷は、かなりの成金趣味だった。

 二階はどの部屋も真っ暗だが、台所や応接間の明かりがついていることから、まだ働いている使用人たちもいるようだ。

 広大な庭の死角に、何人かの盗賊が潜んでいることに気がついた。

 その中に黒いスカーフで口元を隠した見覚えのある顔がいる。赤茶色で毛先がはねた髪と、黄色混じりの明るい緑の瞳が印象的な男だ。


「おい」

「うわ、びっくりした。急に話しかけるなよ」


 仲間に声をかけられたと思ったのか、彼はレイの姿を見ると怪訝な顔をした。


「あんた、何でこんなとこにいるんだ?」

「さあな。何でかわからないからかもな」


 男は両手を開いて、何を言っているんだ、というポーズをとる。


「見たところ、あんた、貴族なんだろ。いかにも育ちのよさそうな顔しやがって」

「まあ、そうだな。貴族なことに間違いはない」

「俺らを止めにきたのか?」

「一応、そういう予定もある」


 男は立ち上がって、唾を吐いた。


「なんだそりゃ。はっきりしねえな。止めるなら俺と同程度には覚悟を決めてきやがれってんだ」

「どんな覚悟だ? ぜひ教えてくれ」

「はぁ。なんなんだよ。あんたみたいなお坊ちゃん育ちはどうせご存知ないでしょうがね」


 そう前置きして言葉を続けた。


「この国の、貴族と平民の貧富の差を知ってるのか? ほとんど採れやしない鉱石に、年々減っていく仕事、あがる一方の税金。国はどんどん痩せ細っているのに、貴族たちはそんなことそっちのけで社交界だ、流行りのファッションだ、勇者様だと大騒ぎだ」

「勇者の、何が悪い? 魔王は必ず復活するんだ。誰かが倒さねばならない」


 レイは思わず言い返していた。

 盗賊は鼻で笑って言った。


「フン。伝説の英雄だなんて謳ってるが、あいつら貴族の連中はさ、代々とんでもない金を賭けて遊んでやがるんだぜ。今回の勇者が死なずに済むか、それともあの世に逝っちまうかさ。混沌が起ころうと死ぬのは貧乏人だけ、金のある自分たちには関係ないと思ってやがるんだ。まして倒してもすぐ復活する魔王なんざ、ほかの国と対等に扱ってもらうための道具でしかない。何もかも茶番さ」

「……おまえは、貧富の差を埋めるために民に金を分け与えているのか?」

「バカじゃねえの? そんな一時凌ぎで国は変わらねえよ。ガキじゃあるまいし」


 両腕を頭の後ろに組んで男はぼやく。


「あぁ、いやだいやだ。貴族バカ」


 そしてくるっと振り返ると、乱暴にレイの手を握りしめて言った。


「これ以上あんたと長話をしている暇はないし、さっき剣を交えた結果、どうやら一騎打ちじゃ敵わなそうだ。ここは握手でもして平和的に解散といこうぜ」


 あのときと同じ調子で、男は軽い口調で「じゃあな」と言って屋敷のほうに去ろうとしたが、レイはその後ろ姿に再び声をかけた。


「おい、おまえ、名は?」

「訊いてどうする? まあべつにいいけど。サリアだ」

「女みたいな名前だな」

「そんなの、百人いりゃ百人が言うんだよ。もっと面白い返答しろよな」

「そうか、私の名はレイだ」

「お上品な名前で結構。今度こそじゃあな!」


 ヒュッと口笛で合図をすると、数人の盗賊が身を低くして、屋敷の裏側へと走っていった。

 サリアもまた、軽々と背の高い木を登って、雨どいを伝い、二階建ての屋根へと消えていった。

 そのとき、この悪趣味な庭を取り囲む違和感に気づいたのは、レイだけだった。

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