2 魔王復活
大広間の天井と壁は崩れ落ちて、柱には高熱で溶けた跡があった。
空を覆うほどの魔物の群れが襲撃してきたのだ。漆黒の翼を持ち、その体も同じ色で染められた数多の魔物は外壁を破り、城を囲っている。
儀式はちょうどレイが父から剣を受け取ったところで中断していた。
急いで祈りの間から走ってきたリーベは、入り口から伸びている赤い絨毯の真ん中に立っていたレイのそばへ駆け寄った。
「レイ、いったい何が……⁉」
友人の姿を視界に捕らえた勇者が叫ぶ。
「リーベ! こっちに来るんじゃない!」
「すまない、こんな奴らが侵入してくるなんて、僕の祈りが不完全なばかりに……」
リーベの言葉を制止して、なおもレイが声を荒げた。
「そんなことを言っている場合じゃない! すぐに逃げろ!」
貴族や騎士たちは動転し、逃げまどっていた。玉座にいた国王と先代の勇者ダンも、その場を動けずに立ち尽くしていた。
空をはばたくもの、地面に立つもの、すべての魔物がレイを囲んで、どこが眼だかわからない顔を向けている。
群れの中から一匹だけ姿の違う魔物が、レイとリーベの前に歩みでてきた。
薄い青色の皮膚をして、黒い翼を持っていたが、顔は人間そのものだ。長い髪を垂らし、どこか妖艶ささえある端正な美貌の魔物だった。
他のものが一斉に体を引いていく様子から、魔物たちを統率する立場であるようだった。
「魔王様、お迎えにあがりました……」
人間のものではないとわかる、幻聴に似た声の意味する言葉に、レイとリーベは眉をひそめた。
「何を……」
レイが何かを言いかけた声に聞こえないふりをして、魔物は話を続けた。
「私はインキュバス。だが、そんなことはどうでもいいのです。毎度のことですが、どんなに長い説明をしようと魔王様は納得なされない。なので、端的に事実だけを申し上げます」
青い肌をした魔物は言葉を続ける。
「勇者に倒された魔王は肉体ごと消滅したあと、転生して人間に擬態し、力を蓄えて時を待ちます。リーベ様、貴方こそが現世に復活した魔王、そう、『竜魔王』なのです」
「僕……⁉」
驚きにも、絶望にも似た表情で、顔を歪めた。
「戯言を聞くな、リーベ! こいつは私が斬る!」
レイは授かったばかりの勇者の剣を構え、インキュバスに斬りかかった。魔物は軽々と剣をかわし、リーベを指さして、短い呪文を唱えた。
その瞬間、リーベの体は強く発光し、レイは思わず目を閉じた。
顔はリーベのものだったが、その姿は、たとえるなら真っ白な竜だ。
強固そうな質感の象牙色をした皮膚が全身を鎧のように覆っていた。背中には巨大な白い翼がうごめいている。碧色だった瞳は紅く染まり、鈍い光を発していた。
ドラゴンと人間が混ざったような体に変化したリーベに、レイはもちろんのこと、リーベ自身も言葉を失っていた。
「ま、魔王だ! 竜魔王が復活した!」
「逃げろ!!」
広間はますます混乱し、観衆は次々と逃げていく。
その中の、燕尾服を着た貴族の一人が叫んだ。
「おい、勇者、何をやっているんだ! 早く魔王を殺せ!」
その声に後押しされた人々が、口々に叫び始める。
「そうだ! 魔王を殺せ!」
そして、王が言った。
「国王の名において命ずる! 暁の勇者レイよ、魔王をその手で倒せ!」
最初は驚いて目を見開いていた先代の勇者ダンも、レイに向かって諦めたように言った。
「……レイ、おまえの役目だ」
人々の怒号が、地震のように響き、こだまする。
魔王を殺せ‼
魔王を殺せ‼
魔王を殺せ‼
「私は……! ちがう、リーベは私の友人だ! リーベ、こっちへ来い!」
「ぼ、僕は……」
リーベが何かを言いかけたとき、小さな影がふたりの間に飛びだしてきた。
「レイ……! リーベ……!」
それは彼らの母親、ローズだった。二階が崩れたせいか、
「母上、来るな! 危険だ!」
「奥さま……⁉」
無謀にも魔物の巣窟に身を乗り出してきたローズを助けようと、リーベは手を伸ばした。
一瞬の閃光と、すぐに訪れる静寂。
ドラゴンと化した彼の手の先からは雷のようなものが放たれ、その光を受けたローズは、その体を石に変えていた。
「う……あ……⁉」
腕を差し出したまま、リーベは事態を呑み込めず、呻きをもらした。
「母上ぇ‼」
レイの叫び声が聞こえる。
冷静を保ったままの、インキュバスが囁いた。
「力の暴走……魔王様は、まだ目覚めたばかりでその御力をコントロールできていません。完全なる覚醒を待つため、我らと共に城に帰りましょう」
レイは、怒りに我を忘れた。
「リーベ……おまえ……!」
「レイ……僕を、僕を殺して……! そうすれば、きっと奥様は元に……」
まだ錯乱しているリーベは、レイに向かって懇願するように言う。
インキュバスがそこへ口を挟む。
「魔王様が死ねば、たしかにその女は元の姿に戻るでしょうね。ですが、勇者はまだ未熟だ。今の彼では、無防備な魔王様であろうと傷ひとつつけられますまい。おふたりとも、肌で感じているでしょう? 歴然とした力の差を」
今にも飛びかかりそうだったレイは、歯をくいしばり、憎しみの瞳でインキュバスを睨みつけたが、やがて歯を食いしばったまま腕をおろした。
勇者の剣は鈍い音を立て、
そのときリーベは、頭の中に火花が散ったように感じた。
記憶が、なだれこんでくる。
歴代の勇者たちとの戦い。
その昔、この手で殺した勇者たち。
混沌に支配された世界。
反対に、殺されたこともあった。
彼を殺した勇者たち。
平和が戻った世界で、人間の姿に変じ、じっと覚醒の時を待った日々。
「あ……あ……僕、僕は……」
「リーベ……」
喪失の表情で、リーベを見つめるレイ。その瞳は、どこも見ていないようだった。
「ごめんね……レイ……」
その顔は、ただただ悲しそうだった。
「僕、魔王だったみたい」
魔物たちが次々に黒い翼を広げて飛び立っていく。彼らの巣である魔王の城に帰っていくのだ。
インキュバスがリーベに声をかけた。
「さあ、帰りましょう。我々の城へ」
レイは両膝を床につき、頭をうなだれて、手のひらで顔を覆っていた。傍らには石となった母親が横たわっていた。
白い翼をはためかせ、体を浮かせると、リーベはレイに声をかけた。
「レイ、お願いがあるんだ。必ず、必ず僕を倒しにきて。君にならできる。だって、君は伝説の『暁の勇者』だもの」
背を向けたリーベは、レイに届かないほど小さな声で言った。
「レイ……」
紅い瞳は、涙を流すことはできなかった。
「僕、君のパーティにはいりたかったよ」
魔物とともに、リーベは飛び立った。
立ち上がり、意を決したようにレイは瞳に命をよみがえらせ、叫んだ。
「……私は、おまえのところに辿りついてみせる!! そして母上を元に戻す!! だが、おまえを倒しに行くんじゃない、私はお前を救う!! 絶対に助けるからな!!」
白い翼を持ったドラゴンの王は、すでに飛び去ったあとだった。
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