第一章 リーベ

1 勇者承継の儀

 城下町の一角に建つ、ある屋敷の庭。

 豊かな木々と季節の花、噴水、自然神を模した石像、大理石製の椅子で彩られた、典型的な貴族の別邸である。


 色鮮やかな薔薇のアーチから少し離れた芝生の上で、ふたりの少年たちが剣をふるっていた。歳はどちらも十歳くらいだ。


 黒髪の少年はレイ。凛々しく、聡明そうな顔つきをしている。

 金髪の少年はリーベ。異国の響きの名を持ち、少女と見まごうような穏やかな顔つきをしている。


 レイが片手で短剣を振り下ろすと、受け止めたはずのリーベはいとも簡単に転んで尻もちをついた。


「いたた」


 ウェーブした金の髪が、光に透けて揺れる。

 起きあがろうとするリーベに、レイは手を差し伸べて手伝った。


「あーあ、また負けちゃった。やっぱりお坊ちゃまは強いや」

「お坊ちゃまじゃなくて、レイでいいって言ってるだろ。おれたちは友達なんだから」


 そう返したのは、意志の強そうな瞳をした黒髪のレイだ。

 リーベは柔らかく目を細め、「うん、わかったよ」と頷いた。


「あっ、レイ! 手首のところ、怪我してる!」


 手首についたかすり傷を見つけて、リーベが叫ぶ。


「ほんとだ。どこかで擦ったかな」

「ちょっと待ってて」


 金髪の少年が傷口に手をかざして短い呪文を唱えると、ほのかな光が発せられ、次の瞬間には元から何もなかったかのようにレイの傷は治っていた。


「本当にすごいな、おまえの魔力マナは」

「えへへ。あと少し大きくなったら教会の司祭になって、もっと回復魔法の勉強がしたいんだ」


 少し恥ずかしそうな顔をして、リーベは笑った。


「だって、ちょうどぼくたちが大人になった頃なんでしょ。『竜魔王』が復活して世界を混沌へと陥れるのは」

「そうだ。祖父も、父も、かつて勇者として魔王を倒してきた。その血を受け継ぐおれも、魔王を倒す旅に出なきゃならない。リーベ、そのときはおれについてきてくれるよな?」


 レイはリーベのほうに向き直り、改まって言った。

 金髪の少年は、笑顔を崩さないまま答える。


「もちろんだよ。レイは伝説の『暁の勇者』になる男で、ぼくはその友達なんだもの。レイのパーティにはいって役に立つために、僕は司祭になりたいんだよ」


 そのとき、花の咲いた茂みの奥から、透きとおった声がした。

 屋敷のほうから現れたのは、一人の美しい女性だった。長い亜麻色の髪を巻きあげ、腰を絞った優雅な水色のドレスを着ている。


「ふたりとも、疲れたでしょう。そろそろ昼食にしましょう」


 その女性の姿を見たレイとリーベが交互に言う。


「母上」

「奥さま、ありがとうございます」


 リーベはお礼を言いながら、深く頭を下げた。

 レイの母であるローズは腰を落として目線を子どもたちに合わせ、優美な微笑みをたたえて言った。


「リーベ、そんなにかしこまらなくともよいのですよ。我が国の法では、孤児は貴族になれないの。だから養子ではなく召使いと同じ扱いで申し訳ないと思っています。でも、お前だって大切なうちの子ですもの」


 その言葉に、リーベは慌てて両手を前に出し、ローズを制止した。


「謝らないでください。自分がどこから来たのかもわからなかったぼくを受け入れてくださって、旦那さま、奥さま、お坊ちゃまには本当に感謝しております」

「お前がこの屋敷の前に捨てられていた日から、もう五年も経つのね。レイの友達になってくれて嬉しいわ」


 リーベは地面に膝をついて頭を垂れ、敬意をあらわにした。


「頭をあげて。昼食をいただいたら、午後はみなで礼拝に行きましょうね」



 ***


 カトラリア王国で一番大きな大聖堂に、聖職者の恰好をした一人の若者が入っていく。

 若者は端を通って中を横切ると、何十人もの国民たちの前で祈りの言葉を唱えている青年の後ろにまわり、そっと話しかけた。


「……司祭! リーベ司祭!」


 そう呼ばれて振り返ったのは、癖のある長い金髪を後ろでひとつにまとめ、赤い司祭服を着たリーベである。

 あれから十年以上の月日が経ったのだ。


 穏やかな表情は子どもの頃とまったく変わっていない。彼は今、王国が運営するこの大聖堂で働いていた。

 人々の悩みの声に耳を傾け、回復魔法で傷や病気の治癒に当たる。この魔法の使い手は数が少なく貴重なため、才のある者は教会が引き受けて勉学や修練に励み、いずれ司祭などの任に就く。一般に『聖職者プリースト』と呼ばれる職務である。


