第二章 サリア

1 屍肉を喰らう者たち

 首都カリナンから少し離れた、はじまりの街。

 もちろん通称だが、城で許可証を手に入れた冒険者はみな、この街を経由して旅に出ていく。

 住民の数より宿屋と酒場のほうが多いと言われるほど小さな街は、旅を始めたばかりの血気盛んな若い冒険者たちであふれている。


 彼らが冒険に旅立つ理由はさまざまだ。

 おそらく一番多いのが、栄光を手に入れようとしている者。剣の腕を鍛え、または魔力に磨きをかけ、最強の名を手に入れようとしている者たちだ。

 強くなって名が広まれば、王の住む城の騎士に任命される可能性がある。この国の騎士は貴族と同等に近い資産と権利を保有することができる。


 生まれたその時に身分が決まっており、死ぬまで変わることのないカトラリア王国では、もっとも現実的に見える下剋上だった。

 それに、隠れた宝を発掘し、悪名高い魔物を倒せば、騎士になれなくとも一攫千金と栄誉を手に入れるチャンスがある。


 鉱山にこもって採掘をするくらいしか国の提供する労働がない事情もあって、今や冒険者の数はかつてないほどに膨らんでいた。

 何不自由ないはずの貴族たちの中にさえ、名声を手に入れた者をうらやみ、剣や杖を持って旅立つ連中がいるくらいだ。


 ドアベルを鳴らし、さびれた酒場に入ってきたのは、この国で唯一生まれたときから冒険に出ることが決まっていた男。

 先代から証を受け継いだばかりの『暁の勇者』、レイだった。


 傍を通りかかった店員に料理を注文すると、その若い男の店員は、レイの声がまったく聞こえなかったように振る舞った。水は出てこなかったが、しばらくすると頼んだ料理はちゃんとテーブルに運ばれてきた。

 皿を置くと、その若い男はぞんざいな態度でチップを要求し、レイが払った銅貨をすばやく懐にいれると何も言わずにカウンターの奥へと戻っていった。


 ──私は国のために魔王を倒すのではない、それどころか、混沌をもたらすはずの魔王を救うと宣言したんだ。


 儀式の間で起こったことは、人々の口から口へと語られ、すでに国中に広まっている。民たちの心が離れていったのも当然だと、レイは自嘲気味に笑った。


 黒い光を跳ね返すまっすぐな長い髪に、深い青色の瞳。それと同じ色をした、真っ青な鎧。

 その姿は非常に目立っていたが、彼を勇者だと知る者は、酒場にいる人間を観察するとせいぜい半分くらいのようだった。首都の周辺を離れれば、数はますます減るだろう。

 そう思うと、レイは少しだけ気が楽になった。


 食事を終えて店の者に金を渡していると、後ろからひどく酔った中年の男に野次を飛ばされた。レイの正体は知らないようだ。


「よう、そんな派手な鎧をまとって、『屍肉を喰らう者たちアード・ウルフ』に狙われるなよ!」

「アード・ウルフ?」


 聞き返したが、男はすでに酒に戻ったあとだった。彼の漏らしたその単語に、酒場にいる何人かが体をこわばらせたような気がした。

 初めて聞く名だが、その後もしばらくレイの頭の片隅に残って離れなかった。



 ***



 月明かりの下、路地を歩く。レイを挟むようにして並んでいるのは、素焼きの安い煉瓦れんがで造られた平民たちの家だ。しかもその中でも、比較的貧しい人々である。

 だが、窓に映るランプの光と、家族人数分の影はこのうえなく幸せそうに見えた。

 ちょうど夕食時で、そこら中から子どもたちのはしゃぐ声が漏れている。


 レイは母のことを思い出した。今は石となって、屋敷の一室の天蓋付きベッドで横たわっているローズ。

 あの日から父とはほとんど会話をしていない。父もまた、リーベのことを本当の息子のように可愛がっていたのだ。将来は勇者とともに旅に出る、かけがえのない友となることを願って。


 彼が両親のことを考えていたそのとき、まるで故意に邪魔をしたように、歓声が響いた。窓から顔をだしている子どもの甲高い声だった。


「アード・ウルフだ!!」


 眼で追うことのできない、いくつもの残像が屋根の上を飛び交っている。時折り、下卑た笑い声が聞こえる。レイは剣の鞘を握りしめて、身構えた。


 じっと眼をこらすと、やがて夜の闇の中に、屋根から屋根へと移動する男たちの姿が見えた。十五人、いや二十人。すでに去った奴を含めると、それ以上かもしれない。

 全員が頭に緑色のバンダナを巻き、裾のほつれた軽装をして、手には刃の部分が湾曲したショートソードを持っている。子どもの頃に本で読んだ盗賊シーフそのままの恰好だった。


「盗賊団か……!」


 鋭い視線を背後に感じ、剣を抜いた。

 身をひるがえして切っ先を後ろに向けると、奴らと同じ服装をしたひとりの男が、左手で持った短剣をこちらに向けて突きだしていた。


「いいもん着てんじゃねえか! その鎧置いていきな!」


 その一撃は軽いが、素早い身のこなしだ。攻撃を弾いた次の瞬間には、また短剣の刃先が飛んでくる。油断すると、男の脚さえ目の前に現れる。体術を合わせた、このような型のない自由な剣術を、レイは今まで見たことがなかった。


 初めて剣を交える盗賊の男の動きを把握するため、あえてじっと構えて目を凝らした。

 手数は多いが攻撃力は低い。軽いものは弾いて、相手が致命傷を狙っているときだけガードすればいい。

 男の剣術は無型だが、長い年月をかけた修行の成果だ。根底にある卓越した力量を、レイはその身で感じていた。


 盗賊の男は薄ら笑いを浮かべていた。剣を振り下ろすとき、また、レイに攻撃を跳ね返されたときでさえだ。

 その笑い方は下品で挑発的に見えたが、男の鮮やかなライトグリーンの眼はまっすぐに月の光を映し出して輝いていた。


 ──いい瞳をしている。


 自分でもおかしな話だと思うが、レイは彼に好感さえ抱いたのである。


 いつまでも剣を交わしていたいと思ったが、そういうわけにもいかなかった。

 男の体が一歩離れた隙に剣をかかげ、祈りを込める。


「暁よ、力を貸してくれ……!」


 勇者の剣が白い光を纏いはじめる。それを見た盗賊の男は嬉しそうに笑った。


「なんだそれ、おもしれえ!」


 再び剣先が合わさろうとした瞬間、彼らの会合を邪魔する者が現れた。


「団長、時間です!」

「おっと、もうそんなに経ってたか。悪ぃが約束してんだ! じゃあな!」


 さっきまで命をかけて戦っていたのが嘘のように、微塵も重苦しさを感じさせない声で男は言って、屋根に飛び、仲間たちと共に去っていった。

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