第3話 雪解けの記憶



母が他界してから、初めての冬が終わろうとしていた。


窓の外では、二月の陽光が積もった雪を少しずつ溶かしている。まるで時が止まったかのように、水滴は光を束ねては落ちていく。その様子を眺めながら、私は母との最後の冬の日々を思い出していた。


「このまま春が来なければいいのに」


そう呟いた母の声が、まだ耳に残っている。末期の癌で、残された時間が少ないことを悟っていた母は、冬の訪れを静かに喜んでいた。「雪が積もっているうちは、まだ大丈夫」と。まるで春の到来が、最期の時を告げる合図であるかのように。


私は毎朝、母の病室の窓から見える景色を写真に撮っていた。真っ白な雪景色が、日に日に色を変えていく様子を。それは母への最後の贈り物になるはずだった。しかし今、それらの写真は棚の中で、アルバムに収められることなく眠っている。


雪解けの音に耳を澄ませば、あの日々が鮮やかに蘇る。母は病床で、私の手を握りながらよく昔の話をしてくれた。私が幼い頃、庭で雪だるまを作った思い出。学校が雪で休みになった日に、二人で温かい甘酒を飲んだこと。そんな些細な記憶の断片が、今では宝物のように感じられる。


窓の外では、雪解け水が地面に染み込んでいく。それは悲しみというより、むしろ自然な営みのように見える。母が最期まで愛していた冬の風景は、確かにここにあった。そして、それは来年もまた訪れるのだ。


私は立ち上がり、棚からカメラを取り出した。今年最後の雪解けの様子を、もう一枚写真に収めることにする。それは母への約束でもあり、新しい季節を迎える準備でもあった。


雪は静かに、しかし確実に溶けていく。その中に、人生の移ろいと、愛する人との別れを見る。けれど、それは終わりではなく、新たな始まりの予感でもある。母が愛した冬の情景は、私の中で永遠に生き続けるのだから。


***


窓辺に立ち、シャッターを切る。ファインダーの中で、一滴の雪解け水が光を纏って輝いていた。

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2024年12月25日 19:00
2024年12月25日 20:00
2024年12月25日 21:00

『雪解けの記憶』「死と再生を巡る6つの物語」 ソコニ @mi33x

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