 見習いの若者は、大聖堂の壁にかかった絵画のような時計を指さした。


「そろそろ、支度をなされなくてよろしいのですか? せっかく『勇者承継の儀』で祈りを捧ぐ大役に任命されたのに、間に合わなくなってしまいますよ」

「もうこんな時間か、ありがとう」


 壁を見あげていたリーベの赤い裾を、幼い子どもが引っ張った。


「司祭さま。なあに、どこにいくの?」

「今日はね、この国の新しい勇者であるレイが、先代の旦那さまから勇者の剣を受け継ぐ日なんだよ。国王陛下も列座される重要な儀式だ。僕もこの国の司祭として、そして彼の友として、完璧な『魔王祓いの祈り』を捧げなくてはね」


 一緒に祈っていた国民たちが、競うようにリーベに激励の言葉を口にする。

 彼は司祭として民の声を聞き、魔力マナを磨いて貧富の差も関係なく治癒をおこなってきた。持ち前の温厚な性格も手伝って、リーベはこの街のどの聖職者よりも国民に慕われていた。


 急いで儀式用の衣装に着替え、この日のために作った杖を持ち、見習いの若者に頼んで呼んでおいてもらった馬車へと乗り込んだ。


 『勇者承継の儀』は、国王の住む城の敷地内である儀式の間で執り行われる。貴族であればどの家も参列できるため、リーベが着いた頃にはすでに多数の豪華な馬車が城下へと集まっていた。そびえたつ塀の周辺には、勇者を一目見ようと身分の低い平民たちも押し寄せている。


 人々の間を通り抜け、リーベ以外は立ち入り禁止となっている祈りの間へと向かった。


 広大な広間に、派手な衣服を着た貴族たちがひしめきあっている。警備の騎士たちは全身を鎧で隠し、片手剣や槍をそれぞれ携えて、厳かな空気を形作っている。

 広間の真ん中には赤いベロアの長絨毯が敷かれ、王の玉座まで続いていた。時間ぴったりに、国王は貴族たちの前に姿を現した。


 王にふさわしい、地の響くような重い声で、演説ははじまった。


「我々は古代より、幾度でも復活する『竜魔王』の恐怖に晒されてきた。だが、案ずることはない。我が王国には代々魔王を封じ込めてきた伝説の英雄、『暁の勇者』の血を引く一族がいるのだ! じきに、魔王復活の日が訪れる……新しい勇者の誕生を、ここに祝福せよ!」


 銀の兜で顔の見えない騎士が大きな扉を両側から開くと、王の呼ぶ声とともに、光を背景に青年は姿を現した。


「勇者……レイ!」


 まっすぐで艶やかな黒髪。筋肉のついたしなやかな肉体。抜けるような青い色をした鎧。

 その精悍な姿に、鮮やかなドレスを着た若い娘たちが色めき立つ。貴族だけではなく職務中の騎士たちまでもが歓声を沸き起こした。

 二階の一等席では、母親のローズが誇らしげに息子を見守っている。


 青年は赤い絨毯の上をたしかな足取りで歩き、国王の前までやってくると、胸の前で左腕を曲げ、敬礼のポーズをとった。


 レイは凛々しい声で、王に向かって誓いを立てた。


「王よ、必ずやこの国を魔王の恐怖から守ること、ここに宣誓いたします!」


 白い髭を蓄えた国王はうなずき、後ろに控えていたレイの父親に声をかけた。その昔魔王を倒した、先代の勇者である。


「では、勇者ダンよ。勇者の剣を」

「ハッ」


 国王の言葉に、先代の勇者は威厳をともなった声で応えた。



 ***



 祈りの間では、リーベが『魔王祓いの祈り』を捧げている。

 それは踊りに似た、歌声から生まれる祈祷だった。教会に赴いた人々へ説教を聞かせるときとはまた違う、海辺で悲しい恋歌を奏でるセイレーンのような歌声だ。

 魔法陣を描いた床の上で、ゆっくりと文様を踏みながら、全身を使って祈る。


 魔王よ、あなたにも心があるならば、どうかこの時だけは世界を混沌から遠ざけてくれますよう

 魔王よ、あなたにも体があるならば、どうかこの時だけは穏やかな眠りについてくれますよう

 勇者がこの地にめざめるまで

 勇者がその手に剣を握るまで


 額には汗が伝っているが、静かな舞踏は滞りなく続いていた。

 だが、一小節を歌い終わったそのとき──遠くで火魔法のような激しい爆発音が聴こえた。今まさにレイが勇者の剣を引き継ごうとしているはずの、大広間の方角である。


 リーベは踊りをとめ、怪訝な顔をして、外の様子を確かめるために扉を開けて出ていった。

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